第五章 王女の来訪(4)
──彼に触らないで!
そう言いたい気持ちを、必死に抑える。
「あら、久しぶりね。リーゼロッテ様」
続いてリーゼロッテを見たイラリアは意味ありげな笑みを浮かべる。
「はい。ご無沙汰しております」
「そうだわ。懐かしい人を連れてきてあげたの」
そう言ってイラリアが呼びかけた人を見て、リーゼロッテは息を呑む。
「アドルフ様?」
そこには、かつての婚約者の姿があった。中性的な美貌は今も変わっておらず、傍らにはパートナーのヒッポグリフを連れている。他の近衛騎士より立派な肩章が付いており、彼の地位の高さを伺わせた。
「アドルフ。彼女と会うのは久しぶりでしょう?」
イラリアはさも気を利かせたようにアドルフを呼び寄せて、彼の腕に絡みつく。
(ああ、そういうこと──)
勝ち誇ったような目で自分を見つめるイラリアを見た瞬間、悟った。
イラリアがラフォン領に一週間も滞在する理由。それは、血に塗られた辺境伯に嫁いだ女がきちんと不幸になっているかを確認し、自分の優位性を知らしめるためだ。
怒りで手が震えそうになる。すると、テオドールがリーゼロッテを自然に抱き寄せた。
(テオドール様……)
テオドールはリーゼロッテと目が合うと、優しく微笑む。
「リーゼロッテ、知り合いか? こちらの方を紹介してもらっても?」
本当は誰だがわかっているくせに、皮肉たっぷりにそう言う態度に思わず笑ってしまいそうになる。
「はい。こちらはラット伯爵家の次男──アドルフ様です。昔の知り合いですわ」
昔の、と言うところを強調したことに気づかれたかもしれないが、別に構わない。だって、リーゼロッテにとってアドルフはもう過去の人で、関わる気もないから。
「ご無沙汰しております、ラット卿。お変わりなくお過ごしでしたか?」
リーゼロッテのどこまでも他人行儀な挨拶に、アドルフの眉がぴくりと動く。
「ああ、リーゼロッテ。きみも元気にしていたかい」
にこりと微笑むときの優しげな雰囲気はあの頃となんら変わらない。けれど、王女に唆されて平然と人を陥れるような人であることを、リーゼロッテは知っている。
「ラット卿」
そのとき、テオドールの低い声が響いた。
「リーゼロッテは俺の妻だ。どういう関係か知らないが、軽々しく名前を呼ばないでほしい」
「……っ、これは失礼しました。気を害したなら謝罪しましょう。ラフォン閣下」
テオドールは辺境伯だ。身分でいえば上は王族と公爵しかいない。いかに王女のお気に入りであろうと近衛騎士団副団長のアドルフよりは格上だ。
アドルフは一瞬だけ不快そうに顔を歪めたが、すぐにいつもの爽やかな笑顔を浮かべてテオドールに謝罪した。
「では、お部屋に案内しましょう」
テオドールはリーゼロッテの腰に手を添えたまま、イラリア一行を屋敷内へと案内した。
◇ ◇ ◇
リーゼロッテは窓から外を眺め、はあっと息を吐く。
「まだ三日もあるわ」
カレンダーに×印をつけ、またため息が漏れる。
イラリア一行が来て今日で四日目。初日は到着した疲れから部屋で休んでいたのでまだいいとして、その後は彼女に振り回されっぱなしだ。
まず、滞在する部屋が気に入らないと言い出してテオドールとリーゼロッテを仰天させた。
イラリアには、この屋敷で一番いい貴賓室を用意していた。しかし、彼女は『景色があまりよくないから三階の部屋がいいわ』と言い出したのだ。
ラフォン領主館の三階は領主の家族、すなわちラフォン辺境伯であるテオドールやその家族が過ごすためのプライベート空間だ。暗にリーゼロッテと部屋を換えろと言っているのは明らかだった。




