第五話 王女の来訪(3)
テオドールが現れたのは、そんな会話を一時間ほどした頃だった。
「遅くなって悪かった」
ルカードに乗って現れたテオドールは急いで来たのか、普段は無造作に下りている前髪が風で後ろ向きに癖がついている。
「いいえ、大丈夫です」
リーゼロッテはテオドールに笑みを向ける。
「旦那様こそお忙しい中、申し訳ございません」
「いや、構わない。俺も事前に確認しておきたい。では、行くか」
テオドールに手を引かれ、リーゼロッテは立ち上がる。
「では、私の馬車で先導して案内します」
会長も立ち上がった。
工場に向かう途中、リーゼロッテは馬車から車窓を眺める。
(なんだか、いつもと町の様子が違うような……)
賑やかなことに変わりはないのだが、そこかしこに騎士がいる。こんなにたくさん騎士が出歩いているのを見るのは初めてだ。
「旦那様。どことなくいつもと様子が違う気がするのですが、何かあったのです? その、警邏の騎士が多いような──」
リーゼロッテは横に座るテオドールに尋ねる。
「ドラゴンが繁殖期を迎えた。あろうことか町の近くに巣を作ってしまったから、巡回を強化している」
「ドラゴンが繁殖期を迎えるのと町の様子にどんな関係が?」
リーゼロッテはその関係性が見いだせず、聞き返す。
「ラフォン領が時折、幻獣によって大きな被害に見舞われているのは知っているか?」
「もちろんです」
リーゼロッテは頷く。
ラフォン領に嫁いでから、一通り近年起こった出来事やこの地域の歴史については学んだ。その中に幻獣による被害の記録も幾度となく出てきた。
それに、幻獣討伐の際のテオドールの鬼神のごとき活躍ぶりは、王都にいても聞こえてくるほどだった。
「それらのほとんどは、ドラゴンによるものだ」
「え? でも、ドラゴンって聖獣なのでは? 人を襲うのですか?」
イスタールでは幻獣のうち人に害をなすものを魔獣、逆に信仰の対象となるような神々しいものを聖獣と呼ぶ。ドラゴンはその聖獣の最たるものだ。
「普段は標高が高い山の上に住んでいるから、人を襲うことはおろか出会うことすらない。だが、繁殖期だけは地上に降り立ち、気性も荒い」
「繁殖期……。もしかして、今日急に打ち合わせが入ってしまったのはそのせいですか?」
「ああ」
テオドールは頷く。
「被害が出る前に予防策を打つ必要がある。今日中に、各地にドラゴンが繁殖期に入った旨の伝令を出す予定だ。それに加え、万が一ドラゴンが機嫌を損ねて来襲してしまった際の避難誘導などにすぐに対応できるよう、騎士を多めに配置している」
「そうなのですね」
リーゼロッテは改めて町の様子を眺める。
道行く人々はいつもとなんら変わらない笑顔を浮かべ、楽しげにおしゃべりしている。
(何もないといいけれど)
どことなく不安を感じる。
リーゼロッテはそれを振り払うように、小さく首を振った。
◇ ◇ ◇
ラフォン領はイスタールの辺境の地に位置する。普段王族が訪れることなどまずないので、イラリアの来訪は領民を大いに沸かせた。
もうそろそろ到着するという先ぶれを受け、リーゼロッテは屋敷の前で、テオドールと並んで彼女の来訪を待つ。
「王女殿下!」
「イラリア殿下」
多くの人々の歓迎を受けながら、イラリアは馬車から降り立った。
「お会いできて光栄です。イラリア殿下」
「ようこそいらっしゃいました。イラリア殿下」
テオドールとリーゼロッテはイラリアに深くお辞儀をする。全面に刺繍が施された豪華な靴が視界に入った。
「出迎え、ご苦労様」
「ありがたきお言葉、痛み入ります」
テオドールがようやく顔を上げたので、リーゼロッテも姿勢を正す。
数年ぶりに会うイラリアは、最後に会ったあの日と何も変わらなかった。艶やかな金髪に、海のような青い瞳。決して大柄ではないのに他人を見下すような威圧感のある視線は、やっぱり慣れない。
「ラフォン領の領主、テオドール=ラフォンです」
テオドールを見たイラリアの目が一瞬揺れ、息を呑んだように見えたのはリーゼロッテの気のせいだろうか。
テオドールはイラリアの前に跪くと、彼女の手を取りキスをする。それはいわゆる社交辞令なのに、リーゼロッテの中でもやもやとしたものが広がった。




