第五章 王女の来訪(2)
◇ ◇ ◇
王女イラリアが来訪するまであと一カ月に迫ったこの日、テオドールは幻獣騎士団と共に森に来ていた。テオドールは目の前に広がる光景に思わず舌打ちする。
「よりによって今か。タイミングが悪いな」
「はい。繁殖期には特に気性が荒くなるので、注意が必要かと」
テオドールを案内した師団長が頷く。
ラフォン領の森には、多くの幻獣や動物が暮らし、共生している。だが、ときにそれら幻獣や動物達によって人が傷つけられる被害が発生するので、幻獣騎士団では毎日のように森に異変がないか巡回している。
そして、森の中の異変を知らせる報告が数日前に上がって来たので、今日はテオドールも同行して確認しに来た。
森の奥の崖沿いにはいくつもの鳥の巣のようなものが見えた。ただ、サイズは鳥の巣とは比べ物にならず、直径二メートル近くある。ドラゴンの巣だ。
ドラゴンは幻獣の中でも最大にして最強の種だが、普段は山の奥深くに生息しており人が住む地域には降りてこない。ただ、数年に一度の周期で繁殖のために一斉に森に降りてくる時期があり、その際は気が立っているから特に注意が必要だ。
過去に街にドラゴンが襲来した事件は、大抵巣があることに気づかず近くに寄ってしまったため、ドラゴンの怒りをかったものだ。さらに、ドラゴンが来ることによって元々森に住んでいた幻獣や動物まで敏感になり、ちょっとした被害も発生しやすい。
「ドラゴンの巣があることを周知すると共に、領民が不用意に近づかないように見張りを強化してくれ」
「はい。かしこまりました」
師団長は胸に手を当てて跪くと、しっかりと頭を下げた。
◇ ◇ ◇
一方その頃、リーゼロッテは商工会の会長の屋敷に行き打ち合わせを行っていた。
「まあ、町全体でこんなに売り上げが上がったのね? 素晴らしいわ」
「領主様のお力添えのおかげです。色々なことがやりやすくなりました」
(領主様……テオドール様のおかげなのね)
会長の口からテオドールのことが出てきて、なんだか嬉しくなる。
テオドールがリーゼロッテのこの活動を認めてくれて以来、行政として動いたほうがいい案件と民間でできる案件を整理して取り組むようになり、飛躍的に実行力が高まったのだ。
「奥様。このあとは、予定通り新しくできた製糸工場をご案内しましょう。ナリータから輸入した最新の機器が導入されています」
「王女殿下を案内する予定の工場ね? ありがとう」
リーゼロッテが喜んで頷く。
イラリアに滞在する一週間をどのように過ごしてもらうかはリーゼロッテ、ひいてはラフォン領にとってとても重要なことだ。気持ちよく過ごしてもらえれば王室からの評価が上がるし、逆に不快な思いをさせてしまえば王室の不興を買うことになる。まさに、匙加減ひとつで領地全体に大きな影響が出るのだ。
そして、リーゼロッテは色々考えた末に滞在中の一日はラフォン領の最新の工業、商業に関する案内をすることにした。三つの国と接するラフォン領はイスタールの中でも国際色豊かな地域で、色々と先進的な取り組みをしているからだ。
「旦那様もいらっしゃると仰っていたのだけど──」
リーゼロッテは窓の外を見る。薄っすらと曇った空が見えた。
先日、リーゼロッテはテオドールに、今日イラリアを案内する予定の工場の下見を行う予定だと伝えた。すると、テオドールも念のため見ておきたいと言ったので今日は打ち合わせから同席する予定だったのに、どうしても外せない打ち合わせがあるから先に行ってくれと言われたのだ。
(緊急案件っぽかったけれど、大丈夫かしら?)
午前中に森の巡回に同行したテオドールは、屋敷に戻って来ると昼食をとる間もなく誰かと打ち合わせに行ってしまった。
「まだ時間はありますので、領主様がいらっしゃるまでお茶でも飲んでお待ちください」
「ええ、ありがとう」
使用人によって運ばれてきた紅茶は、爽やかな味わいがした。
「あら? 珍しい紅茶ね」
「紅茶に数滴のレモン汁を加えています。外国の飲み方だそうです」
「へえ。爽やかな口当たりだから、特に夏によさそうだわ。そうだわ。この飲み方をレストランで──」
新しいものに触れると、次々とアイデアが湧いてくる。レモンはラフォン領でもたくさん収穫できるので、新しい利用法が広がるのは喜ばしいことだ。




