第五章 王女の来訪(1)
この日、リーゼロッテは獣舎にヒッポグリフの様子を見に来ていた。六頭いた野生のヒッポグリフは徐々にパートナーが決まってゆき、残るは二頭だけだ。
干し草を差し出すと、ヒッポグリフ達は尻尾を振って近づいてくる。その様子が可愛らしくて、リーゼロッテは笑みを零した。
「今日はいい天気ね」
餌をやり終えたリーゼロッテは目の上に手で傘を作り、空を見上げる。真っ青な空には雲ひとつない。
ぼんやりと空を眺めていると、獣舎の入り口が開閉するガシャンという音が聞こえた。
「誰か来たのかしら?」
リーゼロッテは入口のほうを振り返る。そして、そこにいた人物を見て驚いた。
「旦那様?」
「リーゼロッテ?」
テオドールもまたリーゼロッテがいるとは思っていなかったようで、驚いた様子だ。
「ヒッポグリフ達の世話か?」
「はい。とっても可愛いです」
リーゼロッテは笑顔で今世話をしている二匹を撫でる。二匹は嬉しそうにリーゼロッテにすり寄った。
「旦那様は、お出かけですか?」
「ああ、少しだけ息抜きに──」
そこまで言いかけたところで、テオドールは言葉を止めてリーゼロッテをじっと見る。
「リーゼロッテも来るか?」
「え? わたくしもですか? よろしいのでしょうか?」
突然の誘いにリーゼロッテは驚いた。
「ああ、構わない。ルカードに乗って、定期的に息抜きをしているんだ。今日は、領地の西側をぐるりと回るつもりだ」
「領地の西側をぐるりと」
リーゼロッテはラフォン領に嫁いできて以来、領主館のある町以外に出かけたことがない。テオドールが治めるラフォン領にはどんな地域があるのか、見てみたい気がした。
「ご迷惑でなければ、是非」
「迷惑なわけないだろう。行こう」
テオドールはリーゼロッテを見つめ、微笑んだ。
テオドールに案内されてルカードの獣舎に行くと、彼は羽を広げてのんびりと日向ぼっこをしていた。
「ルカード、起きろ。行くぞ」
ルカードにはゆっくりと顔を上げる。
〈番も一緒か?〉
「ああ」
テオドールは頷く。
「え? 喋った?」
リーゼロッテは驚いて、まじまじとルカードを見る。
ヒッポグリフのお世話をしていても、喋ったところなど一度も見たことがない。
「ルカードは幼獣のときから人に接して来た。幻獣は頭がよいから、話しかけていると覚えるようだ」
「すごい! こんにちは、ルカード。よろしくね」
リーゼロッテはおずおずとルカードに笑いかける。ルカードは〈ふんっ〉と言ってリーゼロッテの前に座ると、体を屈めた。どうやら、乗れと言っているようだ。
リーゼロッテはテオドールにすっぽりと後ろから包まれるように、ルカードに跨る。
「ところで、番って何?」
リーゼロッテはルカードに尋ねる。
〈幻獣の世界の、嫁のことだ〉
答えるや否や、ルカードがぐわんと空に飛び立った。
「きゃっ」
闘技場の中をぐるりと回るだけの低空飛行だった前回とは全然違う。
どんどん地上が遠ざかり、リーゼロッテは恐怖でルカードの首のあたりの羽を握り締めた。すると、後ろからそっとその手を外され、テオドールに寄りかかるように引き寄せられた。
「ルカードの羽が抜けてしまう」
〈テオの番のか弱い力で抜けるほどやわじゃないぞ〉
ルカードはすかさずテオドールに言い返す。そのやり取りがなんだかおもしろくて、リーゼロッテはくすくすと笑いだす。
「緊張はほぐれたか?」
「はい」
リーゼロッテは頷く。ふと視線を前に向けると、今まで見たことがないような雄大な景色が広がっていた。
「わあ、素敵!」
眼下に見える一番大きな建物が、普段リーゼロッテがいる屋敷──ラフォン領主館だろう。そこから放射線状に町が広がり、一部は森へと繋がる。森は緑の絨毯のように、どこまでも続いていた。
「ここはとても美しいところですね」
「気に入った?」
「はい。とても」
リーゼロッテは頷く。
「それに、旦那様に幻獣に乗せてもらうことなど剣技大会以来なので、とても嬉しいです。普段、昼間はほとんど一緒に過ごすことができないので」
テオドールは目を瞬くと、フッと笑う。リーゼロッテの顎を掬うと、触れるだけのキスをした。
「だ、旦那様⁉」
外でキスをされたことなど初めてなので、リーゼロッテは驚いてあわあわする。
「リーゼロッテが可愛いことを言うのが悪い」
「わたくしのせい⁉」
唖然とするリーゼロッテを見て、テオドールは楽しげだ。
「もう……っ、仕方ないですね」
こうして許してしまうくらい、リーゼロッテはテオドールに夢中だ。テオドールは後ろからリーゼロッテをぎゅっと抱きしめ、首元のあたりの髪に顔を埋めた。
いつの間にか夕焼けで大地がオレンジ色に染まり始める。
(本当に、綺麗……)
リーゼロッテはその景色にしばし見惚れる。
テオドールが守っているこの地域の発展のために、自分も頑張りたいと思った。




