第四章 ぎこちない新婚生活(11)
「このままだと止まらなくなりそうだから、起きようか。朝食は隣の部屋に運ばせる」
テオドールはリーゼロッテに爽やかな笑顔を向ける。
(だ、旦那様が甘いわ!)
これまでも優しかったが、段違いな甘さだ。
ベッドから立ち上がり遠ざかりそうになるテオドールの背中を見たリーゼロッテは、ふと寂しさを感じた。彼のガウンの裾を引くと、すぐに気づいたテオドールはリーゼロッテのほうを振り返った。
「どうした?」
「旦那様、大好きです」
昨日、テオドールはリーゼロッテに何度も『愛している』と言ってくれたのに、リーゼロッテは彼にほとんど何も言っていない。
それに気づいた彼女がそう告げると、テオドールは大きく目を見開き、額に手を当てる。
「今のはリーゼロッテが悪い」
「え?」
テオドールはベッドに戻るとリーゼロッテを押し倒し、深い口づけをした。
結局、リーゼロッテとテオドールが起きて食事を摂り始めたのはもう昼が近いような時間だった。テオドールに誘われて初めて入る彼の私室は、リーゼロッテの私室より一回り大きい。
執務室は別にあるためか机周りは物が少なく、きっちり整理されている。部屋にはゆったりとしたソファーにダイニングセット、それにシングルベッドも置かれていた。
そのダイニングテーブルに向かい合って食事を摂っていると、不意にドンドンドンとドアをノックする音がした。ノックするというよりは、叩いていると言ったほうが正しいような大きな音だ。
「誰かしら?」
「見なくとも想像がつく」
テオドールがはあっとため息をついた次の瞬間、ドアがバシンと開く。
「テオ。何時だと思っているんだ! さっさと執務室に来い!」
現れたのは、大柄な男性だった。茶色い髪に茶色い瞳で、男らしい雰囲気の人だ。
「あら、あなたは確か──」
剣技大会で最後にテオドールと戦っていた人だ。幻獣騎士団の団長で、名前は確か──。
「なんだ、奥様と一緒だったのか」
カルロはリーゼロッテがいることに気づいても、遠慮なくずかずかと部屋に入って来る。
「改めまして、俺はカルロ=グラスルです。ラフォン幻獣騎士団の団長をしています」
「ごきげんよう、カルロ様」
リーゼロッテは丁寧に挨拶を返す。カルロはじろじろと上から下までリーゼロッテを見てきた。
「おい。あまり見るな」
「いいだろ、減るもんじゃないし。近くで見ても本当に美人だな」
「だめだ。お前の視線でリーゼロッテが穢れる」
苦虫を嚙み潰したような顔で対応するテオドールを見て、リーゼロッテはなんだかおかしくなる。普段冷徹なイメージがあるテオドールにもこんな姿があるのかと新鮮に思えた。
「どんだけ独占欲強いんだよ」
カルロは呆れ顔だ。
「うるさい。それで、どうした?」
「王都から連絡が来たから早めに連絡を入れたほうがいいかと思ってさ。予想通り、ナリータ国王太子の誕生日パーティーには王女殿下が参加されるそうだ」
「どの王女だ?」
「第三王女のイラリア殿下だ」
(イラリア?)
その名前を聞いた瞬間、心臓がぎゅっとした。
何も悪いことをしていないのに、彼女に目を付けられたばっかりにリーゼロッテは悪女のレッテルを貼られて断罪され、婚約破棄された。
当時のやるせなさが蘇り、リーゼロッテは胸の前で拳を握る。
「リーゼロッテ、大丈夫か? その話は執務室で聞く。食事を終えたらすぐに行くから──」
リーゼロッテの異変に気付いたテオドールがカルロを追い返そうとしたが、リーゼロッテは彼の言葉を遮って「大丈夫です」と告げる。
カルロは迷うようにテオドールを見る。テオドールが頷いたので、話し始めた。
「イラリア王女なんだが、ナリータ国に向かうのは三か月後の四月だ。その途中にラフォン領に立ち寄り、一週間ほど滞在したいと」
「一週間だと?」
テオドールは眉根を寄せる。途中の宿泊地として一泊することは想定していたが、一週間は想定外だ。
「どうする? 最近なんだか森の幻獣達が落ち着かない様子だし、無理だったら早めに難しいと──」
「いいえ」
リーゼロッテは声を上げる。
王室からの希望を断れば、少なからず心証を悪くする。本来、屋敷に来る賓客のもてなしや家令の執り仕切りは女主人であるリーゼロッテの役目だ。ならば、テオドールのためにも役に立ちたいと思った。
「受け入れできます。そうお伝えください」
「いいのか? 断ってもいいんだぞ?」
テオドールが心配そうにリーゼロッテを見つめる。
「大丈夫です。これでも、将来は公爵家を継ぐべく教育を受けてきたので一通りのことはできます。それに──」
「それに?」
「旦那様のお役に立ちたいです」
おずおずと告げると、テオドールは心配そうにリーゼロッテを見つめる。
「ありがとう。だが、無理はするな」
「はい」
リーゼロッテが微笑めばテオドールも口角を上げ、ふたりの間に甘い空気が流れる。
「あのさ、おふたりさん。俺がいるときにふたりだけの世界に入るのやめてくれる?」
カルロの漏らした愚痴が、むなしく部屋に響いたのだった。




