第四章 ぎこちない新婚生活(2)
(本当にヒッポグリフに乗ったまま戦うのね)
普通の馬に乗る騎乗試合であれば、王都にいた頃に何度か見学したことがある。だが、幻獣騎士同士の試合を観戦するのは初めてだ。
空も飛ぶことができるヒッポグリフに乗った幻獣騎士達の試合は、通常の騎乗試合とは比べものにならないほど迫力があった。リーゼロッテも無意識に拳を握り、固唾を呑んで見守る。
(テオドール様は出てこないのね)
トーナメント形式の決勝戦になっても、テオドールらしき人物は出てこなかった。
優勝を収めた騎士がガッツポーズをすると、ひと際大きな歓声が起きる。茶色い髪をした大柄な男性は、テオドールではない。
そのときだ。興奮冷めやらぬ闘技場に出てきた人物を見て、リーゼロッテはドキッとした。
(テオドール様?)
銀色の兜の隙間から艶やかな黒髪がのぞいた長身の男性は、その場にいるだけで周囲を圧倒するような迫力があった。乗っているのは鷹の頭と獅子の体を持つ幻獣──グリフォンで、ヒッポグリフよりも一回り大きい。
「リーゼロッテ様、旦那様ですよ。旦那様は毎回優勝するので、今年からは優勝者とだけ対戦することになったんです」
アイリスがリーゼロッテに耳打ちする。
「優勝者とだけ対戦?」
リーゼロッテは聞き返す。
「はい。対戦相手は幻獣騎士団で最強と言われる団長のカルロ様です」
「幻獣騎士団で最強……」
アイリスの言葉を聞き、リーゼロッテは胸の前でぎゅっと手を握る。そんな強い人と戦うなんて、怪我をしてしまわないだろうかと心配になる。
試合開始の合図とともに、両者が空に飛び立つ。カキンという音がして剣がぶつかったと思ったら次の瞬間には距離が離れており、目で追うのがやっとだ。
ふいに、テオドールの乗るグリフォンが雄たけびを上げる。観客席にいてもびりびりと振動を感じるほどの迫力に、一斉に周囲の木々で羽を休めていた鳥が飛び立ち、カルロの乗っているヒッポグリフは怯えるようにあとずさった。
「前へ!」
カルロは手綱を引き、自身のヒッポグリフを前に進めようとする。しかし、テオドールはその隙を見逃さなかった。一瞬で間合いを詰めると、カルロの腹に鋭い一撃を繰り出す。
「ぐっ!」
低いうめき声がしてカルロの体が後ろに倒れ、空中に投げ出された。
「危ないっ!」
リーゼロッテは思わず叫ぶ。このまま地面にたたきつけられると思ったが、地面に落ちる直前にカルロのヒッポグリフが彼の下に回り込みそれを阻止した。
(よかった)
リーゼロッテは心底ホッとした。
カルロの意識はあるようで、彼は素早く体勢を立て直すとぽんぽんと慰労するように自身のヒッポグリフの背中を叩いた。苦笑いをしたような表情でテオドールを見上げる。
テオドールも高度を下げ、ふたりはそれぞれの幻獣に乗ったまま握手を交わした。
その瞬間、今までで一番大きな歓声が起きた。勝負が付いたのだ。
(本当に、すごく強いのね)
あっという間の勝負だった。テオドールと結婚する前に聞いていた彼の『世界最強の幻獣騎士』という噂は本当だったのだと改めて思い知る。けれど、同時に気になったのは『血に塗られた辺境伯』という噂だ。
テオドールは被っていた銀色の兜を外し、周囲に向けて手を振っていた。
(あの噂について、アイリスなら何か知っているかしら?)
「ねえ、アイリ──」
隣にいるアイリスに話しかけようとしたそのとき、ふいにテオドールの視線がこちらを向いた。
「リーゼロッテ?」
声は聞こえないが、唇の形から自分の名を呼んだような気がした。
まさかリーゼロッテがここにいるとは思っていなかったのだろう。テオドールは明らかに驚いた様子で、大きく目を見開く。
(やっぱり見学しないほうがよかったかしら?)
呼んでもいないのにいることを不快に思われたかもしれない。リーゼロッテがそう思って俯きかけたとき、至近距離で鳥の羽ばたきのような風を切る音が聞こえる。
「リーゼロッテ。手を」
低い声が頭上から聞こえた。リーゼロッテはハッとして顔を上げる。グリフォンに乗ったテオドールがこちらに片手を差し出していた。
「え?」
「こちらへ」
テオドールは戸惑うリーゼロッテに手を差し出しだしたまま、じっと彼女の反応を待っていた。