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第一章 突然の婚約破棄と新たな縁談(2)

 しばらく歩いたのちに辿り着いた王族のプライベートスペースへと続く廊下の前には、近衛騎士が数人、立哨(りっしょう)していた。


「イラリア王女殿下に拝謁したく」


 声をかけられた近衛騎士は手元の書類を捲る。王族達の本日の予定表だ。


「お待ちしておりました。お部屋にご案内します」


 話は既に通してあったようで、近衛騎士は書類を脇に抱えるとリーゼロッテに付いてくるように促す。案内された部屋は、王宮にある貴賓応接室のひとつだった。


「リーゼロッテ=オーバンです。ただいま参りました」


 ノックしてから声をかけると、ドアが少し開いて侍女と思しき女性が顔を出す。


「どうぞお入りください」

「はい」


 侍女に促されて、リーゼロッテはイラリアの部屋に入室する。


「よく来たわね。ごきげんよう、リーゼロッテ様」


 イラリアは、部屋の中央にある天鵞絨張りのソファーにゆったりと座っていた。リーゼロッテを見つめ、少しだけ口の端を上げる。


 部屋にはイラリアの他に何人かの人がいた。メイド服を着たふたりの女性はイラリアの侍女だろう。それに、リーゼロッテの婚約者であるアドルフもいた。

 柔らかそうな茶髪に新緑を思わせる緑眼、どこか中性的な麗しい見目は最後に会った二カ月前となんら変わった様子もない。


 彼の姿を見て、リーゼロッテは少なからずホッとした。万が一例の噂のことをイラリアに尋ねられても、彼がいれば誤解を解いてくれると思ったのだ。


「ごきげんよう、イラリア王女殿下。遅くなり申し訳ございません」


 リーゼロッテはイラリアに向かって、丁寧に腰を折る。顔を上げると、イラリアはどこか含みのある視線をリーゼロッテに向けていた。


「構わないわ。今日お呼びしたのはほかでもない、あなた自身に関することよ」


 部屋のドア近くに立ったままのリーゼロッテに椅子を勧めることもなく、イラリアはゆっくりと話し始める。


「リーゼロッテ様はここ最近、わたくしの侍女達に度重なる嫌がらせ行為をしていたそうね?」


(やっぱりその件についてなのね)


 想像通りの内容に、リーゼロッテはぎゅっと拳を握り締める。


「その件については、根も葉もない噂話にすぎません」


 やましいことは何もない。リーゼロッテはきっぱりと否定した。度重なる嫌がらせなどしていないことは、そこにいる侍女ふたりに聞けばすぐにわかるはずだ。


「おかしいわね」


 イラリアはほうっと息を吐く。


「わたくしの侍女達は現に、あなたに嫌がらせをされたと証言しているの」

「なんですって?」


 リーゼロッテは眉根を寄せる。


 証言などあるはずがない。だって、会ったことすらない人達なのだから。今ここにいるふたりの侍女も、もちろん今日が初対面だ。


「ええ、そうよ。ねえ、マリア、リリアン」


 マリアとリリアンというのは、イラリアの侍女の名前のようだ。彼女の問いかけに、部屋にいる侍女ふたりがこくこくと頷く。


「でたらめを言うのは止めて。わたくしとあなた達は、会ったことすらないわ」

「リーゼロッテ様。今はわたくしが聞いているのよ」


 イラリアの咎める声に、リーゼロッテはハッとする。唇を引き結ぶと「申し訳ございません」と謝罪した。


(どういうことなの?)


 ふたりの侍女は俯いてリーゼロッテのほうを見ようともしない。顔色が悪く、何かに怯えているようにも見えた。


「かわいそうに。こんなに怖がってしまって。でも、わたくしがいるからもう大丈夫」


 イラリアは妖艶に微笑むと、リーゼロッテを真っすぐに見据える。


「この件、どう責任を取ってもらおうかしら?」

「お言葉ですがイラリア王女殿下。今さっき申し上げた通り、わたくしはそのふたりと初対面でございます。嫌がらせなどするはずがございません」

「わたくしの侍女が虚言を申しているとでも?」

「いえ、そういうわけでは……」


 スッと目を細めたイラリアの高圧的な態度に、リーゼロッテは口ごもる。

 本音ではその侍女ふたりは嘘をついているとはっきり言いたかったが、今それを言ったらますますイラリアの心証を悪くしてリーゼロッテの状況は悪化するだけだ。


「では、噂は真実ということね?」

「違います! わたくしは断じてやっておりません!」


 なおも否定するとイラリアは顎を少し上げて頬杖を付き、リーゼロッテを見下ろすように見る。


(どうしましょう。こんなときにお父様がいてくださったら──)


 けれど、いないものは仕方がない。

 助けを求めようとアドルフを見ると、彼はリーゼロッテの視線を避けるように目を逸らした。


(え?)


 ほんのさりげない動作だが、リーゼロッテは彼からの明確な拒絶を感じた。お前を助けることはないと言われたように感じたのだ。


 リーゼロッテの視線に気づいたイラリアはアドルフを見上げ、彼に片手を差し出す。アドルフはその手を取ると、甲に口づけを落とした。


「実はアドルフにも相談されていたの。婿養子になることを盾にリーゼロッテ様から傲慢かつ高圧的な態度ととられ、ほとほと困り果てていたと」

「傲慢かつ高圧的?」


 リーゼロッテは唖然として聞き返す。

 傲慢かつ高圧的な態度など、一度も取った記憶はない。


(どういうことなの?)


 批判の意を込めてアドルフを見るが、相変わらず彼はリーゼロッテのほうを一切見ようとしない。


「……アドルフ様がそうおっしゃったのですか?」


 婚約者なのだから、リーゼロッテが困っていれば助けてくれると信じていた。あまりにも酷い対応に、聞き返す声がかすれる。


「ええ、そうよ」


 イラリアの返事を聞き、リーゼロッテは心底がっかりした。

 たしかにアドルフとは政略による婚約関係で、ふたりの間に愛だの恋だのといったものはない。しかし、だからこそリーゼロッテはアドルフをビジネスパートナーとして尊重していたし、将来は仲良く穏やかな家庭を築きたいと思っていたのに。


 だが、そう思っていたのはリーゼロッテだけだったようだ。


「大事な臣下達が困っているのに見過ごすことなど、わたくしにはできないわ。だから、今回一肌脱ぐことにしたのよ」


 イラリアはそこまで言うと、またアドルフを見上げて彼の頬を優しくなぞる。アドルフはイラリアの手に頬ずりするように目を細め、彼女の手に自分の手を重ねた。


(もしかして、この人達……)


 まるで愛し合う恋人達のようなふたりの仕草を見た瞬間、リーゼロッテの中の女の勘が働く。


(そっか。そういうことなのね)


 ようやく理解できた。リーゼロッテの婚約者であるはずのアドルフは王女とただならぬ関係になっており、邪魔な自分は排除されるために嵌められたのだ。


「リーゼロッテ=オーバン。わたくしの大事な人たちを傷つけた罪は重いわ。アドルフとの婚約破棄を命じます」


 イラリアは勝ち誇ったようにリーゼロッテを見つめ、口元に弧を描いた。


 ◇ ◇ ◇


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