◆ アドルフの傲慢
自分の見た目の良さには自信がある。
幼い頃から『天使のようだ』と言われたし、思春期以降は頬を赤らめた令嬢に声を掛けられるのは日常茶飯事、少し優しくすれば、どんな女もころりと手のひらに落ちてきた。
そんなアドルフに転機が訪れたのは十七歳、そろそろ騎士学校を卒業する間近となった時期だった。
「お前に縁談が来ている」
父であるラット伯爵に呼ばれて告げられたのは、何度聞いたかわからない言葉。
「残念ですが、俺はまだ結婚は考えておりません。お断りを──」
十七歳など、まだまだ遊び足りない時期だ。アドルフもいつもの言葉を返せば、ラット伯爵は「まあ、待て」とその言葉を遮った。
「この縁談は今までのものとは違う。またとない良縁だ」
まっすぐにこちらを見据えるラット伯爵の視線に、アドルフは押し返しかけていた釣書を開く。最初に目に入ったのは、人形のように整った見目をした美しい少女だった。赤みを帯びた金髪が印象的で、はにかむような笑顔をこちらに向けている。
「オーバン公爵家のご息女だ」
「オーバン公爵家?」
公爵家といえば、言わずと知れた貴族の最高位だ。イスタールに公爵位をもつ家門は五つしかない。そして、記憶が正しければ、オーバン公爵家には子息がいなかったはず。
釣書から視線を上げると、ラット伯爵としっかりと目が合う。ラット伯爵は無言で頷いた。
「オーバン公爵はお前を婿養子に、と希望されている」
──またとない良縁。
そんな言葉では表しきれないほどの素晴らしき縁談だ。なぜなら、この縁談を受ければもれなくオーバン公爵家の当主になることが約束される。この国の五大公爵家の当主に。
そこからはトントン拍子に話が進んだ。アドルフはオーバン公爵家の長女であるリーゼロッテの婚約者となり、〝次期オーバン公爵〟となったのだ。
婚約期間中、アドルフはリーゼロッテの気を害さないように細心の注意を払った。
定期的に屋敷を訪問し、花や菓子など負担にならないちょっとした贈り物を贈る。たまにリーゼロッテのことを誘い、デートに連れ出したりもしたし、たくさんいた遊び相手の女は特に口の固い者だけに限定し、残りは関係を清算した。
そんなアドルフにとって、リーゼロッテは一言で言うと〝模範的な淑女〟だった。それこそ、模範的すぎるほどに。
暇があれば領地経営のために勉強しており、行きたい場所と言えば庭園や図書館などばかり。男女の関係も教科書通りで、ふたりでいるときは必ずドアを少し開けており進めようがない。
彼女は美しく、模範的な淑女だ。だが、つまらない。
転機がやって来たのは、リーゼロッテとの結婚まで一年を切った頃だった。幻獣騎士団から近衛騎士団へ異動を命じられたのだ。
近衛騎士団は王族の側で彼らを守る騎士団であり、その多くが高位貴族出身者で構成されている。幻獣騎士団と双璧を成す、エリート騎士団だ。
この異動に関して、異論はなかった。むしろ、大歓迎だ。
近衛騎士団にいれば、王族と行動を共にする。つまり、高位貴族の有力者たちと会う機会が必然的に増えて、人脈が広がる。将来オーバン公爵になるに当たっては、好都合だ。
アドルフが仕えたイラリアは、自由奔放で我儘な王女だった。
だが、彼女の言うことさえ聞いておけば機嫌はよく、扱いやすい女だ。望まれるままに甘い言葉を囁けば、彼女はたちまち恍惚の表情を浮かべる。
そんなある日、イラリアから予想外の言葉を掛けられた。
「お前はずっと、わたくしの近衛騎士でいることを許すわ」
イラリアは喜べとばかりに、ひざまずくアドルフを見下ろす。
(まずいな)
アドルフはあと半年もすれば、リーゼロッテとの結婚のために近衛騎士の職を辞する予定だ。ここで「ありがたきお言葉」と返せば、辞めるときにイラリアの不興をかう恐れがある。どう返事するべきか迷い、真実だけを話したほうがいいと判断した。
「私には婚約者がおり、ゆくゆくは彼女の家を継ぐため騎士の職を辞するつもりです」
俯き加減にそう答えると、「今なんと?」と不機嫌な声が下りてくる。
(対応を間違えたか?)
背筋にツーッと冷たいものが流れるのを感じる。イラリアは一言「気に入らないわ」と言った。
親しくしていたイラリア付きの侍女が手に大やけどを負ったのはそれから程なくした頃だった。
どうしたのかと聞いても、曖昧に笑うだけで答えようとしない。それに、以前なら遊びに誘えば付いてきたのに、それも断られるようになった。
さらに、親しくしている他の侍女まで頻繁に怪我をするようになり、アドルフに対してよそよそしくなった。
「ねえ、アドルフ。知っている? リーゼロッテ様がわたくしの侍女に酷いことをしているの。どうやら、あなたと親しくしていることに嫉妬しているの。それに、あなたがいない寂しさを癒すために複数の男性と遊んでいるらしいわ」
ある日、イラリアに言われた一言で確信した。犯人はイラリア自身だと。
リーゼロッテとは五年間にわたり婚約者として過ごした。彼女はアドルフが他の女性と親しくしようと嫉妬などしないし、他の男と遊んだりも絶対にしない。
「ああ、アドルフ。かわいそうに。わたくしが何とかしてあげる」
イラリアはそう言うと、アドルフの頬に手を添える。
「ありがたき幸せです」
アドルフはイラリアの手を取るとそこに口づけた。
公爵令嬢と王女殿下。どちらを取るかなんて、聞かれるまでもない。
少し逡巡してから彼女との距離を近づけ、今度は唇に口づける。すると、それはなんなく受け入れられた。
後日召喚されたリーゼロッテはアドルフに助けを求めるような視線を送った。
その視線から目を逸らすのに、ためらいはなかった。




