第三章 二年越しの顔合わせ(11)
全くもって想定外だ。
「どうやら、本当にただ仕事の話をしていただけのようだ」
「へえ。間男じゃなくてよかったな」
テオドールはカルロの相槌を敢えて無視して、話題を元に戻す。
「本題だが、なぜヒッポグリフがリーゼロッテに懐いたのかがわからない」
「まあ、よくわかんねーけどいいんじゃないか。たぶん、幻獣に好かれる体質なんだよ。テオと一緒だな」
カルロは気にするなとばかりに豪快に笑ったのだった。
事件から数日経ったある日、テオドールはふと思い立ってひとりで獣舎へと向かった。商人から買い取った六匹のヒッポグリフがそこにおり、そろそろ幻獣騎士候補生達とマッチングする時期なので様子を見にきたのだ。
「誰かいるのか?」
獣舎の中に人影が見え、テオドールは声を掛ける。すると、意外な声が聞こえてきた。
「旦那様?」
それは、質素なドレスを着たリーゼロッテだった。リーゼロッテはヒッポグリフの傍らで立っている。
「何をしている?」
「この子達の様子を見に来ていました。最近、お世話のお手伝いをさせていただいています。ヒッポグリフって可愛いですね」
リーゼロッテは手を伸ばし、餌を食べているヒッポグリフの首元を撫でる。ヒッポグリフは怒ることなく、気持ちよさそうに目を細めた。
「そういえば、そんなことを朝食の席で話していたな」
お手伝いと言っても獣舎を一、二度見に行っただけだと思って聞き流していた。実際に世話をしているとは驚きだ。
(本当に懐いているんだな)
どういう理由で懐かれるのかはよくわからないが、ルカードの言うところによるとリーゼロッテからはいい匂いがして、それが幻獣を引き寄せるようだ。
そのとき、近くの草の茂みからカサッと音がした。
テオドールはそちらを見る。一匹の蛇がこちらに近づこうとしていた。
「なんだ、蛇──」
「いーやー!」
なんだ、蛇か。と言おうとしたテオドールの声を遮るように、耳をつんざくような悲鳴が上がる。
「嫌、嫌、いやー! 蛇、へーびー!」
リーゼロッテは取り乱してテオドールにしがみつく。
「おい、落ち着け」
まるで子供のような怖がりようだ。よく見ると、目には涙が浮かんでいる。
(仕方ないな)
テオドールは腰に佩いている剣を抜いて蛇に投げつける。
「もう大丈夫だぞ。死んでいる」
リーゼロッテはようやく落ち着いたように、胸を撫でおろす。
「お見苦しいところをお見せして、申し訳ありません。昔、蛇に噛まれたことがありまして。痛いし、熱いし、何日も熱を出して、それ以来蛇が大嫌いなのです」
リーゼロッテは申し訳なさそうに謝罪する。
「いい。誰にでも苦手なもののひとつやふたつ、あるだろう」
「旦那様にもありますか?」
「それを聞いてどうする」
「興味があっただけです」
リーゼロッテは首を横に振る。そして、ふふっと笑った。
「ここに嫁いできた日のことを思い出しました。寝室に蛇が出てきて、大騒ぎした私に驚いた衛兵の方が退治してくれたんです。今日は旦那様がいてくださってよかった」
「嫁いできた日?」
「はい。部屋に案内されて、寝室を見ていたら蛇がいて──。あのときは旦那様にお見苦しいところを見せずに済んでホッとしていたのに、結局見られてしまいましたね」
リーゼロッテは照れを隠すように笑う。
(寝室に蛇など一度も現れたことがないが……。もしや、幻獣だけでなく蛇も引き寄せるのか?)
テオドールは少ししゃがみ、そんなリーゼロッテの首元に鼻を寄せた。微かに甘い香りがした。それが、香水の香りなのか、リーゼロッテが生まれ持ったものなのかはわからないが。
「だ、旦那様⁉」
うろたえる様な声が至近距離から聞こえる。顔を上げると、首まで真っ赤になったリーゼロッテがあわあわした顔で自分を見つめていた。
「……っ、すまない」
慌てて距離を取ると、「いえ、大丈夫です」とリーゼロッテは顔を赤らめたまま俯いた。
(まるで男慣れしていないな)
顔を近づけただけでこんなにも赤面するとは。あまたの男を篭絡した毒婦の欠片も感じられない。こんな赤い顔をされると、こっちまで恥ずかしくなってくる。
(これは演技なのか? それとも──)
リーゼロッテのことを知れば知るほど、彼女のことがわからなくなる。




