第三章 二年越しの顔合わせ(4)
「……なんだと?」
「離縁してくださいと申し上げました。わたくし達が結婚して今日で二年。イスタールでは法律で『貴族の本家において結婚後二年経過しても子供ができない場合、当主は無条件に離縁して後妻または後夫を娶ることを認める』と定められております」
テオドールはハッとする。確かにイスタールの法律にはそう定められている。子供ができないことにより血筋が断絶されるのを防ぐ目的で作られたものだ。
だが、それをリーゼロッテが主張するのはお門違いだ。なぜなら──。
「それは俺が享受する権利であり、お前が行使する権利ではない」
テオドールは冷ややかな眼差しをリーゼロッテに向ける。
この法律は貴族の本家の当主に、〝相手の同意なく離縁することを正当化する権利〟を与えるものだ。離縁される側にはなんの権利もない。
「存じております。だから、こうしてお願いしているのです。その権利を行使して離縁してください。ご存じの通り、わたくしは妊娠しておりません」
一度も閨を共にしていないのだからそんなのは当たり前だろう、と言いかけ、テオドールは口を噤む。リーゼロッテには愛人がいるのだから、妊娠していないとは言い切れない。もし妊娠していれば大問題だが。
だがそこで、テオドールはふと疑問を覚えた。
(なぜ離縁したいんだ? 離縁しても彼女には何もメリットがないはず)
形だけの妻とはいえ、リーゼロッテはテオドールと結婚することで住む場所と食べるものと生活できるだけの金銭を得た。離縁すればここを出て行くことになるのだから、彼女はこれらの全てを失うことになる。
貴族の世界で子が生せなくて離縁された女が生きていくのはいばらの道だ。社交界のどこに行こうと噂にされるし、その女性を正妻として娶ろうとする男はまずいない。よくて愛人だ。
だから、リーゼロッテが離縁したいのはそれらのデメリットを受け入れてでもそれをするメリットがあるということだ。考えられる理由としては、愛人と人生を共にしたい、もしくはテオドールと夫婦関係にあることが我慢ならないほど嫌かのどちらかだ。
(もしかすると、両方か? 随分と嫌われたものだ)
フッと乾いた笑いが漏れる。
「全て、旦那様のご意思に従いましょう。今すぐ出て行けというならば、明日にも去ります」
「……んなに、ここを去りたいか」
急激に怒りが湧き起こる。
血に塗られた辺境伯、野蛮な軍人、人殺し。これまでも陰でテオドールを侮辱する連中は数多くいた。しかし、こんなにも正面切ってバカにされたと感じたのは初めてだ。
知らず知らずのうちに、テオドールの声には怒気が混じっていた。一方のリーゼロッテは、なぜテオドールが怒っているのかさっぱりわからないような顔をしている。
「そんなにここを去りたいのかと聞いたんだ」
「わたくしは──キャッ!」
リーゼロッテが何かを言いたけたが、それよりも早くテオドールは彼女の手首を掴み強く引いた。
凛とした態度だったリーゼロッテが急に怯えた様子を見せ、溜飲が下がる。このままこの女を組み敷いてやりたいという、嗜虐的な考えが頭に浮かんだ。
「全て、旦那様のご意思に従いましょう、か。見上げた忠誠心だな」
テオドールはリーゼロッテに顔を近づけて、にやりと笑う。
「いいだろう。では、好きにさせてもらう。離縁したあとは後妻を娶ろう」
「……っ、ありがとうございます!」
リーゼロッテはパッと表情を明るくする。
(そんなにも離縁するのが嬉しいか)
その嬉しそうな表情に、ますます苛立ちが募った。
テオドールはリーゼロッテの背中と膝の下に腕を入れると、彼女を軽々と抱き上げる。
「旦那様⁉ おろしてください」
リーゼロッテはテオドールの行動が予想外だったようで、慌ててその腕から逃れようとした。しかし、テオドールは世界最強ともいわれる幻獣騎士だ。リーゼロッテがどんなに暴れたところで、まるで赤子を相手にしているようなものだった。
そのままリーゼロッテを寝室に連れてゆき、ベッドの上に放り投げる。
「何をなさるのですか!」
リーゼロッテはベッドマットの上で仰向けに上半身だけを起こし、テオドールを睨み付ける。
「何って、やることはひとつに決まっているだろう。我々は今、夫婦なのだから」
「旦那様、お止めください」
「なぜ? 夫が妻を抱くのに、何の問題が? 全て、俺の意思に従うのだろう?」
鼻で笑うと、リーゼロッテは明らかに困惑の色を見せた。
「しかし、旦那様は先ほど『離縁したあとは後妻を娶ろう』と──」
「ああ、言ったさ」
テオドールはふっと笑う。
「お前に飽きたらな」
その瞬間、リーゼロッテの表情に怯えたような色が浮かんだ。




