第三章 二年越しの顔合わせ(3)
セドリックが退室したあと、入れ替わるように側近のカルロが訪ねてきた。
「今月の魔獣被害に関する報告書だ。発生回数は前年度より減っている。いい傾向だな」
カルロは機嫌よく内容を説明する。
イスタールには多くの幻獣が生息するが、幻獣の中には人間を餌とみなして害をなすものや、餌とはみなさないまでも理由もなく傷つける攻撃的な種も多く存在する。イスタールでは、それらの害をなす幻獣をまとめて『魔獣』と呼んでいた。
ラフォン辺境伯領は森が多く昔から幻獣が多く住む地域であり、その分魔獣の被害発生件数も多い。それらの駆除や、人の住む地域に彼らが立ち入らないように監視するのは領主──すなわちテオドールと部下たちの役目だ。
さらに、隣国と接しているため密入国や密売の取り締まりもある。通常の領地経営に加えてこれらのことをやっているので、テオドールはもちろんのこと、部下たちもいつも大忙しだ。こうした中、魔獣の被害発生件数減少はとても喜ばしいニュースだった。
「そういえば──」
「なんだ?」
「先日、奥様が城下の高級貴金属店にいるのを見かけたぜ? 何かプレゼントでもするのか?」
わかりやすくにやにやしながらカルロがテオドールを見る。
「リーゼロッテが? どこで?」
「中央通り二番街のモネカ宝飾店だ」
「あそこか……」
モネカ宝飾店は、イスタールでも有数の高級宝飾店だった。本店は王都にあるが、国外に向かう行商人たちを客層にするために国境に近いラフォン辺境伯領にも支店を出しているのだ。
「どんな様子だった?」
「真剣な顔で店主と何かを話し込んでいたぜ。たぶん、気に入ったものでもあったんじゃないかな」
カルロはそのときの様子を思い浮かべながら答える。
「なるほどな」
(やはり、宝飾品を強請るつもりなのだな)
先ほどのセドリックの話も相まって、テオドールは確信を深める。
口を利くどころか顔も見ていない妻に苛立ちを感じた。
「よく教えてくれた。貴重な情報だ」
テオドールはそれだけ言うと、口元に薄っすらと笑みを浮かべた。
その日の晩、テオドールは日付が変わるかどうかという時間にリーゼロッテの住む部屋を訪ねた。
「ようこそお越しくださいました、旦那様。リーゼロッテでございます」
出迎えた女──この日初めて会う妻のリーゼロッテは、若く美しかった。
流れる絹糸のような艶やかな金髪は少しだけ赤みを帯びており、テオドールを見つめるのは長いまつ毛に縁どられた薄緑色の大きな瞳だ。鼻は高すぎず低すぎず絶妙な高さで、肌は白磁のように滑らかで白い。目鼻立ちがはっきりしている上に目元が少し釣り気味なせいか気が強そうな印象を受けるが、それがまた彼女の魅力を引き出していた。
(なるほど。皆が言う通り、美人だな)
リーゼロッテを見た人々は例外なく『美人だ』と表現するが、それも納得な凛とした美しさがあった。
毒婦だと聞いていたのでどんな際どい衣装で出迎えるのかと半ば楽しみにしていたが、意外なことにリーゼロッテは詰襟のきっちりとした緑色のワンピースを着ている。色がもっと暗ければ、まるで家庭教師のようだ。
「あなたの妻です」
リーゼロッテは続けて、はっきりとそう言った。その言葉を聞き、テオドールは目を眇める。
(会って早々嫌味か)
リーゼロッテとこうして面と向かって会うのは初めてだが、彼女が二年前から自分の妻であることはテオドールも知っている。それをわざわざ口にして言う態度に、苛立ちを覚えた。
「わたくし達が結婚して、本日で二年になります」
リーゼロッテは大きな瞳でテオドールを見上げ、告げる。
「記念日にかこつけて宝飾品のおねだりでもするつもりか? 大した面の皮の厚さだ」
テオドールは鼻でハッと笑う。
宝飾品を買うことは、別に負担ではない。ラフォン辺境伯領は広大かつ国境に接していることから交易も盛んでその分税収も多い。
だが、形だけの夫婦なのに記念日に贈り物を強請るその神経の図太さに驚いた。さすがは毒婦といったところか。
「お前が町の宝飾店に下見に行っていることを知らないとでも思ったのか?」
リーゼロッテは僅かに目を見開く。まさか、テオドールがそのことを知っているとは思っていなかったのだろう。
「ご存じでしたのね」
「お前の考えていることなど、聞かなくてもお見通しだ」
「そうでございますか。それは話が早くて助かります」
リーゼロッテは唇を引き結び、ぎゅっと膝の上の手を握る。
「離縁してくださいませ」
数秒の沈黙ののち、リーゼロッテの口から漏れたのは予想外の言葉だった。




