第三章 二年越しの顔合わせ(2)
その晩、リーゼロッテは緊張の面持ちでテオドールを待った。
テオドールが来てくれるかどうかは半々だろうと思っていた。部屋の隅に置かれた時計の音がやけに大きく聞こえるのは、これからのことを思って少し緊張しているからかもしれない。
(いらっしゃらないわね……)
時間だけが過ぎてゆく。夜も遅く既に人払いをしているので、室内は静謐に包まれていた。
(旦那様は最後まで私と会う気はないってことね)
今日はもう会えないだろうと諦めかけたそのとき、部屋の外で足音がした。こんな時間にここに来ることを許される人間はリーゼロッテの他にはひとりしかいない。
カチャッと音がしてドアが開く。
そこにいたのは、黒い軍服を身に纏った長身の若い男だった。
黒髪の間からこちらを見つめる金眼は獲物を狙う凶暴な野獣のようでありながら、まるで宝石のような美しさがある。すっと通った鼻筋、一文字に結ばれた大きめの口、鋭い目……あたかも黒豹を思わせる危険な雰囲気を漂わせた、美しい男だ。
「テオドール様?」
「他に誰か来る男でもいるのか?」
高圧的な言葉を返され、リーゼロッテは返事せずに「お待ちしておりました」とだけ告げる。ソファーに座るように促すと、テオドールは一番入口に近いソファーに乱暴に座る。
「俺は忙しい。なんの用だ?」
セドリックにどうしても行くようにと説得されたのだろう。テオドールは不機嫌さを隠さない態度で、リーゼロッテに問う。リーゼロッテは部屋に用意してあったレモン水をテオドールに差し出すと、彼の正面に座った。
◇ ◇ ◇
テオドールの元に、深刻な顔をしたセドリックがやって来たのは今日の昼過ぎのことだった。領地を守る一部の要塞が老朽化していることについての会議に参加してから部屋に戻ると、見計らったように部屋のドアがノックされる。
「旦那様。少しお時間をよろしいでしょうか?」
「少しあとにしてくれないか? 戻ったばかりなんだ」
テオドールは着ていた上着をソファーに乱暴に投げ捨てながら答える。
「では、旦那様が整うまでここでお待ちします」
セドリックは壁と背を合わせるように部屋の端に立つと、外出から戻ってきたばかりのテオドールが落ち着くのを待ち始めた。
(珍しいな)
セドリックは先代のときからラフォン辺境伯家に仕える家令だ。とても優秀な彼は、普段ならいったん退室してタイミングを見計らった頃にもう一度訪ねてくる。そのセドリックが『後にしてほしい』と言ったテオドールの言葉を受けてもなお部屋にとどまり続けるのは、よっぽど今伝えたい内容なのだろう。
テオドールは腰に佩いた剣を下ろすと壁の剣用ホルダーにそれを置き、セドリックに向き合った。
「それで、なんの用だ?」
「奥様が、旦那様と直接お話をしたいと」
「放っておけばいい。いつものことだろう。彼女のことはお前に任せると再三にわたって言ったはずだ」
「わかっております。しかし、本日は行かれたほうがよろしいかと」
セドリックの言葉に、テオドールはぴたりと動きを止める。
テオドールがリーゼロッテから会いたいと言われてそれを無視するのは今に始まったことではない。これまで幾度なく繰り返され、テオドールは聞く必要がないと全てを切り捨てて徹底的に彼女を避けた。
セドリックとてそれを知っているはずなのに、なぜ今日はこんな諫言をしてくるのか。
「それはなぜだ?」
「今日が特別な日だからです」
「特別?」
「旦那様と奥様の婚姻届けが受理された日です」
セドリックはまっすぐにテオドールを見つめる。
(婚姻届けが受理された日?)
テオドールは眉根を寄せる。今日の日付を思い出し、そういえばそうだったかもしれないと思う。つまり結婚記念日ということだ。
これが大恋愛した夫婦や仲睦まじい夫婦であれば特別な日であることは容易に想像がつくが、あいにくテオドールとリーゼロッテは顔も合わせず会話もない。もちろん、昨年もお祝いなどしていない。
(結婚記念日の機会を狙って、宝石でも強請る気か?)
テオドールは特定の相手を決めずに気の向くままに女遊びをすることがあるが、彼女たちはことあるごとに理由を付けてプレゼントを強請る。
「……わかった。今夜、彼女の部屋に行く」
今日も無視することもできたが『行く』と答えたのは、セドリックの態度が何となく気になったからだ。