第三章 二年越しの顔合わせ(1)
部屋で書類を眺めていたリーゼロッテは、部屋をノックする音で顔を上げた。
「セドリック。よく来てくれたわね」
ドアの近くに立つ執事に、リーゼロッテは声をかける。
「奥様のお呼びたてとあればいつでも参ります」
「ふふっ、ありがとう」
リーゼロッテは笑みを零す。
「ねえ、セドリック。今日が何の日か知っている?」
「もちろんでございます」
「私がここに嫁いできた日。二年前の今日、私は形式上のラフォン辺境伯夫人になった」
リーゼロッテの〝二年前〟〝形式上の〟という単語を強調した言い方に、セドリックは眉を寄せる。
ここに嫁いで早二年。多くの白髪が混じり始めたセドリックの髪からも、月日の流れを感じる。
「旦那様は今日、屋敷にいらっしゃる?」
「はい」
「では、お会いしたいとお伝えしてくれる? とても重要なお願いがあるので、絶対に来てほしいと」
「それは、今日が奥様が嫁がれてきてから二年ということと関係があることでしょうか?」
「察しがいいわね。さすがはセドリック」
リーゼロッテはふふっと笑う。
「お願いよ? 絶対に連れてきてね?」
セドリックは逡巡するような表情を見せたが、最終的には「かしこまりました」とお辞儀をした。
「奥様。奥様は旦那様と話し合いをするべきです。おふたりが共に未来を歩むことだって──」
「セドリック。わたくしが嫁いできた初日にそれを拒否したのは旦那様のほうよ? それに、二年もあったのに一度もあっていないなんて夫婦と言える? わたくし達は、すでに破綻しているのよ。いいえ、最初から何もなかったのだわ」
リーゼロッテの発言を聞き、セドリックは言葉を詰まらせた。テオドールとリーゼロッテが書面一枚だけで成り立っている張りぼての夫婦関係であることを、彼は誰よりもよく知っている。
「でも、安心して。話し合いはするわ。それで、ふたりに最善の道を決めるから」
ただ、話し合うまでもなく、テオドールはリーゼロッテの提案に同意するはずだ。
「それであれば、よろしいのですが」
セドリックはなおも何かを言いたげだったが、結局何も言わなかった。セドリックが退室し、リーゼロッテは部屋にひとりきりになる。
(いよいよ、今日ね)
リーゼロッテは自分自身に喝を入れるように、胸の前でぎゅっと拳を握る。
リーゼロッテが夫であるテオドールと結婚して、今日で二年。そして、この〝二年〟という月日はイスタールの貴族にとって、特別な意味を持つ。
イスタールの貴族の婚姻について定めた『国内貴族婚姻法』で定められた、貴族当主が無条件に離婚することができる権利を得る日だ。
(こんなに近くにいるのに、二年間一度も会わないくらいだもの。いらない妻から出て行くことを提案するなんて、旦那様にとっては渡りに船でしょうね)
リーゼロッテは再三にわたり、テオドールに会いたいとセドリックを通して申し入れた。しかし、彼はそれを徹底的に無視した。
一度も会ったことがないのに、随分と嫌われたものだ。
(大丈夫。離縁されても、私は上手くやっていける)
初夜をすっぽかされ、その後も一切会いに来ない夫。リーゼロッテは、自分がお飾りの妻にすぎないことにすぐに気がついた。
だから、いつかこの屋敷を追い出されることを想定して打てる手は打ってきた。町に出て将来の基盤を作り始めると、幸いにして協力者はすぐに表れた。
だからお金を稼ぐ当てはあるし、今持っているドレスや宝石は全て実家から持参したもの。これらを売れば、リーゼロッテが一人生きていくこともできるはずだ。
(旦那様、会いに来てくださるかしら?)
一番の問題は、テオドールに会えるかどうかだ。手紙でも用件を伝えることはできるが、大事な話なのでできれば顔を合わせて直接伝えたい。
窓の外を見ると、いつの間にか空は夕焼けに染まっている。リーゼロッテは部屋からオレンジ色に染まる景色を見つめ小さく息を吐いた。