第二章 誤解と二年間の空白(8)
(もしかして旦那様、本当は別の方と結婚したいと思っていらしたのかしら?)
ところが、その女性と結婚する前にリーゼロッテとの縁談が来てしまった。テオドールは王室が縁を取り持った縁談を断ることもできず、泣く泣くリーゼロッテと結婚した。
そう考えれば、この仕打ちも納得がいく。
部屋に戻ったリーゼロッテは、紅茶を入れていたアイリスに声をかける。
「ねえ、アイリス」
「はい。奥様。いかがなさいましたか?」
リーゼロッテに気づいたアイリスも立ち止まり、両手をへその下あたりで重ねてお辞儀をする。
「あの……、旦那様ってどなたか懇意にしている女性でもいるのかしら?」
「はい?」
「えっと、毎晩どこで過ごされているのかと思って」
おずおずと尋ねると、アイリスはすぐにその質問の意図に気づいたようだ。毎日シーツの交換をしていれば、夫婦の寝室をテオドールが訪ねていないことは一目瞭然なのだから当たり前だろう。
「私にはわかりかねます」
数秒の沈黙ののち、アイリスは困ったような顔をする。
(多分、嘘だわ)
その表情を見てピンときた。アイリスは明言こそしないものの、テオドールはきっとリーゼロッテには知らせたくないような場所で寝ているのだろう。
(やっぱり予想通りなのね)
リーゼロッテは悶々とする。
テオドールには愛する女性がいるが、なんらかの障害で結婚することができなかったのだ。その障害の最たるものがリーゼロッテなのだろう。
(つまり、わたくしは邪魔者ってことね)
そうであれば、疎ましく思われるのも当然だ。
(困ったわね)
貴族の当主の妻にはいくつかの大事な役目がある。社交を通して有力貴族達と良好な関係を築くことや、屋敷内の執り仕切り、そして、最大の役目は後継ぎとなる子供を産むことだ。
しかし、テオドールが会ってくれないのでリーゼロッテは未だにこれらのことに手つかず状態だ。さらに、最も大事な役目に関してはテオドールの協力がなければ実現不可能だ。
(その愛人が産んだ子供をわたくしが産んだことにして……いいえ、だめね。母親と子供を引き離すことになってしまうわ)
結局、何の解決策も浮かばない。
気分を変えようと紅茶を飲んでいると、アイリスが窓の外を眺めながらつぶやく声が聞こえた。
「まあ、マーガレットの花が咲いているわ。もうそんな季節なのね。あっという間に一年経ってしまいそう」
(あっという間に一年?)
そのとき、はっとした。
イスタールの貴族の婚姻について定めた『国内貴族婚姻法』では、イスタールの貴族が婚姻を結ぶにあたっての様々な決まりが定められているが、そのうちのひとつに、こんな文言がある。
【貴族の本家において結婚後二年経過しても子供ができない場合、当主は無条件に離縁して後妻または後夫を娶ることを認める】
つまり、二年間経っても子供ができなければ、テオドールは有無を言わせずにリーゼロッテと離縁することができるのだ。
これは、子供がなかなかできずに後継ぎが生まれない貴族の家門を救済するために作られた条文だ。
事実、この制度のおかげで後継ぎを設けることができたと言っている人をリーゼロッテも見たことがある。
(まさか、旦那様は二年後に離縁するおつもりでわたくしとの接触を断っている?)
一度そう考えると、そうだとしか思えなくなった。つまり、リーゼロッテに残された猶予はあと一年と十カ月である。
「よし。わたくし、決めたわ」
出て行く身ならば、それに備えて色々と準備する必要がある。自身の生活の基盤を作らなければならない。
「え? 何か仰いましたか?」
アイリスはきょとんとした顔でリーゼロッテを見つめる。
「やらなければならないことがたくさんだって言ったのよ。まずはそうね……町の様子を見に行こうかしら」
リーゼロッテは腰に手を当てると、にこりと微笑んだ。