第二章 誤解と二年間の空白(4)
「そうかもしれないわね。とにかく、ありがとう」
「いえ、どういたしまして。それでは失礼します」
護衛は頭を下げると、片手に蛇を持って部屋を出て行く。リーゼロッテはそれを見送ってから、元の部屋にあるソファーの端にちょこんと座った。どうしても、まだ蛇がどこかにいるのではないかとびくびくしてしまう。
そのとき、トントントンとドアがノックされる音がして、リーゼロッテは飛び上がるほど驚いた。
「だ、誰?」
「お嬢様、ライラでございます」
「ライラ?」
すぐにドアが開き、血相を変えたライラが部屋に飛び込んできた。背後には、先ほど挨拶を交わしたばかりのメイド──アイリスもいる。
リーゼロッテを見るや否や、ライラは駆け寄ってきた。
「お嬢様! 大丈夫でございますか? なんでも、蛇が出たと」
ライラは真っ青な顔で、リーゼロッテの両手を握る。彼女はリーゼロッテの侍女をしていた期間が長いので、リーゼロッテの蛇恐怖症についてもよく知っているのだ。
「大丈夫よ。外にいる護衛の方が退治してくれたわ」
リーゼロッテはライラを安心させるように微笑む。
「よりによってお嬢様が一番苦手な蛇だなんて。わたくし、やっぱりここに残り──」
ライラが早口にしゃべり始めたので、リーゼロッテは右手の人差し指を立ててライラの口に添える。
「だーめ。ライラは王都に帰るのよ。それで、幸せになってわたくしに手紙を送って。約束よ?」
にこりと微笑むと、ライラは「お嬢様……」と泣きそうな顔をする。
そのとき、部屋のドア近くで真っ青な顔をしたまま立ち尽くしていたアイリスが口を開いた。
「奥様、申し訳ございません! 私の点検が甘いばっかりに……」
90°の角度でお辞儀をして頭を下げ、小さく震えている。リーゼロッテは「アイリス。顔を上げて」と言った。アイリスはおずおずと顔を上げる。
「今日、窓を開けていたの?」
「……はい。掃除をするときに」
アイリスは顔を真っ青にしたまま、小さな声で答えた。この度の不手際に、どう責任を取らされるのか不安になっているのだろう。
「そう。実はわたくし、蛇は苦手なの。これからは毎日、窓を閉める前に蛇が紛れ込んでいないかを点検してもらえると嬉しいわ。……お掃除ありがとう、アイリス」
最後の言葉に、アイリスはハッとしたように目を見開いた。
「さあ、この話はおしまいにしましょう」
リーゼロッテはパチンと一度手を叩くと、にこりと微笑む。
「え? よろしいのですか? 私、失態をしたのに──」
アイリスは戸惑うようにリーゼロッテを見つめる。
「だって、わざと蛇を置いたわけではないのでしょう? きっととっても素敵なお部屋だから、蛇も入りたくなってしまったのね」
リーゼロッテは朗らかに笑う。
蛇は護衛の騎士が退治してくれたし、それほど大事にすることでもない。
それを聞いたアイリスは胸の前でぎゅっと手を握った。
「ありがとうございます! なんてお礼を言えば──」
「お礼はいらないわ」
「でも──」
「うーん。じゃあ、このお屋敷やラフォン領のことを色々教えてくれる?」
「え? そんなことでいいのですか?」
アイリスは目をぱちぱちと瞬かせる。
「いいの。頼りにしているわ」
リーゼロッテは笑顔でそう告げると、アイリスは「頑張ります!」とようやく笑顔を見せた。
彼らの背中を見送くると、リーゼロッテはまた部屋にひとりきりになる。
(警戒されていると思ったけど、大丈夫そうかしら?)
先ほどのアイリスの様子を思い返す。
最初の挨拶のときのこわばった表情から判断するに、きっとリーゼロッテの悪評を知っており怖がられているのだろう。完全に打ち解けるまでにはまだ時間がかかりそうだが、思ったよりも素直で純粋そうな子で正直ほっとした。
ライラが帰ってしまったら、頼りにできるのは彼女しかいなくなってしまうわけだから。
(それにしても……晩餐はまだかしら?)
時計を見ると、既に夜の八時近い。テオドールはもう帰って来るから食事もすぐ用意できるような口ぶりだったのに、もうあれから二時間以上経っている。
どうなっているのか確認しようと立ち上がりかけたちょうどそのとき、ドアがノックされた。
「失礼します。セドリックです」
「晩餐の支度ができたのかしら?」
「それが、本日旦那様は晩餐をご一緒できなくなったそうです。お食事はこちらのお部屋にご用意させていただきます」
「え? そうなの?」
「はい。執務で忙しく、お時間が取れないと」
「そう」
リーゼロッテは戸惑った。
夫となったテオドールに、ようやくこの晩餐で会えると思っていたから。
(きっと、お忙しいのね)
忙しい夫を支えるのは妻の務め。わがままを言ってはならないと、リーゼロッテは自分に言い聞かせる。
「承知いたしました。テオドール様とご一緒できず残念ですが、お仕事頑張ってくださいとお伝えください」
リーゼロッテは笑顔を作ると、セドリックにそう告げる。
間もなくアイリスとライラによって準備された食事を、リーゼロッテはひとりで食べる。慣れない場所でひとりで食べる食事は、ひどく味気ない。