夜会で『適当に』ハンカチを渡しただけなのに、騎士様から婚約を迫られています ※長編版書籍化
伯爵令嬢ミリエッタは、うんざりしていた。
容姿も人並み、特に頭がいいわけでもなければ、特技もなく、すべてが人並み。
無難に微黒字の領地経営をする父、ゴードン伯爵は堅実で面白みもなく、しっかりその血を受けついだミリエッタもまた、可もなく不可もなく、といったところだと、重々自覚している。
「誰でもいいから渡してきなさい!」
淑女が思いを込めて刺繍したハンカチを気になる男性に手渡す、『出会いのハンカチ』イベント。
母に言い含められ、嫌々参加した婚約者探しの夜会で、ミリエッタは再度溜息をついた。
結婚相手になりそうな若い令息に声をかけられるでもなく、いつもどおりお年を召した諸侯達と歓談して、本日の婚約者探しも不発に終わりそうだ。
だが今日に限っては、『ハンカチを手渡す』というノルマを母に課せられている為、何もせずに帰るわけにはいかないのである。
……とはいえ、婚約者がいなさそうな未婚の成人男性など、あまり社交的ではないミリエッタに分かるわけもなく、先程まで歓談していた年配の男性に、仕方なく聞いてみることにした。
「閣下、実を申しますと本日の夜会で、どなたか男性に『ハンカチ』を渡したいのですが、渡しても角が立たない、婚約者のいない未婚男性で、お薦めの方はいらっしゃいますでしょうか?」
ミリエッタが問うと、閣下と呼ばれた白髪の男性は、面白そうに目を輝かせて答えた。
「それならば、ほれ、そこに立つ騎士はどうだ? 王太子殿下の近衛騎士で、腕は確か。寡黙で面白みはないが、真面目で勤勉。なに、婚約者も恋人もいないような堅物だ。あとから間違えましたと訂正しても、問題ないだろう」
「ありがとうございます。それではご助言に従い、そのように致します」
それもそうね、本気にされたら厄介だわと思いつつ、堅物の男性だと受取拒否されないかしらと逆に不安にもなりつつ、ミリエッタはそっとハンカチを取り出し、騎士の元へと近付いていく。
興味津々で成り行きを見守る先程の閣下はともかく、なにやら周囲の視線が痛い。
なぜだろう、ミリエッタの一挙一動に注目しているような、そんな視線を感じる。
「あ、あの……」
ミリエッタが声を掛けると、任務中の近衛騎士は驚いて目を見開いた。
二十歳を超えたくらいだろうか。
さすがは近衛騎士、近くで見ると、首を四十五度に曲げなければ視線が合わないほど大きく、黒曜石のような漆黒の瞳が、ミリエッタを捉えて離さない。
なんだか途端に恥ずかしくなり、ミリエッタはそれ以上何も言えず無言でハンカチを差し出すと、騎士が驚きのあまりビクリと動いたのが見えた。
「こ、ここ、これ、受け取って戴けますでしょうか?」
ざわりと空気が揺れる。
なぜかミリエッタの周囲が、波を打ったように静かになり、余計に居た堪れない気持ちになった。
断られたらどうしよう。
緊張でどもってしまうのは許してほしい。
震えながらハンカチを差し出すと、しばらくして騎士が無言で手を伸ばし、ハンカチを受け取ってくれる。
「あッ、ありがとうございますッ! 特に深い意味はないので、その、受け取って戴けるだけで光栄です!」
一刻も早く、この場から逃れたい。
礼を述べるなり身を翻し、ミリエッタは会場を後にした。
***
ああ~~、どうして私、お母様の言うとおりにハンカチを渡してしまったんだろう。
しかも公衆の面前で!
もう泣きたい……。
羞恥のあまり、何もかもが嫌になり、部屋に引きこもってゴロゴロしていると、一階から呼び鈴が鳴った。
来客かしらとそっと部屋を出て、少しだけ顔を覗かせると、昨夜の夜会で出会った騎士に見える。
驚きのあまり口元を両手で押さえながら、再度そろりと覗いていると、わざわざ母が出迎え、遅れて書斎から出てきた父まで、笑顔で何かを話し込んでいるようだ。
え? まさか昨日のハンカチを返しに?
いやいやそんな、七面倒な事をするだろうかと、ドキドキしながら様子を窺う。
客室に騎士を案内した母が侍女に何かを申しつけると、数人の侍女達がミリエッタの部屋目指し、階段を上がってくるのが見えた。
ミリエッタはこっそりと自室に戻り、何事もなかったように慌てて読書のふりをする。
「お嬢様、失礼いたします。お客様がおいでですので、急ぎ、御仕度をさせていただきます」
何がなにやら分からぬまま、通常時の三倍速で身支度を終えると、客室に来るよう父から声がかかった。
慌てて客室に向かうと、昨夜の近衛騎士が立ち上がり、ミリエッタの元へつかつかと歩み寄る。
「こんにちは、ミリエッタ嬢。ジェイド・トゥーリオと申します。昨日は、お声がけいただき、ありがとうございました」
首を傾げるミリエッタに、右足を引き貴族の礼をする。
ラフなシャツに身を包み、丁寧に頭を下げる彼は、トゥーリオ公爵の次男であるらしい。
「ミリエッタ・ゴードンです。こちらこそ、昨日はありがとうございました。……あの、本日はどうされましたか?」
そもそも誰なのかすら分からなかった彼の名前が判明したところで、本日の来訪目的が気になって仕方ない。
「先触れが直前となり申し訳ありません。昨夜のお礼と、婚約の申込に」
婚約の申込!?
あまりに急な展開にミリエッタはひゅっと息を呑み、ゆっくりと両親に目を向けた。
昨日の今日で!?
笑顔で頷く母が目に入り、再び視線を騎士に戻す。
「あの、トゥーリオ卿。……昨夜も告げたとおり、本当に深い意味はないのです。気を悪くさせてしまったら恐縮ですが、無かったことに」
「いいえ!」
言葉を遮られた挙句に、掴みかからんばかりの勢いで否定され、ミリエッタは驚いて目を瞠る。
「ミリエッタ嬢にとっては深い意味がなかったとしても、私にとっては千載一遇の機会。次いつあるか分からないこの機会を、逃すつもりはありません!」
あとから間違えましたと訂正しても、問題ないと聞いていたのに。
思いの外、ぐいぐいと迫ってくる。
「あの、トゥーリオ卿……」
「ジェイドとお呼びください」
「その、ではジェイド様」
「はい、なんでしょう?」
嬉しそうに目を輝かせる姿は、まるで忠犬。
いや、絆されてはいけない。
たまたま目を留めた騎士に、ハンカチを渡しただけなのに、なぜゆえこれほど御大層な話になってしまったのか。
「昨夜は感激して眠れませんでした! 昨日の今日でご迷惑かとおもったのですが、居ても立っても居られず、お伺いした次第です」
あらまあと、母の嬉しそうな声が聞こえたが、もはやそれどころではない。
「おおお待ちください。あまりに急なお話で、いきなり婚約と仰いましても」
「意に染まぬ結婚を強制する気はありません! 願わくば少しでも私を知ってもらい、心の片隅に置いて頂ければと思っています」
そしてゆくゆくは婚約を……!
ああ、まるで尻尾が見えるよう。
脳筋一直線の忠犬思考に、慄くミリエッタ。
悪い人ではなさそうだが、如何せん押しが強い。
娘が承諾すれば、我々は何の異存もございませんと、母がジェイドへ、援護射撃を乱れ打つ。
頬を染めて迫ってくるジェイドに、及び腰で顔を引き攣らせながら、ミリエッタは無理矢理微笑みを浮かべた。
……寡黙な人と聞いていたのに!!
だが時既に遅し。
完全にロックオンされたミリエッタは、押し負けて、二人きりのデートを承諾してしまうのであった。
***
ゴードン伯爵家の直系は、男女問わず、いつの時代も傑物揃いである。
土地が痩せ鉱物資源や名産品もなく、貧民街に人が溢れ、再生は最早不可能と誰もが忌避し尻込みした、外れの領地。
それでは私がと当代のゴードン伯爵が手を挙げ、矢継ぎ早に施策を打ち、わずか五年で黒字に押し上げた。
貧しさに近隣の領地へ流出した領民も、徐々に戻ってきており、昨年ついに最後の貧民街も解散し、今や国内の一大都市になりつつあると言っても過言ではない。
長男もまた飛びぬけて優秀で、二十歳の若さで宰相補佐に抜擢され、次期宰相ではとも噂されるが、そこは権力への執着がなくマイペースなゴードン伯爵家。
爵位を継ぐ際は、なんの未練もなく中央政治から身を引き、のんびりと領地経営でもするのだろう。
そんな中、デビュタントを迎える長女ミリエッタに注目が集まった。
容姿も能力も、すべてが人並みと本人は思っているようだが、そこはゴードン伯爵家内における人並み。
デビュタントで一人になった隙に、国の重鎮であるラーゲル公爵が話しかけてみれば、年に似合わぬ見識の広さ、思慮深さと卓越した政治感覚に驚き、あっという間に四大公爵を虜にし、嫁ぎ先は我らの納得する男に限ると、本人も知らぬまま、いつしかバリケードが出来上がってしまった。
雛菊のように可憐な姿と、その立ち振る舞いの素晴らしさに、貴族令息達は何とかして接点を持ちたいと願うが、『夜会でのみ。且つ令嬢自ら話しかけた者』と、四大公爵が権力をチラつかせながら揃って条件を出すものだから、毎度やきもきして見つめる事しかできない。
ジェイドも毎回、ミリエッタの前をうろつくが、興味を持つどころか目を合わせてももらえなかった。
恋焦がれる彼女の情報を少しでも得ようと、公爵家の伝手を使い、騎士が相手の恋物語を好んで読むという話を耳にしたジェイドは、騎士になろうと決意する。
猛然と身体を鍛え始め、すぐにその才能を開花させると、わずか一年半で叙任され、騎士団へと入団した。
騎士団内でもメキメキと頭角を顕し、ついには王太子の近衛騎士に抜擢されたのだが、ミリエッタが刺繍のハンカチを渡すという夜会に、護衛としての参加を余儀なくされ、昨晩は涙に濡れて一夜を明かした。
ところがだ。
思いもよらぬ、父のアシストにより、なんということか手ずから刺繍をしたハンカチを手渡されたのである。
衝撃を受けて固まる天敵達。
勿論ミリエッタにそんな気が無い事は分かっているのだが、このチャンスを逃すつもりは毛頭無い。
夜会の後、我が身の幸運を神に感謝し、喜びのあまり父を抱きしめ(暑苦しいと嫌がられたが)、興奮で一晩中眠れなかった。
惜しくも婚約は成らなかったが、難攻不落の城へ入る糸口を掴んだ今、命を懸けて臨むのが騎士道というものだ。天敵達など、一蹴してみせる。
腹を真っ黒に染めた忠犬は、帰路に就く馬車の中、口元に薄い微笑みを湛えた。
逃がす気はない。
――どんな手を使ってでも。
目を留めていただき、ありがとうございました。
応援してくださった皆様のおかげで素敵なご縁をいただき、書籍化企画進行中です。
詳細につきましては、決まり次第ご報告させていただきます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
※男性キャラが、とにかくカッコよくなりました……!!
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他にも小説を投稿していますので、ご覧いただけましたら幸いです。
※誤字脱字報告もありがとうございます。
(更新通知が度々届いていたら申し訳ありません)
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