5.結局こうなる
「お約束が無い方は、お通し出来ません」
西新宿にある高層ビルのオフィスで、霧島達はそっけない受付に追い返されそうになっていた。
此処にやってきたのは、件の水神氏がいると言う情報を、荒木がドコゾから仕入れてきたからだ。
霧島は、公共駐車場まで運転手をしたら、そこで荒木が無郎を送り届けるのを待つつもりだった。
しかし駐車場で、着いてこなければこの場でキスをすると荒木に脅されて、仕方なくオフィスまで付き合ってきた次第である。
そして、上記のコメントを聞かされる羽目になった。
「オマエ、あれほどアポを取れつっといただろが…」
「だってぇ、何とかなると思ったモン」
荒木を睨みつけても、スーダラ男はどこ吹く風で涼しい顔のままだ。
面倒事に巻き込まれたくないと思っていても、ここまでわざわざやってきたのに無駄足も踏みたくない。
その心の天秤に掛けた結果、霧島は溜息を吐いてから、声を潜めて荒木に問うた。
「チビスケの苗字は?」
「えっ、知らない」
「はあっ?」
オフィスの受付は応対をした人物以外には、他に人影は無かったが、にべもない答えをした後は一行を無視していた相手ですらが、驚いてこちらを見るほどの大声を出していた。
霧島は慌てて咳払いをしてから、荒木をギッと睨みつける。
「おい、ふざけんな。知らないってこたぁねェだろう?」
「なんで? だってコネコちゃんって呼べば返事してくれるし。ボクは可愛いコネコちゃん達に、いちいち名前なんか聞かない主義だし」
ふざけた人たらしの遊び人に、何かを頼る方が間違っているのだ…と言い聞かせ、霧島は後ろにおとなしく控えている無郎に振り返った。
「坊っちゃん、苗字は?」
「高見沢です」
無郎は、なんてことなくすんなりと返事をした。
改めて受付に向き直り、霧島はもう一度声を掛ける。
「高見沢教授の息子さんをお連れした…と、会長に伝えてくれませんかね?」
「ですから。会長はお約束の無い方とはお会いになりません」
「インターフォンで一言、尋ねるぐらいなら手間じゃねェだろ?」
「会長は…」
「その会長様が、金出してる相手なんだぞ、高見沢教授は! アンタがどれくらい下っ端なのか知らんが、教授の息子を追い返したとなったら、後で絶対泣き見るぞ」
やや身を乗り出して、わざとドスの効いた声で、霧島は相手に迫った。
その気迫に負けたのか、または本当に言葉の内容に危機感を抱いたのかは判らないが、受付はインターフォンを手に取る。
霧島は内心で、繋がる先が警備室で無い事を祈った。
「会長がお会いになるそうです」
インターフォンの受話器を置いた受付に対して、霧島は心の中でガッツポーズを取った。
「さすがはタキオちゃん。頼りになるゥ」
ニヤニヤ笑いの荒木が、霧島の脇を肘でつついてくる。
「黙ってろ」
心でガッツポーズをとった事を棚に上げて、霧島は言った。
一行が案内されたのは、大きな窓から正面に都庁舎と西口公園の緑を望む、広々とした応接室だった。
「会長、お連れしました」
受付で待っていると、いかにもな眼鏡を掛けたスーツの男が現れて、この部屋に連れてこられた。
秘書と思わしきメガネスーツは、三人が部屋に入ったところで自身は外に出て、扉を閉める。
「はじめまして、私が水神です」
新聞の荒い画像でも見て取れた美貌は、本人を見ると感心するほどだと、同性の相貌にさほどの興味も無い霧島ですら思う。
記事に出ていた年齢は、霧島よりは上だが荒木よりは若く、コンツェルンの会長になるには早すぎると言える。
だがその若さでアルマーニのダブルのスーツを嫌味なく着こなし、応接セットに招く仕草は指先まで洗練されていて、自分達とは違う世界の化け物なのだと、霧島は思った。
「えーと、まずはこれを…」
荒木はズボンのポケットを探り、折れた名刺を一枚取り出した。
階下の印刷会社に頼んで、無理に作ってもらった洒落た物だが、荒木の管理はかなり杜撰であるが故に、現状折れの無い物は無いと思われる。
「ほう。探偵さん…ですか」
水神氏は、自分の名刺を荒木に返してから、荒木のそれをちらとみやり、それから値踏みでもするかのような目つきで荒木と霧島を眺めてくる。
「いやー、突然お訪ねして申しわけありません。当方にも手違いがあったらしくて…」
一体何を言い出したんだ…と思うような言葉を口にする荒木に、霧島は不審感を抱いたのだが。
直ぐにも、荒木の態度が水神氏に鼻の下を伸ばしていて、適当な出鱈目話を並べることで、出来るだけ時間を引き伸ばし、この場に居座りたいだけだと気付いた。
「手違いなんざ、ありゃしません。俺達が此処に来たのは、無郎君と偶然知り合ったからだ」
そこで無理矢理に荒木の言葉を遮り、無遠慮に喋り始めた霧島を、水神氏は穏やかに微笑んで咎めもしない。
もっとも、あちらにしてみれば、探偵などという怪しげな肩書で現れた自分達は、胡散臭いことこの上ないのだろう。
荒木は荒木で、下心を看破されて、早々に手を打たれてしまった事が不満らしく、なにかイジイジした目線で霧島を見た。
「そちらが、高見沢教授の息子さん…ですか?」
「無郎です」
無郎はソファから立ち上がると、ペコリとお辞儀をした。
「お父さんは、もう一週間を三回数えても帰ってこないんです。行き先をご存知ありませんか?」
「さて、教授からはしばらく連絡が無いのですが…。と言うか、教授は東京のご自宅を売却してからは、居場所を教えてくれなくて。時々手紙をくれるだけなんですよね」
無郎の奇妙な日数の数え方も気になったが、それよりもあまりにもアナログな教授の連絡方法に、霧島は興味を惹かれた。
「僕達は今、森の中で暮らしています」
「森? それじゃあ、生活に不自由でしょう?」
水神氏は、無郎の言う常識外れな状況の説明に、さほどの驚きも見せない。
それが単に、こうした企業のトップとしての処世術なのか、教授との手紙のやりとりからなんとなく状況を知っていたのか、霧島は判断に迷った。
「そんなに不便じゃありません。近くに町がありますから」
「その町の名前は、判りますか?」
「ラウスです」
「…そうですか」
何かを納得したのか、水神氏は不意に荒木と霧島へと視線を向けた。
「どうもご苦労さまでした。秘書から謝礼を差し上げますので」
「えっ?」
サッと立ち上がると、水神氏はデスクの上のインターフォンで秘書を呼び、あれよあれよと言う間に、二人は外に追い出された。