4.これは必要経費で落ちるのか?
荒木が「コネコちゃんとお昼の材料買いに行ってくるね」などとほざいて出掛けてしまったので、件の "水神氏" に関する資料探しは、霧島がやる事になった。
元は暗室だった小部屋の扉には、荒木が”資料室" と書いた雑紙が貼ってある。
長年溜め込んだ新聞と、印刷会社がこの階を撤収する時に置いていった中古のPower Mac G4が置いてあるだけの部屋だ。
そんな高価なコンピューターを置いていって良いのかと思ったが、賃貸に入っている会社の社長曰く「もう使ってないんだけど、中古屋にも引き取り断られちゃったんだよね」だそうで、要するに粗大ゴミに出そうとしていた物を、荒木が貰ったのだ。
荒木の伯父と社長は友人で、シャトレー築地を譲られる以前から荒木自身とも顔馴染みであり、ある意味伯父と甥の関係をそのまま継承しているフシもある。
故に、印刷会社にインターネットを導入し、その接続方法をADSLへ移行した時に、このMacもネットに繋げられるように手配してくれた。
探偵の仕事の一部に活用しているが、基本的には荒木がネットで遊ぶ事にばかり使われているのが現状だ。
とはいえ、荒木が "資料" と称して溜め込んだ新聞の量は、尋常では無い。
そもそもスクラップにしてきちんと資料化されていればいいが、そんな面倒な手間を荒木がするはずもなく、ただ新聞がどっさりまとめて置いてあるだけだ。
上記のMacがあるので、ネットを探せばかなりの情報は簡単に入手出来る。
探偵助手になってからこちら、霧島がほぼライフワークのように進めているのが、この新聞の内容を読んで、インターネットで情報を照会し、電子新聞や過去記事などで入手が可能な事を確認出来た物を処分する作業だ。
おかげでヤマタコンツェルンの記事も、さほど手間を掛けずに見つける事が出来た。
「マイダーリン♡ 帰ったよ〜♡」
荒木がとぼけた表現で帰宅を告げた時、既に霧島はまとめた資料に目を通しているところだった。
「じゃあ僕は、支度をしますね」
スーパーの手提げ袋を持って、無郎はそのまま奥のキッチンへと向かう。
「うっわ〜、さっすがタキオちゃん! しごはやだね!」
「人が苦労して作った資料を、そうそう簡単に読めると思うな」
霧島は、荒木の手を叩いて追い払う。
「変なコト、言わないでよ。助手が作った資料は、探偵長のボクが見るに決まってんでしょ」
「なぁにがキャップだ、ふざけんな。浮気調査だの、迷子犬探しだの、全部俺がやってんだろ。俺は助手じゃなくて、従業員だ」
「名探偵は、些末な浮気調査なんてやらないに決まってんでしょ〜。ねぇ、それよりさぁ、コネコちゃんのコトを、その美人のトコに直ぐに連れてちゃってイイと思う?」
「なんだよ。手放したくなくなったのか?」
口に出してから、霧島は自分の台詞が不快で、顔をしかめた。
「チガウ、チガウ。ボクはマジメに、タキオちゃんのお給料の話をしてるんだよ?」
「あのチビスケから、依頼料は取れんだろ?」
霧島はジーパンのポケットに手を入れて、くしゃくしゃに折れたタバコを取り出すと、口に咥えて火を点ける。
「まっさかーっ! ボクだってコネコちゃんからお金を貰おうなんて、思ってナイよ。でも、美人はお金持ちじゃん」
「厄介事を持ち込んで来たって、追い返されるのがオチだろ?」
荒木は霧島がテーブルに放り出したタバコの箱を取り、中からやはりくの字に曲がった一本を取り出すと、口に咥えて先端を霧島が咥えているタバコの先に近付けて、火を点けた。
そんな荒木を、霧島は手で "しっ" と追い払う。
「え〜、でもコネコちゃんのパパが、美人に "研究" ってのをまだ引き渡してなかったら、いなくなったパパのコトを探してるかもじゃん。話の持ち込み方によっては、お礼金ぐらい出るんじゃないの〜?」
「無理だね。向こうさんは八岐大蛇を取り仕切ってる、怪物のトップだぜ。相手が悪過ぎらぁ」
ヤマタコンツェルンは、孫が会長職を継いだ時に、カタカナ表記に変えたのだが、元は "八岐" と漢字だった。
普通なら、枝や根を広げるイメージは樹木に寄るものだが、初代の会長が自身の名字である "水神" のイメージに寄せて、”八岐大蛇" の方を採用した…と、記事の一部に書かれていた。
「でも、タキオちゃんはタダ働きは嫌いって言ってるじゃん」
「だから、送ってくならオマエが一人で行けよ」
「ええ〜っ! いざって時はタキオちゃんいないと困るよ!」
「知るかよ。オマエが拾ってきた案件だろ。相手が相手だから、絶対アポしとけよな」
「そんなぁ〜、頼むよタキオちゃ〜ん」
「クソ暑い! ひっつくなっ!」
猫なで声を出しながら、荒木は霧島の背後から抱きついてくる。
「やだ〜。一緒に行くって言ってくんなきゃ、チューしちゃう〜♡」
「解ったっ! 離れろ!」
二人がドタバタしているところに、無郎が顔を出した。
「お昼の準備が出来ました」
「わーい、コネコちゃんのお昼ごは〜ん」
興味が移ったと言うよりは、霧島から言質を取った事に満足したらしい荒木は、ドタドタとキッチンに走っていく。
もう数秒違えば、なんとかウヤムヤに出来たのに…と思いながら、霧島も後に続いた。
「えっと、こっちが荒木さんの席で、こっちが霧島さんの席です」
「えっ、コネコちゃんの席は?」
「大丈夫です。作っている時に、試食をしてますし。それに給仕が必要ですから」
ダイニングテーブルの上には、パンの景品で貰った白い皿に、見た事も無いような凝った盛り付けをされた料理が、点々と乗っている。
「なんか、お皿に対してお料理が少なくない?」
「これは前菜です。アボカドとエビのカクテルと、きのこのテリーヌですね」
「へえ〜、なんかフランス料理のフルコースみたいだねぇ」
「昼食なので、前菜と魚にデザートだけです」
「お魚は、どんなの?」
「スズキのソテー・マスタードソース添えです。デザートはクリームブリュレを用意しました」
「ひゃー、めっちゃウマそう! 早速いただいちゃおうよ、タキオちゃん!」
荒木に背中を叩かれても、霧島は返事もせずに突っ立っていた。
無郎が説明した料理の内容に、唖然となっていたからだ。
出来上がった料理の詳細を訊ねていると言う事は、荒木は食材の買い出しにはほぼ不参加だったのだろう。
では、支払いは、一体誰が?
と考えると、答えは一つだ。
いつも行く個人営業の食材店に赴き、荒木は顔パスで "ツケ" をしてきたに決まっている。
「荒木、俺はちょっと、気分が悪いから、飯はパス…」
「ええ〜? 本気? じゃあタキオちゃんの分、ボクが食べちゃうよ」
「好きにしろ」
霧島は疲れ果てたような顔で、キッチンを後にした。