31.俺だって腹が立っているんだ
無郎が鞄を投げ込んだ窓の位置を、霧島は正確に覚えてはいなかった。
更に、建物の構造もちゃんと把握出来ていない。
そのために、人見に説明をしながらいくつかの部屋を回る事になってしまった。
「これなら、窓から入った方が良かったんじゃ…?」
心で考えた事が口から発されていたが、そんな事も気付かないほど、霧島は疲れていた。
「あっちぃ!!!」
ヘトヘトになりながら、3つ目の部屋のドアノブを掴んだ瞬間、叫ぶ。
火事になっている屋敷の、金属製のドアノブが、炎で炙られて高温になっている事にすら、頭が回っていないようだ。
「ぎゃっ!」
霧島が、着衣の袖を伸ばして手を包み、恐々もう一度ノブに触れようとした瞬間、扉が勢いよく開かれて、眉間の辺りをヘリで強打される。
「有郎様っ!」
よろめきつつ、眉間を抑えていた霧島の耳に、人見の叫び声が響く。
顔を上げると、部屋から出ていった有郎らしき人物の背中が、屋敷内に立ち込め始めた煙の中に霞んでいくところだった。
「待てっ!」
それを目にした霧島は、猛然と追う。
ヘトヘトな事も、フラフラな事も、今の霧島には全く関係なく、とにかく「一発殴り倒したい」衝動だけで、動いていていた。
だが、白煙から黒煙に変わりながら、徐々に火の手が屋敷全体に回る中、元々腐りかけていて走りにくい床と、おぼつかない足元によってすぐにも見失ってしまう。
「くそやろう! どこだっ!」
屋敷の中央部分に戻ったところで、霧島は叫んだ。
「こちらですよ、霧島さん」
意外な事に、返事がある。
驚いて声の方へと振り返ると、有郎は階段の踊り場に立っていた。
「なぜ追って来たんですか?」
「アンタにゃ、どうしても一発入れておかないと、気が済まねェからな」
「凡人のあなたが、私を殴れますかね? それに、殴った後はどうされるつもりなんです?」
「とっ捕まえて、警察に突き出すぐらいの事は出来る」
有郎を睨みつけながら、霧島は階段に足を掛ける。
「警察? 戸籍も無く、存在自体を認められない私を? 無駄ですよ」
「先刻は、自分が高見沢教授だと豪語してたろ?」
「ではお尋ねしますがね。貴方はそれを本気になさっているんですか?」
霧島が一段一段歩みを進めると、同じ速度で有郎は二階への階段を登っていく。
腕にはしっかりと、あの "鞄" が抱きしめられている。
「教授の研究は、死体をつなぎ合わせて新たな人間を造り出す事…つまり、錬金術で言うホムンクルスの製造だったんだろ? 人見も、アンタも、無郎も、要は全部が教授の "作品" なんだろうが」
「残念。完成した "作品" は無郎一人だけだ。私はプロトタイプ…試作品です。人見は更にその前の、実験体に過ぎない」
「だが、同じ魂を持つと言っただろ?」
「試作品ですから、ほぼ同じです。唯一の違いは、私の頭の中は、教授の脳のデータがインストールされている…って事だけです」
「それで自分を、高見沢教授だと名乗ったのか…」
「肉体の性能を見るための試作品に、教授は自分の脳をインストールしました。データを取るのも、実験の手伝いをさせるのも、便利だと考えたからです」
「どうして教授を殺したんだ?」
「この世に、同じ人間が二人も必要だと思いますか?」
二メートル程の距離をおいて、二人はじっと対峙している。
炎は容赦なく屋敷を燃やし、既に霧島の進んだ階段さえも、パチパチと音を立てて燃え始めていた。
「無郎の "教育" が終わり、完全な "商品" になったら、教授は実験体共々、私も処分するつもりだった。正当防衛ですよ」
有郎は、カバンについている肩紐を伸ばすと、それを袈裟掛けにして身につけた。
「そして今、私は貴方に対して、同じ危険を感じています!」
突然、有郎は階段の上から、霧島に飛びかかってきた。
普段ならば避ける事も出来たが、今の霧島は気力だけで動いているような状態だったために、ガッチリと組み付かれてしまう。
「私を追って来るなんて、馬鹿な事をした」
勢いで床に倒れた霧島の首に、有郎の細い指が食い込んできた。
そのまま意識が薄れそうになったところで、不意に有郎の手が離れ、馬乗りになっていた体も退いた。
「おやめ下さい! 有郎様!」
「邪魔をするな!」
激しく咳き込み、霧島は体を起こした。
「貴様! 出来損ないの分際で!」
有郎と人見は、そこでもみ合っている。
炎は階段を焼き尽くし、炭と化した支えは二人のもみ合う振動に耐えきれず、悲鳴のような軋みを上げて折れた。
足場を失い、霧島は有郎や人見共々、深い奈落に落ちたのだった。




