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運命は死にそうな顔で転がっていた

作者: 竹部 月子

 丘を吹き抜ける風が、長い冬の終わりを告げるように土と緑の香りを運んでくる。

 村が見下ろせるこの丘で、師匠と私はよく、薬草摘みの休憩をした。

「いいかいビビ、阿呆を助けてやることは無いよ。それからタダで治療をするのもおよし」

 それが師匠の口癖だった。

 真面目に「わかりました」と返事をした私に、ニヤッと笑った師匠が、一度だけこう言ったことがある。

「ただね、運命は死にそうな顔でオマエの足元に転がってくるかもしれない。その時は覚悟を決めて行くんだよ」


 意味が分からなくて「どこへ?」と問い返した私に、師匠は「さあね」とすげなく言った。独りぼっちになった今になって、何故か繰り返しあの時の言葉を思い出す。

 師匠の名を刻んだ墓標は割れて、巨大な葉っぱに半分うずもれている。

 私はぐっと唇をかみしめて涙をこらえ、薬草カゴを抱いて丘を駆け下りた。


 目当ての薬草はなかなか見つからず、昼前には家を出たというのに、戻れたのは夕闇の迫る頃。

 小屋の前に男が座り込んでいるのを見て、私は門の外で足を止めた。


「ようやくお戻りか。すまないが解毒薬を売ってくれ」

 青白い顔でそう言うと、辛そうに目を閉じる。

 男は使い込まれた皮鎧を身に着け、腰には剣を吊っていた。年のころは40くらいだろうか、冒険者を名乗る年齢ではない。おそらくハンターだろう。

 私は念のためにさらに一歩下がって口を開いた。


「教会の許しがなければ、薬師は薬を作れません」

 小さな子どもでも知っている事をあえて言葉にする。直訳すれば「だからお断りです」なのだが、瀕死の彼は引き下がらないだろう。形式上のやり取りというやつだ。

「つれない事を言うな。金なら払う」

 言いながら財布を差し出してくる。その手が胸の高さまで上がらないうちに、ぱたりと落ちて財布は地面に転がった。最大限に警戒したまま、近づいて拾うと、かなり重い。


「もしやあなたは王家の騎士様ですか。ならばお助けするのは当然のこと。いやしい薬師でございますが、教会の医師が来るまで、応急手当をいたします」

 どこで聞かれているか分からないから、大きな声で心にもないセリフを言う。そうして男の前に素早くヒザをついた。


「家の中で診察します。立てますか」

「お嬢ちゃんの肩を借りてもよければな」

「薬師のビビです。へらず口を叩く元気があるなら、自力でベッドまで上がってくださいよ」

 助け起こすために体に触れると、かなり熱が高い。黒く染まった脇腹の血は、すでに乾いていた。二人でヨタヨタと家に入って、どうにか男をベッドに横たえた。


「自分で鎧を脱げますか?」

 釜でお湯を沸かしながら尋ねる。

「無理だ。もう指先が動かん。脇のベルトを切ってくれ」

 ベッドの横に立った時、すでに大きなハサミを手にしていた私を見て、男は苦笑した。ためらいなくベルトを切り、鎧を床に放り投げ、シャツのボタンを外す。

 右の脇腹に小さな刺し傷があり、そのまわりが毒々しい赤紫に変色していた。マインドイーターにやられたのだろう。しかし、太い血管に毒が回りにくいように、自分で処置した形跡がある。

 たくさんの古傷と、鍛え抜かれた無駄のない肉体。歴戦のハンターだろうという予想は当たったようだ。


「マインドイーターの毒ですね」

「大当たりだ。名医になれる」

 呼吸も苦しいだろうに、口の減らない男だ。しかしその場から動くこともできない魔物に、何故やられたのだろうか。理由を聞きたいが、この治療は一刻を争う。

 私は解毒薬の入った鍋をベッドの横にドンと置いて、カップに注ぎながら言った。

「今朝できたばかりの解毒薬です。明日には教会が取りに来る予定でしたから、ラッキーでしたね」

 全くだな、と同意した声はかすれてよく聞き取れなかった。


「傷口にトゲが残っていないか確認します。少し切りますよ」

 解毒薬をもらえると思っていたのだろう、男は少し驚いた顔をした後、うなずいた。

 ナイフを傷口に当てても、身じろぎもしないのはさすがだ。トゲは残っていない。しかし、思っていた通り血が流れてこない。マインドイーターの毒は、体の外に流れ出さないように、血を固めてしまうのだ。

 ハンターの呼吸は浅い。時間が無い。覚悟を決めよう。


「今から私が解毒薬を飲んで、毒を吸い出します。かなり痛むと思いますが、我慢でお願いします」

 閉じかけていた目が見開かれて、今度は首を横に振っているようにも見える。でも、まずい解毒薬をガブ飲みしなければいけない私には、細かいことを気にしている余裕は無いので、無視する。


 もう一度傷口にナイフを入れて、熱い肌に唇を押し当てた。口の中が猛烈にチクチクと痛み、桶に吐き出した液体は紫色の毒液と男の血が混ざっている。

 これが完全に血液だけになるまで繰り返す。ひたすら原始的でリスキーな治療法だ。

 

 経験上、患者に解毒薬を飲ませたところで、体内に魔物の毒がとどまっているうちは、いずれ毒のほうが勝ち、患者は死ぬ。助けたければこうするしかない。

 めまいがしはじめたので、解毒薬をおかわりする。男が止めようして服を引っ張ってきたけど、途中で投げ出すような薬師ではないのだ。


 窓の外が白みはじめて、鍋の薬が尽きる頃、ようやく毒の治療が終わった。患部を消毒して縫い合わせ、包帯を巻く。

 手を貸すと、ハンターはベッドに体を起こすことができた。さすがの回復力だ。まだ熱は高いけど、目に力が戻ってきたようだ。


「毒の分解を早くします。どうぞ」

 カップに半分ほどしか残らなかった解毒薬を手渡す。一気に飲み干した男は、眉間にシワを寄せた。

「こんな不味いものを、俺のために鍋一杯も飲んだのか」

「それに免じて、今夜のことは忘れていただけるとありがたいです」

 私がそう言うと、ハンターは不服そうにため息をついた。

「医者は聖なる職業で、薬師は異端者か」


 異端者というほど私に特別な力は何もない。ただ、村でみんなと同じように生きられない者が、つまはじきにされただけなのだと思う。

 教会の医者の言う通りに薬を作って、薬草を摘んで、異端者の罪が許されるよう、死ぬまで働く。

 師匠がそうだったように。 


「教会のやり方にはいつもながら反吐が出る。あんたの腕は一流だ、俺がお墨付きをやるよ」

 確かにそれだけ古傷がある体で言われれば、説得力もある。

「さて、まだ熱が高くて辛いでしょう。熱冷ましの薬はたくさんありますが、師匠から阿呆を助けるなと教え込まれています。どうしてマインドイーターなんかにやられたか聞かせてください」

 手厳しいな、とハンターは首をすくめた。


 マインドイーターは人間を食べる植物の魔物だ。その毒はかなり強力で、処置が遅れればもちろん死ぬし、手当が悪いと後遺症が残ることもある。

 この森にもかなりの数が生息しているけど、マインドイーターは生えた場所から動くことはない。葉と茎は巨大で、ど派手な紫色をしていて、うっかり触ってしまうようなものでもない。

 彼のような熟練のハンターならなおのことだ。


「俺の荷物を開けてくれ」

 部屋の隅に置いてあった袋を開けると、紫色の花びらがぎっしりと詰まっていた。ざっと見積っても5体分はあるんじゃないだろうか。


 花びらには、強い酩酊効果と幻覚作用がある。これが「マインドイーター」の名の由来だという。

 師匠が若いころには手術の麻酔としても使われていたみたいだけど、そのうち、貴族の間で麻薬として流行し、数年前に王家から使用禁止令が出た。 


 マインドイーターを討伐するだけなら、燃やしてしまうのが一番早くて安全だ。……そう、たいまつ1本で、簡単に焼き尽くすことができる。

 でも、花は地上から3メートルほどの高さに咲き、熱で溶けてしまう。花びらが欲しいなら、毒のツタ攻撃をよけながら、命がけで切り取ってくるしか無い。

 それでも一時期は、金に目がくらんでマインドイーターの餌食になる人が後を絶たなかった。


「どうやってこんなに……」

「登ってる間、襲ってくるツタを全部切ればいいだけだと思ったんだが、俺も老いぼれたな。6体目で見事にやられてこの通りだ」


「この花は、王家が直々に禁止した麻薬であるということを、知っているんですよね?」

 すました顔で座っているハンターを見ると、自分の愚かさに手が震える。悪人を助けた上に、教会に納品する薬を全部失ってしまった。

「さぁ、どうだったかな。ただ、その花びらの依頼は、王家からのものだ」

「そんなウソは信じません」

 はっきりとそう言った私に、男は「まいったな」と少し考えこんだ。


「では薬師よ、先月から急に、大量の鎮痛剤の依頼が無くなったのは何故だと思う?」

 ハッとしてしまった私に、ハンターは言葉を続ける。

「あんな高い薬を、庶民が使えないのは分かるな?」

 薬の値段は分からないけど、鎮痛剤の調合には教会から支給される特殊な宝石の粉が必要で、一つも失敗が許されなかったのは確かだ。

「つまり、鎮痛剤の代わりになるものが見つかったってことで……」

 言葉の途中で彼は窓の外へ目をむけた。日が昇りはじめたのだ。頭を振った男は悪態をついた。


「クソ、俺のせいだが、時間が無いな。熱冷ましの薬を持ってきてくれ」

 まだ迷っている私の手から荷物袋を取り上げると、奥の方からしわしわの紙切れを差し出した。そこに書かれていた差出人の名前を見て、飛び上がった私にもう一度男は言う。

「薬を持ってきてくれ。ビビ、頼む」

 薬棚から小ビンを持ってきた私は、ハンターの手にそれを押し付けるように渡した。


「お師匠様からの手紙! どうやって、どうしてあなたが?」

 薬師は外部の人間と連絡を取ることを強く禁じられている。手紙なんか出せるはずがない。

「いいから読め。ついでに俺の話も聞いてくれ」

 薬を飲みほした男は、身支度をしながら話しはじめた。


「国王には4人子供がいるが、3番目の姫君は不治の病におかされている。治療のしようがないやつで、痛みを緩和してやることしかできないそうだ」

 その王女のための鎮痛剤を、私と弟子の二人で作っていると書いてある。くたびれてボロボロの手紙だが、確かに師匠の字だ。

「姫の苦しむ様子を見ていられなかった王家の誰かが、禁止されたマインドイーターの花に目をつけ、ギルドを通さずに依頼を出し、俺のところにその仕事が来た」


 男の話を半分くらい聞きながら、懐かしい師匠の文字を追う。その文章がずいぶん親しげであることに気づいた瞬間、彼が何故あんな魔物にやられたのか分かった。


「あなたがやられたのは、丘の上の……師匠の墓に出たマインドイーターだったんですね」

 ちょうど私に背を向ける格好になっていたハンターは、バツが悪そうに頭をかいた。

「足元にあの人の墓標を見つけてな、まぁ、油断した」

「ごめんなさい。師匠のお墓をあんな魔物に、なのに、直すこともできなくて、ごめんなさい……」

 情けなくて、くやしくて、男の広い背中にすがりついて大声で泣いてしまった。


 アイツは師匠のなきがらを苗床にしたかのように生えてきた。教会に何度お願いしても、たいまつの持ち出しは許されず、師匠の大切なお墓は、魔物に抱かれるように丘に囚われてしまった。

「泣くな泣くな。おまえが一人で頑張ったことは、俺もあの人も、よく分かってる」

 優しい声でハンターは言った。

「丘の上のヤツは片付けてきた。墓も直した。安心しろ」

 それより最後まで読めと促されて、私は手紙に視線を落とした。


「いずれ王女が亡くなれば、全ての罪は薬師のもの。ビビは何も知らぬまま殺されることでしょう。だからお願い。あの子を解き放ってやって」


 青ざめた私に、早口で彼は言う。

「俺の最初のプランはこうだった。マインドイーターを狩るついでに、あんたをここから連れ出す。町で花を納品したら、その金で国境を越える。湖のほとりにある小さな村の村長は俺の知り合いだから、そこにあんたを預ける。あとは自由に達者で暮らせ」


 そんなことを教会が許すはずないと言いかけて、じきに彼らが薬を取りに来る時間になると気づく。それを見透かしたようにハンターはたたみかけてきた。

「ここにいたって解毒薬は全部飲んでしまった。納品もできん。それに、もっといいプランを思いついた」

 その前に支度をしてこいとハンターが言うので、なんだか雰囲気に呑まれて小さなカバンに薬の調合書や数少ない着替えを詰め込んでしまった。


「準備完了だな。よし、新しい作戦だ。万能薬を調合して、王女の治らないはずの病気を治すことにしよう。これであんたは罪人から、王女を救った恩人に大昇格できるぞ」

 いたずらを思いついた子どもような顔で、ハンターは言った。

「万能薬って……おとぎ話ですよ」


「そうでもない、必要なものはハッキリしている。沼地のヌシの大ウロコ、大鍾乳洞の奥で採れる七色の涙、氷河雪ナマズのヒゲ、それから死の山に住むドラゴンの心臓」

 一つ一つ指折り数えていく度に、世界が開かれていくようで、どうしようもなく胸が高鳴る。

「あとは、自称熟練のハンターと、旅を支える一流の薬師。これでそろった、どうだ?」

 旅、という言葉が最後に、強烈に私の心を揺さぶった。


「いいぞ、目がキラキラしてきたな」

 私と同じ高さまで屈んだ彼に、心の奥を見透かされてしまいそうで、あわててうつむく。

「こんないい薬師を、小さな村で隠居させるのは惜しい」

 たったひとつの拠り所である、薬師の腕を褒められると弱い。つま先がソワソワしてしまう。


「それにビビにはでかい借りができたからな。恩を返すまでは、そばにいてもらわんと困る」 

「薬師として当然のことをしたまでです」

 それはご立派だと茶化した後で、彼はちょっと悪い顔をして囁いた。

「しかし男として、乙女の唇をけがした責任は取らねばならん」

「……そ、そういう言い方をしないでくださいっ!」

 真っ赤になった私に、心から愉快そうにハンターは笑った。

 

「ちょうど教会のやつらもご到着みたいだ。まずは馬を奪って、後はそれから考えるか」

 すっかり熱も下がったのか、彼はくるりと剣を回してドアの横に控え、まもなく乱暴なノックの音がした。

 

 徹夜明けの目にしみるような、まぶしい朝だ。教会の使いが折り重なってのびている小屋は、厳重に戸締りした。

 もう、ここへ戻ってくることはないのかもしれないと思うと、なつかしい師匠の声が思い出される。

「ビビや、毎日同じことを繰り返して、誰にも褒められず、かえりみられず、薬師ってのは本当に退屈で、孤独なもんだね」

 師匠と一緒にいるうちは、そうは思わなかった。一人で暮らすようになってからは、心の底からそう思った。

「ただね、運命は死にそうな顔でオマエの足元に転がってくるかもしれない。その時は覚悟を決めて行くんだよ」

 

 お師匠様、これが私に転がってきた運命でしょうか。覚悟を決めるのは今なのでしょうか。まだ名前も聞いていないこの男と、一緒に行っていいのでしょうか。 

 昨日死にそうな顔で倒れていたその人は、馬の上で鼻歌まじりに手綱を握って、すっかり旅支度を終えていた。


「よし、行くぞ。ビビ」

 まだ行くとは言ってないのに、力強い腕で馬の上へ引き上げられて、運命は走り出してしまった。

 景色と一緒に、退屈も孤独も、ものすごいスピードで後ろへ飛んでいく。初めて乗る馬の背でめちゃくちゃに跳ねていたら、なんだか無性におかしくて、私はワクワクする心に身を任せてしまおうと決めた。

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