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泥魔


カミナが邸内に入るのを見届けて、モーケスは辺りを見回した。


見上げるほど背の高い縦格子の門、堅牢な塀を背にしてゆったりと立つ。

左手には気に入りの術具——真新しい紙巻煙草を遊ばせながら、首元に揺らした赤石を右手で直す。


「……異常だな。街の守りは足りるかねぇ。」


街の各所から起こる破壊音、戦闘音、ときには悲鳴や雄叫びまで、いつもとは異なる危急の雰囲気を告げている。市壁の一部が破られたか。それ以上のなにかが起こったか。


想定を超える大規模な襲撃。

または、騎士団側に大きな手落ちがあったのか。

その両方か。


さっき葬った屍人など、単なる露払い、または撃ち漏らしに過ぎないだろう。

十年前もそうだった。

後に控える強力な死の存在たちこそが、都市を、そして人を、ずたずたに傷めていくのだから。


——そう、例えば。あちらに見えるヤツみたいな、ね……。


ぐしゃん。どちゃん。

濡らした布で何かを潰し叩くのにも似た地響き。

一定のテンポを保ち、邸の正面に伸びる街路を動き、近づいてくる。


ぐちゃん。べちゃん。

揺れる人影。背丈はモーケスの倍程度。幅は両腕を広げたよりも広い。

それはぬらぬらと輝く巨躯の死者——泥魔(デーモン)の歩く足音だった。

海から出でる死人たちのなかでも、とりわけ強力な者たちだ。


[……ルルルオォォォ……]


死を司る『常闇の魔女』。

その邪なる魔力に囚われたいくつもの魂が、屍肉を核に、海の汚泥を取り込んだモノ。


死肉の大きさは取り込んだ魂の残滓と魔力の大きさを示す。

肉の硬さ、運動能力、果ては魔術の行使に至るまで、大きく重いほどに強くなる。


泥魔には騎士が数人がかりで——場合によっては部隊単位で対処しなければならなかった。


「殺し切れるか……。」


煙草を吸い込む。

ふぅ、と大きく煙を吐き、


「欲張らないで……ひとまず、足だな。」


頭上にくるりと腕を振るう。

纏う炎で八の字の軌跡を描きざま、


「——巡れ・結べ・封ぜよ==《輪枷炎(シャクラ)》」


三節詠唱。

火の粉を揺らして輪動する火炎の二連輪を形成、ふわりと前方へ解き放った。


発射。加速。そして激しく回転する火炎のリングが石畳を焦がして煙を立て、隼の速度で地を擦りつつ飛来する。


瞬きの間に標的の足元に食らいつくと、密度と火勢、そして回転速度を増しながら図太い足首に激突——喰らいつくと、両足をまとめてぎりぎりと締め付けた。


続けて宙に浮かぶは十数本もの鋭き火釘。


「——《鋲火(リベット)》——《射出(ショット)》……!」


炎環より溢れた火燐が転じたそれらは、起句を合図に泥魔を囲み、全方位から放たれる。


灼熱の鋲は、貫くだけでなく縫い止める。

損傷を与える狙いではない。

先んじての魔術と連動し、貫いた相手を大地に拘束するためのものだった。


[————ッ!!]


針山のごとく串刺しとなった屍肉——


「一応、おまけだ……熾こせ・結べ==《絡火(タングラー)》」


体表から突き出た《火鋲》の末端に蝋燭のような火が灯る。

それぞれの灯から煌々と光る炎線が四方八方へと放たれ、相結ばり、絡み合う。

肉と魂を縛る火縄が、編み籠のような縛囚の結界を成して何重にも対象を縛り付けた。


周到に組まれた独自の術式で相手を翻弄、相手に力を出させることなく倒しきる。

騎士団随一の変人にして天才と名高い男の戦闘技術は、前線を退いてなお鋭さを失っていなかったが——。


[——ッァガ、ァッアァァ……]


(……っ、足りないか……!)


巨大な屍肉の全身が震え、忌々しい聖火の拘束を打ち払わんともがいて蠕動する。


膨大な質量の肉がもたらす膂力だけではない。

黒き海から、紫光の月から注がれ満ち満ちた魔力がどろりと動き、泥魔の体を蠕動させる。


絡みつき、締め付け、縫い付ける炎の枷を、ばつん、ばつんと爆ぜさせ、軋ませ、罅割れさせ。次々と壊して打ち払っていく。


そして、無造作に振るわれた怪物の腕——


[……ゥゥルルゥォォッ……ァアギアァアァッ……!]


肉圧に満ちた巨大な前腕部が振るわれる。

肘部からぼぐん、と悲惨な音を立てて千切れ飛ぶ。

恐るべき速度でごぉッと空気を裂くと、排除すべき脅威——術を出し終えたばかりのモーケス目がけ、一直線に飛来した——。


死人の魔力は、肉の質量に比例する。

酒樽10個分にもなろうかという体積をもつ腐れ爛れた前腕は——単なる重い肉塊ではなく、騎士何名ぶんもの膨大な魔力を秘めた高速・高威力の擲弾と化していた。


「……っ、おい、まじかッ……くそ、《包め》っ!!」


唱えかけの詠唱を即座に中止。

術式に満たない原詠唱に魔力を乗せて、護りの火炎で己を包む。


——瞬間。多大なる衝撃が辺りを包み。


轟音の後に残ったのは、滅茶滅茶に破砕された門塀の残骸。

そこかしこから立ち上る不吉な黒煙。火枷から解かれてゆらゆら動く、隻腕巨躯の異形の姿。


塀、門はもちろん、抉られ荒れ果てた前庭をも越えた数十メドルの彼方には、燻る炎。土埃。

邸の外壁——その足元。

吹き飛ばされ、瓦礫ごと叩きつけられたモーケスの哀れな躰が、見るも無残な姿で寒風にさらされていたのだった。



***


——ルシッドレッド邸の裏門側。

屋敷を出て小走りに路地を移動しつつ、先行するウェルダ翁が口早に説明する。


「隘路で襲われることを避ける。なるべく早く学院に到着する。そのために、まずは大参道を走ります。」


老執事の右手には玄関にあった短槍、革のマントを羽織った背中には大ぶりな背嚢、何も持たない左手首には暗赤色の腕輪が月夜に光っている。


わかったわ、とカミナは頷き、老執事の後に続く。カミナ自身が背負子をかついで弟を背負った。「ご一緒のほうがお護りしやすいので」ということだ。


少女は大きめのマントで弟ごと全身を覆い隠す。内側では水や身の回り品を入れた鞄をたすき掛けに。護身として、左腰には精緻な装飾のされた小剣を身に着ける。幼き弟を除く二人とも、魔獣の皮で誂えた柔らかく丈夫なブーツを履いていた。


——あのひと、大丈夫なのかしら……。


屋敷を護るモーケスへの心配が少しだけ脳裏をよぎる。

しかし、いずれにせよ、今カミナができることなど何も無いのだ。

執事の先導に従い路地を抜け、寒々しく広がる大参道へと静かに身体を差し入れる。


幸いなことに、行く手に死者のすがたは無い。

目を合わせて互いに頷くと、二人は無人の街道を音もなく、滑るようにして駆け始めた。


夜を、戦場を潜り抜けるための隠密性と機動性にすぐれた走法は、カミナがモーケスに教わったものであり——駆け出しの騎士モーケスが全盛期の騎士ウェルダに教わったものでもあった。


「一気に抜けます。街区が切れたら右の林に。生者の少ない道であれば、死者と遭うことも無いでしょう。」


カミナの自宅は山を下った平地の上流側に設けられた上級騎士の居住区に構えられている。

一方、避難先である学院は、山上の神殿と居住区のちょうど中間あたりに位置していた。

山道を走ればおおよそ半刻から四半刻ほどの距離となるはずだ。


了解、とカミナは無言をもって応じる。背の弟が少し身じろぎするのが感じられた。


静かね。いい子。

カミナは場違いにやわらかな感情を抱きつつ、老執事に遅れぬように歩を早めた。

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