聖火葬
[……ガ……ギギ………!!]
[………ァググゥ……ガアァ………。]
呻る声。諸手を上げて、屍人が迫る。
肉持つ低級霊たる存在は、早くはないが鈍重でもない。
ぐしゃり、どたりと動き出した。
「……お客様方。姫がいるんで、手早くいくぜ——」
二体の屍人を前にして、モーケスはそう言うとふらりと立った。
開いた胸元。紅い宝珠——上等な《火石》を嵌めたネックレスがきらりと光る。
いつの間にやら右手に煙草。
これが男の、一風変わった《灯杖》である。
通常の騎士は《火石》を嵌めた剣や槍——《灯杖》と呼ばれる武器を振るう。
上級騎士となれば自分に合わせた装備を誂えるのは当然だが、煙草というのは前例が無い。
おかしな要望を伝えられ、武器職人は大いに嘆いたものだった。
指の長さにも満たない紙筒をふわりと斜に構え。
曲者たる騎士は鋭く、低く唱える。
「——纏え・奔れ==《炎刑鞭》 ——!」
煙火を象る媒介に、魔力の火花が点火する。
ひゅるりと熾る炎が纏う。疾く。細く。奔流となり、鞭となる。
火の粉を散らす荒縄のようなそれを、2度——いや3度、続けざまに振り払う。
[[……ガッ……カカッ——!]]
《炎刑鞭》。
自在な間合いと形状で敵を翻弄する二節の中級炎術は、扱うものの技量によって、鞭に、縄に、鋭い刃に、盾にすらなる。モーケスの十八番のひとつだった。
軽く風を切る微かな音。切られながらの僅かな呻きの後には、少しの動きも声もなく。
どう切ったのか、2体あわせて数十片をこえる肉塊へと焼き切られたそれに、返す刀で術を重ねる。
ふらっと腕を振り上げると、炎鞭が中空にてぐるりと円を成した。
「——結べ——熾れ・聖火よ・浄めよ==《聖火葬》」
鞭は輝く境界となり、ぐしゃりと崩れた肉塊の山を囲む。
見る間に熱波の結界が立ち上がると、中心には小さな種火がぽぅと宿る。
激しい灼熱の煌火が満ちて、円内すべてを瞬時に焼き尽くす。
邪なる霊。媒介たる死肉。両者を速やかに焼滅する火葬の檻は、騎士たるものの基本にして必須の術式だった。通常は数名がかりで行使するそれを事も無さげに放った男は、煙草を吸い込み、ふぅ、と息をついて振り向いた。
少女の灰眼が炎を写し、明るい橙色を帯びている。
「さすがね。おじさん。すっごいわ。」
色の無い声で、ぱちぱちぱちと手を叩く。
「……ありがとよ。褒められてる気がしないけど。」
「ん? ……うん。まあね。」
「……っへ……参るぜ……。」
当然だもの、とカミナは思う。
ふらふらしてても、腕だけは確か。
父さまが選んだ自慢の騎士で、わたしの師匠なんだから……火を見るよりも当たり前。
伝えることは決して無いが。
それにしても……?
「なんでコイツら、こんな場所まで……って思うよな。」
にやりと笑んで、モーケスは言う。
カミナの(無)表情を読める者は限られている。こういうところが苦手なのだが。
「まあ、なんだかな……副長ボスの見立てじゃ、でかいっぽいぜ。今夜の《潮》は。」
月は満ち欠け、潮は満ち干く。
紫の月より注ぐ夜の魔力は、満月に近づくほどに高まった。
騎士団は、月齢、海流、星の動きに加えて季節、天候、風、までをも観測する。それにより、毎夜の《潮》——死者の襲撃——の規模を大まかに算出すること、防衛を最適化することが可能となる。街への被害は昔と比べて大きく低減されていた。
近年目覚ましく発展を遂げたその技術には、副長にして《炎匠》と呼ばれるフヨウ=ルシッドレッド——カミナの父が大きく貢献している。モーケスは父からの情報と指示を受け、万一のための護りとしてカミナのもとに馳せ参じたというわけだった。
(それにしても、この街区まで攻め込まれるってのは……何か、あるのか……?)
考え込むモーケスに少女は言った。
「……大丈夫だよ。一人でも。」
「分かってるさ……でも、そういうわけにもいかないからな。分かるだろ? お嬢も。ボスの気持ちは。」
「……わかってるけど。過保護なの。」
似たような襲撃が散発しているのだろう。あちら、こちら、遠く近くで火燐の光や轟音が上がっていた。
壁のやつらは何やってんだ、と言い肩をすくめたモーケスは、さりげなく辺りを警戒した。それでも緊張はおくびにも出さず、まるで散歩を再開するかのような気軽さで歩き出す。
今夜の潮がどうなるにせよ、少女を安全な場所まで送り届けねばならないのは変わらなかった。自分がいるのだ。余計な心配は与えなくとも良いだろう。
中央広場を抜けたら、あと少し。
上級騎士の居住区である五番区までは、徒歩で四半刻といったところだった。
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