来たれ照霊
濡れて冷え切った胸の周りに腕を回して暖をとる。
儀式を前に、カミナはひとり問いかける。
こんなわたしにも、なにかの素質があるのかな。
『15歳になれば』本当にすべてがうまくいくのかな。
今は亡き母に問うたところで、答えを得られるはずもない。
いずれにしても、父からは……きょう儀式を受けなければ勘当、放逐とさえ言われているのだ。
あの、わたしにメロメロすぎて出来損ないの灰色もきれいな赤に見えてそうな父が、あふれる涙を(実際に)飲んで、そう言ったのだ……。
生活の術も人脈も持たないカミナにとっては。
明日も快適な不労不学三食おやつに適度な運動までセットな最高理想郷生活を続けるには……もはや、逃げるという選択肢は残されていなかった。
——わたしなんかが照霊を手に入れたって。どうせ、無駄かもしれないけど。
思考の深みに陥りかけるカミナの目に、きらりと光が飛び込んできた。
「……えぇっと、鏡……《照鑑》は……あれかな?」
石造りの小部屋の奥には同じ素材の祭壇が設えてあり、手のひらほどの小ぶりな鏡が置かれている。一点の曇りもなく磨き抜かれた、真円形の銅鏡だ。
思ったよりも小さいのね。何とはなしに、カミナは思う。
鏡の左右に、燃え尽きかけた1対の蝋燭がちろちろと炎の舌を揺らしている。
きっと前回の儀式の燃え残りということなのだろう。
少なくとも、カミナの儀式が重視されていないのは明らかだった。
沐浴に濡れ、肌に貼りつく衣服に染み入る寒さが、気分を限りなく沈ませた。
「(すぅぅぅ)——はぁぁあ…………。」
万感を込めて空気を吸い切り、長く湿ったため息を吐き出す。
薄く緩く、灰色の魔力を巡らせて。
室内の壁、床、柱は、薄い黒班の入った白大理石で統一されている。
水で磨いて艶を抑えた、神官たちが好みそうな質感だ。
装飾的な柱に支えられた天井は、岩山を刳り貫いた彫り痕がそのまま残る荒々しい仕上げだった。何も置かれていない床の目地には1本おきに細い金属棒が埋め込まれ、光をちらちらと反射している。
火に照らされた室内をひととおり——未練がましく観察し終えると、少女は観念したようにしてがしゃんと扉を閉め、祭壇の前に進み出た。
記憶を辿って言葉を紡ぐ。
「……えっと、《起句》は……『照らせ。照らせ。母なる光。父なる——炎。我が血は血河。命は……篝火——』」
鈴のような、というには少しばかり掠れた小さな声。
大きな声を出すのは得意ではなく、好きでもなかった。
神殿に伝えられた起句により鏡を『起こし』、霊なる世界とこの世を繋ぐ。
すぅっと右手を持ち上げて、鏡に小さな手掌を向けた。
(……お願い。来て……。)
「……遠く、近しき聖火のしもべ——集え、集え——照覧せよ——。」
続く《承句》をつっかえながらも吟じていく。
遥かに存在するといわれる幽界を想じて目を閉じる。
(……第一階位……せめて第二か……誰でもいいから(ただしかわいいに限る)……)
勲話に語られる数多の力ある英霊たち。絵に残された英雄、霊獣。輝く勇姿が心に浮かぶ。
軽く開いた手のひらから、仄白い魔力の波を滔々と放ち——
(……来て……!……お願い……!)
「——照霊よ——我が身の光の招きに応え——此岸に来たりて常世を照らせ——。
——我が名は——カミナ=ルシッドレッド——!!」
——《結句》に至り、願いを込めた名乗りととともに、一気に力を解き放つ。
徐々に激しく、光を帯びて。
小さな照鑑が身悶えるように震えだす。
纏う微光は輝きを増し、白く、眩く、全てを包み————
…………。
……………………。
…………………………………………。
…………。
——音もなく。幻のように消えていった。
あたかも何も起こらなかったかのように。
(………………。…………………?)
来るべきはずの照霊は、影も形も見当たらない。
消えた蝋燭の火だけが、何かが起こったことをかろうじて証していた。
(来てよ……おねがい……)
諦めない。認めない。
両手をかざし、もう一度。もう一度。もう一度。
何度も、何度も魔力を放つ。
(しかたない……今なら……1日3食……なんなら、おやつもつけるから……!!)
鏡はただの鏡のように、少しの反応も示さなかった。
……………………。
「……うぅ……なんでよ……どうしてなの……。」
膝をつき、少女はうなだれる。
神に祈る。いや、神に絶望したかのような姿勢だった。
「——もしかして……。」
少女は言った。
「——おやつは食べない系だった……?」
凍えた真っ暗な堂内に、ずぶ濡れの少女と静寂だけが残された。