第147話 ブーケ型蓄音器完成
もう、二度とやりたくない……
俺は万年筆を持ったまま固まった右手の指を、何とか引きはがして天を仰ぐ。
皇帝円舞曲は第1楽章だけなんだけど、それでも、もう嫌……
これ、交響曲全楽章とかにしなくてマジでよかった。
第九だったりしたら、俺は死んでいたかもしれない。
楽譜の書き起こしは想像以上に大変だったのである。
書き慣れていないということもあるのだが、綺麗に書かなくてはいい音にならないと思い、細心の注意を払いつつ書き続けた四日間……
いや、睡眠も食事もしたけどね。
しかし、魔効素ドーピングもしつつ、やっと二曲の楽譜が完成したのである。
思った以上に魔力を使う作業だった……
黄魔法は、本当に大食らいだ。
一息ついて、二、三個クッキーを口に放り込んだ。
苺とカカオだけじゃ、足りなかったかもしれない。
蜜柑とパイナップルも要求すれば良かった……この世界にあるかどうかは解らないけど。
しかし、努力の甲斐あってクラシック曲、二曲の再現に成功したのである!
まるでオーケストラのCDを聞いているかのような仕上がりに出来たのだ。
これならば、間違いなくお貴族様のお部屋にフィットする音楽と言えよう!
そうだ、庶民の家など比較にならないくらい広いんだよね、一部屋が。
天井も高そうだし、最大音量を上げておこう。
さて、蓄音器本体をゴージャスにしてしまった手前、贈答用の箱も作成しなくてはならなくなったわけで。
プレゼントなので中身は開けてのお楽しみだから、木の箱でいい。
蓋をとったら箱が全部開いて、中身が見える折りたたみ箱にしよう。
木の箱なんだから、寄せ木細工にしようかな。
うん、市松模様とか簡単な図柄にすればすぐ出来るぞ。
蓋だけ八角麻を混ぜて作っていこう。
一度作ったことのある模様であれば、魔法でサクサクと作れる。
材料の木片にも色を入れてある材料を使ったので華やかになった。
よしっ、箱に入れて、ずれ防止などの魔法をかけて……っと。
はいっ完成ですっ!
はーーーーっ、疲れたー!
でも結構いいのが出来たので、満足満足。
使い方の説明書を書いて、ビィクティアムさんに渡しに行こう。
でもその前に、早めのお昼ごはんを食べておこうっと。
今日もビィクティアムさんは東門の詰め所にいる。
この人、全然家に帰っていないのでは?
てか、家が別にあるのかどうかも怪しい。
この詰め所で寝泊まりしているとしたら、ワーカホリックなんてものじゃないよな。
「いかがでしょう?結構頑張ったんですけどね」
俺はビィクティアムさんにブーケ蓄音器を見せ、使い方の説明を一通り終えてお伺いを立てた。
もっと豪華にしろとか、別の花にしろって言われるかもしれないしね…。
貴族女性の趣味は解らない。
「……これは……おまえ、頑張りすぎだろう……」
よっしゃ!
外見は合格のようだ!
「全部水晶ですけど、造形自体はそんなに大変じゃなかったんですよ。曲の方が本当、大変で……聴いてみてください。駄目だったら、別の曲にしますから」
先ずは『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』。
このタイトルをすべて書くのが面倒で『アイネ』という曲名にした。
音楽が鳴るとビィクティアムさんが更に吃驚したような顔になった。
「タクト……この音楽は……?こんな楽器の音は初めてだ……」
「えーと、俺がよく聴いていた楽器を再現したというか、この曲書き上げるのに結構、苦労しまして……」
買った楽譜がオーケストラ版だったからね……弦楽四重奏とかにしておけばよかったんだけどね。
「おまえが書いたものなのか?」
「はい、一応。どうですかね?伯母様のお気に召すような曲ですか?」
「ああ……絶対に喜ばれるだろう。素晴らしい……」
よかったー。
モーツァルトが駄目ならどうしていいかわかんないもんなぁ。
「一曲だけじゃ寂しいかなと思ったので、もう一曲」
今度は『皇帝円舞曲』の第一楽章だ。
流石に『皇帝』と言うわけにはいかないので、タイトルは『円舞曲』だけにした。
「これを書いたのも、おまえか?」
「はい。これも結構音数が多くて、命削る感じでしたよ……もう二度と書きたくないです」
本当に!
もう絶対にオーケストラ版は無理!
今度クラシック書く時は、ピアノソロぐらいにしておく。
「このように華やかで、麗しい曲は初めてだ。壮麗で美しい……」
やはりクラシックはお貴族様に刺さるのだろうか。
ビィクティアムさんがこんなにも食いつくとは……
「最初の曲の題名は『アイネ』……なのか?」
『アイネ』は、確か『小さい』とかいう意味だったような……
でも、贈り物で『小さい』ってのも……えーと、えーと……
「はい、俺がいた所では『アイネ』は、えっと、『愛らしい』という意味になるんですけど、響きがよかったのでこちらの文字でそのまま使っちゃいまして……」
そう、小さきものは愛らしい!
よし、間違いではないぞ!
「……そうか……伯母上はこの上なく喜ばれるだろう。ありがとう、無理を言ってすまなかったな」
「いえいえ、作っている時は楽しかったので」
そしてふいに真面目な面持ちになって、ビィクティアムさんが腕組みをする。
「しかし、これは大変だな」
「え?何が?」
「誕生日は毎年来るだろう?来年はこれを越えるものを期待されてしまったら、伯父上はどうしたらいいか解らんだろうな、と思ってな」
あー……確かに、プレゼントって次々ハードルが上がっていくよねぇ。
「伯父上に頑張ってもらうしかないが、巻き込まれんようにしないとな。こっちに無茶振りが来そうだ」
「……そうすると、また俺の所に来たりします?」
「ああ、そうなるだろうな。おまえくらいしか頼める者がいない」
「謹んでご辞退申し上げます」
ビィクティアムさんは楽しげに笑うけど、笑い事じゃあありませんよ!
これで苺が手に入らなかったら本当に二度と協力しないからねっ!
*『アイネ』の訳が『小さい』と書かれておりますが、これは作者がタクト以上に勘違いして覚えていたためのものです。(ご指摘いただけて助かりました!ありがとう!)
『小さい』にあたる部分は『クライネ』とのことですので、ここではちょっとだけ目を瞑ってください。