第139話 茶番劇の終わり
さて、一連の小芝居が終幕となり、俺達は教会の一室に集まった。
これからの作戦会議も兼ねて、だ。
つまり、この茶番劇はこういう事である。
先ず、ファイラスさんは魔眼ではない。
ファイラスさんの制服のボタンに『遠視の魔眼』が取り付けられていたのである。
それはあのシェラデイスの魔眼だ。
奴は瞳の色を変えていた。
そして、食堂で感じた魔眼の視線は俺ではなく、俺と奴の間にいたセインさんに向けられたものだった。
あの時奴はセインさん達に背を向ける位置に座っていたが、ファイラスさんに取り付けた赤黒い石から遠視の魔眼でずっと視ていたのだ。
痛みを感じたのは奴の怒りの感情が強く、余波として伝わってしまったからだろう。
俺自身に向けられた視線だったら、今日みたいにとんでもない圧を感じただろうから。
シェラデイス家はもともと神官を多く輩出している『従者の家系』と呼ばれる貴族家であり、家格的には決して低くはない。
だが、『大貴族』ではないらしい。
セラフィエムスやドミナティアのように押しも押されもせぬ大貴族にたてついたのは、『極大魔法』を手に入れればその二家を超えるほど家格が上がると思っていたからのようだ。
ファイラスさんは、あいつ等は皇王家すら軽んじている馬鹿者でしかない、と怒り心頭の様子だった。
そう、ファイラスさんは敢えて奴に利用される風を装っていたのである。
従兄弟同志という立場で、皇王家と遠戚関係にあるとはいっても現在のリヴェラリム家よりはシェラデイスの方が勢力が強いらしい。
逆らう事は家族や家門に被害が及ぶのだろう。
そして俺はファイラスさんに取り付けられていた遠視の石のことを、あの日ビィクティアムさん達に話したのである。
それまではビィクティアムさん達もファイラスさんがどちらの立場なのか量りかねていたようだったので、俺に食堂で見定めさせたのだろう。
まったく、人の技能を利用しやがって。
しかし、米が手に入るのだと思えば、我慢もしよう。
だが、彼等の誰もエラリエル神官があそこで害されるとは思わなかったのだろう。
そのせいで演技に真剣味が加わったので、ばれなかったのかもしれないが…。
エラリエル神官は一命を取り留めた。
今は聖堂で衛兵隊警護の元、治療を施されている。
「ライリクス、目は大丈夫なのか?」
「ええ、何ともないですね。奴は薬品と水を取り違えでもしたのでしょうか?長官こそ、肩は?」
「ああ、服が裂けただけだ。衝撃はあったが怪我はない」
「それは僕の腕を褒めてくださいよ!いやーおっかなかった…」
…まぁそう言う事にしておきましょうか。
みんなが無事ならいいんだよ。
「で、ファイラスさんはどうするんですか?」
「今、副長官は死んだ事になっているからね。マリティエラの病院に偽名で入院させとこうと思ってるよ」
ビィクティアムさんがファイラスさんを斬ったのは、あの遠視の魔眼で視られているボタンをはじき飛ばすためだったのだ。
あの一族は全員同じ目の色らしいので、あの馬鹿騎士以外にも視ている者がいるかもしれないから壊す必要があった。
「…長官…着替えたいですぅ赤茄子の臭いが…」
「我慢してろ。後で『死体』のおまえを運ばなくてはならんのだから」
そう、血飛沫に見えたあれは赤茄子で作った血糊である。
赤けりゃなんでも良かったのだが、手頃だったかららしい。
俺からしたら、なんてもったいない事をって思うのだが。
「でも、あいつによくバレませんでしたね?近寄られたら臭いで解っちゃいそうなのに」
「あいつは僕には近寄らないよ。リヴェラリムの事は思いっきり馬鹿にしているからね。絶対にあの家、潰す…」
あ、こわっ。
「そこだ、そこの所が俺には解らん。なんで従者の家系である奴が扶翼のリヴェラリムをそこまで軽んじているのか…」
「ほら…うちは五代前に……とんでもない事やらかしたじゃないですか…あの時うちの家門から従者が全部取り上げられたでしょ?」
「ああ……そのせいで未だに…。だからといって絶対に超える事など出来ないというのに」
「極大魔法を得られれば扶翼に並ぶか追い越せると思った訳か。無知故の浅慮だな」
「従者の家系の者達は知らないでしょうからね。どうして十八家門が『大貴族』であるかなんて」
…お貴族様の家格には複雑で厳格なルールがあるのだろうか。
つまりシェラデイスが何を得ようと、どれだけ家格が上がろうと、この人達を追い越すどころか並ぶ事も出来ないわけだ。
「ところで、副長官、あの銃はどこから…?」
「あれ、あいつに渡されたんだよ。暴発するんじゃないかとひやひやした」
「それで2発目を撃たなかったのか」
「撃てませんよ!1発だって怖かったのに!」
「銃はミューラ製なんですか?」
「正確には、ミューラで発掘されたものらしいね。複製作ったのは隣国のガウリエスタ。でももの凄く性能が悪くて、シェラデイスがシュリィイーレに持ち込もうとしていたのはあれを作らせようとしていたからのようだよ」
「発掘品だったのですか…ミューラの迷宮ですね?」
「迷宮って何ですか?ライリクスさん」
説明によると、迷宮というのは魔力の大きい『何か』が埋まっている場所に魔獣などが作るでかい蟻の巣のようなものらしい。
その最奥にあった『魔具』がこの銃の原型だったようだ。
…もしかしたら俺みたいに、過去にこちらに飛ばされた誰かの持ち物だったのかもしれない。
迷宮が出来るのに50〜100年かかると言うから、かなり昔のものだろう。
リボルバーだったのはそのせいかもしれないな。
「シュリィイーレで作らせてどこで使うつもりだったんでしょう…」
「魔法が使えない場所で…だろうな。そうでなければあれを持つ必要はない」
確かに攻撃魔法が使えるのなら、銃より魔法の方が確実で技術もいらない。
魔法が使えない場所…魔道具の持ち込みや付与された道具の持ち込みが禁止されている場所?
聖堂とか、王宮内とか?
どちらにせよ、何らかの意図がある。
反乱か暗殺か…。
そう言えばあの騎士は『崇高な目的』とか言っていたな…。
その為の準備って事なのか?
『使命』ってのと関わりがあるのかな?
「そういえば『使命』ってなんです?さっきファイラスさんが言ってましたけど」
「我がイスグロリエスト皇国には九星家門貴族と九彗家門貴族の十八家門がある。そのそれぞれが神典や神話に記された英傑の系譜を継ぐもので、神から使命を賜っているのだ」
うっわー…神典や神話の家系って事は、あの神話に出て来たいろいろな英雄とか賢者とかの末裔って事ですか?
なるほどーそりゃあ、神典やら家系魔法やらの情報が知りたいわけですなぁ。
そして『従者の家系』は十八家門に仕え、その使命を補佐する役割があるのだとか。
「ファイラスさんの家門の使命がどうしてライリクスさん達の結婚と関係するんですか?大貴族同士とはいえ、貴族社会であればそういう婚姻はよくあることでしょう?」
「『賢神一位と聖神二位の結ばるるのちに厄災の魔力満ちて東に凶星の裁き有り』という神典の言葉があるからね」
ん?それ…微妙に違っていた所だぞ?
「この二つの神を頂く家系同志は婚姻する事によって厄災が起こると忌み嫌われている。極大魔法の復活に繋がると唱える奴らもいるからな」
「だから、ドミナティアとセラフィエムスは、仲が悪くなくてはいけなかったのだよ」
…セインさんとビィクティアムさんは仲が悪いという設定でいなくてはいけなかった…といことか。
「ライリクス達の結婚ももし男女が逆だったら絶対に認められなかっただろうが、陛下が『これは神典の記載に当たらぬ』と仰有ってくださったのだよ」
セインさんがそう言うとライリクスさんが少し、唇を噛み締めた。
そんなことでずっと結婚が認められていなかったのか。
そんなことで、ふたりはずっと辛い思いをしていたのか。
怒りが、湧いてくるのが解った。
駄目だ、ここは冷静に、落ち着け、俺。
「神典のその部分、間違っていますよ。現代語訳」
「え……?ど、どういう事ですか?間違って…って…」
「古代文字の原典の方では『賢神二位と聖神二位の結ばるるのちに厄災の魔力朽ちて東の凶星は闇に消えり』です」
賢神一位と二位は単に文字が古くて掠れたり消えたりしていたので読み間違えたのだろう。
『満ちて』と『朽ちて』も古代文字では二文字違いの単語で、これも読み違えだろうと思われる。
そして『闇に消えり』を『裁き有り』としたのは、現代語訳版神典のこの章では神がこの地にいるという事が前提で話されており、意訳でそのように表現してしまったのではないだろうか。
助詞はそれに合わせて変えてしまったのだろう。
しかも、原典のこの文の前後から考えると『結ばるる』は婚姻の事ではなく、ただ単に力を合わせた…というだけの事だ。
俺がそう説明すると全員が呆然となった。
無理もないよな…おそらく、ずーーーっとその言葉に縛られて、きっと何人もの人達が犠牲になったのだろうから。
するとビィクティアムさんが急に笑い出した。
「そうか…そうなのか…これでやっと、やっと呪縛が解ける…」
半泣きで、それでもとても嬉しそうにありがとう、と俺に言ってくれた。
ライリクスさんは…涙が止まらないようだ。
セインさんの目にも光るものがある。
「…ありがとうね、タクトくん。君が読み解いてくれなかったら、あのふたりは一生子供を作る事が出来なかったと思うよ」
「え?」
ファイラスさんにそう言われて、そんなにも人生を神典に、神々の言葉に縛られているのかと衝撃を受けた。
そうか、『結ばるるのちに厄災の魔力満ちて』は子供が生まれたから厄災の魔力が満ちた、とされていたのか。
全部、訳そう。
神典三冊、全部。
神話のすべても正しく訳す。
「ぜんぶ、俺が、全部訳します。何もかもすべて、正しく書き上げます」
もう、極大魔法が甦るとか気にするもんか。
全部完璧に書き上げてやる。
そう宣言した俺をセインさんは涙ながらに抱きしめ、小さな声で、ありがとうこれで解放される、と呟いた。