第104話 秘蔵書
俺が躓いたのは、床の窪みだった。
どうやら、秘密部屋への扉を開ける起動スイッチのようだ。
ここを踏みながらだと、本棚が動かせる仕組みになっているみたいだ。
ひとりでは、おそらく踏んだまま本棚を動かすことはできないだろう。
俺みたいに粗忽なやつが躓いて踏み抜き、本棚に激突したりしない限りは……
いかにも後から付けました的な扉と階段の先にあったのは、まるで洞窟を刳り抜いたような部屋だった。
もしかしたらこの地下室が、教会建設時に見つかったのではないだろうか。
それで、教会が建ったあとに折角だから利用しよう……ということで階段と扉を付けたのかもしれない。
壁は一応平らではあるが岩のままだし、床との境目などは小石がゴロゴロしている。
本棚が壁にくっついておらず、部屋中央に二列で配置されている。
壁に付けるよりは、この方がマシっていう程度でしかない保管環境だ。
この部屋の本は五十冊に満たない程度であり、もの凄く古いようで迂闊に触れない。
もしかしたら教会の闇の部分が書かれているとか、この国の隠された歴史とかだったりして……
ワクワクドキドキしながら、本の補修をするために汚れを落とし、ボロボロになった羊皮紙に【強化魔法】をかけ、文字が薄くなっている部分の色を復活させて、完璧に修復したのである。
「あれ、普通に神典だ」
他の物も魔法のこととか技能のこととか……なんだ、古くなって閲覧に耐えられなくなった本の置き場だったのか。
まぁ……修復できたのはよかったよね。うん。
でもここの本は上のより古いから、この部屋でしか読まない方がいいよな。
この部屋も、綺麗にしておこう。
灯りも調節して、空調も完備……っと。
そーだ、いちいちあの本棚ずらすの大変だから、ここに転移目標書いておこう。
実は転移魔法は、距離によって魔力消費が変わるということが判明したのだ。
この上の階からこの部屋の距離なら、二百以下の魔力しか使わないで異動できる。
上の階にも書いておかないと、出るのが大変だな。
何冊か読んでいく中で、上にはなかった魔法が書いてある本を見つけた。
「黄魔法と、白魔法や聖魔法も載ってる! これ、希少魔法の専門書だ」
うわ、じっくり読みたい!
でも……ここのは古いからって貸してはもらえないかも……複製……しちゃおうかな?
俺は罪悪感を抱きながらも、秘密の部屋の面白そうな本を数冊、いや十数冊、複製してコレクションにしまった。
……絶対に売ったりしないと誓います。
御免なさい、神様。
上の司書室に上がり、転移目標を書いてから俺はエラリエル神官に挨拶をして帰ることにした。
「あれ? 本は持って行かなくていいの?」
「はい。不注意で汚しちゃったりしたらと思うと、ちょっと怖くなっちゃったんで止めておきます」
「あはは、賢明だね。あそこの本、滅茶苦茶高いからねぇ」
そーなのか。
そーなんだよな。
うん、絶対に売らないから!
家に帰ると、もうすぐ昼食時でお客さんが増え始めていた。
慌てて母さんの手伝いに入る。
そして今日のスイーツタイムのお菓子を作りながらも、俺は早く持ってきた本が読みたくてうずうずしていた。
だが、そんな時に限って厄介事が起こったりするのである。
「タクトというのは君かね?」
なんだか高そうな服を着た商人風のおっさんが、食堂に入るなり食事をするでもなく俺に詰め寄ってきた。
「……ここは食堂だよ。食べないの?」
「君を捜していたんだよ。話がしたいんだが」
「断る。名乗りもしない礼儀知らずと話す時間なんかない」
おっさんは明らかにムッとした顔をしたのだが、周りのお客さん達からも視線を向けられ慌てて席について食事を注文した。
俺は普通に……というか、普通以上におっさんを無視しつつ、昼時の混雑をこなしていった。
嫌な感じのおっさんだ。
最近、この『嫌な感じ』が当たることが多くてうんざりしている。
食べ終わったおっさんは、今度こそはと俺に話しかけてくるが態とスルーする。
俺ってイジワルだなー。
「いい加減にしろ! 態々おまえに話を持ってきてやってるというのに無視するな!」
「聞きたくもない話を持ってこられても、迷惑なだけだから」
て、なんの話か知らないけどねー。
「こんな店で働かなくてもいいようになるんだぞ」
「ほぅ……俺の家のことを『こんな店』扱いかよ? ムカつくなぁ……」
「え……?」
「食べ終わったら早く出てって。待っている人がいるんだから迷惑だよ」
どうしてこういう、攻略対象の下調べ不足なやつが多いのかねぇ。
自分を優秀だと思っていたり、絶対に優位だと思い込んでるやつほど相手を知らない馬鹿ばっかりだ。
ばつが悪くなったのか、そのおっさんは俺を睨みながら出て行った。
もう来んな。
スイーツタイムも終わり、店は一旦休憩時間だ。
表に『準備中』の札を下げ、食堂側の扉を閉める。
そして工房側の扉だけを開けて、俺は父さんのいる工房の方へ移った。
暫くして……あのおっさんと、もうひとり入ってきた。
「さっきはうちの者がすまなかったねぇ、タクトくん。私はスポトレムという者だ」
「どのようなご用件で?」
「うちで働いて欲しいんだよ」
「絶対に嫌です」
間髪を入れずに答えた俺に、吃驚したような顔をしている。
「おまえ……解っているのか? スポトレム商会だぞ! 王都で一番の!」
あのおっさんが信じられないというように捲し立てるが、王都で一番だろうと世界で一番だろうと、お断りである。
「いやいや、シュリィイーレではあまり商売をしていないから知らないのだろう」
「ちっ、田舎者が……」
もー絶対、何がなんでも、笑顔のひとつもくれてやらねーぞ。
「君が受けた魔法師試験、うちの商会で監修したものがあってねぇ。君は最も素晴らしい成績だったのだよ」
「そうですか」
「だから、うちで働くべき資格のある者だと思ってね。王都でも、君ならば一番の魔法師になれる」
うっわー、余計なお世話満載だなー。
「勿論、君も王都で働きたいだろう?」
「いいえ。王都なんてなんの魅力もありませんね」
ふたりは即答した俺に、またも信じられないという顔で固まった。
本当にこいつら、自分たちの価値観がサイコーとか思っているんだろうな。
「お話がそれだけなら、帰ってもらえませんか? 俺は絶対に、何があってもあなたの所で働く気なんてありませんから」
「……君だって、他の魔法師や錬成師に負けないものが作りたいと思うだろう?」
「物作りに勝ち負けなんてありませんよ」
「強がりもいい加減にしないと人生、損をするよ?」
バカかこいつら?
全ての人間が、損得だけで動くわけじゃねぇだろうが。
じゃ、損得ベースの答えをしてやろう。
「あなたの言い分の方が、俺にとっては大損だと思うので、お断りしています」
おっと、あのおっさんのほうがキレる寸前って感じだな。
スポトレムがそれを制止して、引っ込めたけど。
流石、商会の代表だけあって冷静だね。
「君は……この燈火を知っているかね?」
知ってるよ。
こいつはうちで改良する前の、アーメルサス製白熱電球燈火だ。
「これと同じものか、それ以上のものを作れるようになりたいと思わんかね?」
あ、こいつもただ単に情報不足なだけだ。
駄目だ、笑っちゃう。
「あんた達……全然、なんにも知らないんだな? この燈火の改良版が、シュリィイーレで既に作られているんだぜ? 簡単に作れるに決まってるじゃないか」
「馬鹿なっ! これはアーメルサスのもので、独自魔法が使われているんだぞ!」
「ほら、これだろ?」
俺は、工房に置いてあった俺が作った燈火を出して見せた。
コデルロさんは貴族相手に受注発注でしか作成していないから、こいつらは知らないのだろう。
でもシュリィイーレでは、数軒の店でコデルロ商会のオーダーものの簡易バージョンが売られている。
錆山坑道へ持っていくための燈火として、大変人気なのだ。
つまり、シュリィイーレでは既に一般的な燈火のひとつというわけだ。
だが、俺との契約で、他の町では全く流通させていない。
「やっぱり王都なんて、全然価値がないな。さぁ、帰ってくれ」
「こ、この燈火は……どこで……」
「コデルロ商会の工房がこの町にあるよ。そこで聞けば?」
「コデルロだと……っ! くそっ!」
ふたりはあたふたと出て行った。
この後コデルロ商会の工房に行って、がっつり落ち込むがいい。
「……なんだったんだ、あいつら?」
父さんが呆れたように呟く。
どうやら、やりとりを全部見ていたみたいだ。
「さぁね? バカなだけだろ」
「それにしても、あの時の試験に噛んでいたのが、スポトラム商会だったとはな」
「王都で有名なの?」
「そうだな、昔はいい物を作っていた。最近代替わりしてからは、ろくな職人がいなくて信用が落ちてきている」
なるほど。
それで【加工魔法】の使い手を青田買いすべく、魔法師試験の監修なんてものをやっているのか。
関わりたくない所の名前が判明したのは、よかったかもしれないな。
まったく、俺の貴重な時間を、くだらない三流のお笑いで潰さないで欲しいぜ。