第四話 契約成立
「見たことのない魔物だな、サプライズ知ってるか?」
『私も初めて見ますね。大陸中央だと、こんな魔物が出てくるのでしょうか』
ミオがその声に気がついて視線を上に向ける。
視界に写ったのは、気が抜けたような顔に余り整えられていない黒髪。安っぽい武器と防具を装備した一人の青年。左腕のブレスレットからは変わらず生意気そうな女性の声色をした使い魔の声が聞こえてくる。ミオがギルドで出会ったあの青年、ベルフ・ロングランがそこにいた。
『所詮ベルフ様の敵ではないでしょう、さっさと倒しちまいましょうぜ』
「そうだな、じゃあこの前の続きから始めるか」
ベルフが前に出ると、ミオを庇う形になった。
倒れ伏しているミオを背に守る形となったベルフの後ろ姿にミオは冒険者としてのあるべき姿を見た気がする。
英雄譚にある勇者とお姫様のような気分をミオが味わっていると、ベルフが話しかけてきた。
「さて、この前の続きだ。俺を雇う気はあるか? 報酬はこの前も言ったようにお前達の全財産と生殺与奪から諸々含めて全部でいいぞ」
ベルフがそう話しかけてくると、ミオは自身の甘い考えが間違っていたことに気がついた。
「……助けてくださるのでは?」
「だから助けてやるぞ、俺を雇えばな」
魔物達がベルフ達の周りをぐるぐると周りだした。前後左右、どこからでも襲いかかってやるからなという威圧感をミオに大きく与えている。
『まさかとは思いますが、ただで助けてもらえるなんて思ってたわけじゃありませんよね。出すもん出さなきゃ、こっちだって助ける気は起きませんよ。むしろ、出してくれれば助けてあげるだけ優しいと思いませんか? 裏切られた直後だとよーく理解できるでしょう?』
魔物達の包囲の輪が次第に狭まってくる。
ベルフと魔物、両者は敵味方の間柄でありながらミオにプレッシャーを与えるという点については見事な連携を決め込んでいた。
「んー、なんか急に昼寝したくなってきたな。街に戻るかサプライズ」
『昨日は7時間12分しか寝ていませんからね。8時間睡眠を旨とするベルフ様の御身体が悲鳴を上げているのかも知れません。すぐに街へと戻り睡眠を取りましょう』
人間にとって睡眠とは大事なものである。それが普段よりも48分も短かったとなれば体の一大事だ。早く不足分の睡眠時間を補給する為にお布団の中で快眠を貪りたい。ベルフはそういう事をミオに対して主張しているのだ。
ベルフは剣を鞘にしまうと、踵を返して立ち去ろうとする。その動きに合わせて三体の魔物がミオに視線を向けてきたのもセットである。
ベルフと魔物、二つの災厄に挟まれたミオは脳内で思考を張り巡らせる。人生で一番とも言える集中力をミオは発揮するが、どうしても打開策が思いつかない。ベルフに頼んで人生を食い物にされるか、魔物に襲われて文字通り物理的に食べ物にされるか、その二つの内のどちらかしかなかった。
ミオが悩んでいたのはほんの数秒だった。だが、その数秒はとても長い、自身の人生がどういう形で終わるかの究極の選択だからだ。
ミオはゆっくり目を開けると、あらゆる感情を押し殺しながら言った。
「ベルフさんを雇います……」
「よしわかった!!」
『じゃあ行きますか!!』
ベルフが魔物と相対する。目の前にいる魔物二匹がベルフに立ち向かう格好だ。
「ん、一匹いなくなってるな」
そうつぶやいたベルフの斜め後ろに、魔物が一匹潜んでいた。バカみたいなやり取りをしている間に、ベルフ達の死角に潜り込んでいたのだ。
その魔物が口を大きく開けると、虎やヒョウが飛びかかるような姿勢でベルフめがけて襲いかかってきた。
『まあ私は気がついてましたけどね』
サプライズがそう言うと、魔物の体に無数の氷の槍が突き刺さった。サプライズの発動させた魔法である。
使い魔とは総じて特殊な力を持っているものであり、サプライズの場合はベルフの体内から魔力を使ってこうして魔法を発動させることができるのだ。
魔法の槍に貫かれた魔物が倒れて痙攣していると、ベルフが剣でその魔物の頭を突き刺した。
「残り二匹」
仲間がやられた事に怒った魔物が一匹、正面からベルフに突進してきた。衝突までのタイミングを図ってベルフがそれに合わせて剣を振るうと、魔物の体を上下に両断させる。それは傍で見ているミオが感心するほどに上手く決まっていた、ミオの中でベルフの評価が少し上がる程にはだ。
ベルフが、残った魔物に目を向ける。
「残り一匹」
その言葉に合わせて、相手の魔物はこちらの間合いに入らないように完全な逃げの体制になっていた。そのまま少しばかしにらみ合いが続くと、魔物は逃げ出してしまった。
『逃げ足は凄まじく早いですね』
「だなあ」
ひとしきり場が落ち着くと、ミオが自分の状態を確認する。
まだ衣服のいくらかき千切れているし、細かいキズはあるが、ミオには大きな怪我は見受けられなかった。
魔物がいなくなったことも確認すると、ミオが頭を下げた。
「助けてくださってありがとうございますベルフさん、サプライズさん」
「うむ」
『いい態度ですよ下僕一号』
下僕一号、なんか新しい名前がミオに付いていた。
「それでなんですけど、先程の取引についてなのですが……」
『おや、まさか約束を反故にするとか言わないですよねえ。そんな事言ったら、私やベルフ様が悲しみの余り貴女の村に何するかわかりませんよお』
その声を聞いたミオにはわかった、約束を反故にすればマジで何をしてくるのかわからないと。
とりあえず自身の気持ちを落ち着かせながらミオは話を続ける。
「いえ、そうではなくて、そもそも私は預けられた金銭の範囲内でしか契約できる権利がないので、ベルフさん達が提示している範囲まで勝手に決めることができないのです。村人全部の生命から財産まで全部を決める権利は私にありません」
「ほう」
当たり前の話だ。ミオが託されたのはあくまでも金銭で払える範囲での権限である。生命やら人権やらまで村人からは託されていない。ベルフの要求は最初から達成不可能なのだ。
『それを何とかするのが貴女の役目なんですよ下僕一号。約束なんてものは自身が不利になった時点で反故にするのが当然のものですが、相手がベルフ様であれば違います。自身の全人生を賭けて達成しなければいけないものなのです』
諭すような声色でサプライズが言ってきたが、ミオ自身は何も諭される気はなかった。だって無理なんだもん。
「ですから私ができる範囲としては、私自身の財産や生命までなら支払うことができます。それでよければ正式に契約を成立しませんか」
どっちにしても、ここで契約できなければミオは一人残されることになる。そうなれば先程逃げた魔物が襲ってくる可能性も高く、どっちみちミオはベルフを護衛に雇うしかなかった。
「ふーん、じゃあそれでいいや」
『正気ですかベルフ様!! こんな小娘一人程度で契約を成立させる等とは……おらそこの女、ベルフ様の寛大な心に感謝して相応の態度を示せや。ベルフ様を称える歌の一つや二つ歌ってみせんかい!!』
サプライズからの戯言は無視すると、ミオは幾らか話を詰めることにした。
「それでベルフさん、私はこれからどうなるのでしょうか。村まで護衛はしてくださるのですか」
「お、そうだな、とりあえず行ってみるか」
『ベルフハウスの下見ってわけですね。どんな家なのか興味がありますよ』
いつの間にかミオの生家がベルフハウスという名前に変わっていた。ミオもそれには気がついていたが、もうなんか全部どうでもいいやってことでスルーしておく。
そうして、なんやかんやと話し合いが行われた結果、ベルフ達はミオの住んでいるラズ村まで行く事になった。