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玖 ~ b ~

「地下四百五十メートルか」


 古民家の内装めいた、吹き抜けのような、茅葺(かやぶき)の天井裏を見上げて呟く。

 HUDには、地表との距離を示す点が表示され、現地点は海抜三百四十二メートルほどとなっている。自分とユカリ、ランとサクラ、チカとムツミの六人は、現在地球bに建設した、現地の調査拠点となる地下居住施設にいる。

 お昼を食べたら行くと言ったユカリの言葉通り。昼食の後、皆は装備を軽く整えて、どこでも(ふすま)をくぐってこの居住施設の玄関口にやって来た。早速HUDから施設MAPを照らし合わせて、間取りなどを確認してみる。土間のようになっている玄関には、ダイニングテーブルが置かれ、「「靴のままくつろげる」」とか駄洒落めいた事をチカとムツミが言っていた。

 その土間より七十センチくらい高くなったところには、板張りの居間があり、広さは八畳程で、中央には自在鉤(じざいかぎ)のついた囲炉裏がある。玄関口を背にして右手方向の奥側は、引き戸一枚を隔てて土間と同じ高さの台所があり、さらにその奥は風呂場へと続いていた。

 反対側の左手となる方には、壁代わりの戸を隔てて部屋が三つ用意され、寝室などにあてがわれているらしい。引き戸は、窓に当たる部分に細い角材が幾本も縦に張られた重厚な格子戸となっており、全ての戸を端に寄せれば、居間と隣室が繋がって広い空間にできる。床や柱、建具に至るまで、木製の部分は皆黒光りするほどの(つや)を放ち、空気はどことなく燻されたような匂いに満ちていた。圧倒的に“農家の屋敷”じみた雰囲気を目の当たりにし、懐かしい気分になる。


「この設備は自信作だってメイが言ってたわ。流石私の妹ね~。よくできてるじゃない」


 自分の肩の上にいるユカリは、かなり贔屓目で評価しているようだ。だが、彼女の言う通り、この建物は(おもむき)があって素晴らしいと思う。


「社とは違って庶民的と言うか。なんだか郷愁のようなものを誘うのが不思議ですわね」


 ランは回転するように建物内を見回して、造形などをつぶさに観察しているようだ。


「言ったら地味だけど~、落ち着きがない場所よりは断然いいかな~。あとお風呂が広くて、ご飯が美味しくて~、晴兄(はるにい)がいればいいや。まぁあたしは晴兄(はるにい)だけいれば野宿でも文句無いけどね」


 バチバチとウインクを飛ばして、野性味あふれる意見を口にしたサクラは、風呂場をみてくると言って台所の方へ歩いて行った。ランも彼女の後をついて行き、すりガラスの(はま)った引き戸の向こうへ消えて行く。座標ログによれば、チカとムツミはとうに台所回りの調査へ向かっていたようで、駄洒落を言っていた辺りから場所を移していたようだ。


「なら俺らは反対側の部屋でも見に行くかね」

「うん!」


 そう言って居間に上がると、肩上のユカリは何やら嬉しそうに頭にしがみ付く。


格子戸を開いて敷居を跨ぐと、そこは十畳の部屋になっていて、さらに左手方向にも同じ部屋が並んでいた。ふたつの部屋は、開け放たれた(ふすま)で仕切られ、奥側の右手にも更に(ふすま)があり、もう一つ部屋があるようだ。奥まで移動してそこを開くと、その向こう側も同じ畳の十畳間となっており、正面の壁には何かを祭るための祭壇めいた棚が(しつら)えられている。

 棚の上には、金糸の房が四隅についた分厚い朱色の小さな座布団が置かれ、その上には招き猫があった。わけではなくて、招き猫のように顔を洗っているチビが鎮座していた。てっきり社の炬燵(こたつ)で寝ていると思っていたのに。こんな所までやって来たチビは、入念に前足を舐め、幾度も顔を(こす)っている。


「あ、はるちゃん。いらっしゃい。まちくたびれたよ」


 声を掛けてきたチビは、毛づくろいを切り上げてジャンプの体勢をとったため、胸元で手を広げて足場を確保する。と同時にチビは棚から飛び出し、腕の上に着地した。


「『あ、はるちゃん』じゃないよ。どうしてここにチビがいるのさ。ああ、どうやって来たのかって話じゃなくて」

「向こうで寝てたんじゃなかったのね? リエが寂しがらないかしら」


 チビに用向きをたずね、ユカリはリエの心配をしつつ、人の頭上にチビを乗せて頬ずりでもしているようだ。


「うん。ネコはきまぐれなので、きょうみほんいであちこちはいかいするの。はるちゃんはよくしってるとおもうけど」

「そっか。何となく来ただけってことな」


 頭の上から垂れ下がっているしましまの尻尾を鼻の下に挟んで、チビの気まぐれな弁を聞くと、それは大体いつもの行動パターンだった。


「で、どうするの? チビはずっといるの?」

「ううん。ネコはときどきかえったり、またきたりするとおもうのね」


 曰く。「行動範囲が広がったので、適度にうろうろするのでよろしくね」。ちょっと大きめのキジトラにゃんこはそう言っていて、これもいつものことだ。その間も、ユカリはチビの体に頬ずりをしているらしく、頭上からは抜け落ちた体毛がフワフワと視界内へ降ってきた。ずっと喉を鳴らしているチビも、このスキンシップを楽しんでいるらしい。

 チビを連れて居間に戻ると、囲炉裏端には全員がそろっていて、有難いことにお茶の用意がされていた。ユカリを板の間へ降ろし、自分も空いている座布団の上に腰を下ろす。彼女を降ろすとき、チビはユカリの手の中に納まっていて、自分が座ると、チビを抱いたまま胡坐(あぐら)の上に乗った。

 目の前には、囲炉裏の縁へ置かれた湯飲みがあり、今入れましたと言わんばかりに熱いそれをいただくと、馴染み深い味がしてほっとする。幅二十センチほどの木枠で囲われている囲炉裏は、一畳ほどの面積があり、中央に横長の五徳が据えられている。その上に乗せられた鉄瓶の口から、ゆるゆると湯気が上がっていた。

 こちらも社と同様冬の設定となっているので、囲炉裏にくべられている炭火はありがたかったが、部屋はがらんと解放されているため見た目ほど温かくはない。しかもよく見てみれば、炭火かと思われたものは炭火のように赤熱する何かで、実体は炭ですらなかった。HUDから正体を確かめると、グラファイトを誘導加熱によって赤熱させているようだ。まさかのIH暖房機。坩堝(るつぼ)でもあるまいし……。


「チカとムツミが居てくれると、こういう何気ないひと時が充実するから本当にありがたいね。いつもありがとう」


 囲炉裏の長辺部分に座っている自分の両側には、ふたりが控えるように座っている。そんなふたりへ日ごろの謝意も込めて、頭を撫で繰り回しながらお礼の言葉をかけた。

 対面にはランとサクラが並んで座っていて、ランは少し頬を膨らませて自分を見ているが、これは多分ユカリのポジショニングのせいだろう。サクラの方は、いつものマイペースぶりを発揮しており、(かたわ)らにある茶請けの篭から干し芋を引っ張り出しては、囲炉裏で丁寧に炙りながら食べていた。


「さて、調査についての話を始めよう。まず何からするべきか」


 膝の上で、炙り干し芋を貪り食っているユカリへ今後の予定を聞く。


「ちょ、ユカリ(ねえ)! なんであたしの干し芋持ってってるんだよ~っ!」

「なんでって、ほど良く焼けていたからよ?」

「あほか~っ! 大事に面倒見てたのに! かえせよ~も~っ!」


話題の干し芋は、サクラが丹精込めて育てていた物だったようだ。


囲炉裏の向こう側では非難囂々(ひなんごうごう)のサクラが、駄々っ子のようにひっくり返って暴れている。

(さと)いランは、ユカリやサクラからの盗難被害を避けるために、五徳から早々に自分の干し芋を退避させていた。これにより、隣の自転車のサドルを奪うようなサクラの転嫁行動も、見事に封じられることとなった。しょ~もないなあ。


「暫くは、ここを中心として山岳部方向を除外した半径百四十キロメートルの範囲を重点調査するわ。理由は、ここから北東に進むと大体今言った距離の位置に、割と大きな街があるの。詳細はローカルリンクで共有した調査資料を見るといいわ。なので、まずはその街を含めた現地人の生活圏共々、UFの活動がないか調査を行うつもりよ」


 暴れるサクラには目もくれず、淡々とユカリは話を進める。酷い姉だなあ。


 資料によれば、そこは現地語で“キトア”と呼ばれている人口三万九千人程度の都市らしく、面積が八十八平方キロ程の“キトア湖”と呼ばれる塩湖に張り付くる形で、街が形成されている。この湖は、元々入り江だった場所が、地殻変動により長い年月をかけて海から隔絶されてできた湖だ。現在の海岸線は、遥か北方へ数百キロ後退してしまっている。地場産業は、塩湖から産出する塩が主だったものらしいが、温泉などもあり、観光資源にも恵まれているとか。探査機による上空探査で得られた情報では、そうなっていた。

 詳細な生活様式などについてはまだ調査中だが、言語の解析は完了しているので、完全な翻訳によるコミュニケーションが可能だと、丸文字でメイの注釈が入っている。一見お堅そうな彼女も、ちゃんと女の子しているようで安心した。中身はゴリゴリの――いや、それはこの際関係ないか。


「これ読むとちょっと街に行ってみたい気になるな……。外を歩くときは位相移替偽装か現地人に成りすますかだけど、言葉が通じるなら直接話を聞いた方が分かる事も多いだろうし」

「もちろんその方法も視野に入れているわよ。でも今日は駄目ね。少なくとも明日の朝までは探査機の情報待ちだから我慢ね」

「そりゃもちろん。すべては明日以降だからな」


 UFの確認や、痕跡の調査が予定範囲を満たすまでは、待機と決めている。相手の能力がはっきりとしない内にやたらと動くのは得策でないし。今日は大人しくしておくのが吉だろう。

 話の最中、ずっとユカリが食べている干し芋が美味そうなので、自分もランに干し芋を取ってもらおうとした。けれど、横のムツミが芋をあぶりつつ、いつもの無表情でこちらを見ていたので、また欲求を読まれて持て成されてしまうようだ。


「ムツミさんや、いつもいつもすまないねえ」

「それは言わない約束でしょう、晴一おじいちゃんさん」


 ムツミが自分のボケに乗ってくれるレアケース。こういうサービスは嬉しいが、さか〇クンさんみたいな呼び方はちと引っ掛かる。


 五徳の上に放られた芋に、ユカリの熱い視線が突き刺さったとき、頃合いだった芋は素早く回収され、小さな皿に乗せてチカが寄こしてくれた。有難く礼を述べながらそれを受け取り、熱さに手をバタつかせて、ほどよい大きさに千切ってから口の中へ放り込む。黄金色(こがねいろ)をした干し芋は、適度な焦げ具合に、香ばしさとねっとりとした口当たりがあり、濃厚な甘さが口の中で絡み合う絶品だった。炙られる事で、干し芋はその持ち味を一層引き出されているため、とても美味(うま)い。

 夢中で食べていると、すぐに芋は半分くらいになってしまった。食べている間、ずっとユカリが動きを追っていたので、芋を口元へ近付けるてみる。すろと迷うことなく食らいつき、幸せそうな表情で咀嚼(そしゃく)をはじめた。

 そこで突然スマホが震えたので、ポッケから取り出して画面を見る。そこには会社からの番号が通知されていた。あまりいい気持ちはしなかったが、諦めて通話アイコンをスワイプする。

「あ~もしもし? (つつみ)さんの携帯でしょうか?」


 聞きなれた声の相手は吉村部長だった。


電話の向こうでは、やけに畏まった口調で部長が自分の応答を窺っていた。こういう時は、大抵何か頼み事があってかけて来ているはずだ。ちょっとやだなあ……。


「ただいま堤は外出しておりまして」

「あ、外出中? ごめんね~」

「いえまぁ。外は外なんですが、ほぼ家にいるようなもんですから。それで、どうしたんですか?」

「いや実はね――」


 案の定仕事の話だ。


 部長が言うには、以前組んだPLCプログラマブル・ロジック・コントローラーのラダーを、別の装置用に少し直せないかという話だった。

 部長は、以前別の機種用に自分が組んだものを新規開発中の産機に転用したいらしく、ソフト部門の方からも打診があったと言っている。


「えー。俺休みなのにですか~? え~……」

「だってツナちゃんがさ、つつみんに言った方が早いって言うんだもん」


 部長がツナと呼ぶのは、同期入社の綱川(つなかわ)という男で、仕事は早いし色々器用にこなす人材だ。いかんせん、こいつが面倒くさがりで、他にできる人間がいる仕事は上司の指示にもNOを突き付けるという、中々に尖ったところがある。


「あはは。言うでしょうねやつは。まぁ……いいですよ。旅行中ですけど、今暇ですし。ツナの言う通り俺がやった方が早いでしょうし」


 人の組んだラダーでも、やつなら現物で何とかしてしまうだろう。自分は時間のあるときに別途コメントなどの資料を残しているので、ツナでなくとも基礎知識がある人なら、それを見てもらえば何とかなるはずだ。


「え~? 旅行してんの? どこにいるの? 風俗行った?」

「内緒で遠い所にいますけど、風俗には行ってないですよ。」

「まじで?」

「ええマジで」

「嘘でしょ?」

「嘘じゃないですって」


 部長はやけに食い下がり、女の気配がするとか適当な事を言っている。あまり付き合うのも面倒なので、とっとと要件を済ませてほしかった。


「もう、そういうのいいですから。それでどうすればいいんです?」


 やたらと風俗話へ持っていきたがる部長を()なして、作業の内容を聞いてみると、会社のサーバーに置いてある件のファイルを、VPN(仮想専用線)経由で修正してほしいとの事だった。

一応家からは、私物のノートPCを持って来ているし、私費で買ったツール類も入ってはいるけれど。これは機密保持の観点で言えば“ガバガバナンス”な懸案だと思い、念のため苦言を呈してみる。


「手元にPCはありますけど、私物のPCに会社の資産を預けるのはどうなんですかね~? 持ち出し機じゃないんですよこのPCは。まぁ大したデータじゃないですけども、一応コレも機密になるんじゃないですか?」

「そりゃ承知してるけど大丈夫。責任は俺が持つし。つつみんの事信用してるし」


 なあなあである。


 実際勤めている会社の規模は小さいし、従業員数も五十人足らずしかいない。そんな少人数のためか、あってはいけないことだけれど、緩い部分もあるのは分かっている。でもそれを率先して利用するのは、やはり気が引ける。しかし今回は、信頼する上司が責任を持つと言っているし、これは間違いなく社長も知っている案件だろう。

それでも本当は駄目だけれど、世話になっている人から真摯にお願いされてしまっては、やはり折れずにはいられなかった。


「分かりましたよ。やりますようも~。で、次は報酬についてですが……」


 仕方なく引き受けると、部長は電話の向こうで大喜びしていた。どうもかなり困っていたっぽい。


「カミさんの実家が寿司屋だって話したことあったっけ?」

「ええ。以前聞いたことありますね」

「今度おごるからさ、食べ放題で」

「う~ん。まぁそういう事なら速やかに対処致しましょう」

「よかった! それで悪いんだけど、二日の期限で頼めるかな? 新規の方の仕様も一応同じ場所に置いといたから、なんかあったら電話して頂戴。俺はつつみんの電話なら真夜中でも出るから。じゃあほんと申し訳ないけど、お願いします」

「はいはい~。なるはやでやっときます~。ではでは」


 会社の上司と部下のやり取りにしては、かなり馴れ馴れしい口調だが、うちの上司は砕けた性格なので、体裁にはあまりこだわらない人間だ。多少ずるい所もあるけど、有能かつ根はいい人でもあり、公の場以外ではいつもこんな感じである。

 電話を切った後軽くため息をつき、ちょっと温くなったお茶を飲んで、仕事モードへの切り替えをするために気合を入れなおす。見れば、皆が自分に注目しているので、何事かと聞いてみた。


「電話で話す晴一くんの顔が、全然見た事の無い表情でしたので……」

「喋り方とかも違うしね~。へんな感じの晴兄(はるにい)だったな~」


 ランとサクラは、どうやら珍しいものを見たと言っているようだ。自分を変だというサクラはいつも通り笑っているが、ランの方はやや放心したようにぼ~っとしている。


「で、誰なのよ。電話の相手は。かなり親しそうだったけど、家族の誰かってわけではなさそうだったわよね?」

「「大変気になります」」


 ユカリはすました風だが、落ち着かない視線で見上げている。チカとムツミは視線こそ合わせてこないものの、意識は全力でこちらへ傾けているようだった。


「そだな。いまの相手は会社の部長でね。凄い美人な直属の上司だよ」


 皆を少しからかってみようと部長の性別を偽り、虚偽の説明をした途端、場の空気は一変して刺々しいものになる。


「「「凄い美人……」」」

「「綺麗所」」

「ヒェッ!」


 姉妹間による嫉妬の比ではない暴力のような念の塊が、囲炉裏の周りに渦巻きはじめた……。ような気がした。


ランなどは体の周りにコロナ放電を起こし、帯電した囲炉裏の灰が浮遊して周囲を舞っている。サクラは張り付けたような笑顔でこちらを睨み、なぜか立て膝に構えていた。喉元が痛いと思えば、ユカリのアホ毛が妖怪レーダーの如く直立し、突き刺さっている始末だ。

 そんな中でも、チカとムツミは静かに座っているが、激怒した時のヨリが放つ怒気のような“圧”を持っており、チビなどはいつの間にか姿を消していた。だめだ。この娘たち怖すぎる。

 軽い気持ちでついた嘘が獅子を呼び覚まし、深刻な危機に晒される結果となってしまったようだ。命の危険を自分の何かが囁き出したこともあり、早々にこの嘘を撤回して、身の安全を確保する。


「……部長が凄い美人だと言ったな? あれは嘘だ」


 そう言った途端、彼女たちが発していたオーラ(ちから)は半減した。


さらに、証拠とばかりにスマホに入っている社員旅行の写真から部長の姿を提示すると、居間の空気は一瞬で元の状態へと戻る。

皆へ見せた画面には、太いズワイガニの足にかぶりつく、汚い中年男性のデカい顔が映っていた。

場の空気が落ち着いたためか、いずこかへ姿を消していたチビも、のそのそとユカリの膝へ帰って来る。


「なんですのもう。冗談でしたのね。晴一くんの意地悪!」

「まーあたしは嘘だって知ってたけどねー。あはは」


 嘘をつくな。


 ホッとしたようにランは胸に手を当てて、飛び散った灰を物理保護領域で片づけ始め、サクラは、にこやかな笑顔でバレバレの嘘を言っている。

ユカリは終始何も言わずに座っていたが、今のアホ毛はのの字を書いていて、チカとムツミは目を閉じたまま薄い笑みを浮かべ、変わらず静かに座っていた。身内以外の女性が絡むと、この子たちの態度は恐ろしいまでに豹変することがわかったため、金輪際こういった嘘をつくのは止めようと心に誓う……。


「ふぅ……。これは会社の旅行で行った北海道で蟹食ってたときの写真だけど、今見るとほんと汚えな。ま、そんな感じで急に仕事が入ったもんで、ちょっと片さなきゃならないからさ」


 上司の写真を見て汚いとか酷いことを言っているが、汚いものは汚いので汚い。


 汚い写真を閉じてからポケットにスマホをしまって、膝上のユカリに場所を開けてもらい、収納エリアからノートPCを展開して、会社のサーバーに接続する。部長に指定されたディレクトリを覗いて、まず仕様を確認した。内容的には大した手間でもない改修だったので、鼻歌交じりにデータを落とし、作業を開始する。画面を注視してキーボードを操作していると、皆が自分の背後に集まりだし、興味深そうに作業風景を眺めはじめる。


「ふぅん。シンボリックでわかりやすいけど、迂遠で冗長ね。もっとハードから統合して、設計情報から実体構成を作れる仕組みにすればいいのに」


 ユカリが早速批評を開始してつまらなそうな事を言っているが、時折グレアなモニターに反射して見える表情は、思いのほか楽しそうだ。


「ラダーの概念もかなり古いからな。ハード含みの統合開発環境も確かに合理的でいいと思う。けどないものねだりしてもしゃーないしな」

「お絵描きみたいですわね」

「うん。まあこれは殆ど回路図みたいなもんだし」


 最近のPLCは、高水準言語が使える物もあるが、今後も暫くラダーは残るだろうと思う。動作も直感的に分かりやすいし、ハードに精通しているならば、論理符号を頭の中で物理回路に置き換えて、電気的な構造自体の設計を変更することもできる。そして、それは可逆的に対応できるため、割と柔軟性もあるのだ。

 そんなつまらない作業の蘊蓄(うんちく)を垂れ流している間も、皆は自分の話へ真摯(しんし)に耳を傾けていた。こんな話を黙って聞いていることが楽しいとは思えないし、普通の女子なら、とっくに飽きてスマホでも(いじ)り始めているだろう。しかしこの子たちからは、そのような気配を微塵にも感じない。自分に向けられた好意がそうさせるのか、(ある)いは純粋な知的好奇心からくるものか。それは分からないが、彼女たちのそんな様子は面白くもあり、また嬉しくもあった。

 それにしても、今日は調子がいいせいか、作業がありえないほど早く進んでいる。今回の規模だと、普段なら三~四時間程度の工数が掛かるはずなのだが、気づけば二十分ほどで作業が完了してしまっていた。何だろうこの異様な速度は……。しかもデバッグレスで一発動作しているし。不気味だ。


「なあユカリ。HUDとか使ってなくても恐ろしく作業性がいいんだけど、これってもしかして……」

「そうよ。ナノマシンで脳機能も大幅に底上げされてるから便利でしょう? さらに言えば、そのローテク端末を脳の片隅に取り込む事だってできるわよ」

「まじか……。てか、ローテク言うなよ。まだ新しいんだぞこれ。そりゃ要塞惑星のテクノロジーからすればおもちゃ以下かも知れんけど……」


 背中から()し掛かり、いつもの自慢げな態度で、ユカリがナノマシンの凄さをアピールしてくる。脳機能の底上げと聞いて、SF作品の電脳化という単語を思い出したが、感覚的にはそのものといったようなものだけど、その強化範囲は全身に及ぶため、その比ではないはずだ。


「やっぱ人間やめている気がしてくるよぅ」


 そもそも人間の定義もよく分からないので、距離感もあやふやであるが。


「まいいや。これでユカリたちの力になれるんだから、こまけぇことはどうでもいい。何より、もう仕事が終わって超嬉しい!」


 改修されたラダーデータをサーバーへアップロードして、完了報告メールを部長に送りつけ、PCを閉じると、それは勝手に収納空間に格納されて虚空に消えた。自分としては夕飯時くらいまで時間が掛ると思っていたため、途端に手持無沙汰となってしまう。

 背後にいた皆も解散して元の位置へ戻り、必然的にユカリも胡坐(あぐら)の上に戻ってくるが、ランはまた渋面(しぶつら)を向けていた。

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