漆 ~ 薄い見た目に濃い中身 ~
BL。それは危険な不発弾。
ページが進めば、リスクが上がる。
翌朝。朝食後のお茶を飲んでいるとき、ヨリとユカリが昨晩の話について議論をはじめた。昨夜のふたりの様子では、相当拗れる物と思われたが、時間を空けて冷静な状態で臨んだおかげか。互いの道理に沿った話を進めてゆき、いい落とし所を見つけて決着がついたようだ。結局のところ現地の状況が確実に判明し、ある程度の安全が見込めるなら、ヨリも現地に赴くということで合意に至ったようだ。
ふたりが話し合っている間、自分と残りの子たちで選出したメンバーは、自分とユカリ、ランとサクラ、チカとムツミの六人となり、現地に拠点を設けて活動するという基本方針も決まった。それから、いくつかの注意事項もここで取り決めておくことにする。
・現地では慎重に調査を行い、基本的には隠密行動を主体とすること。
・現地の文化や文明へ干渉せず、抗争などへ安易な介入はしないこと。
・何らかの脅威に遭遇した場合、極力戦闘は回避し、その場から速やかな退避を行うこと。
・それらの事象を避ける事が不可能と判断される場合に限り、現地人や件の勢力に認知されないよう対策をしたうえで対処を行うこと。
・なによりも、自身と仲間の安全をすべてに於いて最優先すること。
当面は、この五項目に沿った行動を心掛けて活動することを皆で確認した。そして当該惑星の呼称を地球bと命名し、秘匿名称bとすることとなった。誰や何に対する秘匿なのかと言われると良く分からないのだが、これは短縮呼称としての意味合いが強いので、今後はただbと呼ぶことになるだろう。
「合言葉はbee」
懐かしい記憶がよみがえり、何となくそんな言葉が口をつく。
「突然なによ?」
「いや。何となく言いたかった」
探査機で調査を行っているメイによると、今日の午後にはそれなりにまとまった報告ができるという。彼女も情報処理という本領を、遺憾なく発揮しているようだった。上手くすれば、明日くらいにはbへ降下することができるかもしれない。
同じ人工進化によって、別の惑星で発生した人類種が見られるということに、嫌でも期待が高まってしまう。ただリスクもあるため、遠足気分は排除しておくべきだろう。
そんなことを考えていた矢先。台所預かりの四人が、現地での食事や、食材の調達方法などについて楽しそうに話を始めていた。
「緩い! ちょっとは現地の危険度にも目を向けて?」
これから、正体不明の敵と思しき勢力が駐留する未知の惑星に赴いて、シビアな調査活動に挑もうとしているのに。皆には全く危機感などが感じられず、不安が募る。こんなんで本当に大丈夫なのだろうか。
「晴一さんは心配性ですねえ? 大丈夫ですよ。私たちをどうにかできるような相手なんてそうそう居ませんから~」
「そのどうにかできそうな連中が集っている場所へ、これから乗り込もうとしているんだよなあ。自覚は無いのかね」
アイは、自信たっぷりに自分は負けないアピールをしているが、その様子を見たヨリは苦笑している。チカとムツミはいつも通りの無表情で、何を考えているのか分からないが、もしかすると現地の料理文化に対する興味で高揚しているのかもしれない。でもこのふたりを連れ歩くことはないと思うので、その夢はかなわないかもしれない。
「警戒すべき事はあるけど、今のところ対処不能な脅威は確認されてないのも確かね?」
そう言ってユカリが向けた視線の先で、メイが小さく頷く。
「はい、姉さんの言う通りです」
静かな口調でメイはユカリに同調していた。
「さしあたってはそうかもしれないが。またどこか吹っ飛ばされたりするのは勘弁してほしいからさ……」
何らかの脅威に対して言及するたびに、あの時の事を思い出すようになってしまった。と言っても多少時間をおいているので、当時ほどの恐怖は無いのだが。だからといって痛い目に合うのは当然嫌なので、慎重にいきたい。
「心配なさらなくても、晴一くんの事はわたくしが絶対守りますから、安心してくださいましね?」
「それを言ったらあたしだっているんだしー。大船に乗ったつもり? って感じでいいんじゃないの?」
ランとサクラが頼もしい事を言ってくれてはいるが、男としては可愛らしい女の子に守ってあげるなんて言われると、複雑な気分になってしまう。
外見は普通の女の子でも、人知を超えた力を持つ彼女たちだ。どんな男だろうと生身では絶対にかなう相手ではないことも、良く分かってはいる。それでも、自分の身を心から案じてくれる彼女たちの気持ちは、素直にありがたかった。
「そうだな。ふたりがいてくれりゃあ間違いなく心強い」
「私どもも随伴致しますので、お力になれるかと存じますが」
「至れり尽くせりで御座いますれば、晴一様は幸せ者では?」
それは間違いなく、チカとムツミが居れば至れり尽くせりではあるが、少々押しつけがましい物言いな気もする。わざとだろうけれど。
「うん。そうだね幸せ者だね」
そんなふたりの言葉を流すように、敢えて自分は気のない返事を返す。
「「ややぞんざいな物言いでは御座いませんでしょうか?」」
「いえいえ、決してそんなことは御座いませんってば。ふふふ」
チカとムツミは、不満があるのか無いのか分からない表情で、自分のそっけない態度へぼやきを返しているが、間違いなくこの掛け合いを楽しんでいる。恐らくこれは、不安からネガティブになった自分に対する彼女たちなりの配慮なのだろう。
「大体私も一緒に行くんだから大丈夫でしょ。大幅に性能が強化されたこの体の実地試験にも丁度いいわ」
ここまで静観していたユカリも、消極的な自分の態度に苦言を呈す。
ユカリの言う通り。今のインターフェースボディになったことで、相当強化されているだろうし、自分も以前より遥かに能力は向上しているので、ある程度安心できる要素があるのも確かである。
ならば、ここは皆の言う通り、大船に乗ったつもりで構えておこう。
◆ ◆ ◆ ◆
さて、残るは情報収集解析区画の見学ツアーだが、メイは忙しそうだし、声を掛けるのは気が引ける。なので、ひとりで出かけることにする。
メイの担当するこの区画も、他の区画と何ら変わった点はなく。格納プール室から、奥へ伸びる通路を行く順路となっている。唯一異なる部分と言えば、“至並列型集合演算機室”と書かれた案内表示が掲げられているくらいだろうか。しかし、通路を抜けた先はそうでもなかった。
兵装格納区画とほぼ同じ面積を持つ室内の床に、薄青い障壁が展開されていて、その下には、製氷皿のように細かく区分けされた升が並んでいる。升の中は、量子脳格納プールのように純水で満たされており、灰色をした板状の物体が林立している。整然と並ぶ灰色の板は、一見放熱板のようにも見えるが、よく観察すると一枚一枚が鏡のように磨き上げられていた。
升の四方は五十センチ、深さは百センチとHUDは示しており、“並列型集合演算機”と装置名が表示されている。この一枚一枚が演算処理装置になっているようで、一升四十五枚で一ユニットを構成しているらしい。ユニット総数は、横に百、縦に四十の計四千個となっているが、十升置きに一升だけ、赤い蓋のような物がはまっていた。注釈の詳細を見ると、それは“主記憶装置管理ユニット”と書かれていた。これはメモリコントローラーとでも言うべきものだろうか。注釈には、“分岐迂回統合制御構成子”とあるが……。
「ほうほう。シミュレーターなんかで使いそうな――繰り返し演算が必要な用途に特化したっぽい設備だな。これでどれだけの能力があるのやら」
「物理現象を演算に利用した計算装置ですから、理論上、法則に従って言えば無限に近いですね」
「うわぁっ!」
いきなり背後で声がしたと思えば、そこにはメイが立っており、すまし顔でこちらを見ていた。故意ではないにしても、ここの子らは突然意識外からやってきては、自分を脅かしてくることが多い気がする。低い稼働音らしき唸りだけが響く無機質な空間で、多少の不気味さを感じていた事も手伝い、メイの唐突な出現には相当びっくりさせられた。
「なんで皆して俺を脅かすの……。もしかしてこの間の怪談を根に持ってたりする?」
いつぞやの寝入り端に話した怪談の件を彼女にたずねてみるも、そういったことはないようで、単なる偶然だと言っている。
「驚かせてすみません」
「あ。うん。大丈夫」
「堤さんがこちらにいらっしゃるとシステム通知を受けたので、様子を見に来ました」
「そういえばリエも言ってたなあ。担当区画の環境センサー情報は常時モニターしているとかなんとか」
保守管理区画を訪ねた際に、彼女もすぐに現れていつものタックルを入れてきた。各担当AIの皆には、そういった機能が備わっているようだ。
「なんか悪いな。間接的にしろ呼び付けたみたいになっちゃってさ。メイも忙しいだろうに……」
これまた言ってからまずいと気づいた。
メイが進めている執筆内容については、追々話していこうと決めたばかりだというのに。そこですかさずbについての探査作業の件を思い出し、そちらの話題へシフトする。
「あの、あれだよ! 勤勉なメイの事だから、bの探査の方も大変なんじゃないかな~……とね?」
「堤さんはBLをどう思いますか?」
「ははは、いやだなあ。メイのBL作品じゃなくてbの話をしぬあぁぁんだってぇぇっ!!!」
メイの発した言葉に、先ほど背後から声を掛けられた時などより、はるかに大きな衝撃を受け、思わず声を張り上げてしまう。デリケートな話題かと思って、徐々に外堀から埋めて行こうとしていたはずが、よもや彼女の方から先に核心を突く言葉を貰ってしまうとは。まさかの出来事に、つい目を閉じて口をつぐんでしまった。
「堤さん?」
「ん゛~ん゛~」
「あの……」
変な音を出しながら、話を進めてもいいものかと悩んでしまう。
けれど、メイの方から話を振ってくるのなら、自分の気遣いは取り越し苦労だったかもしれないし。覚悟を決めて彼女の話に乗ることにした。
「はい堤です。大丈夫です。ええと、BLについての話だね。率直な意見を述べれば、BLというジャンル自体には基本的に興味はないよ。俺はノーマルな人間だから。だからといって、茶化したりするようなことはしないよ? 真っ当な個人の趣味は尊重されるべきだと思っているし」
真っ当と言って差し支えないかの判断は、自分には出来そうにないけど。
「そうですか」
メイは感情をあまり表に出さない子だ。従って、自分の回答を聞いても特に表情を変えた様子はなく、正直何を考えているのかもよく分からなかった。
「昨日の午前中に私が庭園の茶室で何をしていたか。堤さんはご存じですよね?」
あのとき、自分が仲居ヨリの視界を利用して覗いていた事を、メイは知っていた。
情報収集解析担当AIである私に対して諜報活動を行うとは大胆だと、メイからお褒めの言葉を貰ったが、同時に方法が杜撰過ぎるとのダメ出しも受けてしまう。メイに隠し事はできそうにない。今後は持って回るようなことは止めよう。
「情報戦は私の専業ですし、回りくどい事をせずとも直接聞いて頂ければ」
「いやいや。だって、言いにくいかも知れないじゃない? 結果的には取り越し苦労でよかったけどさ。でも、本来こういうことは大っぴらに話しにくいと思うよ?」
「お心遣いありがとうございます。でも、私はこの趣味を隠すつもりはありませんよ?」
むしろ積極的に広めて行きたいとも言っている。
そこからの彼女は饒舌で、イラストコミュニケーションサイトや、DL販売サイトにもイラストや漫画をアップしていること。ブログでBL考察エッセイを公開していることなどを、やや早口で語っていた。驚くべきことに、ブログの来訪者数は毎日五千PVを越えており、熱烈なファンを大量に抱えているのだとか。
最近出した新刊は、格闘技の手合わせをしている兄貴同士が、いつの間にか寝技にもつれ込み、そのまま流れで大まぐわいに発展……。という内容の物らしく、週刊ジャンル別DLランキングでも、一位になったなどと豪語している。凄い。けど……。
「んん? 格闘技の手合わせ中に……大まぐわい?」
「はい。大まぐわい」
「格闘技?」
「はい。格闘技」
「ほほう。実に興味深い……」
「ではご覧になりますか!!」
ちがう、そうじゃない。そうじゃないんだ。
普段彼女から向けられていた熱い視線の正体は、悲しいけれど思っていた通り、自分をネタにするための観察眼だった。さらに、“兄貴同士”という所に引っかかったので、こちらへ自慢げに広げられているメイのコンソールへ目をやる。そこには、自分とそっくりに描かれた全裸の野郎キャラと、サクラを男にしたような顔立ちのイケメンキャラが、やはり裸で描かれ、くんつほぐれつしていた。
半透過コンソールの向こう側では、メイがやけにぎらついた眼光を自分へ向けている。
「う……うわぁ~んユカリえも~ん!」
限界を感じた自分はすぐにオープン回線でユカリを呼び出し、末妹が大変な事になっているという緊急救助要請を発信する。そうして待つこと数秒。格納プール室の方から駆け足でやって来たユカリは、いまだに広げられたままになっているメイの作品を目撃し、顔を両手で覆ってしゃがみ込んでしまう。小さく背中を丸めてしゃがんでいるその姿は、まんまかごめかごめで囲まれる鬼役のようだ。
これはいけないと思い、自分はユカリの傍らに膝をつき、彼女の背中をさすりながら声を掛ける。ユカリは首を横に振るばかりで、その場を動かない。やがて、ユカリの応援要請を受けたランが駆け込んできて、やはりメイのBL漫画を目撃してしまう。だがランは、その内容に興味津々で、食い入るようにして次々と頁をめくると、数秒で読破してしまった。その後何やらメイに耳打ちをし、それに答えるようにメイは親指を立てたかと思うと、ランへ不敵な笑みを向けるのだった。
そこでようやくユカリが回復の兆しを見せ、顔の両手をはなして、メイへ力のない視線を向ける。
「ねえメイ……。私もあなたの趣味をとやかく言うつもりは無いわ。でも、その絵はちょっと刺激が強すぎると思うのよ。だからね、ヨリやリエにはできるだけ見せてほしくないのだけど……。このお願いの意味はわかるかしら?」
自分に肩を支えられて、よろよろと立ち上がったユカリは、メイへ向けてその強烈なリーサルウェポンをみだりに見せびらかさないで欲しいと請願した。特に純真なヨリとリエの身を案じている彼女は、切実な表情をしている。
「すみませんユカリ姉さん。これは公開前の無修正原稿なので、皆に見せる時はちゃんと修正を入れますから、安心してください」
「違うぞメイ。そういう事じゃあないんだ。修正を入れても入れなくても、その漫画の内容自体が問題だとユカリは言っているんだよ……」
小首をかしげているメイは、本気で何が問題なのか分からないといった様子だった。
その後、彼女は自分に構図や体位が問題ならば修正すると、大幅にずれた妥協案を提示して来たため、本気で対処に困ってしまう。
ランはランで、今まで出版された既刊の方まで読み漁っている始末だし。しかも読み終えた後は、自分へ向けて艶っぽい視線を向けてくねくねしている……。メイの描いた一冊のBL誌が、ここまで皆のメンタルへ深刻な影響を与えるなどと、誰が予想し得ただろうか。
収拾のつかなくなってしまった現場へ、またしても一人の人物が現れた。犠牲者として現れたのは、あろうことかユカリが最も慮っていたヨリだった。ヨチム組のスニークスキルのようなものを、無自覚に身につけてしまっている彼女の接近に気づいた者は一人もおらず、皆が気づいた時には既にメイの毒牙にかかってしまっていた。
ところが、そこで不思議な事が起こった。初め、メイの無修正新刊を読破したヨリは、顔を赤らめるなどして、ごく在り来たりな反応を見せていた。かと思えば声を掛ける間もなく、メイの手を取りいそいそと部屋を出て行ってしまう。この場に残された自分たちは、ふたりが出て行った格納プール前室への通路を眺めて呆然とするしかなかった。
ややあって。ふたりが戻って来ると、メイはがっくりと肩を落としており、ヨリに背中を擦られながらこちらへやって来る。何事かと皆で顔を見合わせていると、メイは徐に自分たちの前で立ち止まり、頭を下げて謝辞を述べた。
「堤さん、ユカリ姉さん、ごめんなさい。ヨリ姉さんの言う通り、私が非常識でした」
「「えっ!!」」
これは……。一体何があった。
ついさっきまで、BL本を見せびらかして危険な毒を振りまいていたメイが、自らの行為を恥じて、縮こまるように頭を下げている。この短時間に、一体どのような心境の変化があったのか、皆目見当がつかない。そこで、何が起きたのかをヨリへたずねたが、彼女はヒミツですとにこやかに言うだけで、教えてはくれなかった。ならば、記憶共有ならわかるかもとユカリに聞いてみたが、メイは部分的に記憶を閉じており、それはヨリも同様で真相は分からなかった。
自分の権限ならば、メイに対して強権執行をすれば、洗いざらい話してもらう事は可能だ。でも、大切な家族に対してそんな非人道的な真似ができるはずもなく。結局、この件は墓まで持って行くようなことなのだろうと思うことにして、ユカリを宥め、場を収めた。