陸 ~ 便りが有るのは不穏な知らせ ~
「ナノマシンて凄いな。サクラ背負ってても疲れないし、腰にも来ないぞ」
「そのあたしが重いみたいな言い方酷くない?」
「でも言うほど軽くも無いからな?」
でかい赤ん坊を背負ったまま部屋に入り、だんだん重たくなって来たサクラを降ろそうとする。が、ここでも彼女は必死にしがみつき、永住権を寄こせなどとわけの分からないことを言って、引き剥がされまいと首へ腕を掛けてきた。
「ちょ! くるしいって!」
体勢がよくなかった事も手伝い、バランスを崩した自分は後方へと倒れ込んでしまう。
不運にも立っていた場所が壁際だったために、勢い余ったサクラの後頭部が京壁へ激突し、下地の漆喰を突き破って鼻の下辺りまで突き刺さった。その衝撃でサクラの力が緩んだため、絡みを解いて後ろを見ると、引っ掛かって抜けない頭をゴリゴリ言わせ、ガニ股パンツ丸出しで暴れる彼女の情けない姿が目に入る。
「ちょぉ~っ! 耳が引っ掛かって抜けないぃ。晴兄助けてへぇ~」
もがくサクラの頭部付近から剥がれた壁材が、壁際の畳に小さな山を作っている。
「え? 何これ面白い……」
素直な感想が口を突く。
ここで振り返ったユカリは一瞬目を丸くしたが、すぐに眉を寄せめて顰め面に変わった。
「ちょっと何やってんのよあんたら……ってあ~あもう。壊すんじゃないわよ!」
「お~。サクラちゃんが壁から生えてるのですよ~」
あきれ顔のユカリはサクラを叱りつけ、リエは壁に刺さった哀れな妹の姿を何故か興奮したように眺めている。そこへ慌てたようにやってきたランが、絞められていた自分の首周りの心配をしてくれた。
「晴一くん大丈夫ですの!? ああこんなに赤くなって。 もうっ、サクラ!」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。ナノマシンも入ってるし」
自分の身を案じてくれたランへ礼を言い、大事ないことを伝えると、壁に刺さったまま足をじたばたさせているサクラを睨みつけて、ランは脇腹を掴んで彼女を引っ張り出そうとする。かと思いきや、思い切りくすぐりだした。
瞬間、サクラは悲鳴にも似た笑い声をあげ、腹筋全開で壁を引き裂きながら、頭を穴から抜き出した。同時に、甚大な破壊を受けた壁の破片は、散弾のような勢いで室内へ散らばり、飛散する破片の軌道上にあった物品はすべて損壊され、広範囲な二次災害を引き起こす。
「ひゃぁ!」
脇腹をくすぐっていたランが、サクラの引き起こした惨事に驚いて、可愛い悲鳴を上げる。彼女の足元には、くすぐり攻撃で倒れたサクラがダンゴムシのように丸まり、腹を抱えて笑い転げていた。
「あーあ。サクラ、これ全部あんたが直しなさいよ?」
炬燵に正座をしてこちらに背中を向けたままのユカリが、両手で湯飲みを抱えて静かにサクラを叱責する。
サクラが刺さっていた壁は抉られるように破壊され、大きな長穴が形成されていた。ちょっとじゃれ合っていただけのはずが、思いがけない惨事をひき起こし、酷い有様となった室内を見たサクラも、珍しくひきつった笑顔を見せている。
「いや~……。あたしは壊すのは得意だけど、直すのはちょっとねえ。リエ姉にも手伝ってほしーかな~。なんて?」
などと満面の笑みでリエに助力を求めるサクラ。
「ぼくは――」
「駄目よ。サクラがひとりで直すの」
リエからは色好い返事が聞けそうだった一方、ユカリから即NGが飛び出し、またひきつった笑顔に戻る。すると今度は、自分へ縋る様な目を向けてきた。しかし、ユカリはこちらにも睨みを利かせてくる。
「はぁ。ま、得手不得手というのもあるわね。不得意な分野を一任するのも酷だから、リエのアドバイスまでは良しとするわ」
「いや俺も手伝うよ。これはふたりでしでかした事だからさ」
「わたくしもお手伝いしますわ。くすぐったわたくしにも非があるわけですし……」
ランは余計な事をせずに、真面目に助ければよかったと肩を落としている。
どちらかと言えば自分は被害者であるが、膝を抱えてしょげているサクラを見ると可愛そうになってしまい、ユカリへさらなる妥協案を提示する。その申し入れに彼女は頬を膨らませて、あからさまに不満の表情を露にした。その目には、ある種憤りの意思が込められていたが、普段一番甘やかされているという自覚が少なからずあるためか、それは口にせず、やきもきしているようだ。そんな可愛らしい彼女の態度に、にんまりと笑顔を返し、一緒にやろうとサクラの肩を叩いた。
「では~、ぼくははる様を手伝いますですね。それならばいいですか、ユカリねえ様?」
「またそうやって皆で。リエのそれは屁理屈って言うのよ?」
「う~、やっぱりだめですか~」
リエはしょんぼりしてしまい、ユカリへ上目遣いな目を向ける。
「はぁ。も~勝手になさい」
納得の行かないユカリも、リエにねだられてはひとたまりもないようで。プイと前を向いて静かになってしまう。ピンと背筋を伸ばして座る彼女の背中からは、もやもやとした不満のオーラが滲み出ていた。最近はユカリも大人になってきたので、こんな事を引きずりはしないだろうけど、後で何かご機嫌を取るようフォローは入れておくべきか。
「はい、じゃあこのままじゃ飯も食えんからな。ちゃっちゃとやっちゃおうぜ。俺は破片とか片づけるから、リエとランとサクラはその辺の修復を頼むよ」
早速社のシステムを呼び出して、居間を構成する構造体のナノマシンを活性化させる。
HUDから散らばっているすべての瓦礫に選択を掛け、分解回収の作業を登録すれば、後はシステム側が勝手に処理してくれる。物陰に落ちた破片にも、透過走査で範囲指定を行い、社へ処理を回そうとしたが、ユカリが障害判定となっていた。そこで機嫌取りついでに彼女を炬燵から引っ張り出し、お姫様抱っこをする。ユカリはむくれ顔で見返してくるが、その割には腕をきちんと首へ回し、体勢を保持していた。そんな彼女へ笑みを返し、速やかに片づけを進めていく。
ユカリを引っ張り出した炬燵布団の隙間からは、ちゃっかり内部に退避していたチビが顔を出し、転がっている破片の匂いをひと嗅ぎしてから中へ引っ込んだ。
「なんでしれっと抱っこしてるの」
「ありゃ。おんぶのがよかったかね」
「も~。そういう事じゃなくて」
二、三言文句は出たが、ユカリの機嫌は完全に直ったようだ。部屋がこんな状態なので、片手間対応なのは許してほしい。
壁や建具の損壊を修復していた三人の作業も大方終わり、こちらも瓦礫は片付いたので、ユカリを元の場所へ戻す。
次に、卓上に付いた傷を直そうと思ったところ、ユカリが手のひらで撫でるようにして、片っ端から傷や穴を消しはじめた。皆には厳しい事を言ってはいたが、結局手を貸してしまっている姿を微笑ましく見ていると、こちらへ一瞬目を合わせてからそっぽを向く。気づけば、まだ三人の手が届いていない個所も奇麗に直っているので、ユカリが関与しているのは明らかだ。
「やっぱユカリも妹には甘いよな」
「仕方ないでしょ。早くしないとご飯が来ちゃうもの」
澄まし顔ではあるが赤面しているので、それが照れ隠しのための言葉だということは隠せていない。
照れているユカリから、さっさと片付けるようサクラは発破をかけられ、大急ぎで残りの破損個所を修復し、ほどなく後始末は完了した。
「なんかもう室内の造りも時間軸固定構造体にしたほうがいいんじゃないか……」
こんな事はそうそう起こらないとは思うが、物が壊れにくいに越した事は無いはずなので、思い付きの提案をユカリに具申してみる。
「だめよ。あれは生活空間に取り入れると環境が悪くなるの。人の生活の匂いや温かみが一切感じられない部屋でなんて暮らしたくはないでしょう?」
「あ~環境悪化ってそういう。確かに鉄板やらコンクリートむき出しみたいな部屋は嫌だな」
イメージ的には、そんな味気ないものになるという事だった。どれだけ長い時間そこにあろうとも、永久に周囲に馴染む事はない味気ない構造体。それと比べれば、きっとコンクリート打ちっぱなしの部屋の方が余程ましだろう。実際そういうデザインの建物もあるし。
「この部屋が脆すぎるんだよ~ユカリ姉~。可憐な少女がちょ~っとぶつかったくらいで壊れるとかさ~。どんだけひ弱よ」
「私たちが可憐なのは殆ど見た目だけでしょう? ……自分で言ってなんだけど凄く悲しくなるわね。それにサクラ、あんたはちょっとガサツが過ぎるわよ」
まさかユカリの口からそんな自虐的な言葉が出るとは驚いた。そうして自虐した挙句消沈した彼女は、サクラへ苦言を呈しつつ卓上に伏せて奇妙な唸り声をあげている。
「何言ってんだ。中身だって可愛いもんじゃないか。今だってそうして凹んでるし」
卓上に乗っている頭を軽くなでると、横目でこちらを見ていた顔がニヤリと緩む。その表情から察するに、まんまと乗せられてしまった感もあるが、まあいいだろう。
「はいはーい。皆さんお待ちかねの晩御飯が用意できましたよ~。おいしそうですねえ。早く食べたいですね~」
そのとき、アイの賑やかな声が室内に響く。
彼女の声を聴いた皆も、夕飯がやって来る前に室内が片付いて安堵しているようだ。すると膳を運んできたヨリが、自分の近くまでやって来て意味深な笑顔を見せたため、四人は部屋が片付くまで待機していたらしい事がわかった。
「そういう事か~。なんだかな~」
「「むふふ」」
彼女らの完璧なチームワークに舌を巻いていると、チカとムツミも笑みを浮かべている。見透かすようなふたりの様子に突っ込みを入れるのは悔しいので、精一杯の苦笑を返す。
やがて、カフェからメイが戻って来るのを合図にして夕食が始まると、皆に食べながら聞いてとユカリが声を掛ける。
「今から十分ほど前にトモエから連絡があって、銀河団内部に敵対勢力が侵入している疑いがあると伝えて来たわ。でも肝心な自分の所在は言って来ないのよね」
思いがけないユカリの発言に、和やかだった場の空気は一転して緊張を帯びたものとなり、皆は食事の手を止めてユカリへ注目する。そんな中、メイとアイは事前に情報共有していたようで、むしゃむしゃ食事を進めていた。
「まだ疑いがあるというだけだから」
要塞惑星が構築している銀河団は、銀河フィラメントの最長点で十数億光年の長さがあり、数千万の銀河と数千兆に及ぶ星々がひしめき合っている。そのため、何の手がかりも無しにここへ辿り着くのは、困難を極めるはずだ。それにこの惑星には、位相移替による偽装が施されている。そのため、こちらと同等の技術を用いても探査は困難であり、超空間ゲートを通らなければ内部に入ることもできない。逆を言えば、超空間側からの探査を掛けられればすぐさま発見されてしまうだろうが、それはそのような技術を持つ存在がいればの話だ。
「ではまだ安全ではあるんですね?」
やや落ち着かない様子のヨリが、ユカリに問いかける。
「全然大丈夫よ。だいぶ遠い位置にある宙域だから。兵力の展開や戦闘なんかも起きてないようだし。小規模な戦闘単位が確認されただけらしいわ」
「なにそれ楽しそう! あたし張り切っちゃうよ~」
ユカリの説明を聞いたヨリが胸をなでおろす一方、戦闘という単語を聞いたサクラは、テンション爆上げな様子。
騒がしくなったサクラへ、ランの説教が炸裂している傍ら、メイが遠慮がちに手をあげていたので、どうしたのかたずねる。
「どしたのメイ?」
「はい。ずっと調査していた戦術リンクから得られた情報なのですが。ユカリ姉さんの前身が、過去に飛ばしていた探査機の一部が問題の宙域付近にいる事が判明しまして。それによって得られた情報では、どうもその敵勢力というのは、人類勢と戦っていた二勢力とは少し違うようなんです」
メイは全員に共有を行って情報を提示する。示された情報は、敵らしき物の分布範囲を示す惑星系図と、検知範囲外から撮影された光学映像だったのだが、そこに映っていた物には俺も含めて皆驚愕していた。
当初の予想では、人類勢の兵器を転用した、いずれかの勢力の戦闘機械の名残だと思われていた。しかし実際はそうではなく、映し出されたそれら兵器群と思しき存在は、どれもが生物的外見をしていたのだ。生物的外見とは言ったが、地球上に実在するような生き物の姿ではない。単に、空想上の生物の外見に似ているだけの、敢えて言えばファンタジーやRPGに出て来るような、化け物じみた形をしていたのだ。
遠景のため、捉えられたほとんどの個体がシルエットでしかないが、それでも明らかに異質な姿であることは分かる。無数の触手が生えていたり、羽のようなものが生えていたり、角っぽい物があったり。レパートリー豊富なその影たちは、群れを形成し宇宙空間を自由に移動していた。
「それともう一つなのですが、この群体の近くには地球型の惑星があります。これはこの勢力の基地と言いますか、繁殖地と言いますか。何らかの拠点となっているようなのです。さらに、この星には文明が存在しているようです」
その地球型惑星は、人工進化計画の対象となった惑星らしく、計画によって進化した人類が、文明を築いているのではないかとメイは言っている。
詳細な地表の調査はまだ行っていないので、具体的な情報は少ないようだが、明らかに人の手で作られた建造物や、工事などで形成された地形などが存在しているようだ。
今は探査機の増援を送って、宙域の精細な調査をおこなっている最中だということで、情報がまとまり次第また報告を行うと言って、メイは話を締め括った。
「はい。というわけなので、事前調査が完了したらその惑星に降下するわよ」
「ええーっ!」
凄い久しぶりにヨリのソレを聞いた。
話の流れから、当然そうなる事は予想していたが、ヨリだけはそう思っていなかったらしい。そんなヨリに対して、ユカリは知っていたというように笑いかけ、ヨリは御留守番と早々に釘を刺してしまう。しかし、ヨリも素直に従うはずはなく、自分も行きたいと言い、それを皮切りにして、頑固なふたりは舌戦に突入した。
話はいつまで経っても平行線をたどり、このままではまとまらないだろうと思われたため、ふたりの頭に手を置いて宥めるように言う。
「おふたりさん。まずは飯を食べてしまいなさい。続きは明日になったらまた話し合おう。今日はもうあまり時間もないし。これは俺の持論だけど、夜に考え事をするのはあまりよくないからね」
根拠は特になく、これは自分だけの傾向なのかもしれないが、夜はなにかとネガティブな思考になりやすい気がする。何よりも夜は寝るものだ。
「そう、ね。わかったわ」
「はい。晴一さん」
「よしよし。いい子だなあふたりとも」
ヨリとユカリは自分の意見を素直に受け入れて、続きは明日へ持ち越されることになった。後はメイの調査結果を待って、問題の惑星へ行くメンバーを選出しなければなるまい。リスクが皆無でない以上、全員で行くわけにもいかないし。
当面の問題である夕飯を片付けながら、漠然とした方策を考える。