弐 ~ 旅行には違いない ~
昼も近くなり、そろそろ家の方に戻る頃合いなので、明日の朝からこっちに戻る旨を皆に伝えて、ひよこの間を出る。家に戻ると、狙ったかのように母が自室へやってきたため、そのニアミスぶりに少々焦ってしまった。とぼけ顔で応対すると、母は昼食をどうするか聞きに来たと言うので、食べると即答して一緒に階下へ降りる。まだ昼には少し早いのだが、母はすぐに食事の用意を始めていた。
座卓の下で伸びているコガネザワ君を撫でている間に準備は整ったようで、大して間を置かずに食事が運ばれて来る。皿にてんこ盛りになった焼きそばをもそもそと食べながら、翌日から少しの間単身で旅行に出る事を、キッチンで片づけをしている母に話した。のほほんとして大らかな性格の母は、自分の提案を特に深く考える事もなく、ふたつ返事で了承する。
「とりあえず二週間くらいぶらぶらしたら一回帰って来ようとは思ってるんだけど……。ずいぶんあっさりと承諾したんじゃない? ついこの前まで行方不明になってた息子が、突然旅に出ようと言うのに。何かもっとないんかい」
幾ら大らかな性格とはいえ、突発旅行などを安々と認めてよいのかと逆に心配になる。
「だって彼女さんと行くんでしょう? それに水を差す程野暮じゃないわよ。あっはっは」
「ちょっと何を言っているのか分からない」
「何言ってんのはこっちのセリフよ。先々週だっけ? 帰って来たとき何か女の子の匂いさせてたじゃない」
確か、先々週は向こうで二日ばかり過ごしている。
言われてみれば、帰宅の直前までランにしがみ付かれて、引き離すのが大変だったことを思い出した。その時の残り香だろうか。確かにランからはいい匂いがするが、香水の類をつけているほど強い芳香は放っていないはずなんだけど……。
これは女性特有の嗅覚というものだろうか。冷蔵庫にある残り物の匂い判定を自分などに振ってくる程度の嗅覚なのに。
「いや、マジで何のことだか分らんけど?」
「ええ? ホントに? 気のせいかね……」
まぁいいだろう。少し真面目な顔で否定しておけば、確証のないことで強く出るような母ではない。きっとすぐどうでもいい事だと忘れてしまうはず。そんな風に思っていると、こちらへやって来た母が、妹にも聞いてみるなどと雲行きの怪しい事を言いはじめる。やめなされ。
『おんなのかんはするどいのよはるちゃん。ネコははながよいのですぐわかるけどですが』
ナノマシンを適用された事により、常時確立されるようになった社思考リンクを通じて、チビが通信を送ってく。しかし、物理的な嗅覚と直感的な嗅覚を同列に扱うのは如何なものか。
「チビの言う事も半分くらいは分かるけども」
言い終えてからしまったと思う。
チビへ思考リンクで返すところを、うっかり言葉にして話してしまったのだ。まずいと思いつつ視線を上げれば、対面の母が怪訝な顔でこっちを見ている。
「どしたの急に? あんたチビと話してるの?」
「いやまさか。何となくチビがこっち見てたような気がして――」
言いながらキャットタワーを見ると、チビはそっぽを向いて寝たふりを決め込んでいた。
とぼけたしましまの背中へ恨めしい視線を送りつつ、それ以降は大盛りの焼きそばを平らげる事に専念し、自室へ引きこもるべくペースアップを図った。やや速足で昼食を終えた後は、逃げるようにして自室へ戻り、ノートPCを起ち上げてスカイポを起動する。約二か月ぶりにログインするアクティブなグループには、音信不通だった間に多量のログが溜まっている。スカイポでもハンドルネームを使っているので、身バレからの質問攻めこそないものの、ログの全てを追うのにはなかなか骨が折れる。
平日の昼間ということで、在席メンバーはまばらだった。二、三適当に挨拶を残してスカイポを閉じ、今度はメーラーを起動する。こちらも同じようにチェックしていくが、受信欄には通販サイトからの広告や、クレジット会社の返済通知が何通か届いている程度だ。一通り確認した後は、流れるようにゲームPCを起動して、長らく待たされていたVaultHunterなゲームの三作目をDL購入し、ストーリーモードをソロでじっくり楽しんだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「あ~……凄い久しぶりにゲームしたなあ。いや堪能したした」
目がしょぼしょぼするくらいがっつり遊んだため、時計は十九時くらいを指している。ちょうどそのとき、階下にいるチビから夕飯のお呼びがかかり、今夜はハヤシライスとシーザーサラダだと教えてくれた。チビへ返事を返して体を伸ばし、固まった肩を軽くほぐしながら階下へ降りる。茶の間へ入ると、親父と妹が帰宅しており、ふたりはもう晩酌を始めていた。
「おかえり。ふたりとも帰ってたんだ」
「おうただいま晴」
「ただいま晴ちゃん」
親父と妹に帰宅の挨拶を交わして自分の席へ座る。
ふと目を向けると、ふたりの膝元は見た目がそっくりな二匹の猫に占有されていた。父の胡坐にはコガネザワ君が陣取り、妹の膝上では、当然のようにチビがでろんと伸びている。
「見ての通りなんだけど、別に聞かなくてもいいよな。普通に受け入れてるし」
「ホント~、チビそっくりだねこのチビ」
などと妹がややメタな事を言う。まぁ実際本物のチビなのだから、チビに似ているのも無理はない。
「どこで拾って来たんだ?」
今度は親父が微妙に答えにくい質問をしてくるが、そういった話は全く考えていなかった。しかし適当な言い訳を思いついた自分は、平静を装い即興で嘘をつく。まったく悪いやつだ。
「国道沿いにでかいスーパーあるだろ? 買い物帰りにそこの駐車場ですり寄ってきてさ。首輪も無いし、離れてくれなかったんで連れてき来たんだよ。そんなもんだから、しばらくはあの近辺の様子見て、迷い猫の張り紙とか出ないか気を付けようと思ってるよ」
いつまで経ってもそんなものは出てきやしないだろうが、すらすらとこんな嘘が出てきたことには、我ながら感心してしまう。
「そうか。毛並みもいいし、誰かの飼い猫かもしれんしな」
そう言って親父はコガネザワ君を撫でると、彼はガラガラ声で「ん゛に゛ゃ~」と鳴いていた。子猫のときは可愛い声だったのに、成猫になったらこんなガラガラボイスになっちゃって。これはこれで可愛いから好きだけど。
「でもそうなったらちょっと寂しいねえ」
妹はそんなことを言いながら、姪と一緒にひっくり返っているチビの腹部を撫でている。
心配しなくても、そうはならないから安心しろと心の中でつぶやいて、サラダを自分の皿へ取り分ける。
自宅の夕食でも、お約束のようにお代わりをし過ぎて床でゴロゴロしてしまい、母から窘められるが、もはやお構いなしだ。どこにいようとこのライフスタイルを変えるつもりはない。
『はるちゃんはヨリちゃんにもおこられてるね』
『む、うるさいな。まったく猫みたいな顔して』
自分の腹の上で長い尻尾をくねらせ、余計な事を言っているチビの鼻をつまむと、彼女は目を閉じて頭を振った。このまま横になっていると本格的に寝てしまいそうなので、そうなる前に風呂に入って寝よう。
『俺はそろそろ風呂に入るけど、チビも入るか?』
とうことで、ついでにチビにも声を掛けてみる。
『はい。ネコもはいりたい』
『ん~、じゃあ用意するかね』
自分が起きるタイミングで床に降りたチビは、立ち上がる直前に肩に飛び上がって、自室までついてくる。そんな様子を見た親父と妹は、そこまで似るかと言いながら、肩の上のチビを凝視していた。
タオルやら着替えを持って風呂へ入り、チビのために洗面器へ湯を張って自分の頭や体を洗っていたとき、ふと見上げた棚の上に猫シャンプーがあるのが目に入った。頭や体をシャワーで流した後、チビへシャンプーを見せたら、洗ってほしいと言う。自分は洗面器からチビを取り上げて、シャンプーを手に出して体の隅々まで泡を立てる。
猫を洗うときによくやるのだが、自分はしっぽをしごいて泡をなじませる感触が好きなのだ。そこで何度も同じことを繰り返していたら、しっぽがはげると言われてしまった。流石にそんな事になってはたまらないので、適当なところで切り上げる。
シャンプーが残らないように、チビを洗面器へ入れて丁寧にすすぎ、体を撫で付けてある程度水分を落として浴室を出る。洗面所で毛を乾かし終える頃、チビがのどが渇いたと言うので、蛇口の水を手皿で受けて飲ませてやった。
そうしていると、やがて姪が歯を磨きにやってくる。洗面台が混雑するのもアレだし、チビの方も満足したようなので、部屋へ引き上げる事にした。
「何も考えずに部屋まで連れてきちゃったけど、俺の部屋で良かった? それとも誰か別の家族と寝る?」
「だいじょぶだよ。ネコはここがいちばんおちつくので」
ベッドの上に乗ったチビは、ふわふわになった体毛を念入りに繕っている。
時計は二十一時過ぎを指していたが、寝るには少し早い。ちょっとだけゲームをやろうかと思ったが、ベッドに座っていたら眠気が増したので、やはりここは寝ることにする。
『俺は寝るよチビ。戸は少し開けとくから』
アクロバティックな格好で、股座の辺りを舐めているチビに声を掛け、ベッドへ横になってからリモコンで明かりを消す。自室で寝るときは常夜灯を点けないので、照明を消した室内は真っ暗になった。目を閉じてしばらくすると、毛繕いを済ませたチビが枕元へ移動してきて、自分の頭の横で丸くなり眠りについたようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
翌朝十時ごろ。適当に手荷物を持ち、行ってきますと家族に告げて、駅方面へ向かう体で人気のない所へ行く。そこで再度、慎重に人目がないことを確認して、待機させている探査機と転送機のコンビを呼び出した。
実際には初めて見る地球の探査機も、哨戒機に似て魚っぽい形をしていた。前部にある半透明の風防内側には、特徴的な球体がふたつ並んでいて、まるで深海魚のデメニギスのような構造に見える。あまり見蕩れていて誰かに見つかるとまずいため、両機を偽装状態へ戻して、入り口だけが現れた転送機の中へ乗り込んだ。
転送は一瞬で完了し、無事虹の間の転送機へと到着する。すぐに社システムを呼び出し、どこでも襖直通となった虹の間の扉が開くと、到着したひよこの間にはいつもの面々が揃っていた。日課の朝の挨拶をしながら部屋の中に入ると、皆も返事を返してくれる。
「昨日も言ったかと思うけれど、二週間滞在したら二日くらい実家に帰って、残りの日数もこっちへ来るスケジュールになったから。よろしこ」
こちらの季節は冬設定だけど、実家の方は夏真っ盛りの八月。あまり頻繁にこちらとあちらを行き来していると、激しい寒暖差でそのうち病気になりはしまいか。そんな懸念が生まれる。年配の者ならば、場合によっては命も危ういかもしれない。いやだな~こわいな~。
少々寒々しい部屋の炬燵に入って、そんな事を考える。
「どうしました堤さん? 眉間に皺が寄ってますよ」
怪訝な顔でそう声を掛けてきたのはメイだった。
「いやさ。こう暑かったり寒かったり忙しいと、体調が悪くなりそうだなと思ったもんでね」
背中を丸めた爺むさい格好で、ヨリが用意してくれたカフェラテをすする。
濃厚な牛乳のコクとコーヒーの芳醇な香が、幸せなひと時をもたらしてくれた。幸すぎたためか、体が勝手にヨリの抱き寄せて頭へ頬ずりをしてしまう。
「体調不良になんてなるわけ無いでしょ。何のためのナノマシンだと思っているのよ」
ヨリをすりすりしていると、仕方なさそうな口調でユカリから駄目出しを受けてしまった。思い返せばそんな説明を聞いたような。聞かなかったような。
「そりゃそうなんだろうけど。人間の一般的な仕様だと、そうなると考えるのが普通なんだよう。それに俺は人間離れして日が浅いんだから仕方ないじゃないか」
「季節の変わり目などは体調を崩す人も多いですからね。気を付けないといけませんね」
経験があるといった様子で語るヨリの言葉には重みがあった。
実際それが元で召されてしまう年寄りは多いので、季節の変わり目は葬式が増えたりする。自分が中学の頃には、父方の爺さんもそんなタイミングで逝ってしまったし。
「晴兄~。暇だよ~。外で遊ぼうよ~」
「なんだよもう唐突だな」
見るからに退屈そうに炬燵へ肘をついているサクラが、そんな文句を言いながら落花生を親指ではじき、ジャグリングのように放って食べている。
「こら。食べ物で遊ぶなと俺に習わなかったのか」
「ええ!? ぜんぜん言われた事無いんですけど?」
「なんだと! 今初めて言ったんだぞ!」
「なんだそれ~あははは」
サクラは御満悦な様子。意外に受けが良かった。
お昼まではまだ時間もあるし、その後もなんだかんだとサクラがうるさいので、仕方なく彼女を伴って海岸へ向かう事にした。
部屋を出ると、何故かメイもついてきて不思議に思ったが、とくに声を掛けることもなく、社の外へ出る。玄関先でユカリセットを起動し、前置きなく岩屋の上を飛び越え、箱庭富士の山頂目指して駆け上った。ナノマシンを適用したお陰で、セットの身体機能強化のレスポンスは格段に良くなっていた。少しあからさまな操作性にはなっていたけれど、感覚で修正できる程度の誤差だったのは幸いだ。修正した感覚は戦闘支援AIの方で学習してくれるから、すぐ違和感もなくなるだろう。
山頂に着くと、そこには時間軸固定構造体化された、透明なテクタイトガラス製の慰霊碑が建てられており、内部には三次元記述による情報構造で、夥しい数の名前が記載されている。総数六百名近い名前が刻まれたこの慰霊碑は、過去に誘拐されてきた犠牲者らを追悼するため、少し前に皆で建立したものだ。以来、一日に一度必ずここへ来て線香をあげ、手を合わせるのが皆の日課となっている。
「なんだよもー。ここ来るつもりなら言ってよね~」
「ははは。すまんな。いつも行き当たりばったりで」
サクラは笑っていたが、何故かメイは無表情でこちらを見ている。
据え付けられている焼香台へ、収納から取り出した線香を置き、暫く手を合わせて冥福を祈る。サクラとメイのふたりも、自分に倣うように手を合わせ、日課を終えたところで山を下りた。
「さあはよう、晴兄はよう!」
「あ~も~わかったから引っ張るなってば」
辛抱堪らんといった様子のサクラに右手を掴まれ、ぐいぐいと海上へ引きずられて行く。
落ち着くようにサクラを宥め、百メートルほど沖に出た所で向き合うと、合図も無しに彼女は突っ込んで来た。どんだけ辛抱堪らなかったんだよ……。
「おいおい、いきなりだな」
「あっれぇ? 奇襲なのになんで避けるかな~」
彼女は驚いていたが、ユカリと今後の事を話していたときサクラは寝ていたので、自分がナノマシンの適用を受けていることは知らないようだった。そこでユカリセットのパラメーターを、自身のスペックアップへ追従できるよう設定し直し、運動能力を更に大きく向上させる。今回は、ユカリセット側のリミッターをすべて外し、ナノマシンの戦術支援AIに、全ての同期制御を割り当てるよう変更してみた。すると、今までとは段違いに体が動くようになり、サクラの動きにも簡単に追随できる。
「ああーっ! 晴兄なんかしてるでしょ!? さっきより格段に速くなってんじゃん! おかしーよっ!」
突如運動性能が向上したために、押し返されつつあるサクラが、異変に気付いて文句を言いだした。初めの余裕ある表情から一転して、あたふたと自分の攻撃を捌くサクラの姿は、かなり愉快なものだった。
『わははは。気のせいだぞ』
これまでは、使用者の都合に合わせた上限を設けていたユカリセットも、今や無制限に能力を開放され、現在の身体能力に合わせて大幅に強化されいる。単純に、従来の数十倍程度にまで設定された各種強化項目は、本気度を増しつつあるサクラの動きを追うように動的に上昇し続けていた。こうなると、肉声でのやり取りでは遅すぎるため、戦術リンクからの通信でやり取りをする。
やがて設定値は四十八倍ほどまで更新されたが、数値の上昇はそこで止まり、完璧にサクラの機動へ対処できるようになっていた。この値は、今の自分へ適用できる彼女の対処能力の上限値だと思われ、ここでようやくリアルでリミッターが効いていることがわかった。
『なるほど、サクラの上限値はここまでか』
『だーっ! やっぱおかしーよ! こんな早く強くなれるわけないもん! ズルだー!』
余裕は完全に消え失せ、サクラの動きは今やいっぱいいっぱいといった様子だ。
『ズルなんてしてないぞ? どさくさ紛れのサクラからうっかり襲われないために強くなっただけだ』
昨日も言っていたが、サクラは最近寝技へ持ち込もうとしている節があり、目つきも心なしかいやらしく見える。これは姉たちの影響なのか、或いはサクラが覚醒してしまったせいなのか。その原因は不明だが、襲われてしまう前にナノマシンによる強化が間に合って良かった。
ランとは違って、サクラは結構遠慮のない性格なので、本気になられると実力での回避しか手段が無くなるから、より危険な気がする。まあどこまで本気で攻めてくるかは分からないが、用心するに越したことはない。
『なんだよーっ! つまんないじゃん。押し倒せないじゃん!』
『こら。女の子がそういう事を軽々しく言うんじゃあない!』
そこで掴みに来たサクラの右手をかいくぐり、背後へ回って腰に腕を回し、渾身の力を込めたジャーマンスープレックスを繰り出して海面へ叩きつけた。
音速を遥かに超えた速度で割られた水面が、超巨大な水柱を吹き上げると共に、自分たちは仲良く海中へと没する。暫くして、海底をとぼとぼ歩いてきた自分たちは、徐々に浅くなる水深に合わせて海面に顔を出し、浜辺へ到着すると倒れるように寝転がった。
砂の上に寝たまま、物理保護領域の干渉を使って付着した海水を弾き飛ばし、全身を瞬時に乾燥させる。サクラも同じように水分を飛ばしていたが、制御が大雑把な彼女は砂諸共吹き飛ばしているためか、じわじわと砂浜へめり込んでゆく。
「サクラさっきまで寝てただろう? そん時にユカリからナノマシンの移植を受けたんだよ」
「あー。やっぱりズルしてるじゃんか~も~」
やめてよ人聞きが悪い。
「ズルではないぞ。あの場にいたのに寝てて話を聞いてなかったサクラが悪いんだ」
会話はログにもしっかり残っているが、サクラはあまりこまめに確認していないようだ。
「だって暇なんだもんしゃーないじゃん。晴兄がちゃんと遊んでくれれば眠気なんてふっとぶのにさ。怠慢だよ?」
怠慢という単語の意味を真剣に考えてしまうが、どう考えても自分に落ち度はなかった。さも当然のような顔をして人を丸め込もうとするなんて、とんでもないやつだ。
「怠慢なのはお前の方だ」
言いつつ、隣で大の字になっているサクラの額に軽くデコピンを入れて起き上がる。額をさする彼女は、暴力反対だのと文句を言っていたので、反射的に突っ込みを入れようかとも思ったが、面倒なので止めた。
ふと、一緒に来たはずのメイの姿が見えないと思い、辺りを見回すと、彼女は岩屋の入り口付近にある岩の上に座って、じっとこちらを凝視していた。特に表情があるわけでもなく、ただ無表情でじっと見つめるメイの様子に、少し不気味な気配を感じたため、近くまで行き一体何を見ているのかとたずねる。
「あ。いえ、別に……」
別にとは言いながらも、やはり目線を一切外さずに自分を凝視してくるメイ。何やら怖い。
「ええ~……。何かあるでしょ? 結構俺の事見てるし」
そう。彼女は自分のことをよく見ているのだ。特に風呂に入る時などは、じーっとこちらを見ていることが多い。そして目が合っても視線を外すことはなく、無表情で堂々とガン見してくるのだ。感覚では、ラン比で五倍くらいは見られている気がする。こうして話している間も滅茶苦茶見てるし……。
そんな怪しい彼女の目の動きに注目すると、自分の体全体をくまなく走査するように視線を小刻みに移動させて、念入りな観察を行っているようだった。試しに隣へ座ると視線を外さず真横を向き、反対へ回ってもずっと視線を追随し続けている。この行動の真意は何処にあるのかと思案を巡らせるが、意図はまったく読めない。そこでメイの頬を両手で掴んで固定し、顔を限界まで近づけてみる。ユカリやランに対して行う精神攻撃のような例のやつだ。
初めは彼女も無表情だったものの、間近で目を見つめていると徐々に顔が赤みを増して行き、視線が泳ぎはじめる。それでもなお見続けていると、彼女は目をぎゅっと閉じて両手で自分を突き飛ばし、逃げるように社内へ走って行ってしまった。
「oh……」
岩から逆さまに落ちた格好でメイの背中を見送り、この結果について考えてみる。照れの気持ちは分からないでもなかったが、注視されている理由は見当がつかない。
砂浜では、放置の末暇に耐えかねたサクラが、またしても寝こけていた。