拾肆 ~ 忌神 ~
これから話すことはこの老夫婦に対して、辛い現実を突きつけてしまうことになるため、ここに至ってもまだ迷っていた。正直に話すべきか、それともミィルにもそうしたように、嘘をつき通すべきか……。
暫く逡巡していると、ユカリが服の端を軽く引いて自分を見てくる。彼女の目は、まるで自分のやりたいようにしなさいと訴えているようで、そんな彼女を見ていると、迷う気持ちが少しずつ薄らいでいくような気がした。
夫妻の方に視線を戻したとき、祖父リューはどこか覚悟を決めたような、力の籠った視線を向けており、隣に座る祖母リエルはやや目を伏せていて、諦念のようなものが窺える。少なくとも自分にはそう見えた。実際には、現在の自分の心境が色濃く反映されたことによる、先入観のせいかも知れないが。
「ええと……。何と言うべきか……。結論から申し上げます。実は、ハティ夫妻は昨晩亡くなられました」
そう言った途端、リエルははっと顔を上げ、リューの顔を一瞬見たかと思うと、彼の胸に縋るようにして泣き崩れた。リューはそんな妻の顔や背中を抱き寄せて、無言でテーブルへ視線を落としている。
「ラン。回収した遺留品を……」
そう促すと、彼女は懐から焼け焦げた銀製の髪留めと、ファーのついた防寒帽を取り出し、夫妻の前へそっと差し出す。
リューの話では、この髪留めは夫妻が用意し、ひとり娘のマリカへ、学舎卒業のお祝いとして贈ったものなのだという。炎と煙に晒されて黒ずんでしまってはいるが、沢山の草花を精巧に彫り込んである、凝った作りの髪飾りには、サファイヤを思わせる青く美しい石が、幾つかはめ込まれていた。そして帽子の方は、マリカとの交際を認めた際に、リューがロウへと贈ったものだという。
ふたつの遺留品を手に取ったカート婦人は、それらを胸に抱くようにして細い肩を震わせていた。回収できた遺留品は、この二品と気舎の残骸だけで、他は変質体の放った攻撃によって全て分解を受けたか、気舎と共に燃えてしまっていた。
「見ず知らずのあなたたちがミィルを連れて来た時から、なんとなく予感めいたものはあったのだ。こういった事はこの辺りじゃあ珍しくも無いのでな……。儂の思っている通りなら、忌神の仕業だろう。……漆黒の化け物め」
彼は強くこぶしを握り締め、怒りと悲しみに肩を震わせている。
聞けば、昔からこの辺りの街道筋では、夜な夜な黒く巨大な化け物が通行人を襲い、何人もの人々が犠牲になっているとのことだった。人々はその化け物を“忌神”と呼んで恐れ、事あるごとに星光教会へ事態解決の要請を繰り返し行っているのだという。しかし、忌神は絶命する際に呪いを振りまき、大勢の人間を巻き添えにするそうで、教会側も撃退するに留めており、根本的な解決には至っていないということだ。
彼の言う忌神とは、まぎれもなく変質体の事であり、呪いとは、動力炉が停止する際に放出される、件のエネルギー放射のことで間違いないだろう。
「それで……ふたりの最後は……」
「それが。私たちが通りかかったときには、燃え上がる気舎の残骸が残っていただけでして……。倒れていたお孫さんを保護したときには、ふたりの姿はもう」
まさか、自分たちが変質体を撃破したなどとは言えるはずもなく。当たり障りのない言い方で事実を曲げ、当時の状況を夫妻へ伝える。どうやらリューは、忌神によって殺害された者の末路を知っているようで、やはりと言ったきり黙ってしまった。
「お孫さん……ミィルへは、両親が亡くなったことを伝えていません。……いえ、とても伝えられませんでした。幼い彼女に対してこんな残酷な現実は……。とても……」
今思い出しても昨夜の状況は辛い物だった。新たなトラウマを植え付けられたかのように、自分の胸にはしこりが残っている。
「いや。ありがとうハルイチさん。赤の他人のミィルを助けていただいたばかりか、そこまで気遣ってもらえるなんて……。あの子は幸せ者だ。それに、これは儂らが伝えるべきことだから、あなたたちはどうか気に病まんでもらいたい」
そう言ってふたりは、自分たちに祈るようにして顔を伏せるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
その後は、カート夫妻から手厚いもてなしを受け、一日遅れにはなったが、同時にミィルの誕生会も執り行われ、夕食は豪勢なものとなった。
ジーラへ着いたミィルは、一層快活な女の子になり、ほぼずっとしゃべり続けていた。ここ半年間にあった出来事や、自分たちが振る舞ったカレーやお菓子のことなど。猫という動物を初めて見たということなど。彼女が体験した楽しい一時を、祖父母へ向けて嬉しそうに語り続けた。
やがて盛況のうちに誕生会も終わり、食後のティータイムとなった頃には、喋り通しだったミィルも疲れてしまったらしく、椅子の上で舟をこぎだした。見かねたリエルが席を立ち、ミィルの隣へ回ったとき、彼女の動きを制したサクラがミィルを抱き上げ、共にリビングを出て行った。
「……ところでハルイチさん。あなた方はこの辺りの人ではないだろう? どちらからきたのかね?」
ここに至るまで町中を歩いた感じでは、確かに自分たちのようなアジア系の風貌を持つ人間は、一人も見かけなかった。つまり、この近辺では珍しい人種ということなのだろう。
「あ、ええ。実は海を渡ってまいりました。ここへ着いたのはつい昨日のことでして」
「ほう、ティカ大陸の方からかね……。それはさぞ長旅だったろう」
宇宙空間からの観測によると、bには東西に分かれた大きなふたつの大陸があり、現地語でそれぞれ“ティカ”と“ニム”と呼ばれている。そして、自分たちが滞在する大陸はニムの方で、ティカよりも一回り程面積が小さいようだ。bでの全陸地が表面を占める割合は、三十四パーセント程となっており、地球よりも少し広い陸地を持つ惑星のようだ。
「では昨夜はどの辺りに滞在を?」
「ええと……ここから少し西へ向かった山中……ええと、イスクとウシスクの間くらいですかね。友人の家がありまして。ここ数日はそこを頼らせてもらいました」
「ほう……。んん? はて、あの辺りに住んでいる者などおったかな……」
これはしまった。地形情報でも確認した通り、拠点の近辺は完全に無人地帯だということを失念していた。やはり適当な嘘をつくとこういうボロが出てしまいやすい。
「お父さん。お友達は最近越して来たんだよね?」
「あ、ああそうだ。三ヶ月ほど前にあそこに来たと言ってたな。あは、あはは」
「なるほど。つい最近でしたか……」
そかし、すぐに機転を利かせたユカリの援護によって窮地は救われる。
『ユカリすまん。助かった』
咄嗟にフォローを入れてくれたユカリへ、ローカル通信を開き礼を言う。
『いいわよ。それよりも、今後これが問題になるようならば、偽装工作をしないといけないわね。拠点の上に適当な小屋でも建てておこうかしら……』
『それについてなんだが、一つ考えがある。とりあえずはリュー氏と話をしてみてからだけど』
考えがあることをユカリに伝え、自分はリューに視線を戻す。
「それでですね。ミィルからうかがっているんですが、ハティ夫妻の牧場をリューさんは今後どうされるつもりですか? このままだと、いずれ家畜たちも飢え死にしてしまうでしょうし、時間もあまりないと思うんです」
「そうですな……。それも悩みのタネではあるのだが、私も妻もご覧の通り、歳なのでね……。宿と牧場の両方を面倒見るとなると……。それに、牧場経営には体力も必要だから、残念だがあそこは誰かに譲ることになると思っとるよ。もう少し落ち着いてからになるだろうが……」
苦々しい表情で、納得はゆかないながらも、リューは現実的な話をしていた。確かに彼の言い分は正しい。
「そうですか。でしたら一つ提案なのですが、牧場のことは私たちに任せてもらえないでしょうか。具体的にはご夫妻に雇用主となっていただいて、人を雇っていただくという形となりますが……。これならば、牧場の持ち主はおふたりやミィルのままですし、経営方針についてもすべてそちらで決めていただいて結構です。このままあの場所を人手に渡してしまうのはあまりに勿体ないことですし、差し出がましいかとは思いますが、ミィルのためにもあそこは残しておくべきだと、私は思うので……」
両親との思い出や、生まれ育った家が無くなってしまうような事態は、絶対に避けたかった。これ以上ミィルに悲しい思いをさせたくはないのだ。それに、要塞惑星の持つリソースがあれば、経営を持続させることは簡単だし。
「……その申し出は非常にありがたいのだが、あなた方は土地の人間ではないだろう? あちらには帰るべき場所があるのではないかね?」
自身にも余裕がない状態だというのに、リューは自分たちのことまで気遣ってくれている。いかつい体をしたやや強面の彼も、内面は優しさに満ちた繊細な心を持つ人物なのかもしれない。ミィルの言っていた優しいお爺ちゃんというのは、間違いないようだ。
「お気遣いありがとうございます。それについては心配ありません。推薦するのは、先の話にもあった私が滞在していた家の主ですので。これがとても信頼できる友人たちでして、この件も間違いなく任せられると思います」
そう言いつつローカル通信でユカリに確認を取る。
『ユカリ。しがらみ衆のアレはまだ使えるよな?』
『え? ええ、大丈夫よ。見た目はおじさんだけど、機能的には仲居ヨリと同一だから大体何でもできるし、増産すれば数も用意できるわよ』
『そっか。なら二体ほど借りたいな。それと片方は女性型に変更して、両方とも二十代前後の外観にしてくれると助かる。一応夫婦って設定で配置したいし』
『わかったわ。準備しておくわね。細かいところはまた後で詰めましょう』
流石ユカリ作の人型汎用ツール。何をやらせても完ぺきだ。
「いやでも――しかし……。本当にいいのかね? 儂らとしては歓迎だが、その方たちには迷惑ではないかね?」
「いえいえ。実は友人たちも、予てより牧場経営に興味があった者たちでして。今住んでいる場所も、農地開拓が目的で越してきたそうなんです。若輩ではありますけど、意欲と能力については私の折り紙つきですし……。と言ってもなんの保障にもならないですね、あはは。とりあえず、今すぐにとは申しませんので、考えてみてはいただけないでしょうか」
自分の提案を最後まで聞いたリューは、一時嬉しそうな表情をするも、直ぐにしかめ面になり、また表情を緩めるという百面相状態を繰り返していた。昨日今日会ったばかりの素性の知れない人間を、今すぐに信用しろという方が無理と言うものだし、その辺りの心情は解る。
するとそこへ、ミィルを運んで行ったサクラとリエルが戻り、変な顔をしているリューの横に座ると、リエルも話に加わる。
「ごめんなさいね。途中からだけど、お話はうかがったわ。あなたいい話じゃないの? わたしはこの方たちに任せてもいいと思うわよ? 人手に渡ってしまうより、ミィルのために残してあげられるのならそうするべきよ。それにミィルがあんなに懐いている人たちですもの。わたしは任せても大丈夫だと思うわよ? 」
「う……むぅ……。そうだな。折角の申し出だ、むげに断るのもよくなかろう。儂も長年様々な人間をここで見て来たんだ、人を見る目はある方だと思っとる。ならばハルイチさん、ご迷惑かとは思うが、お任せしてもいいかな?」
はい喜んで。大船に乗ったつもりでお任せあれ。
「いえいえ、迷惑だなんて。こちらこそ任せていただいて嬉しく思っています。誠心誠意対応させていただきますので、安心してください」
「そうですか……。それは大いに助かる。本当にありがとう」
「これでミィルも悲しまずに済むわね……」
カート夫妻は手を取り合い、ふたり肩を寄せて喜んでいた。そんなリューと自分は固く握手を交わし、早速明日にも手配をすると言って席を立つ。
「ああ、ハルイチさん。今夜はもう遅いですし、是非泊まっていってくださいな。うちは宿ですし、空いているお部屋もありますから。なんでしたら、気の済むまで滞在されて結構ですよ。もちろんお代はいただきませんわ」
「儂からもお願いするよ。あんたは大事な孫の命の恩人だし、こんな時分に放り出すなぞ出来ようもない。是非泊って行ってくれんか? それにまだろくな礼もできとらんし、何よりミィルが喜ぶ。……どうかね?」
拠点には数分で帰還できるため、本来はこちらのご厄介になるまでも無いのだが、夫妻が是非ともと言うので、皆と相談してご厚意に預かることにした。
「そうですね。ではお世話になってもよろしいですか?」
「ああ、もちろんだとも。さあリエル、部屋に案内してやっておくれ」
自分たちが快諾すると、早速リエルが客室へ案内してくれた。
階段を上った先にある二階の角部屋は、ジーラで一番広く上等な部屋で、ダブルサイズ程のベッドが二つ置かれた趣のある部屋だった。
この町の建物は、石と漆喰と木を組み合わせた、気密性の高い重厚な建築となっていて、各部屋には専用の暖炉も設けられ、厳しい寒さの中でも快適に過ごせるようになっている。室内は、ベッドやソファ、テーブルなどの家具類から、窓枠などの構造体に至るまで、オーク材のような木材で統一されており、温かみがあって非常に頑丈そうな作りだ。
「なんかすごい部屋だな。とても小さな宿場町でやってる宿屋には見えないぞ」
「ですわねえ。部屋も家具も、細かいところまで丁寧に仕上げられた素晴らしい作りですわよ」
「掃除もきちんとされてるし、床板の継ぎ目に砂粒一つないよ? 土足でいるのが申し訳ないくらいだねえ。ミィルを寝かしに行った部屋もすごく片付いてたし、あたしにはまねできないなあ。あはは~」
ランとサクラのふたりは、うろうろと室内を歩き回りつつ、気になった所を細かく観察しているようだった。
「こういう完璧な仕事はヨリやチカとムツミが喜びそうね。最近ではアイもだんだんその傾向が増しているようだけど」
あのふたりなら確かに大喜びしそうだった。しかし、アイまでもがそんな風になっていたなんて、全然知らなかった。これは意外かも。
「じゃ、というわけだから俺は寝るよ。お風呂は無いみたいだしな」
というわけがどういうわけかは知らないが、とりあえず今日は疲れたので、早々に寝てしまおうと思った。しかし、時計は既に二十一時を回っているため、実際には早々にとは言いがたく、いい子はとっくに寝ている時間である。
目の前にあったベッドに寝転がり、端の方に身を寄せると、反対側からランに引っ張られて真ん中へ移動させられる。そして、空いたスペースにユカリが収まり、一つのベッドに三人が寝転がる格好になった。広さはあるので窮屈と言うほどではないが、絵面的には絶対におかしい。
大きなサイズのベッドがきちんとふたつ用意された部屋で、四人が泊まることになったら、普通はふたりずつに分かれて寝るものだろう。しかし現状はそうなっておらず、片方のベッドに三人が固まり、もう一方はひとりで広いスペースを独占できるのだ。やはり、どう考えても広い場所で寝た方がいいし、自分は広い方へ移動したいとも思うのだが、しかし移動したところで同じ状況がもう片方へ再現されるだけなので、それは無駄な努力となるだろう。なんでなん。
「ふたりとも。もっと広々と寝たくはないかね? 俺はそう思うんだが」
聞くだけ無駄だということは、今までの事から良く分かっている。それでも一応聞いておくくらいはいいだろう。そう思い、ユカリとランへ声を掛けた。
「晴一うるさい。早く寝なさい」
返事をしたのはユカリだけだったが、ランの方を見ると、彼女は目をぎゅっと瞑って頷いていた。
「いいなあサクラ。そっちは広そうで」
「ん~? いいでしょー。何ならベッド寄せちゃおうか? そしたらスペース増えるよ?」
サクラはそう言うと、ベッドに乗ったまま物理保護領域を展開してベッドを浮かせ、ゆっくりとこちらへ寄せてきた。そうして密着したベッドは、キングサイズをゆうに超える広さとなり、自分もユカリとランへ、散れと言ってスペースを広げようとする。それでもふたりは、頑なに密着したまま動こうとはせず、広くなったスペースの上でも、結局は団子になって眠ることになった。解せなーい!
◆ ◆ ◆ ◆
翌朝六時少し前。立派な梁の通った見慣れぬ天井を見て目覚めた自分は、ベッドから身を起こし部屋を後にする。
階下へ降りると、階段の登り口に“トイレ”と書かれた札があることに気づき、札の示す方向へ歩いて行く。その先の突き当りがトイレになっていて、手前には石で出来た流しと、壁にはガラス製の鏡が貼られていた。鏡の下には、壁から突き出るように生えたパイプがあり、ちょろちょろとした水がずっと流れ出ている。
それらを横目で見やり、トイレの個室をノックして人がいない事を確認してから、扉を開く。個室中も掃除が行き届いており、石の床に花瓶のような陶製の便器が設えられていた。便器の上には木製の便座と蓋があり、驚いたことに水洗となっている。
この設備はかなり気になったので、HUDを起動し床下などの透過走査をかけると、下水管が建物の裏手に伸びており、その先は合併処理方式の浄化槽に繋がっているようだった。
この惑星の技術水準は、浄化槽を開発運用できるほど発展したものではないはずだが、これは一体どういうことなのだろう……。このちぐはぐな感じは気になるが、とりあえず用を済ませて流しで手を洗う。次に顔を洗おうと思い、両手で水をためはじめたとき、リエルに声を掛けられた。有難いことに、彼女は歯ブラシやタオルなどを持ってきてくれたのだ。
「おはようございますハルイチさん。こちらをお使いになってくださいな」
「あ、おはようございますリエルさん。どうもありがとうございます~」
「いいえ。じきに朝食のご用意が整いますから、皆さんとリビングまでいらしてくださいね」
「はい分かりました。皆を起こしたらすぐに行きますね」
少し疲れたような笑顔と共に、リエルが渡してくれた洗顔セットを受け取り、顔を洗って歯磨きに入る。木柄の付いたごつい歯ブラシに、平たい缶入りの歯磨き粉を付けて口の中へ突っ込むと、漢方薬のような芳香が口内に広がった。研磨剤のせいか、歯磨き粉は若干じゃりじゃりしていて、普段使っている練り歯磨きとの違いに戸惑ってしまう。セットの中にはカミソリもあったが、自分は安全カミソリでもまけてしまうので、髭は部屋に戻ってから電気シェーバーで処理しようと思った。
現在はナノマシンの適用を受けているため、ひげ剃りまけ問題も無かったことになっているだろうけれど、これは生活習慣なので、今後もシェーバーに頼ることは変わらないと思う……。
一通り身支度を整え終わり、階段を上って部屋へ戻ると、収納からシェーバーを展開して髭を剃りつつ、ベッドで丸まっている皆を起こしにかかる。
「おまえらとっとと起きろよー。ここは社や拠点じゃないんだぞ~。カート夫妻に迷惑が掛かるだろ」
三人が被っているもこもこのかけ布をめくりあげ、順番に尻を叩いてゆく。するとランは、おかしな音を出して直ぐに目を覚まし、寝る前に着替えた浴衣姿から一瞬で現地のローブ様衣装に着替えると、髪などを整えはじめた。ユカリは、もう二発ほど尻を叩いたところで目を覚ましたが、サクラは全く起きない。そこで、ミィルが待ってるぞと声を掛けると、一気に覚醒して大急ぎで身支度を整えだした。
「おはよう皆の衆」
「おはよう晴一」
「おはよう晴兄」
「おはようございます」
「よし、ちゃんと起きたな。なら、直ぐに顔を洗って一階のリビングに集合だ。リエル夫人がご飯を用意して待っているから。速やかに移動せよ」
「「「ふぁ~い」」」
自分の号令に、三人は気の抜けた返事を返し、ぞろぞろと階下へ向かって行った。
「「「「おはようございます」」」」
「みんなおはよ~」
「おはようございます」
急かすように顔を洗わせた後、挨拶をしながらリビングへ入ると、ミィルが挨拶を返しつつ配膳などを手伝っており、てきぱき動き回っていた。
それを見たサクラが手伝いをかって出て、彼女たちの作業に加わって行く。初めはリエルは断っていたのだが、どうしてもと食い下がるサクラの勢いに負けたらしく、苦笑しながら仕事の割り当てをしてくれた。あのサクラが、こういったことの手伝いを自ら申し出るなど、これまでに無いことだったため、意外な事もあるものだとしばしほうけてしまう。それはユカリやランも同じようで、三人で固まっていると、リエルに声を掛けられて、席に着くよう促された。しかし、サクラにだけ手伝わせておくのも格好が悪いので、自分も手伝いを申し出る。
「リエルさん、私たちも何かお手伝いしたいのですが?」
「ふふふ。その気持ちはありがたいのだけれど、こんなに大人数では身動きが取れなくなってしまうわ。それに孫の恩人さんにそんなことをさせたら、あの人にも怒られてしまうもの。ここは大丈夫だから、あなたたちはゆっくり座っていらっしゃい。テーブルにはお茶の用意もありますから」
物腰穏やかなリエルに、諭されるように言われてしまったが、確かにキッチンはさほど広いとは言えず、この人数ではかえって邪魔になる。
こうなってはもう引き下がるしかないので、ミィルに使われているサクラへエールを送り、自分たちはテーブルに着いて、大人しく朝食の準備が整うのを待つことにした。席に着くと、早速ティーポットに入っているお茶を皆のカップへと注いで、熱々のカップからそろりと啜る。今朝のお茶は、昨晩飲んだ番茶のようなものとは異なり、ジャスミン茶とよく似た爽やかな香りがした。このお茶の香りを嗅いでいると、心が落ち着くような穏やかな気分になる。
ややあって、皆も席に着くと、食事前のお祈りをささげて朝食となるが、自分たちには作法が分からないので、見よう見まねで手を組み、リエルとミィルに倣った。後でこれもきちんと調べておいた方がいいかも知れない。
献立内容は、主菜がライ麦パンのようなもので、サラダや卵焼き、ソーセージやハムといった感じの加工肉が副菜に添えられている。パンには、バターのようなものを塗って食べるようだ。進化の形態が似通ると、文化も似るようで、この辺りの事も、ほぼ西洋などの文化圏と大差のない物になっているようだ。
一通り食べた料理の味も見たままの物で、パンはパンの味がするし卵は卵の風味がして、加工肉は燻した加工肉の味がした。サラダの方も癖のあるような葉物ではなく、レタスなどといったものと同じような、青臭さも無い美味しい野菜ばかりだった。これらは昨晩の夕食時にも感じていた事だが、突飛な味のする料理はなく、またリエルの作るそれらはいずれも絶品だった。
「そう言えばリューさんの姿が見えませんが?」
「リューなら宿の酒場で朝食を作っている頃ね。あちらの仕事の殆どはあの人が賄ってますから。わたしができるのは、お部屋のお掃除やベッドメイキングくらいなの。他の事をしようとすると怒られてしまいますし」
そういってリエルは苦笑している。
職人気質というか、リューなりのこだわりがあるらしく、仕事に関しては頑固なようだ。
「ミィルにはおこらないけど、お祖父ちゃんお祖母ちゃんにはよくおこるよね。ミィルはお父さんとお母さんみたいに、ふたりにもなかよくしてほしいのになあ……」
祖父の怒った顔でも思い出しているのか、ミィルは口を尖らせて、偶の不仲に文句を言っていた。そして、彼女が両親の事を引き合いに出すたびに、自分は辛い気持ちになる。それは隣の三人やリエルも同じなので、どうしても沈んだ表情になりがちだ。
「ミィルが大人になって好きな人ができて結婚したら、そういう事もわかるようになるんじゃないかな」
「そうなのかなあ。お父さんも前に同じ事言ってたけど、ミィルよく分かんない……。そうだ、ハルイチの奥さんはどんな人なの?」
ミイルに言われるまで自分が子持ちだという設定を忘れていた。
そうだよなあ。娘がいるなら当然そういう話にもなるよな……。けどその設定は一切考えていなかったので、ちょっと考え込んでしまう。
そのとき、昔付き合っていた彼女の顔がふと頭を過ぎり、当時の楽しかった思い出も同時に蘇って来た。これは皆には言ってはいないことだが、彼女はもうこの世にはいない。互いに結婚を考えていたような幸せの絶頂期に、彼女は突然逝ってしまったのだ。お陰で当時は随分と自暴自棄になっていて、何もする気が起きず、日に何度も泣いて過ごしていた時期もあった。
あの日からもう十年近くもなるのに、自分はまだそれを引きずっている。いまだ心の傷は癒えておらず、こうして時折思い出しては陰鬱な気持ちになってしまうのだ。……と、これはいかん。このままだといつもの鬱々スパイラルに突入してしまう。
なんとか気持ちを切り替えて、ミィルとの話を続けようとしたとき、彼女は意外な言葉を発した。
「もしかして、死んじゃったの?」
正直かなりギクッとなった。幼い少女の口から、人の生死に関わる単語が出て来るとは思っていなかったからだ。しかもそれは当たっている。
「――ミィルはどうしてそう思ったのかな?」
そう問いかけると、彼女は少し悲しそうな目になる。
「だって、ハルイチ今にも泣きだしそうな顔してたもの。すごくかなしそうだったよ?」
他の皆からもよく心を読まれるが、自分はそんなにわかりやすい人間だっただろうか。これまでの人生で、今ほど人から心境を読まれるようなことは無かったはずなのだが。要塞惑星に関わるようになってから、極端にこういう事が増えたように思えてならない。
「ミィル……。あまりずけずけと踏み込むのは良くないわ。ごめんなさいねハルイチさん」
「あ、いえ。大丈夫ですよ……」
重くなった空気を察して、リエルがミィルを窘める。彼女の対応には素直に救われたと思った。そしてミィルも、悪い事をしたという自覚があったようで、しょんぼりとした様子で謝罪の言葉を口にする。
「ごめんなさいハルイチ……」
そんなにしょげられてしまうと自分まで悲しくなってしまう。
「ミィルも大丈夫だから、気にしなくていいよ。……確かにミィルの言う通り、妻は大分前に亡くなっています。もう十年ほどは経ちますかね……」
「まぁ……。それは辛かったでしょう? 大切な誰かを失うことほど悲しいものはありませんものね……」
「本当に……。本当にそうですよね」
彼女の言葉と境遇に引きずられるように、また自分は暗い気持ちになってしまいそうになる。そこで、ローカル通信からユカリが話しかけてきたので、今回はなんとか踏みとどまることができた。
『ん? どした急に?』
『話を合わせているのは分かるけど、設定や演技とはとても思えない雰囲気があるのよね、今の晴一には。後で詳しく聞かせてほしいものだわ』
『ああ、うん。機会があればな……』
また意図せず藪をつついてしまったようで、小蛇がにょろにょろと顔を出す。ユカリの隣では、二匹の大蛇が自分へ向けて鋭い眼光を放っていた。