拾参 ~ 宿場町イスク ~
台所に行っていたチカとムツミのふたりが持ってきてくれたコーヒーをいただいて、残りの南部せんべいをバリバリと齧る。この組み合わせも割とよいものだななどと、新たな発見にちょっぴり感動していたとき、ミィルがもぞもぞと動き出し、酷い寝ぐせ頭で起き上がった。
ミィルの気配に同期したように、サクラも目を覚まして伸びをするが、そのとき寄り掛かっていたランが仰向けに倒れ、板の間へ激しく後頭部を打ち付けた。彼女は一瞬目を覚まし、痛いと言って後ろ頭をさすったが、そのまままた眠ったようだ。
「ようミィル。おはよう。良く寝てたね。サクラもおはよう」
「おはようハルイチ」
「おはよ晴……おとうさん……」
サクラは寝起きでも、設定だけはなんとか覚えていたようだ。
一方隣のミィルは、まだ寝ぼけたような顔をしていて、眠そうな目をこすっている。そんな彼女に、サクラはいずこからか持ち出したブラシを当てて、寝ぐせに乱れた髪を整えていた。髪をとかされている間に、ミィルの方も目が覚めて来たらしく、優しくブラシをかけるサクラのケアを、照れくさそうに甘受している。寝ぐせの処理が終わった後は、チカとムツミが用意していたココアを飲み、また目を丸くしていた。
「これなあに? 甘くてすごく美味しい!」
「そちらはココアというお飲み物で御座います」
「お気に召されたようで何よりで御座います」
ミィルの喜ぶ様子には、チカとムツミも表情を緩めずにはいられないようで、矢継ぎ早にクッキーやビスケットといった菓子や、チョコレートなどを用意して、手厚くもてなしている。気付けば炬燵の上はすっかり菓子類に埋め尽くされ、ミィルは大喜びしていた。
「ねえミィル、君には兄弟や姉妹はいるのかな? お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家ってどこにあるの?」
親類がいるのなら、あまり長く預かるわけにもいかないので、その居所は早めに聞いておきたい。いずこかの町に身寄りがあるのは喜ばしいが、もしそういった人がいなかったときは、要塞惑星の一員として迎えることも考えていただろう。
「ミィルはね、一人っ子だからあんまりあそんでくれる人いないの。お父さんもお母さんも、お仕事がいそがしいし。おうちの近所には住んでる人もいないし。でもね、せん礼を受けたら学しゃに入れるから、お友達もできると思うんだ~」
確かに彼女の家の近辺に人家は無い。探査機で収集された地形情報でも、それは明らかだ。
「そうなんだ。それで、その学舎はどこにあるのかな?」
ミィルは話し好きらしく、自分との会話にも嬉しそうに付き合ってくれた。上手くすれば、もっといろいろな情報が聞けるかもしれない。
「え~っ! ハルイチ大人なのに知らないの? 学しゃはね、キトアにあるんだよ。それでね、ミィルみたいに遠いところに住んでる子は、りょう? っていうのがあって、みんなとそこでくらしながらお勉強するの」
「ほ~、すごいな。寮があるんだ」
ここにも真っ当な教育機関があるらしい。しかも寮まで完備しているとか、なかなか充実しているようだ。
「あとね、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんのお家は、キトアに行くとちゅうにあるイスクの宿屋さんなの。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、ミィルのお母さんのお父さんとお母さんなんだよ」
ミィルの話によれば、調査計画で立ち寄る予定となっている宿場町イスクに、母方の生家があるという。偶然にも目的地が重なったため、調査ついでに祖父母の元へ送り届けることができそうだ。
「ね~ミィル? ミィルはお祖父ちゃんとお祖母ちゃんのこと好き?」
「うん! 大好き! お祖母ちゃんはやさしくてごはんがすごく美味しいの! お祖父ちゃんはよっぱらうとすぐミィルにちゅーしようとするんだ~。たまにお酒くさいし、おひげも痛いからちょっとやだけど、やさしいからお祖父ちゃんも大好き! あ、でもサクラのことも好きだよ? あとみんなもね!」
「やったー! ミィルありがと~」
オーバーなリアクションを交えて話すミィルの様子からは、いかに祖父母が好きかということがよく伝わってくる。
サクラはミィルに好きといわれて大喜びし、彼女のほっぺにキスをしたり頬ずりしたりしている。そして彼女は、友達になった自分たちも好きだと言ってくれており、ころころと変わる表情がとても愛らしい。
「そうだ! ミィル、今日はお祖父ちゃんとお祖母ちゃんのお家に行かないといけないの!」
「あ、そだったね~。ミィルの事は、私たちがちゃんと送り届けるから、心配しなくて大丈夫だよ~」
やや不安そうな表情になっていたミィルへ、サクラの的確なフォローが決まる。
「えーっ! みんなで送ってくれるの!? やったー!」
あの乗り物の速度がどの程度なのかは分からないが、仮に馬車くらいの速度と仮定するならば、精々平均時速は十キロ程度だろう。彼女たちが襲われた地点は、イスクから三十キロメートルほどの地点だったから、順調にいけば数時間で町へ辿り着けていたはずだ。
「なあミィル。洗礼を受けに行くって話をしたとき、気舎に乗って行くって言ってたけど、それってどういう物なの?」
「ハルイチは気しゃを知らないのね。気しゃっていうのはね、お父さんが運転するんだけど、神技でうかぶんだよ。ハルイチは乗ったこと無い?」
そう言えば、チビと話しているときも神技がどうのと言っていたっけ。
というか、気舎が浮くってなんだろう……。とはいえ、格納室にある残骸が彼女の言う気舎ならば、納得する部分もある。あれが浮くことを前提に作られているなら、ヘリコプターのような足がついていることも理解できるからだ。
しかし、蒸気機関のような装置はなんなのか。多少引っ掛かる部分もあるが、まずは彼女の言う神技とやらの正体が気になるので、そこを詳しく聞いてみよう。
「そうなんだよ。俺気舎には乗ったこと無いんだよな~。それとミィル、神技ってなにかな?」
「うそーっ!! 神技も知らないの!? 神技を使わないでハルイチはどうやって生活してるの!? 神技が使えなかったら、火も水も使えないし、お仕事もできないんだよ? ミィルはせん礼を受けてないからまだ使えないけど、大人はみんな使えるんだよ? あとね、せんれいを受ける教会には、星光きし団ていうきし様がいるんだよ~」
“神技”というのは、“星光教”という宗教で崇められている“女神クラレスティ”によって授けられる神の御業であるようだ。
この辺りでは、キトアの街にある教会で洗礼を受けることによって発現する、いわば魔法のような能力らしい。洗礼を受けた後は、対応能力の検査が行われるらしく、いわゆる“火水風土”のような、四大元素に対応した能力の試験が行われるという。更にもう一つ、それらとは別に“理”という能力があるようで、これは応用幅が大変広い能力らしいが、それを扱える人間は少数派とのことだ。ゆえに、理に対応できる者は、あらゆる分野で引く手数多らしい。
そんなミィルの父親は、理の能力に長けていたらしく、手を触れずに物体を操ることが得意だったという。気舎という乗り物も、主にこの能力によって浮遊を行い、運用するものだということで、ハティ家で扱えるのは父親だけだったらしい。それから母親の方は、火と水に対応していたそうで、このふたつの能力は、最も多くの人間が使えるものなのだそうだ。火と水は必ず対で使えるようになるようで、その他の能力は単体取得となるという。神技とは、人々の生活に密着したとても重要な能力のようだ。
そして星光騎士だが、自分がそう聞いて思い当たるのは、例の鎧集団の事だった。ミィルも言うように、団員全員がフルプレートのような鎧で全身を包んでいるそうで、民衆や教会を守護する星光教の象徴的存在らしい。流石に正確な規模までは分からないが、ミィル曰く、どこの街にいる騎士も、皆同じ格好をしているとのことだ。そう聞くと、装備の調達率は相当高そうだし、かなり金の掛かった組織とみえる。
星光騎士の構成員は男女を問わず、高度な神技運用力を持つ者のみで編成されているそうで、そのほとんどが、理の神技を極めたエリート中のエリートらしい。また役割は、警察と軍をまとめたような組織のようで、治安維持から脅威の実力排除なども行っているそうだ。
神技や教会についてのあらましをミィルは語ってくれたが、話を聞けば聞くほどファンタジックな内容で、自分は狐にでもつままれたような微妙な気持ちになってしまう。
「ねえミィル。その神技ってこういう感じのこと?」
ずっと黙っていたユカリが、突然口を開いたかと思うと、上へ向けた手のひらに小さな炎を出現させて見せる。それを見たミィルの表情は驚きに満ちたものへと変わり、歓声を上げていた。
「すごい! ユカリは小さいのにもう神技が使えるのね!」
大喜びしているミィルの隣では、同じようにランとサクラが、火やら水やらなにやらを手の上で生成し始めており、益々ミィルは大興奮といった様子だ。おまけにチカとムツミまでもが、大量の菓子類を放出しはじめたので、皆の周りをぴょんぴょんと跳ね回るミィルの興奮度は、天井知らずとなる。
「おいおまえたち、もうそのくらいにしておくんだ。ミィルが大変なことになってるぞ」
言いつつ、炬燵の上からこぼれんばかりとなった菓子類の半分程を、収納スペースへ放り込み、ミィルへ向き直り話を続けた。
「ごめんよミィル。俺嘘ついてた。本当は俺も皆も神技は使えるんだ。ほら、むむむーん」
そう言って、手足が伸びるヨガの達人めいた格好で、空中に浮いて見せる。
「すごいすご~い! ハルイチもみんなも星光きし様なの!? そんな自由に神技を使える人、ミィル見た事ないよ!」
このまま彼女の言うように、教会関係者と偽っていた方が、自分たちや彼女にとってもよいのではないかと思われた。そこで通信を開いて皆に相談してみると、適当に合わせるから、自分の思うようにしていいということになった。こういうことに関しては答えが早くて非常に助かる。
「実はねミィル、俺たちは星光教会影騎士っていう秘密組織の一員で、俺たちと君のお父さんは同じ組織の人間なんだよ。そのお仕事の関係で、ふたりは先にキトアへ行かなきゃならなくなったんだ。でもこれは秘密の事だから、他の人には絶対に言ったら駄目だよ?」
要塞惑星に関わるようになってから、こういった嘘をつく機会が増えている気がする。しかも、こんなとんでもない出まかせが簡単に出てくるし、このまま虚言癖が付いてしまったらどうしようと、本気で心配になってしまう。何よりも、純粋に羨望の眼差しを向けてくれるミィルに、こんな嘘をつかなければいけないことが心苦しい。
それにしたってなんだよ“影騎士”って、中学生かよ……。ったく恥ずかしいなあおい。自分は顔から火が出そうになるのを我慢して、極力真面目にミィルを諭した。色んな意味で本当に辛い。
「うんわかった! ミィルぜったいにだれにも言わないよ! お祖父ちゃんとお祖母ちゃんにもないしょにする~!」
キラキラと輝く真剣な眼差しで、自分の目を見て言うミィルを見ると、猛烈に胸が痛んだ。けれど、ここは堪えて嘘を突き通すしかない。そのとき、膝元から視線を感じたのでユカリを見ると、彼女は胡乱な目で自分を見つめていた。
『そんな目で俺を見るな』
ローカルリンク通信でユカリに文句を言うと、彼女は気にするなと言った。
『まあ仕方のない事だっていうのは良く分かってるけど、晴一もサクラもどうしてそんなにすらすらと嘘がつけるのよ? 私にはちょっと無理だわ~』
珍しくユカリに引かれてしまった。自分としても嘘自体は不本意なので、彼女の気持ちはよく解る。
『嘘も方便とか、優しい嘘とか、そういうものが世の中にはあってな。時には嘘をついた方が丸く収まることも沢山あるんだよ。って言うと正当化してるようで嫌なんだが……。やだねえ大人は汚くて』
ユカリの頭を撫でつつお茶を啜って、世の中の仕組みを適当に語る。適当ではあるが間違ったことを言っているわけではない。と思いたい。
『そろそろ出ようか晴兄。ミィルも結構そわそわしてるっぽいし』
サクラに言われて時計を見ると、時間は午前九時をやや過ぎたくらいだった。自分の目には、サクラと楽しそうに話す姿にしか見えなかったが、チカとムツミもミィルを慮って同じ事を言うので、そろそろ出発の用意をするべきだろう。
『まずはイスクの宿場町に向かって、ミィルを祖父母方に引き渡しましょう。それで、両親の事を伝えて、そこから先は出たとこ勝負って感じかしらね』
『俺もそれでいいと思う。場合によっては、キトアの街までミィルを連れて行く事も視野に入れておこう。両親はいないわけだし、こんな子が一人で利用できるような交通機関もあるか分からんし』
『まったく……。どうしてこんな子供が不幸な目に遭わないといけないのでしょうね。せめてご両親が瀕死の状態であったなら、救いようもありましたのに……。こんなの理不尽ですわ……』
ランも変質体が巻き起こした事件には、ずっと怒りを覚えていたようで、ミィルの現状を深く憂いていた。というか、ランはまだ寝転がったまま会話へ参加しているので、途中から寝たふりを決め込んでいたようだ。
『なんだ、起きてたんかい。まぁそうだなあ……。見えないだけで、地球上でも理不尽に失われる命ってのは無数にあるし。時と場所は違っても、こういうのはやるせないよなあ。だが、今回は運よく彼女だけにでも手を差し伸べることはできたんだ。きっちり仕舞いまで付き合うさ』
◆ ◆ ◆ ◆
それから地上に出た一同は、昨夜のように山を飛び谷を越えては、ぼくらの街ではなく麓の森へ降り立った。そして今回もチカとムツミには、しっかりお留守番を頼んでおいた。
ミィルの件では皆辛い思いをしているし、ふたりがいなかったらもっと荒んだ生活をしていたかもしれない。といっては言い過ぎだろうか。いや、大筋で合ってるだろう。うん。
前回と同様、今回も慎重な周辺探査を行って変質体がいない事を確認した後、本道となる街道近辺まで移動する。ミィルによれば、この道は“ユタル街道”と呼ばれており、ずっと北上すると海へ至るそうだ。そして海辺には、巨大な港町であり、また星光教の本拠地でもある“プロメリア”という都市があるという。更新された地形情報から確認すると、そこには確かに海と大きな都市があり、現在地点からプロメリアまでの距離は、三百五十キロメートルほどとなっていた。
時刻は午前九時半を回ったところだ。幹線道路となっているこのユタル街道には、ちらほらと往来があり、ミィルの言っていた気舎という乗り物の稼働体も、やっと見ることができた。この不思議な乗り物は、蒸気機関を用いて車体後方のプロペラを回転させ、それによって発生する 相対風を利用して、推進力を得ているようだった。正体を見てしまうと、なんというか非効率的で非常にいびつな設計思想を持つ乗り物だったが、移動速度自体は意外と速く、時速四十キロメートル近辺で巡行している。現地の言葉で“ヴィトラエナ”と呼ばれ、気舎という翻訳を受けた単語の注釈によれば、“風を使って移動する部屋”のようなニュアンスになっているようだが、これはべつに訳さずともよかったのではないだろうか……。
するとそのとき、HUDに重力波検知の文字が浮かび、示された方向を注視すると、対象となっていたのは気舎本体と、気舎を操作している御者だった。走り去る気舎をズームし、判定スケールを変えて精査すると、重力波の発生場所は御者の頭上にある例の歪みと、車体下部付近になっていた。車体下部の方は、一定の規模と範囲で重力定数に干渉を行うものだったが、御者の頭上物体が発する波形は、電力供給が行われているようなパターンを示している。
『晴一。あの乗り物の人もキトアの教会とリンクしてるわ。それとパターンを限定しないで、すべての重力波を探査機に拾わせたら――凄いわよ? キトアの街を覆う程の無数の重力波が発生してるわ』
そう言って肩の上のユカリが送って来た観測情報には、微細に色分けされた重力波のドームが描かれており、重ねられたキトアの空撮映像が、目まぐるしく変わるパターンのために、虹色に輝くように明滅して見えた。
示されるパターンの総数はやけに膨大で、総数は三万八千前後で推移している。それは、どうやらキトアの大まかな人口に対応しているようだった。また、街道を往来する人たちの頭上にも、騎士や御者を調べたときと同じように空間歪曲点が存在しているため、例の機械を随伴させていると見て間違いないようだ。
『やっぱり神技っていうのは超空間リンクを使った物質生成や重力制御なんかの技術なんだな。まぁ魔法なんてあるわけ無いと思ってたけどさ。そんで洗礼ってのは、あの頭の上にある謎の機械を教会が与えているって事かね』
『そういうことみたいね。ミィルにはアレが無いし。どういう理由があるのかは知らないけど、とんだ茶番よねえ。でも、このぶんなら転送を使っても問題ないかもしれないわ。イスクの方もそこそこ賑やかなようだし』
木を隠すなら森の中。重力波を隠すなら重力波の中という事だろうけれど、ユカリの言うことには一理ある。しかし、自分はせめてイスクに着くまでは、位相移替擬装と徒歩の移動を使いたいと思っているので、その案は却下した。
『そう、わかったわ。急ぐ旅でもないし、そうしましょう』
『うむ。あ、そういや今朝あの騎士の連中を観察したときは、キトアの状況に気づかなかったの?』
『ええ。今朝は騎士たちのパターンに絞り込んで追っていたから、背景重力波なんかと一緒に完全除外してたのよ。フィルタリングしないと雑音が多くて処理が大変なのよ。これもメイの能力ならば気づいたでしょうけど』
ユカリが自らを器用貧乏と言った理由が、何となくわかった気がした。やはり餅は餅屋なのだ。
実際に現地の人間を見た方が、掴める情報は多いということも分かったし、街道を進めば他にも得られるものがありそうだ。……でもこういうのは観光って言うんじゃなかったっけ。
◆ ◆ ◆ ◆
しかし観光などできるはずもなく、間にあった小集落や宿場などは一気にすっ飛ばされ、目標地点までは一分足らずで到着してしまう。徒歩とは一体何だったのか。不動産屋が見たら卒倒しそうだ。
イスクの手前三百メートルほどの地点で、丁度いい具合の雑木林を発見した自分たちは、お誂え向きということでその中に身を潜める。そこで、ミィルや現地の人などと似たような服装へ着替えてから、タイミングを見計らって街道へ出た。ここからは本当の意味での徒歩移動となり、ひたすら石畳の上を歩いてゆく。百メートルほど歩いて緩やかな上り坂を越えると、やがて町の入り口が見えてきたため、ミィルが嬉しそうな声を上げた。彼女は、自分たちが神技によって移動したと思っているため、町の手前に到着したときからテンションが高かった。異様な速度で流れ飛んで行く周囲の景色には、彼女もきっと度肝を抜かれたことだろう。
イスクの入り口には、街道と同じ幅で門柱のような石塔が二本立っている。その石塔の上部に、金属製と思われる装飾の入ったアーチ状の看板が取り付けられており、“イスク”と町名が刻まれていた。ミィルはアーチをくぐる際、見えない境界線を飛び越えるようにぴょんと飛び跳ねると、こちらへ笑顔を向けた。
「あのね、この道を真っ直ぐ行って、左側の六番目のたて物がお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの宿屋だよ♪」
「そっかそっかー。ミィルはえらいねえ、ちゃんと覚えてるんだもんね~」
サクラは笑顔でミィルへ返すと、彼女を持ち上げて肩車をする。
視界が一気に開けたミィルは、興奮したように笑い声をあげたので、ふたりは衆目を浴びていた。視線を向けてきた者たちの中には、イスク入り口の詰め所に駐留する星光騎士も含まれていたため、自分は警戒を怠らないよう気合を入れ直す。他の皆も普通に振る舞ってはいるが、自分と共にローカルリンクで周辺情報を共有しているので、現在の警戒レベルはかなり高い状態だ。
イスクの町は大きめの宿場町というだけあって往来が多く、屋台なども並んでおり、メインストリートはちょっとした市場の様相だ。しかし、屋台の立ち並ぶエリアは町に入って二百メートルほどの区間だけで、そこから先は普通の商店や、宿屋が立ち並ぶエリアとなっている。
『ユカリ、ミィルの両親の名前ってわかるか?』
ミィルの祖父母との面会に当たって、自分はミィルの父親とは友人関係であると説明するつもりなので、最低でも彼女の父親の名前は知っておかねばならない。ここまで聞きそびれていたので、ちょいと焦る。それと、祖父母は母方の両親でもあるので、できれば母親の名前も知っておきたい。
『父親の名前はハティ・ロウ、母親はハティ・マリカよ。気は進まなかったけどチカとムツミに頼んで、脳の復元情報から直近の記憶だけ拾っておいて貰ったわ。襲撃時の精神的ショックが大きすぎて無理な抽出もできなかったし、混濁もしていたから断片的なものになってしまったけど』
『そっか。さんきゅーユカリ。確かに気が引けるな……』
彼女の意識のないうちに、勝手に記憶を覗いてしまったことに後ろめたさを感じていた。
『本当、そこは申し訳ないけれど、これも彼女のためと思えば……。なんて言ったら利己的過ぎるわよね』
ユカリ自身も負い目があるようで、浮かない表情でそう言っている。
「ここだよ~っ。みんな早く早く!」
少し前を歩いていたサクラの上で、ミィルが目的地となる宿屋を指さしながら自分たちを急かしている。
店先に掲げられた看板には“酒・宿 ジーラ”と書かれていた。すると、彼女の声に気づいたのか、開け放たれていた入口から、白髪で髭をくわえた長身でがっしりとした体格の男性が現れ、ミィルを見とめると顔をほころばせた。だが、サクラを見ると笑顔はにわかに曇り、一転して困惑したものになる。
「お祖父ちゃん来たよー!」
ミィルが祖父に向けて手を伸ばすので、サクラは彼に近付いて肩の上の彼女を持ち上げ、老人の腕の中へそっと手渡す。
「おお~よく来たなあミィル。半年ぶりかな? 元気にしてたかい?」
「うん! ミィルいっつも元気だよ~」
老人はミィルを抱いて髭面のキスをすると、彼女は少し困ったように笑った。
祖父へ向けられた笑顔は、サクラや自分たちへ向けるものとはまた違った表情で、彼女は親族との再会を心より喜んでいるようだ。するとそこへ、今度は白髪のショートヘアをサイドで止めた気品のある細身の女性が現れ、祖父に抱かれたミィルに近寄り、キスの雨を降らせはじめる。
「お祖母ちゃん、ひさしぶりだね~」
「ちょっと見ない間に随分と大きくなって。子供の成長は早いわねえ。わたしも歳をとるわけだわ」
そう言ってミィルの祖母は、慈しむような笑顔でミイルを見つめて、顔や頬を優しく撫でていた。
「それで、この人たちは? マリカとロウは一緒じゃないのかい?」
老人は、怪訝な表情でミィルと自分たちを交互に見やり、彼女にどういうことかと説明を求めている。隣にいる女性の方も、訝し気な表情で自分たちを見つめていた。
「あのねあのね、この人たちはお父さんのお友達で、ミイルともお友達なんだよ。それでね、お父さんとお母さんは、大事なご用があるからって先にキトアへ行ってるんだって」
彼女の言葉を聞いた祖父母夫妻は、益々怪訝な顔になり、自分たちへ疑念の籠った目を向けてきた。このままではあらぬ誤解を受けそうなので、とっとと名乗って素性を明確にしておいたほうがよいだろう。
「ええと、初めましてミィルのお祖父さん、お祖母さん。私は堤 晴一と言います。仕事の関係でロウとは懇意にさせて貰っている者です。本日は、とある事情でお孫さんをお預かりしたので、おうかがいしました。……それでですね――」
そこから先はミィルへ聞こえないように、小さな声でそっと耳打ちする。
「実は、おふたりに折り入ってお話したい事があります」
そう言ってふたりへ目配せをすると、とりあえず中の方へと促されたので、皆で建物の中へ場所を移した。
夫妻が暮らす住居側のリビングへ案内されるとき、サクラにミィルの面倒を見てほしいと頼み、話の場から遠ざける。分厚く頑丈なテーブルに用意された椅子へ座り、ミィルの祖母が出してくれたお茶をいただいて、自分は改めて自己紹介を行う。
「改めまして、私は堤 晴一と言います。隣の子はユカリといいまして、私の娘です。さらにその向こうにいるのも私の娘でして、ランと言います。そして、いま外でお孫さんとご一緒しているのが、サクラと言います」
そう彼女たちを紹介すると、名前の順にふたりは無言で頭を下げた。
「これはご丁寧に。私はここで宿を経営しているカート・リューと申します。ミィルの母親マリカは私たちの娘です。先先代から受け継いだこの建物を五十年ほど切り盛りしています。そしてこちらは妻のリエルです。かれこれ四十年以上連れ添っております」
お互いの自己紹介が済んでからも、自分たちのただならぬ雰囲気を見て、何かを察したように夫妻は表情を硬くし、射るようこちらを見つめている。
「……本当の事を言うと、ハティ夫妻と私たちには一切面識がありません。ロウさんの友たちだと言ったのは、ミィルがいた手前ついた嘘です。まずはそれを謝罪します。申し訳ありません」
「そうですか。何か複雑な事情があるようですな……。それで、ふたりは今どこに?」
これから自分が話すことは、カート夫妻にとって信じられないほど衝撃的で、辛いものとなるだろう。これを聞けば、間違いなくふたりは深い悲しみの淵へ突き落されることになる。
自分は、ふたりへ残酷な真実を告げることに、今更ながら迷いを感じていた。