拾壱 ~ ハティ・ミィル ~
拠点の土間は、場所自体が転送装置となっており、地球b内での外出の際はここから転送を行って地表へ出るようになっている。土間の玄関戸から外へ出ると、要塞惑星と拠点地下施設への転送装置が設置されているので、階段やエレベーターなどの移動手段は存在しない。下層施設には、動力区画や生成区画などのインフラ設備が組み込まれており、救助を行った少女もこの下層区画に収容されて治療を受けている。彼女の容体が気になり、自分は下層区画にある診療室を訪れていた。
以前、脳神経の過負荷によって眠りに落ちた際に、自分が放り込まれたのと同じ診療装置が目の前にあり、中には一人の女の子が収容され、現在は投薬によって深い眠りについている。ここへ運びこまれたとき、彼女は修道服のようなフードが付いた厚手の外套に身を包み、旅装束風の格好をしていた。それも現在は、薄緑色をした手術衣のような服に着替えさせられている。
身長は、ユカリと同じくらいに見えるこの子は、鮮やかなオレンジ色をした奇麗な髪をしており、肌は白く整った顔立ちをしている。細めの眉も髪と同じ色をしていて、鼻は高めでやや彫が深く、白人に近い顔つきだ。
「あとは……この子が目覚めたときに何て説明すればいいのか」
自分たちの素性もそうだが、問題なのは、彼女と共にいたふたりの人間の末路の方だった。彼女とふたりが、どういった関係なのかは定かでは無いし、社会の形態も良く分かってはいないため想像の域を出ない。しかし自分の常識で考えるならば、このくらいの子供と夜間に行動を共にする相手などは、彼女の保護者か、或いは人さらいなどの犯罪者くらいしか思いつかない。
正確な状況は、彼女が目を覚ましてからでないと分からないが、できれば後者であることを切に願う。
「この子どうなっちゃうん?」
「おいぃぃ! だからなんでお前たちは俺を驚かせるんだよ!」
またもや、突如背後から声を掛けられてびっくりしてしまう。どうしてこう毎度のように、彼女たちは自分を驚かしにかかってくるのか。声を掛けてきたサクラは、いつもの明るい笑顔でそんなつもりはないと笑っていた。
「ああびっくりしたもう。こういうシチュはもう何度目よ? そろそろ本当にお迎えが来そうだぞ」
「そんなにびっくりしたんだ~。やーごめんごめん。てっきり皆の座標を把握してると思ってたからさ」
サクラはそういいながら背中側に回ると、腕を回して優しく抱き着いてくる。これは、何かと大雑把な彼女にしては珍しい。
いわれてみれば、自分も皆もローカルリンクや識別信号で位置は把握できるのだから、普段からそういった癖をつけておけばいいのだろう。折角ユカリからナノマシン移植を受けたというのに。いまだにこういった部分には気が回らず、付与された能力を生かし切れていない。こう言っては聞こえが悪いが、もっと人の枠を外れるようにしないと駄目なのかもしれない。
「どう? 少しは落ち着いたかい? それともかわいいサクラちゃんにくっ付かれて余計にドキドキしちゃったかな? にひひ」
「お前は。珍しいと思っていればからかい半分かよ。今更引っ付かれた程度でドキドキなんてするか。そんな歳でもねえ」
肩越しに突き出された彼女の顔を指で突くと、サクラは残念そうに横へ回って腕を取る。
まだしばらくは安静が必要だとチカとムツミも言っていたし、けが人の前で騒がしくするのも良くないので、部屋の外へ彼女を連れ出す。診療室から出て通路を右へ折れ、五十メートルほど進むと、八十メートル四方の広さを持つ格納庫のような部屋が用意されている。
このスペースは、回収したサンプルなどを一時保管するための場所に割り当てているのだが、今は少女が乗っていたと思われる乗り物らしき物が回収されていた。
遭遇戦の直前に目にした炎は、これが燃えていたもので、攻撃を受けたためか、あちこち破壊されて無残な姿となっている。損壊が激しいため、詳しい仕組みなどを判断するのは難しいのだが、辛うじて、蒸気圧を用いるための外燃機関のような機構があることはわかる。だが不思議な事に、荷台や運転席と思しき金属フレームの下部には、これまた金属でできたヘリコプターのスキッドのような物が付いているのだ。
メイが行った簡易調査の話では、この星の文明レベルは地球で言うところの産業革命くらいの時期だといっていたので、てっきり馬車や蒸気機関を用いた乗り物が見られるくらいかと思っていた。しかし、いま目の前にある残骸には、馬車にあるような軸受けや、緩衝機構さえ付いていない。
この物体には、ボイラーと思われる物はあるのだが、大掛かりな動力伝達機構などはどう見ても存在せず、破壊によって失われたような形跡もない。ハウジングが割れて丸見えになっている蒸気タービンと、それに繋がっている変速機からは、歯車や回転軸が突き出しており、軸の先端には炭化した木製部品がわずかに残っているだけだ。また、その他の部分も著しく破損しているので、元の位置関係が分からず、猶更推測を困難にしている。
生成をかけて残骸を修復すれば、全体像が分かるかとも思ったが、生成機やナノマシンによる修復には、それ自体の元情報が必須となるため、詳細な走査情報をもたないこの物体をそれらの手段で修復することは不可能だ。かといって、手作業で修復を掛けるには時間が掛り過ぎるし、そんな事をしなくても、外に出て可動機体を見た方が遥かに簡単なので、この物体の全容は今後の実地調査で判明するだろう。それから、他の遺留品についてだが、そちらも損壊が激しく、新たに得られそうな情報もないため、居間へ戻る事にした。
◆ ◆ ◆ ◆
「彼女の様子はどうでした?」
居間に戻ると早速ランに様子を聞かれたが、これといって変わったところはなかった。代わりによく眠っていることを伝えると、彼女は沈んだ表情になってしまった。遣る瀬無い気持ちで、炬燵に入ってお茶を飲んでいると、ユカリがまた胡坐の上にやってきて、またチビもやってくる。
「さて、これからどうしたものかね。俺はひとまずあの子の回復を待とうと思ってはいるけど。その後の事とか……。なあ」
ユカリの頭に顎を乗せて、誰ともなく意見を求めるが、皆は浮かない表情のまま、口をつぐんでいる。相変わらず左右を固めているチカとムツミでさえも、伏し目がちで元気がない。
「大幅な予定変更はしないつもりだけど、あの子の今後の状況次第ではそうも言っていられないかもね。救助はしたけれど、回復したらはいさようならってわけにはいかないし。私たちにもやらなきゃならない事があるし……。どうしたものかしらねえ」
しばらく沈黙が流れた後ユカリが口を開き、今後の予定と今の心境を語った。
「あの子を放り出すなんてことあたしはしたくないかんね~。最後まで責任もって面倒見るべきだよ。乗り掛かった船? ってやつっしょこれも」
サクラが珍しく自分の意見を口にした。
何より、あの子のことを真面目に気に掛けているサクラは、口調は軽いにしても、今までに見た事が無いほど真剣な表情をしていた。こんなサクラの態度は初めて見るが、それ以上に意外といった表情で、ランがサクラを見ている。膝元にいるユカリを覗いてみても、同じようにサクラを見ていた。
「大丈夫だぞサクラ。皆はなからそんなこと考えちゃいないから。あの子を助けた時点で全部面倒見るつもりだよ。なあユカリ?」
「そうね。あたりまえね。この私が全部ひっくるめて解決してあげるわよ。それにぞんざいに扱ったりしたらヨリに怒られちゃうし。晴一だって小さい女の子がいた方が嬉しいでしょ?」
「だからなんでそこで俺が出て来るんだよ……。俺はロリコンじゃないって言ってるやろがい」
たまたまいいなと思った子が、凄く若かっただけですよホントホント。……とか、そういう話ではない。小さければ誰でもいいみたいな風に言われるのは心外である。
「そういう話はいいから、真面目に話をしような? じゃなきゃまたちゅーするぞ」
大体こう言っておけば、ユカリを制圧する事は容易いので、悪いが今回もこの特性を利用させてもらう。
「困ったときはそればっかりよね。……私もそんなに嫌じゃないけど」
語尾は小さかったが、ユカリは嫌じゃないとか言ってた……。
もしかしたら、ちゅーを乱用しすぎて免疫ができてしまったかもしれない。仮にそうだった場合、切り札を失う事にもなりかねない。そろそろ自重するべき頃合いだろうか。何にしても、ここは流して話を進めよう。
「チカ。あの子はどのくらいで目が覚めそう? まだ投薬してるの?」
「いえ。現在は鎮静剤の投与は行っておりませんので、疲労の度合いなども鑑みますと、彼女が目を覚ますまでには四、五時間は必要といったところでしょうか。これは予測値ですので、前後する可能性はありますが、どちらかと言えば早い方へずれる可能性が高いかと思われます」
そう言って彼女は、睡眠深度と周期のモニタログを提示してた。
折れ線グラフで示されたそれには、一時間半程度の周期で覚醒する可能性の値が割り振られおり、予測時間が進むほど数値は増加していた。
時計を確認すると、現地時間で午後十時過ぎほどとなっている。拠点を出たのが午後七時頃だったので、外出して三時間くらいでとんぼ返りすることになった。初っ端から出ばなを挫かれる格好となった当探索隊は、モチベーションもだだ下がりである。
「そっか……。あそだ、ユカリ。あのUFが何処から来たのかは分からんの?」
転送で出現したというなら、送った方の痕跡も観測できる可能性はあるので、一応聞いてみる。
「残念だけど送出点は補足できてないの。連続した重力波なら観測できたでしょうけど、転送程度ではすぐに拡散してしまうから難しいのよね」
予想はしていたが、一筋縄ではいかないようだ。
「そっか。なら残骸の方は? 地下の格納室には無かったけど」
「それならもう要塞惑星の方へ送ってあるから、今頃メイとアイが解析に当たってると思うわ」
流石ユカリ。対応が早い。
それにあのふたりが取り掛かっているなら、早々に正体はつかめるだろう。メイは言わずもがなだが、アイもああ見えて優秀な統括管理AIだから、足手まといになる事はあるまい。こうなると、とにかく今は待つしかないのが現状のようだ。
「じたばたしたって始まらないか。なら俺はちょっと昼寝でもしよう。つっても昼前だし、こっちは夜だけど」
膝の上にいるユカリを横へよけて隣の部屋へ行き、部屋の隅に積んであった座布団を並べて横になる。
昼寝とは言ったが本気で寝るつもりはなく、今までの出来事を反芻するために、落ち着いて考えられる時間が欲しかったのだ。
それにしても、これまでの探査で引っ掛からなかったUFが、調査に乗り出した途端目の前に現れたのには驚いた。この展開には何か原因や理由があるのだろうか。トモエのときのようにまた何者かが暗躍していて、今回は自分たちを陥れようとでもしているとか……。
そもそも、UFがあの子たちを襲った理由はなんなのだろう。捕食でもするために襲撃したのだろうか。だがそれだと、遺体が完全に分解されてしまっている点で矛盾している。それに、ふたりが殺害されてから対処に向かう間に、彼女が襲われなかったのも気がかりだ。アレの能力ならば、遭遇の時点で瞬時に全員を葬ることもできたはずだし。
「いくつか引っ掛かるところはあるけど、考えてもやっぱわからんな。分からない上にこういうときはヨリの膝枕が恋しい。リエのダイブも無いとちょいと調子が狂うしなあ……」
◆ ◆ ◆ ◆
「晴一くん、起きてくださいまし。晴一くん」
そんな声と共に、体を揺すられて目を開けるとランが覗き込んでいた。
「あれ!? 寝てた?」
「ええ、ぐっすりでしたわよ。わたくしが膝枕をしても目を覚ましませんでしたし」
「ありゃ、まいったな。本当に寝るつもりはなかったんだけど。あ、それとありがとなラン」
「いえ、こちらこそありがとうございます♪」
何やら嬉しそうなランだが、聞けばお昼だというので、二時間ほど寝ていたようだ。
少々ぼんやりとしたまま起き上がって居間に行くと、とうにお昼の用意は整っており、皆自分が来るのを待っていた。
「いやはや待たせてすまんね。本当に寝るつもりは無かったんだけど」
「別に大丈夫よ。それより早くごが飯食べたいから、とっとと座んなさい」
「「おあがりよ」」
この微妙な状況で、優雅にシエスタなんぞをぶちかましてしまったので、ユカリからはもう少し何かあるかと思っていた。けれどそんな事は無く、腕組みで座る場所が無いから早く座るようにと、横柄なことを言われただけだった。いやいや、飯を食うときくらいは、自分の膝元から離れてもいいのではないか。などと思いつつ炬燵に入ると、ユカリはうまい具合に隙間へ滑り込んでくる。
ときにチビの姿が見えないのでムツミに聞いてみると、あの子は一旦向こうへ帰ったそうで、また気が向いたら来るとのことだった。
「気まぐれ猫だな~。でももしかすると、リエの事が気になっていたのかもしれないか」
「私どもの用意した昼食を断ってまで帰還されましたので、その可能性は高いかと」
「ちょっぴり残念で御座います」
チビにご飯を食べて貰えなかったことに、ふたりはがっかりしていたが、同時にいつか必ず振り向かせて見せると、次なる目標に意欲を露わにしていた。
昼食を終え、また隣の部屋で先の出来事を考える。朝方いきなり遭遇したUFによって、既に人がふたりも死んでいる。皆の前では触れていなかったが、この事実にはかなり衝撃を受けていて、調査の出ばなを挫かれた事よりも、そちらの方でモチベーションがガタ落ちになっている。
これからもこんな事が続くのだろうか……。比較的平和な地球でも、様々な事象で人死にが出ることはある。しかしそれらの殆どは、病気や事故によるものや事件の類が原因であって、正体不明の存在に、遺体も残らないような苛烈な手段を行使されて殺害されているわけではない。それに、普通に生活を送っていれば、日常に潜む普遍的な死であっても、目にする機会などそうそうあるものではないだろう。
情報はまだ少なく、詳しい実状は分からないが、この星ではあんな事が日常なのかと考えると、落ち込むと同時にとても嫌な気分になる。正直な話、死者が出たという事実は、自分が死に掛けたときよりもはるかに鬱々とさせ、心を蝕んでいる。
「直に見たわけではないけど……やっぱ辛いなあ。こんな事で俺のメンタルはもつのかな」
茅葺の天井裏をぼんやり眺めて、深いため息とともにひとり言を呟いていたとき、格子戸がひらいて居間からサクラがやってきた。
「なに晴兄。また寝てんの?」
「ああ。起きてるけど寝てる」
「なんだそれ~」
そう言ってサクラは笑ったが、その表情はいつもの快活としたものではなく、少し陰のあるものだった。
「なんだ。もしかしてサクラもか?」
「んー? 何が~?」
珍しく元気がない彼女が、これまた珍しく膝枕をしてくれると言うので、これはいよいよ彼女らしくない。けど、折角なのでお言葉に甘えて、ありがたく世話になることにした。
「晴兄も元気ないね。どしたの?」
上から覗き込むサクラは、力なく笑っている。
「うん、まぁ……。死んでしまったふたりのこと考えてた。これからもああいうことがあるのかと思うと凹んできてなあ。必ずしもそうではないと思いたいんだけど。――そっちは?」
救出した女の子の事もあるし、まだ暫く悩みの種は尽きそうにない。
「そっか。んまぁ、あたしも似たようなもんかな~」
サクラは言葉を濁してしまい、それ以上は何も言わずに、膝の上にある自分の頭を撫でたり、頬を摘まんだりしていた。
その後もしばらくお互い無言でいたが、後続でランがやってくると、途端に喧しくなった。折角静かに落ち着いていたのに、見えない所でズルイだのと早速不平不満を並べはじめるから、騒々しいったらありゃしない。
さらにランは、サクラの腕を取って引き離しにかかるので、自分も仕方なく起き上がる。すると、サクラもやれやれと立ち上がり、ガミガミモードのランを往なしてスカートのしわを払っていた。
「まったくもう! 姿が見えないと思ったら陰の方で!」
「いやいやラン姉怒り過ぎだってば~」
飄々としているサクラの態度を見て、ランの愚痴はさらに勢いを増した。
「よーしよし。ほうらラン、抱っこしてやるから大人しくしような~」
そう言いながら、ランの両足を腕で掬い横抱きに持ち上げると、彼女はボタンを押された目覚ましのようにぴたりと静かになり、目をぎゅっと閉じて動かなくなった。
「あはは~。ラン姉超ウケる」
一瞬で無音になった姉の姿を見て、サクラはかなり面白がっていたが、自分もそんなランの様子には超ウケた。
「ふふっ。そんで、ランはなんか用があって来たんじゃないの?」
そう問いかけると、ランは固まったままこくこくと頷いており、お茶の時間だから呼びに来たと小さな声で言った。
また居間の三人を待たせるのも悪いので、ランを抱っこしたまま格子戸を足で開けて、自分の席へ行くと、ユカリが呆れた顔でこちらを見る。ランをユカリの隣へ降ろし、自分の場所に座っているユカリを持ち上げて炬燵にあたる。その間もずっとランは固まっており、正座の上に両手をグーにして、目を瞑ったままだったため、座布団ごと炬燵側へ押し込んでやった。
茶請けに盛られた南部せんべいを齧りながらお茶を飲んでいると、チカが口を開き、女の子が目を覚ましたと告げる。途端に場の空気は色めき立ち、皆で診療室へ向かうことになる。
◆ ◆ ◆ ◆
彼女の元へ到着すると、診療台がアラーム音を発しており、何事かと近づいてみれば、カバーとなっているガラス面を内側から叩いているようだった。彼女はパニックを起こしているようで、結構な力でカバーを叩いており、自分たちが近づくまで殴打行為は続いていた。
チカとムツミが視界に入ると、彼女はすぐおとなしくなり、診療台の端に逃げるように身を寄せて、体を丸めて様子を窺いはじめる。そのときサクラが診療台に近付き、いつの間にか戻っていたチビをカバーの上に乗せると、前足を取って躍らせるように動かして見せた。チビは少し迷惑そうだったが、サクラにされるが儘しばらく踊らされていた。
やがてチビに興味を引かれたのか、少女はガラス越しにチビの足が置かれた部分をなぞったり、カバーをつついたりして、少しずつ笑顔になってゆく。その様子にチカとムツミも安心し、診療台のパネルを操作してカバーを開く。すると、横に退避していたチビが少女の膝の上に飛び降りて、体に頭をすり付けはじめた。そんなチビに、彼女もおっかなびっくり手を伸ばしてゆくと、チビはそれに答えるように彼女の手にすり寄り、にゃ~と鳴いた。
「やぁ、おじょうちゃん初めまして。あたしの名前はサクラって言うんだけど、お話はできるかな?」
台の端に腰を掛け、少女と一緒になってチビを構っているサクラがそう声を掛ける。彼女は暫くぼーっとしていたが、意を決したように口を開き挨拶に答えた。
「初めまして……サクラ……。ミィルはミィルって言うの……」
「わお、可愛い声! それから素敵な名前だねえ。よろしくねミィル。あとね、この子の名前はチビっていうんだよ。仲良くしてあげてね~」
「チビ? あなたチビって言うの? ねえサクラ、この子……チビはなんていう生き物なの?」
bには猫はいないのか、ミィルと名乗った少女は、初めて目にする謎の生物、チビと戯れている。
「チビはね、猫っていう動物だよ。あたしたちの住んでるところでは珍しくないんだけど、ここいらには居ないのかな?」
「うん! こんなに可愛い子はじめてみた! よろしくねチビ」
「うんよろしくね、ミィル」
おいいぃ! チビそれはまずいだろう……。
いくらbに猫がいないからって、動物が喋るのは駄目だってばよ。どうしよう、何とか取り繕わないと流石にこれは……。
などと一時は思ったが、彼女の表情は一段と明るくなり、チビを抱きしめて言った。
「わ~、チビは神技が使えるのね! お話ができる動物は珍しいんだよ~」
彼女は“神技”と言ったが、一体何のことだろうか。それとこの星には喋れる動物がいるのだろうか。
「サクラ。盛り上がっているところ悪いんだが、そろそろ皆の事も紹介してくれないかね?」
自分も、ミィルと名乗るこの少女からもっと詳しい話を聞きたかった。しかし、まずは皆の自己紹介を済ませて、居間に帰って落ち着きたい。
「あ、そだね~。えっとねミィル。いま声を掛けてきたおじさんの名前は、晴一。あたしたちの中で一番偉い人だよ」
「偉いってなんだよ……。初めましてミィル。俺は堤 晴一。気軽に晴一って呼んでな。よろしく」
ミィルは真剣な顔で、サクラの話や自分の発する言葉に一つ一つ頷き、確認するように聞いている。
「そんで~隣にいるこの小さい子はユカリ。この子はあたしのお姉ちゃんで、ユカリ姉って呼んでるよ~」
「ちょ、小さいって……。初めましてミィル。私はユカリよ。よろしくね」
「それから、晴兄の隣にいるおっぱいのでっかい子がラン。あたしはラン姉って呼んでるんだ」
「でっかいは余計ですわよもう! ……コホン。お初にお目に掛かりますわ。わたくしはランと申します。以後よろしくお願いしますわね」
「で~、向こう側にいるユカリ姉とそっくりのふたりは、チカとムツミ。チカは髪を右側で縛ってる子で、目が赤いよ。そんで、ムツミが髪を左で縛ってる子。ふたりは料理とかすっごい上手なんだぞ~」
「チカと申します」
「ムツミと申します」
「「よろしくお願いいたします、ミィル様」」
矢継ぎ早に紹介を受けたミィルは、皆の顔を見て何かを確認するように頷きつつ、口をもごもごさせている。こんないっぺんに名前を覚えるのは大変だから、間違えても構わないので、じっくり覚えてほしい。
「えっと……。あなたがハルイチ、あなたはユカリ、あなたがランで、あなたはチカ。そしてあなたがムツミね……。覚えたわ。わたし、ハティ・ミィル。きょうで十歳になったから、キトアのまちの教会にせんれいを受けに行くの。それでね、とちゅうのイスクのまちで、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんのおうちにおとまりするんだよ~」
驚いたことに、この子は一回で皆の顔と名前を憶えてしまったらしく、難易度の高いチカとムツミの区別も易々とこなしていた。すごい。
「あとね、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんのおうちは宿やさんなんだ~。それでね、明日の朝になったら出発するんだけど、すごく遠いから気舎にのって行くの。ミィルね、キトアのまちに行くのはじめてだから、すごくたのしみなんだ~。でも……ねえサクラ、ここはどこ? ミィルのお父さんとお母さんは?」
彼女は、今後の予定を身振り手振りを交えて楽しそうに語ってくれたが、同時に最も恐れていた事態が発覚してしまった。だが、ミィルの様子は明らかにおかしいため、チカとムツミにローカルリンク通信を行って、どういうことなのかたずねる。
ふたりの回答によれば、彼女の脳と身体機能は完全に回復しているが、脳へダメージを受けた際に記憶の混濁が発生したようで、襲撃時の記憶も失われている可能性が高いということだ。
そして考えてはいた事だが、状況は最悪なものだった。UFの襲撃によって亡くなったふたりは、ミィルの両親であった。こんな残酷な事実をどう伝えればいいのだろう。十歳になったばかりという幼いこの子へ、君の両親は死んだなどと伝えていいものなのだろうか……。
皆の顔を見回すと、自分と同様にその表情は沈痛なものとなっていて、真実を伝えることなど誰にもできそうにない。それでも、永久に隠しておけないことは、自分も含めて重々承知しており、いずれは必ずミィルに伝えなければならない。ならないのだが、自分にはとてもじゃないが無理だ……。
「えっとねえミィル。ミィルのお父さんとお母さんは、どうしても先にキトアへ行かなきゃならなくなっちゃってさ。あたしらに寝ているミィルを預けて、朝になったら追いかけて欲しいって頼まれたんだよ~」
答えの出ない重苦しい沈黙が続く中、それを真っ先に破ったのはサクラだった。
嘘をつくにしても、もう少しましな嘘があるだろうとも思ったが、自分にも上手い方法は思い浮かばなかった。この嘘に無理があるのは確かだが、何も切り出せなかった自分には、口を出す資格はない。ゆえに、ひとまずここは彼女に任せ、成り行きを見守ることにする。
「ええ!? そうなの? でもミィルはサクラたちと会うの初めてだよ? 知らない人についてっちゃダメだって、いっつもお母さん言ってるよ?」
当然これが普通の反応だ。知らない人にほいほいついて行ったら駄目なのは、地球だろうとbだろうと変わりはしないのだ。ミィルはお利口さんだな……。
「お、流石賢いねミィル。けどそれは大丈夫だよ~。あたしらはお父さんとお母さんのともだちだからね~」
「え~、そうだったんだ~。ミィルちっとも知らなかった」
「ネコはミィルとおともだちだよ?」
「あはは。ありがとうチビ。ミィルもチビとお友達だよ~」
チビはミィルのそこかしこへ頭を擦り付けて、ミィルに友好を示している。チビのサービスは留まるところを知らない。
「じゃあじゃあ、お父さんとお母さんのおともだちなら、ミィルともおともだちになってくれる?」
「そりゃもちろん! ねー晴兄」
適当な嘘でこの場を乗り切れたとしても、この先どうしたらいいかわからず、自分は考え込んでいた。そんなとき、いきなり彼女に振られたため、咄嗟に反応することができず、言葉に詰まってしまう。
サクラの言った出まかせは、相当無茶なものだが、意外にもミィルはその言葉を容易く信じてしくれた。いま会ったばかりの得体の知れない人間の言葉を、こんなに簡単に信じてしまうなんて。その純朴さ加減に、自分はミィルの将来が少々心配になってしまう。だが、この場はもうこのまま行くしかないだろう。
「あ、ああ。そうだぞ。俺も皆もミィルの友達だ。だからなんも遠慮することはないから、なんか必要な物とか、こうしてほしいって思うことがあったらなんでも言ってくれ。だよな、ユカリ」
「あたりまえよ。ミィルのお願いなら何だって聞いてあげるわ」
「そうですわ。ど~んと甘えてくれていいんですのよ?」
「「至高のお持て成しをご用意致します」」
皆のやり取りを見ていると、泣いてしまいそうになる。幼いミィルへ向けられる思いやりに、すっかり胸を打たれてしまった。