第50話 達成と虚栄と③
倒れこみながらも、俺の頭の中には幾つもの思考が奔っていた。
何をされた!? 分からない!! 力が入らない!!
――力に差があり過ぎる。
エルプラダにとっては、人体など障子紙のようなものなのだろう。
倒れこんだ俺を意に介することもなく、彼女はイユさんの元に歩み寄り、彼女の傍にしゃがみ込んだ。
「随分と酷い怪我ね」
「……あ、が」
「あらあら、満足に声も出せないのね」
そう言って彼女はイユさんの首に右上腕を伸ばしたが――。
「貴方……。意外と頑丈なんですのね?」
振り返って、俺の方に視線を向けた。
視線を向けられた俺はと言うと、俺はエルプラダの羽根を左手で掴んでいた。
「止めてくださらない? 羽根が傷んでしまうわ。あまり我が儘を言うなら、その手首を切り落としても――」
「彼女に……イユさんに手を出すな!!」
左手に力を込めて、俺はそう叫んだ。
逆に言うと、それくらいのことしかできなかったんだ、俺には。
イユさんを守るために俺に出来ることは、それくらいだった。
しかし、エルプラダはそんな俺の眼を見て。
満足そうに笑った。
「……貴方は、わたくしの想い人に似ていますわね」
「え……? どういう意味ッスか? 俺の顔が良いってこと? いや実は俺もそうじゃないかと――」
「違いますわ。あと貴方もボロボロの割に舌が回るのはなんですの……? それと、わたくしは別に このお嬢さんを傷つけるつもりはありませんわ」
そう言うと、エルプラダは自らの羽根をゆっくりと動かした。
それだけで俺の左手は彼女の手から離れていく。もう殆ど握力が残っていないのだ。
しかし彼女の目的は俺の手を引きはがすことではなく――。
「種族魔法・万感の朝陽」
エルプラダの羽根から散った鱗粉が、キラキラと輝きながら、イユさんの元に降りかかっていく。
すると、イユさんの瞳に段々と生気が戻り、ひび割れていた彼女の肌も治っていく。
「……こ、れは? ウチの傷が、治っていく?」
「い、イユさん!!」
完治したわけではないが、意識がはっきりして会話ができるくらいには治ったらしい。
その姿を見て、感極まった俺は声を上げて彼女の元にフラフラとした足取りで駆け寄ると、イユさんの頭を抱き起した。
「……ゴメン。世話懸けたな、桃吾」
「いえ……良いんすよ、これくらい」
俺は笑みとともにそう返した。
しかし、解せないのはエルプラダの行動だ。
「あの……助けてもろて、ありがとうございます。でも、何でウチを……?」
「簡単なことですわ。わたくしは全ての蟲の女王。貴方は半分だけ蟲だから、半分だけ助けた。それだけの話ですわ」
そう言って彼女は立ち上がり、イユさんに背を向けて門の中に向かおうとしたが。
「ああ、そういえば。……もう聞きました? 貴方のおばあ様を治すことは――」
「できない、言うんでしょ? ええ、知ってましたよ。ずぅっと前から」
エルプラダの言葉に、イユさんが続けた。
しかし、その言葉に驚いたのは俺だ。
「イユさん!? ま、前から知ってたんですか!?」
「ウチだって馬鹿やないんやで? そら調べるくらいするわ。そんで神官学校の頃に文献をあさくりまくって知ったんや。……身体が石化して死ぬんはウチらみたいな呪いを受けた一族にときおり発症するモンらしいねん。そして、完全に石化した時点で――死ぬ。死んでんねんから、治しようはないやろ。ハハッ」
「なに笑ってるんですか!? じゃあエコーに騙されてるのは分かってたんでしょ!! だったら、何で――」
「――それでも、それでも……信じたいものは、信じたいやん?」
イユさんは顔をクシャクシャにして、泣きそうな、でも少し笑っているような、説明しにくい表情をしていた。
それを見て、俺は何も言えなくなった。
ああ、そうだよな。
生きるために縋るものが、それしかなかったんだから。
エコーは『自分が彼女に生きる意味を与えた』とか何とか言っていたが、それは決して間違いではなかったのだ。
イユさんの生きる理由は、ただ“祖母を助ける”と言うことしかなかったのだから。
そんな彼女が虚栄にしがみつくことを、俺には否定できなかった。
と、そこでエルプラダが口を開いた。
「お嬢さん。半分だけ蟲の貴方に、年長者のわたくしから些細なアドバイスを上げるわ」
「……何です?」
「恋人でも良い。家族でも良い。友人でも良い。知人でも良い。尊敬する他人でも良い。憧れの誰かでも良い。傍に寄り添ってくれる動物でも良いし、思い出の土地でも良いし、大好きな虚構の世界でも良い。――何でもいいから、何かを愛しなさい。愛する者のいない人生を生きるには、わたくし達の人生はあまりに長すぎますわ」
そう言って、エルプラダはウインクした。
何と言うか、……茶目っ気のある人だな。
俺はどつかれたけど。
「そんな話をしていると、ちょうど良い時間になりましたわね」
時間? 何のことだ?
そう思っている俺の視界の端に誰かが現れた。
勢いの尽き過ぎた体を止めるために両足で踏ん張り、ザザザッ! と砂煙を上げながら駆け寄ってきたのは。
「やぁっと!! 着きましたよ、お兄ちゃん!!」
「翠ちゃん!!」
俺の愛する弟の翠だ。
ここまで走り続けてきたらしく、額からは玉のような汗が流れている。
と、そこで更に。
「うおおおおおおおおおおおおおああああああッ!!」
雄叫びを上げて空から降ってきたものが居た。
――ダンッ!! と大きな音を立て、地面をひび割れさせながら着地したのは。
「僕は『聖剣』の勇者・江土井青一ッ!! 魔王軍の幹部ッ!! エルプラダ・パライバトルマリンだなッ!! 何をしに現れた!?」
青一だった。
剣を上段に構えて、これまで見たことのないほどに鋭い眼光をしているが、しかし額には冷や汗が流れているのが見える。
それはそうだ。
敵は魔王軍の幹部、こんなところで出くわすとは思っていなかったのだろう。
『青一、気を付けて。エルプラダは魔王軍の中でも古参の魔族。実力は相当なもの』
「ああ、分かってるさ 『聖剣』ッ!! ……あれ? 桃吾、さん? その人は……?」
剣を構えていた青一が、俺の抱きかかえるイユさんに気付いたらしい。
それはそうだろう。
しかし、今の彼女は多腕の姿。
人間よりも魔族に近い姿に見える。
青一だけでなく、翠もイユさんに視線を向けていた。
青一と翠の視線を受けて、イユさんは意を決したようにして。
「じ、実は……ウチは……」
「――ゴメン!! イユさんッ!! 俺のせいでこんな姿になってッ!!」
しかし彼女の言葉を遮るようにして、俺はそう叫んだ。




