第37話 ネゴシエーション①
俺がイユさんの生家に着くと、そこは酷く様変わりしていた。
あちこちに巨大な蜘蛛の巣でも張ったかのように放射状の網が張られ、そしてその尽くが斬り刻まれており、森の木々が何本も切り倒され、まるで巨大なカマでも振り回したかのような有り様だ。
ただ、イユさんの生家だけは、昨晩と同じ状態で、特に傷が入っているようには見えなかった。
その理由は、恐らく。
「よく来たなあ。勇者のお兄ちゃんよぉ」
家の屋根の上で胡坐をかく、カマキリの魔族の仕業だろう。
彼は想像よりは、人間に近い見た目をしていた。
目は二つで、鼻があって口があって耳があって、体型も人間と似ている。
ただ、その眼は昆虫のような複眼で、額には触覚があり、二本の腕とは別に、手の代わりに鎌が付いた一対の腕が生えている。
なるほど、カマキリだな。
そして服装はブラウンとオレンジのボーダーの袖のないコート、そして革のパンツを穿いている。
袖がないのは腕の数が多いからか?
そしてそいつの背後には、腕を組んだカブトムシの魔族と、女のカナブンの魔族が立っており、彼らの足元にはイユさんが倒れこんでいるのが見えた。
反応がない、気絶しているのか。
――イユさん。
俺は、カマキリの魔族をキッと睨みつける。
「おお、おっかない顔だなあ。ギャハハ!」
「ぜーひゅー……。ぜーひゅー……」
「イユに聞いたか? 俺はエコー、魔族さ。ただ、以前の俺は小さい隊の隊長だったがなあ。今の俺は魔王軍の副幹部だぜ! どうだ、すげえだろ?」
「ぜーひゅー……。ぜーひゅー……」
「魔王軍の王たる魔王、その下に仕える魔王軍の幹部、そしてその下の幹部の副官。……つまり、もう少しで俺は魔王軍の幹部――」
「ぜーひゅー……。ぜーひゅー……」
「って!! さっきから呼吸荒いんだよお前!! 何してんだ!!」
俺が息を整えていると、エコーがそんなことを言いだした。
「し……仕方ねえだろ……、はぁはぁ……。ベイリーズからここまで1時間ちょいぶっ通しで走ってきたんだぞ。15キロはあったのに。息ぐらい荒れるっつーの……」
マジでキツイ!
本来なら馬に乗って来るべきなんだろうが、俺一人じゃ馬に乗れないしな。
だから仕方なく走ってきたのだ、15キロの道のりを。
おまけにイユさんの生家は山の中だ。
15キロのマラソンの後に山登りとか、マジで死ぬわ。
道のりだって舗装されたわけでもないから走りにくいし。
「お前……待ち合わせ場所が遠いんだよ。馬鹿か? 交通の便も考えろよ……ハァハァ。待ち合わせ場所を考える時は相手の立場も考えろって学校で教わんなかったか? フー、フー……」
「こ、この状況で俺を相手に説教をかますとは。なかなかのメンタルしてんな」
そんな雑談をしながら、俺は震える手で懐から一本の小瓶を取り出した。
ベイリーズの街を出る際に駆ってきた中級ポーションだ。
俺はその瓶の中身を一息に呷る。
「……ぷはー!! 一気に体力戻った!!」
中級のポーションは初めて飲んだが、すげえな。
一本 飲んだだけで疲労感が吹っ飛んだ。
ここに来る途中にも4本、初級ポーションは飲んだのだが、初級だとここまで綺麗に疲労は取れなかった。
それでも初級のポーションを飲むだけで、乳酸ではち切れそうだった脚がすぐに回復した。もし、このポーションが俺達の世界にあれば、フルマラソンの世界記録が1時間は短縮できるだろう。
まあドーピング扱いになる気もするが。
異世界のポーションすげえなマジで。
ポーションが無ければ、俺がここに来るまで倍の時間が掛かっただろう。
鍛えてるとは言え、この距離はきつかったな。
俺は飲み干したポーションの空き瓶を懐にしまった。
中級以上のポーションの空き瓶を返すと幾らか金が貰えるらしいのだ。
なんでも中級以上のポーション瓶には劣化を防ぐために内容物を保護するエンチャントが掛けられているらしく、そのため瓶そのものにも価値があるそうなのだ。
アイテム屋のおっちゃんにそう言われた。
「さて、これで問題ねえ。カッコつけさせてもらうぜ。……イユさんを返せ」
「そのポーションを5分前に飲んでりゃあ、サマになったセリフだな」
カマキリ男――エコーは口の端を持ち上げるようにして笑い、それに対して俺はスーツのネクタイを締め直す。
そう、俺は既に固有魔法を発動させ、スーツ姿になっている。
スーツではあるが、戦うための魔法衣であるだけあって動きやすいし、魔法で作られたものであるため汚れても気にならないのだ。
「なんだ、お前? スーツで戦いに来たのかよ。どういうセンスしてんだぁ?」
「はあ? スーツはカッコいいだろうが。文句あんのか?」
「スーツ自体はどうでも良いがよぉ。アラクノイドからの定期報告だと、お前は働かずに毎日遊んでるってあったぜ。そんな お前がスーツって、笑えるじゃねえか」
「分かってねえなあ。働くためのスーツなんざ単なる作業着だ。だが俺は違う。格好いいからスーツを着てる。仕事のためにスーツを着るようなそんじょそこらの連中とは格が違うんだよ」
「お、おお。聞いてた通りマジでメンタル強いな、お前」
ふざけた話をしながらも、俺は脳を回転させる。
――定期報告と言ったな。
やっぱりイユさんは、こいつらに定期的な連絡をしていたのか。
その中で俺の話はどこまでしたんだ。
お兄ちゃん、って呼ばれてるってことは、俺が勇者の兄であることは知ってるんだろうな。
だからこそ、俺を狙ったんだろうし。
俺の能力については、どこまで喋ってるんだ?
イユさんは以前、俺の能力に弱点があるのか? と聞いてきた。
もし彼女が、俺の能力の欠点――水に包まれると溺死する――ということを喋られてしまったなら困る。
俺のスーツが魔法衣だということは、知られているのか?
それ次第でイユさんの救出の難易度は大きく変化する。
「ま、いいや。そんでよぉ、お前アラクノイドの女を助けに来たんだろ?」
「ああ、そうだよ」
「お前、自分がこいつに売られかけたのは知ってんのかよ?」
「知ってるよ。知らねえわけねえだろ」
「ぎゃははは!! 知ってて来たのかよ。かっけえな、お前!! なあ、お前らもそう思うだろ!?」
エコーはそう言って背後の仲間たちに笑いかけ、カブトムシもカナブンもケタケタと嗤っていた。
適当に馬鹿笑いしてろ。
油断されてる方がやりやすい。




