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逆さ虹の森

赤い目の魔女と黄金のキツネ

作者: 乙羽


逆さ虹の森の奥深くには古いお城が建っております。

庭には水気の無い噴水に枯れた薔薇園が置かれ、テラスには古くてボロボロになったテーブルとイスがございました。

お城の中もボロボロで、タンスやベッドなどは使えるのか疑問に思うほどです。


そんな、人間はおろか動物さえも寄り付かないような古城には、1人の少女が住んでおりました。

彼女は何百年も歳を取ることなくこの城に暮らしております。

黒い髪と赤い目を持つ不老不死のこの少女は魔女でございました。


そんな魔女の城には不思議な鏡がございます。

ピカピカに磨かれているそれは立派な鏡でございました。

しかし、不思議なことにその鏡は少女の姿を映すことがありません。

また、彼女以外の生き物の姿を映さないこともありました。

それがすべての生き物を映さないというのなら道理も分かりますが、ときたま映る者もあるのですから不思議なものです。


それから、この城には不思議なランプもございました。

そのランプはなんと、磨くと中から魔神が現れる不思議なランプでございます。

ランプの魔神が言うことには、なんでも願いを叶えてくれるのだとか。

しかし、少女がこの魔神に願ったことは一度とてございません。

そんなことをしなくとも少女は魔女なのですから、願いなんて自由に叶えられるからでございます。




さて、そんな彼女にもどうしようもない事件に巻き込まれることもございました。

それは、彼女の友人である金茶色の毛皮と黄金の目を持ったキツネの少女がこの城を訪れていたときのことでございます。

魔女の友人は当然魔のモノ。

この美しいキツネも御多分に漏れず魔法使いでございました。

それが災いしたとしか思えませぬ。


そのとき、キツネの少女は映さない鏡をしきりに覗き込んでおりました。

キツネの視線の先にはキツネの真後ろにあるはずの本棚が左右反対に映っております。

本来ならば自分の身体で見えないはずのそれが見えていることが不思議だったのでしょう。

キツネはその小さくて愛らしい肉球を鏡に伸ばしたのです。


すると突然……ええ、突然のことでございました。

城が大きく揺れたのでございます。

揺れはほんの一瞬のことでございましたが、それは彼女たちの世界を揺るがすほどの出来事でございました。

何故なら、世界中のすべてが逆転していたのですから。


壁、扉、窓、テーブル、イス、本棚、ソファ、いくつかの調度品、魔法のランプ。

そして映さない鏡。


全ての位置が左右反転し景色もぐるりと回転しておりました。

一番分かりやすいのは本に記された文字でございましょうか。

読めないわけではございませんが、大変読みづらい文字に変わっておりました。

空にかかった虹などは左右どころか上下逆転している様子。

これはおかしいと少女たちが思うのは不思議ではありません。


そして、一人と一匹は話し合い、映らない鏡に視線を向けました。

彼女たちは気付いたのでございます。

ここが、鏡の中の世界であることに。


彼女たちは部屋の中を見て回り……そして、この世界に生き物の声が全く聞こえないことに気付きました。

いつもなら喧しいほど鳴いている虫の声も、コマドリの歌声すらも。


魔女とキツネは、この世界にいるのが自分たちだけであると気が付いたのでございます。

いいえ、もしかしたらどこかに誰かがいるのかもしれません。

しかし、彼女たちには確認をする術がなかったのでございます。


何故なら、この部屋を出ることが出来なかったから。

窓も扉もありとあらゆる出口が、まるで強力な接着剤で固められたかのように開きません。

彼女たちはこの奇妙に反転した部屋に閉じ込められてしまったのでございます。


これは困ったことになりました。

一人と一匹はどうにか元の世界に帰る方法がないかと考えます。

しかし、良い案は思い浮かびません。

ほとほと困り果てていたとき、彼女たちの目に一つのランプが留まったのでございます。


そう、願いを叶えてくれるランプでございます。


魔女とキツネはジッとランプを見つめておりました。

何もぼんやりと見つめていたわけではございません。

彼女たちの頭の中では様々な考えが浮かんでは消えていたのでございます。

それは、いくつかの懸念事項があるからでございましょう。


まず、彼女たちが考えたのは『この世界でランプの魔神を呼び出すことはできるのか』でございます。

この一人と一匹しかいない世界ではランプの魔神も存在していない可能性も少なくありません。

しかし、これはランプを磨いてみれば簡単に分かることでございます。


すぐさま魔女はポケットからハンカチを取り出し、ランプを磨いてみました。

すると、ランプの火口からモクモクと煙が現れ、魔神が現れたのでございます。

魔神は適度に筋肉の盛り上がった美しい男でございました。

魔神は、彼女たちを見るとこういったのでございます。


「さあ、願いを言え。なんでも叶えてやろう」


さてさて、ここでまた懸念が現れるのでございます。

そもそも、この魔神はなんの目的で他者の願いを叶えようと言うのか。

魔女とキツネは魔に属するものでございます。

何の条件もなく取引を行うことなどあり得ないと彼女たちはよく理解しておりました。

願いを叶える条件に命を払えなどと言われればたまったものではありません。


しかし、彼女たちはそれと同時に知っていることもございました。

それは、願いの代償を取りすぎてはいけないということでございます。

もちろん、何も知らない者ならば願いの対価が釣り合わない取引をさせられることもございましょう。


ですが、彼女たちは魔の者でございます。

願いと釣り合わない代償を要求され、そして無理矢理奪い取られたとしても、取り返す方法はいくらでもあるのです。

それどころか、取られたもの以上を取り返すことも造作はございません。


契約違反には罰を。


これはすべての世界の常識でございます。


とはいえ、願いを叶えてくれた者に相応の対価を渡すのは礼儀でしょう。

それゆえ、叶えてもらう願いはできるだけ対価の少ない願いで済ませる必要がございました。

無い袖は振れぬのでございます。


「元の世界に戻る方法を教えてほしい」


魔女は言いました。

凛としたその声が空気を伝わります。


声を耳にした魔神は目を細め、窓に映る空に視線を向けました。

魔女の赤い目とキツネの黄金の目は彼の者の視線の先を追ったのでございます。


そこには、逆さまにかかった虹がございました。


「虹の根本には宝物が埋まっていると言う」


魔女が呟きました。


「別の世界に繋がってるって聞いた」


キツネも呟きます。


「その両方であり両方でない」


魔神はそう呟いたのでございました。


「なるほど。あの向こうにあるのが元の世界とは限らぬわけか」

「そして、それがどの世界に繋がっているか魔神さんは知らない」


魔女とキツネの言葉に魔神は何も答えません。

ですが、それが肯定を意味していることは間違いないでしょう。


「役立たずが」


魔女が吐き捨てるように申しました。

魔神は魔女とキツネの望む物を渡さなかったのでございます。

それは当然とも言えましょう。


「確信があるのであれば無理矢理この部屋を出て虹に向かったが、確信がない話をするとは。『なんでも叶えてやろう』だったか。その程度の実力で。反吐が出るわ」


ここぞとばかりに暴言を吐く魔女の言葉に魔神はシュルシュルと小さくなっていきます。


「どうせ、お前も私たちと一緒に無理矢理連れてこられたんだろう。元の世界に帰りたければ私たちに協力しろ。もちろん無償でだ」


魔女の高圧的な言葉に魔神は二つ返事で頷くと、シュルンとランプの中に戻ってしまいました。


さて、残ったのは魔女とキツネの魔法使いのみでございます。

キツネはフンフンと部屋の中を見回しておりました。

そして、魔女を見ると鏡を指差したのでございます。


「何かして欲しいことがあるんだと思う。もしくは元の世界でして欲しくないことがあった」

「なるほど。そのして欲しいことをするか、して欲しくないことを二度とやらないと約束すれば良いと」

「たぶん」


魔女の言葉にキツネは頷きます。

それを見た魔女は、ふむ。と呟きながら顎に手を当てたのでございました。


「では、まずはして欲しくないことを考えるか。約束するだけなら簡単だろう」


魔女の言葉にキツネは再び頷いたのでございます。


「あの大きな揺れがあったとき、私は庭を見ていた。あの花の枯れ具合が素晴らしいと思ってな」


魔女はそう言って外を指差しておりました。

キツネが外を覗くと庭は枯れ草だらけでございます。

魔女の指の先がどこがいいのか、そもそもどれを指しているのかすら判断が付きません。

それでも人の趣味にケチをつけるのは賢いとは言えぬ行動でございましょう。


「良いと思う」


キツネはとりあえずとばかりに魔女に頷いたのでございます。


「そうだろう。やはりあの部分は残しておくのが良いな」


魔女は得意気でございました。


「お前は何をしていたんだ?」


魔女の言葉にキツネは、映らない鏡を見ていた。と伝えます。


「触ろうとしたら地面が揺れて、ここに来た」


その言葉に魔女は顔をしかめたのでございます。


「あいつはお前に触られたくなかったのでは無いか?」

「そうかも」


魔女とキツネの視線の先には映らない鏡がございました。

鏡は相変わらず魔女とキツネだけを映さないようでございます。

鏡の中には一人と一匹の後ろにある無機質な本棚だけが映っておりました。


「もう触りません。だから元の世界に戻してください」


キツネはそう鏡に約束をしましたが、元の世界に戻る気配はございません。

魔女は、どうやら違うようだな。と呟くとソファに腰かけたのでございます。


「では、何かして欲しいことがある方か」

「なんだろう」

「なんだろうな」


魔女とキツネはランプに視線を向けました。

帰る方法を知らぬ無力な魔神だが、鏡の望みくらいは知っているかも知れない。

一人と一匹はそう考えたのでございます。


「おい、魔神」


魔女の呼びかけに魔神はシュルシュルとランプの中から出て参りました。


「この世界に呼び出したのは鏡で間違いないか?」

「恐らくそうでしょうな」

「『恐らく』とは何だ?私は間違いないかと聞いている。はっきり答えろ」

「……」


魔女の重箱の隅をつつくクレーマーのような対応に魔神は黙り込んでしまいました。

彼はキョロキョロと辺りを見回し、耳を済ませ、そして自信なさげに魔女に視線を向けます。


「申し訳ありません。自信はありませんが、鏡の世界と思われます」

「そうか。それは私たちも思っていた。しかし、お前……その程度の実力で『なんでも叶えてやる』なんて大言壮語を吐くのはやめた方が良いぞ。契約違反だと難癖をつけられて身ぐるみ剥がれてもおかしくない」


魔女の呆れたような言葉に魔神は、申し訳ありません。と呟くと再びランプの中に戻ろうとします。


「ちょっと待って」


それを、キツネが止めました。


「なんでございましょう」


魔神が可哀想なほど萎縮したままキツネに尋ねます。

キツネはそれを特に気にした様子もなく、鏡の目的を尋ねました。


「それは……分かりかねます。鏡にも魔神が入っているようですが、呼び出し方もわかりません。恐らくは我々とは違う次元にいるのでしょう。ただ、何かして欲しいことがあるわけではないようです」

「そっかぁ。鏡さんの気紛れだったのかなぁ」

「そのようでございます」


キツネに返事をしてから、魔神は今度こそシュルシュルとランプの中に戻ってしまったのでございます。


さて、ほとんど何も得ることのなかった一人と一匹は、顔を見合わせました。


「望みはないらしい」

「気まぐれ屋さんなんだね」

「この様子ではいつ元の世界に帰れるか分からんな」

「そうだね。自分達で帰り道を探さないと」


一人と一匹は軽くため息を吐くと、再び部屋の物色を始めたのでございます。

魔女は本棚を隅から隅まで。

キツネはテーブルやイス、ソファを。

そして、彼女たちはそれぞれおかしな物を見つけたのでございました。


「この本は左右反転していないぞ」


そう言って魔女が差し出したのは一冊の本でございました。


『魔女とキツネが鏡を通り抜け、そして見つけた』


タイトルにそう記載された本でございます。

中身は魔女と一匹のキツネが鏡の中には入り込んでしまう話でございました。

動転した魔女とキツネは殺し合いを行い、そして同士討ちして死んでしまうようでございます。


「何の脅しかは知らんが私たちがこうなることはあり得ない」

「そうだね。意味ないもんね」

「……意味があったらやるのか」

「やると思う」


魔女がため息を吐くのを見て、キツネは首をかしげておりました。


「お前は何を見つけた」


魔女は気を取り直したようにそう言ったのでございます。


「この窓枠も左右反転してない」


それに答えたキツネが示したのは、一つの窓でございました。

真っ白なそれは他の窓と違いが見られません。


「どうしてこれだけ反転していないと分かった」

「ここに販売会社のロゴが入ってた。これだけ普通に読めるよ」


そう言ってキツネの肉球が示したのは窓枠の角に記された小さなマークでございました。

確かに窓枠を製作販売した会社名は左右反転しておりません。


「こんな小さなものよく見つけたな」

「すぐ分かった」


魔女は、偉いぞ。と言いながらキツネの頭を撫で始めたのでございます。

キツネは気持ち良さそうに目をつぶり、しばしの憩いの時間が訪れたのでございました。


こうして一人と一匹は窓を調べ始めたのでございます。

左右が反転していないということは、この窓が元の世界に繋がっている可能性が高いと言えるでしょう。

ひょっとしたら、この窓から外に出るだけで元の世界に戻っているかもしれません。


しかし、窓は他の窓と同じように開かなかったのでございます。

そのため、一人と一匹は首を捻り、考え込んでおりました。


「何か鍵となる行動が必要なのかもしれないね」


言いながらキツネが窓枠に手をかけます。

すると窓が一瞬だけ光輝いたのでございます。


「今なにをした?」

「触った」

「もう一度触ってみろ」


魔女に言われ、キツネはもう一度窓枠に触れました。

すると、窓枠はもう一度光輝き、そしてその輝きはすぐに失われてしまったのでございます。


「魔力に反応している可能性があるな」

「じゃあ、魔力流してみる」

「ああ、頼む」


三度目、キツネは肉球に魔力を込めながら窓枠に触れました。

すると、窓は光輝き、その光が失われる様子はございません。

魔女が窓を押すと、先程までの抵抗は嘘のようにカチャリと音を立てて開いたのでございました。


一人と一匹はこれ幸いとばかりに窓枠に足をかけ外に飛び出します。

もしや、と思って飛び込んだ窓でございましたが、彼女たちの思惑とは外れ、そこはまだ左右が反転した世界でございました。


「まだ何かあるのか」

「まだ何にもしてないよ」

「それもそうだが」


ため息を吐く魔女を残してキツネはフンフンと周囲を探ります。


枯れた薔薇園に水気の全くない噴水。

庭一面枯れ草だらけの魔女の庭は、反転前も反転後もたいした違いが見当たりません。

キツネは、花は咲いていたほうが綺麗だと思っておりましたが、魔女の気に障るかもしれぬと口をつぐんでおりました。


「外にも正常な物があるかもしれんな」

「うん」

「しかし、こう多くては探すのも面倒だな」


魔女の視線の先には絶え間なく生える草花と木々が広がっております。

もし、この中に一本だけ反転していない木があると言われても、彼女たちに見分けることはできないでしょう。


「生き物の匂いがする」


不意に、キツネがそう言い出したのでございます。


「私たち以外のか?」

「うん」


魔女の言葉にキツネは頷きます。


「あっちからする!」


そして、そう叫ぶと走り出したのでございました。

魔女は近くにあった箒を掴み地面すれすれを滑空いたします。

そして、地面を走るキツネの身体を掴むと、空高く飛び上がったのでございました。


「どっちだ?」

「あっち!」


魔女はキツネの指す方へと箒を進めます。

そして、彼女たちは見つけたのでございます。


それは二十代初め頃の若い男に見えました。

男は森の中にある美しい池の前で、魔女とキツネを見上げております。

見ただけでは普通の男に見えました。

しかし、水のような魔力を全身に纏わせたその姿に一人と一匹は気付いたのでございます。


「魔女だ」


呟いたのは魔女か、キツネか。

世にも珍しい男の魔女を見て、一人と一匹はそれはもう驚いたのでございました。


もちろん、全くいないというわけではございません。

男の魔女はウォーロックと呼ばれ、中世ヨーロッパでは幾人も見付かっております。

魔女狩りで処刑された絵を見たことのある人ならば、たくさんの女の中に男が紛れていることにも気付いたでしょう。


魔女と魔法使いの違いはいくつかございます。

魔法使いは杖や魔方陣、呪文などの補助具を利用して魔法を扱いますが、魔女は補助具が必要ございません。

魔法使いより魔女の方が魔力が多く、使える魔法も多いのでございます。

また、多くの魔女は死ぬと精霊になるという特徴がございました。


さて、男の魔女……ここではウォーロックと呼びましょうか。

ウォーロックを見付けた魔女とキツネはゆっくりと地上へ舞い降りました。

そして、美しい池の淵に降り立つと、それぞれ赤と黄金の目でウォーロックを見つめたのでございます。


「お待ちしておりました」


ウォーロックは魔女とキツネを見ると、柔らかく微笑みました。


「お前が私たちを呼んだのか」


宝石のように赤い目で睨み付けながら、魔女が尋ねます。


「いいえ」


しかし、ウォーロックは恭しく首を横に振るだけです。


「じゃあ、帰り方は知ってる?」


黄金の目でまっすぐに見つめながら、今度はキツネが尋ねます。

すると、ウォーロックは微笑みながら、こう言ったのでございます。


「きっと彼が知っているでしょう」


そう言ってウォーロックは視線を上に向けました。

釣られて魔女とキツネも上空を見上げます。


「ああ、やって参りましたね」


ウォーロックがそう言った瞬間でした。

真っ青な空は黒く染まり、月と星のカーテンがかかったのでございます。

先程まで逆さまの虹があった位置には空に穴を開けたようなまるい月が浮かんでおりました。


まるで渓谷で鳴り響く風音のような歌声が、高く低く流れてきます。

月の近くを飛んでいた黒く大きな影が、巨大なヒレをゆったりと揺らしながら近づいて参りました。

それは巨大なクジラでございました。


魔女は大きく目を見開き、キツネはポカンと口を開けクジラを眺めます。

クジラはそんな彼女たちに気が付かなかったのか、そのまま遠くに流れて行ったのでございました。


「あれに尋ねてごらんなさい」


ウォーロックの言葉を聞いた魔女は顔をしかめながら口を開きます。


「言葉は通じるのか?」

「ええ、もちろん。もし分からなくても」


ウォーロックは微笑み、キツネに視線を向けております。


「彼女なら分かるでしょう」


キツネは金茶色の毛皮を逆立て、黄金に輝く瞳で空を睨み付けておりました。

まるで、あれは敵だと全身で表現しているようでございます。


「急にどうした?」


驚く魔女の言葉を無視し、キツネは口の中で呪文を唱えておりました。

その声に呼応して、円環状になった輝く文字がくるくるとキツネの周りを回りだします。

それは一つだけでなく、いくつもの円環でございました。

キツネを中心に強い風が吹き、バタバタと魔女の服を揺らします。

木々のざわめきが酷くなり、池の水はたくさんの波紋を作っておりました。


「─────!」


キツネの声は魔女の耳には届きませんでした。

しかし、勢いよく空を飛んでいくその姿を見て、魔女はキツネが使った魔法を理解したのでございます。


「何だって言うんだ……」


呆気に取られながら、魔女は呟きました。


「置いていかれてしまいますよ」


微笑むウォーロックの言葉で、魔女はハッと正気に戻ります。

魔女が慌てて箒に跨がると、それに応えるようにして箒は浮かび上がりました。

そして、キツネの残した風を追って空を駆け出したのでございます。


キツネの小さな身体は遥か遠くにあり、今にもクジラにたどり着いてしまいそうでした。

魔女が追い付く前にクジラの元にたどり着いてしまうでしょう。

それでも、魔女は全力で飛んだのでございます。


一方、キツネはクジラの身体にたどり着いておりました。

まるでかぶりつくようにしてクジラに体当たりを食らわせます。


「いたっ!」


そして、そう叫んだのでございました。

キツネはぶつかった箇所を痛そうに撫でながらクジラに視線を向けております。

金茶色の毛皮が風で靡き、黄金のまるい目が月のようにクジラを見つめておりました。


クジラは深海色の大きな目をグリンとキツネに向けたのでございます。


「こんばんわ」


そして、穏やかな声で言いました。


「こんばんわ」


キツネも愛らしい髭を揺らしながら返します。

するとクジラはニコリと笑うのでございました。


「ぶつかってごめんなさい」

「おや、ぶつかったのかい。軽くて気付かなかったよ」


そう言って笑っていたクジラでしたが、キツネの後ろを見て、おや。と呟きます。


「あの魔女さんはキツネさんのお友だちかな?」


そう言ったクジラの視線の先には全速力で飛んでくる魔女の姿がございました。

魔女はまだ遥かしたの方を飛んでおります。


「うん!一緒に来たの」


キツネがそう申しますとクジラは優しく目を細めて、そう。と呟きました。

すぐに魔女はやって来て、ゼーハーと息を切らしながらクジラとキツネに近寄ります。


「一匹で行動するな。危ないだろう」


そして、キツネにそう言ったのでございます。


「ごめんなさい」


潔く謝罪するキツネに魔女は安心したようにため息を吐きました。

それから再び口を開くと


「なんで急に飛び出したんだ?」


と尋ねたのでございます。

キツネはちょっと首をかしげて、んー?と呟きました。

そして、何かを閃いたようにポンと手を打つと


「クジラさんが消える前に話しかけなきゃと思って」


と答えたのでございます。

魔女は疲れた顔で再びため息を吐いておりました。

クジラはそんな一人と一匹の姿にクスクスと笑っております。

魔女は困ったように微笑みを浮かべておりました。


「ところで」


ひとしきり笑ったあとでございました。


「僕に何か用かな?」


クジラがそう尋ねたのでございます。

魔女はそれに頷いて答えました。


「元の世界に戻る方法が知りたいんだ」

「元の世界?」

「そうだ。私たちはこの世界の住民では無い。戻る方法を教えてほしい」


魔女の返事にクジラは、なるほど。と頷きます。


「私は世界を渡るクジラだから、確かにキミたちの世界にも行ったことがあるかもしれない」


そして、そう言ったのでございます。


「聞いたことある。世界を渡るクジラさんの話」


キツネが呟くと、魔女も頷きました。


異世界を自由に行き来するクジラ。

それは何千年も前から魔法使いと魔女に伝わる伝説でございました。

さまざまな世界を見て回る、ただそれだけのクジラでございます。

しかし、どの魔女よりも長命であり、誰も使えないはずの異世界へ渡る魔法を使えることから尊敬している魔女と魔法使いは多数おりました。


「いるとは知っていたが、まさか会えるとは思っていなかったな」


呆気にとられたように呟く魔女を見て、クジラはニコリと笑います。

深海のようなその瞳には、空に輝く星々の光が映り込んでおりました。


「じゃあ、行こうか。私に掴まって」


クジラの言葉に従って、魔女とキツネは大きな胸ビレに掴まります。

それを確認したクジラは、巨体を捻り星の海を泳ぎ始めました。


月が一瞬で西に沈んで、東から太陽が昇ります。

昇った太陽は天高く昇ります、西の空に沈んでいきました。

ほぼ同時に東から月が昇り始めた頃。

クジラは動きを止めました。


眼下にはどこまでも続く砂の海が広がっております。

遠くに見えたピラミッドの少し上に、黄金の月が煌めいて見えました。


「ここがキミたちの世界かな?」


深海色の目をしたクジラが魔女とキツネに尋ねます。


「どうだろうか?」


魔女がキツネを見ながら申します。

キツネはフンフンと大気の匂いを嗅ぐと


「違うみたい」


と答えたのでございました。


「では、次だ」


キツネの答えにクジラは頷くと、再び星の海に飛び込んだこでごさいます。


月が西に沈んで東の空が赤くなっておりました。

空の色が赤から紫に。

紫から青にと変化していきます。

そして、西の空が橙色に染まる頃。

東の空からは今にも消えそうなほど白い月が昇り始めました。

空の色が黒く染まると、月は反比例するかのように白く輝きを増していきます。


再び空が星の海になると、クジラは泳ぐのをやめました。

眼下には真っ赤に燃えるマグマの海が広がっております。


「ここはキミたちの世界かな?」


クジラが尋ね、キツネが大気の匂いを嗅ぎます。


「違うみたい」


そして、再び首を横に振ったのでございました。


「では、次だ」


クジラはまた星の海に飛び込むと、月が沈み太陽が昇ります。

そしてまた、太陽は沈んだことで空は夜のドレスを纏いました。

眼下には吸い込まれそうなほど暗い海。


「ここはどうかな?」


クジラが尋ね


「違うみたい」


キツネが答えます。


「では、次だ」


そしてまた、クジラは空を泳ぎ世界を跨ぐのでございました。


魔女とキツネはクジラに連れられて、さまざまな異世界を渡りました。


まるで雪のように白い花びらが降り積もる世界。

草木も花も何もかもが機械で出来ている世界。

氷しかない世界。

天まで届く本棚がたくさんある世界。

中に入れそうなほどの巨大な貝殻が落ちている世界。

色の無い世界。


そうして、何度も月と太陽が沈み、そして昇りました。

キツネが首を振り、クジラが泳ぐ。

それを何十回も繰り返した頃でした。


「ここ!」


キツネが大声で叫んだのでございます。眼下には広い森が広がっておりました。

森の中には枯れ草の広がる古い城や美しく澄んだ池が見えます。


「ここだよ!ここが元の世界だよ!」


キツネは満月のように目を輝かせながら言いました。


「ああ、ここだ」


魔女も頬を赤らめながら、うっとりと呟きます。

一人と一匹は全身で喜びを表しておりました。

その様子に、クジラが嬉しそうに目を細めます。


「見つかって良かった」


深海のように深いその瞳に魔女とキツネを映しながら、クジラは言いました。

魔女とキツネは笑顔で頷きます。


「助かったよ。ありがとう」

「クジラさん ありがとう!」


お礼を言う魔女とキツネにクジラは、なんてことはないさ。と答えました。


「お役に立てて何よりさ」


そう言ったクジラの顔は、どこか嬉しそうに見えました。


「では、私は行くよ。少しの間だったが、一緒に旅をできて楽しかったよ」


クジラはそう言うと、魔女とキツネも頷きます。


「今度会うときは何かお礼をしよう」

「また遊んでね」


そう言った一人と一匹にクジラは優しく微笑むと、再び空の海へと潜っていきました。

海のように青く透明な歌声が響き渡ります。

歌声は波のように空に広がり、ぶつかった星を揺らしておりました。


クジラの姿が完全に見えなくなり、歌声も止んだ頃。

魔女とキツネは地上へと降り立ったのでございます。

そこは、虫と鳥の声だけが聞こえる静かな夜でございました。


城は相変わらず古く、庭は枯れた花しかございません。

ですが、それはいつも通りの魔女の城でございました。


夕焼けよりも赤い魔女の目が枯れた庭を愛しそうに眺めています。


「あの世界の庭もなかなか良かったが、やはり元の世界が一番だな」


そう言って魔女は朝焼けよりも赤い目で枯れた花を見つめました。


「見ろ、あの花の枯れ具合。素晴らしい」


それは、鏡の中で魔女が誉めていた枯れ花に似ているような気もします。

キツネは、満月のような黄金の目で何度かまばたきし


「よく分からないけど、良いと思う」


と答えたのでございました。

得意気に頷く魔女を見ながらキツネは思います。


ランプの魔神を鏡の世界に忘れてきたなぁ、と。




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