秘密
時任家の前で紫雨に置き去りにされたヒナと私は顔を見合わせた。
「はあー、あーあ」
ヒナは明らかにがっかりしてため息をついた。
「紫雨と約束してたんじゃないの?」
「違うよ。学校の玄関で紫雨に一緒に帰ろって言ったの。家が全然反対方向でしょって言われたけど、でも一緒にいたいからー、ついてきちゃった」
可愛い笑顔でヒナは言った。
「そうだったの」
二人が約束してたわけじゃないと知って安心してる私。
気持ちのモヤモヤは変わんないけど。
でもヒナ、やっぱり紫雨のこと好きになったのかな。何がきっかけだったのかな。
そして好きになったら、すっごいグイグイなんだなあ。
正直だしかわいいし拒絶される要素が見当たらないもんね。
「あのね、私。この前、紫雨に助けてもらったの」
「え?どうしてか聞いていい」
「うん。テスト終わった日にね、帰りにゲーセンで遊んでたら、しつこくナンパしてきた人がいたの。顔コワい、ガタイいいー、お笑いのKみたい人ー」
思い出したのかヒナは笑った。
一見コワモテで強そうなお笑い芸人のK、みたいな人に絡まれたの?
合わせる感じで私も笑ったけど。
でもその後の展開が何となくわかって、そこからは素直には笑えなかった。
「そしたら紫雨がちょうど近くに居て、こっちに気がついて助けてくれたの」
「一緒に逃げたの?」
そう尋ねたらヒナは首を横に振った。
「紫雨は、ヒナがはぐれた体で『ほら、単独行動しなーい』的に声かけてきてくれた。そいつもチェッて感じでまあ離れてったの」
「そっか」
「そのあとね、途中まで送るからもう帰れって言ってくれて。でも出たらそいつが外で待ち伏せしてた。お前にムカついたって、いきなり紫雨を殴ってきたの」
「え、ひどい。怖いね」
「めっちゃ怖かったー。それでそいつと紫雨がバトったの」
「その時に紫雨があの怪我したの?」
「うんそう。でも、やられっぱじゃなく紫雨もちょっとやり返して。そいつ、ワーワー言ってたけど、結局は逃げてったの」
「ヒナは怪我とか、大丈夫だったの?」
「うん。紫雨には、怪我のことは言うなって言われたんだけど。あー、亜美に言っちゃった。ごめーん紫雨」
ヒナは済まなそうにちょっと眉を寄せて足元に目線を落とすと、白いコンバースを履いた脚をクロスした。
それで、あの目の下の青いアザと傷。
紫雨ってそんな無茶してたの?
もう完全に巻き込まれてるじゃん。
迫力もないし戦えそうになんて見えないのに。
初めて会ったガタイいい怖い相手と喧嘩したなんて。
でもヒナを守るためだよね、勇気あるな。
私の全然知らない紫雨。
そう思ったら胸が痛くなる。
きっとこのこと、お父さんや優雨には言ってないんだろうな。
「紫雨は顔優しいしオラオラしてないけど、マジになったら強いよ。カッコよかったの。その後もね、ヒナがバスに乗るまで一緒に居てくれた。そこからなんかね、紫雨のこと好きになった。さすがにまだ告ってないけどねー」とヒナは言った。
やっぱり、ヒナは紫雨のこと好きなんだね。
ますます胸が痛くなるよ。
「ねえ、紫雨の家の庭にキジトラの猫が遊びに来るんだって。亜美は見たことある?」
ヒナの話はいきなり飛ぶ。
「うん。一回あるよ」
「いいな、ヒナも見たいな。紫雨、犬は苦手だってね。近所の犬によく吠えられるって。でもその犬元気だったのに最近急に死んで、毒でも盛られたんじゃないかって飼い主のオバさんが言ってたってね」
とりとめのないヒナの話を聞きながら、私はもう紫雨への気持ちは伝えることなく終わるんだなあ、とぼんやり思っていた。
夢中で紫雨のことを話すヒナはすごく饒舌で、目が輝いてて。
彼女と紫雨が並んで歩いてるの見たとき、ひどく羨ましくて胸が焼けそうだったな。
だんだんと暮れていく夕方の日差しの中で、もうモヤモヤは終わりにしなきゃいけないんだろうなあ、と思っていた。
ひとしきり話すとヒナは「もう帰る。ごめんねー、亜美じゃあね」と言って手を振り歩いて行った。




