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明け方の夢は、紫  作者: 秋月小夜
13/14

優雨の手

「亜美、ライブが十月最初の日曜日に決まったよ」

 昨日紫雨が言った。

「よかった。大丈夫、私行けるよ」

 他にもクラスの子やいつもの遊び仲間や優雨も来るみたい。


 前に紫雨が言っていた通り、バンド練習のために一緒に帰れない日ができた。

 けど、その分楽しみが待ってるから我慢できる。


 そして現国の授業では紫雨が私に推している夏目漱石の「こころ」が始まった。


 紫雨に貰った古い文庫本には私の好きなラズベリー色のブックカバーをかけて、物語は主人公に()()から届いた手紙の途中まで読み進めていた。


 ストーリーを追って行くと、この夏に優雨と紫雨と、そして自分の間に起きたことを思い出さずにはいられない。


 紫雨も私と同じこと考えたのかな。

 読み終えたならきっと、紫雨と気持ちを分かち合うことができる。


 そう思ったら夜遅くまでかかったけど、ついに「こころ」を読み終えた。

 夜が明けたら、今日は紫雨と一緒に帰れる日だ。



 朝食の時にテレビから、昨晩起きたホームレス焼死事件のニュースが流れてきた。

 家から割と近い、大きな公園のベンチで寝ていたホームレスの男性が被害に遭ったそうだ。


「この近くよ。怖いねえ、しばらく立ち入り禁止だね」とお母さんが言って、

「あそこは木が茂って見通し悪いもんなあ。犯人見つかってないのか?また通り魔か」

 朝のコーヒーを飲み終えたお父さんもカップを流しに下げながら言った。


「亜美、今日部活は」

 お母さんに聞かれて「今日はないけど、帰りは紫雨と一緒だから」とドキドキしながら言った。


 両親の前で紫雨と一緒って言うのはどうにも気恥ずかしい。

 でも私のことを心配してくれてるってわかるから。


「ん?」と一抹の疑問を含んだ感じでお父さんが言って、お母さんは「そうなの、紫雨くんと」と言ったけどそれ以上は聞かれなかったし、乗り切った感じ。


 いや、お母さんは気がついたかも。



 今朝の紫雨は、始業ギリギリになって教室に現れた。


 曲作りとかで夜更かしして寝坊しちゃったのかなあ。

 でも急いで席についた紫雨は焦った感じというより、何かに気を取られているように見えた。


 そして一時間目が終わると私のそばに来て「亜美、俺今日さ、行くところ出来ちゃったから一緒に帰れないんだ。ごめんね」と済まなそうに言った。


 どうしたんだろう?楽しみにしていたのに残念。


「そっかー、急用なの?」

「うん、ちょっと」と答えた紫雨は少し困ったような顔をした。

 教室で理由をあまり言いたくなさそう。


 ヒナのために紫雨が喧嘩した時、それを秘密にしていたことを思い出して私は気になった。

 けど紫雨はこの頃ライブの準備とか、やる事が多くて忙しいのも確かだ。

 なら今日は一人で早めに帰ろう。


「そっか、無理しないでね」

「ありがと。ごめんね、あとでLINEするから」




 放課後を待ちかねたように、ホームルームが終わると紫雨は「じゃあ俺、行くね。帰り、気をつけてね」と私に言ってすぐに教室を出た。


 私も教室を出ようとしたら、廊下でリュックと竹刀のケースを背負って足早にこちらに歩いて来る優雨に会った。


「亜美、紫雨は?」

「行くとこあるって、今帰ったけど。紫雨に用事だったの」

「あ、いや。亜美ちょっと」


 優雨は私に近づくと声を落として言った。

「じゃあ今日は俺と帰って」

「あれ優雨、これから部活あるんでしょ?私もう帰るとこだよ」


 でも優雨は「聞いて欲しいことがある、紫雨のこと。すぐ行くから神社の境内のとこで先に待ってて」と私の目を見て低く言うと、返事を待たずに踵を返した。


 優雨、どうして急に。

 それに紫雨のことって何だろう。

 今日の様子と関係あることなのかな。


 私は一人で校門を出ると、あの鎮守の杜がある神社に向かった。




 神社は通学に使うバス停とは逆の山手の方で、下校する子達はこちらにはやって来ない。

 だから前に紫雨と寄り道したんだ。


 しばらく一人で歩いていたら「亜美」と後ろから呼ばれて、コンビニの袋を持った優雨が走ってこちらに追いついた。

「部活休むって言って来た。急にごめん、アイス買ってきたから食べながら行こう」

 そう言って優雨は棒付きアイスを一本くれると自分も食べ始めた。


「ありがとう、今度奢るね」

「気にしないで」と優雨。


 剣道部の副主将ともあろう真面目な優雨が部活をサボり、しかも放課後に買い食いしながら私と歩いてるなんて、初めてだし不思議。

 優雨推しの友達がなんて言うか。


 でもこれって、つまりは紫雨も含めてやっぱり秘密、なのだろうか。

 優雨と二人でこれから話す紫雨のことって、彼には秘密にしなきゃいけないことになるの?

 それっていいの。

 私はやけに複雑な気持ちになった。



「聞いて欲しいことって、なに?」

 神社の境内に入るともう人気がなかったし優雨に尋ねてみた。

「紫雨のこと。いや、それだけじゃないな」

 優雨は答えて「こっち行こう」と、奥にある東屋につながる道へと先に立って歩いた。


 そっちには、あまり行きたくないの。

 だってあの東屋は紫雨と初めてキスした場所だから。


 そう思ったら私の足取りは重くなって優雨に少し遅れた。

 優雨は紫雨の兄弟だけど、私が告白された相手でもあるっていう事をすごく意識してしまったから。


 優雨が後ろを振り返った。「どうしたの?」


 けどそれは答えられない、優雨には言えないことだもの。

「何でもないよ、大丈夫」


 東屋に着くと優雨は木でできたベンチにリュックを下ろし、竹刀のケースを立て掛けてベンチの上を軽く手で払い「ほら、ここに座って」と私を隣に促した。


 優雨と並んで腰掛けようとしたら、急にザアッと木々を鳴らして強い風が吹いた。


 制服のスカートが(ひるがえ)りそうになり慌ててそれを押さえたら、秋らしく少し乾いた風に乗って隣から優雨の匂いがした。

 洗い立てのシャツの匂いなのか、昔から優雨っていつもいい匂いがする。


 前に紫雨が言ってたっけ。「優雨は潔癖だから」って。


 ふと見たら優雨の手は乾燥してるのか、指先が白く荒れている。

 毎日家事をするせいなのかな。


「優雨、手が荒れちゃってるね」と言うと彼は自分の手を眺めて「ああ、この頃また(くせ)が出て」と言った。

「癖で荒れるの?」

「そう、何回も時間かけて手を洗っちゃう癖。小さい頃からの癖なんだ」

 それから真顔でこちらを見て言った。

「もう時間がないんだ」


「どうしたの?優雨もやっぱり急いでたの」

「そうじゃない」優雨は首を振って続けた。

「今、紫雨は警察に行ってる。防犯カメラの映像をもう一度見に行ったんだ」


 紫雨が警察に。急いでたのはあの事件のことだったの。


「どうして。やっぱり見覚えのある人が映ってたの?」

 優雨はそれには答えずに「今朝って言うか夜中だけど、俺が外から帰って来たら紫雨が二階から降りて来た」と言った。

「優雨、夜中に出かけてたの?」

「そう。それであいつに、どこ行ってたのかって訊かれたから『ランニングして来た』って返した」

 優雨は表情もなく淡々と話すから、それが逆に私をじりじりさせた。


 優雨は自主トレで朝とかランニングするって紫雨に聞いたことがある。

 でも最近は通り魔のことがあったし、それは紫雨だって心配するよ。


「夜中は危ないよ優雨。だって通り魔がまだ捕まってないし、今度はホームレスの人が火付けられて死んじゃったんでしょ」

 そう注意したら優雨はちょっと苦笑いして言った。

「亜美、ちょっと違ってる。まず背中から四か所刺して、それから灯油かけて火付けたんだ。俺がやったんだから」



 優雨の言ってる意味がわからない。


「俺が、とか。こんなとこで変な嘘やめてよ、もう。さすがに怖いよ」

 そう言ったのに優雨はクスクス笑って「人の体って、どう刺せば刺しやすいかわかったよ。あと、どうしたら映画で見るみたいに体が燃えるのか試したかった。ホワイトガソリンの方が環境には優しいって言うけど、灯油のが手近だしね」と続けた。


 わざわざ呼び出してまで、どうしてこんな怖いことばかり言うの?

 今日の優雨、なんかおかしい。


「ねえ優雨、もう本当にやめて。静かなとこでそんな話怖いよ。私もう帰る」

 そう言ってベンチから立ち上がりかけると、優雨の手が私の右手首を強く掴んだ。


「嘘じゃない、亜美。ここに居て聴いて。紫雨は今朝俺に、もう一回警察行って監視カメラの映像見て来るって言った。あいつは夜中の俺を見て、でも多分信じられなくてそうしたんだ」

 掴まれたままの手首が痛い。


 嘘じゃないの?

 それどういうこと。




「まさか優雨なの……ヒナのこと。あれ優雨がやったの?」

 寒気がした。


「亜美、やっと信じたの?」

 優雨はそう言うと、私の手首を掴んだまま立ち上がった。

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