貴方様の自由を勝ち取るためにございます
『…さて、我々は始祖に呼び出されたと言っても過言ではない。彼女は我々に『満月の夜にアベル家の令嬢を転生させる』と連絡を寄越してきた。我々は勿論これを止めねばならない』
と、通信用の鏡の中のタバサは物々しく告げた。
始祖の名で届いた手紙にはそう書かれていたらしい。そして夜の闇に紛れる銀髪に赤眼の妖艶な女の目撃情報がアベル家の周辺で何度も目撃されている。一方的なその手紙には不明点の方が多いが、間違いなくその地には吸血鬼がいることがわかっており、動かざるを得なかった。
アベル家の治める街へ馬車に揺られ、夜になると僕たちは令嬢の部屋へと詰めた。タバサは別室で通信用の鏡を使い、屋敷の主である子爵と話をしていた。タバサ自身は上から止められ、何かが起こらない限りは本部から出られないようにされている。退魔団のエースであるタバサはそう簡単に動くことができないのだ。
「なんだかなあ」
今回の作戦の要であるクリストファーはどこかやる気がなさげだった。
「どうしたんだい」
「なんつーか、なんか引っかかるんだよな。全然詳細知らずに来たからここまで疑問にも思わなかったんだけどさあ」
「うん」
「こりゃあれだ。ジュヌヴィェーヴのやり方じゃねえんだよなあ」
ちらり、とクリストファーの目が背後の令嬢を捉えた。令嬢は怯えた顔でウェンディに縋り付く。
「でも彼女が何者かに狙われているのは事実です。警護するのは当然でしょう」
「…いや、俺が言いたいのは寧ろ、俺は離れていた方が良いんじゃねえかってことなんだよな」
「どういうことですか」
ウェンディが訊ねるも、クリストファーは答えを迷った。
その瞬間。
「ウェンディ!」
「はい!」
窓に影が移り、僕の合図でウェンディが魔法陣を展開。令嬢とウェンディが居る寝台を魔法陣の防御壁が取り囲んだ。
窓が叩き割られ、黒い影が3つ、部屋に侵入する。クリストファーはナイフを構え、僕は両手に魔法陣を展開した。黒い影は目に見えないほどの速さでクリストファーを無視し、真っ直ぐ僕へと突っ込んで来た。
僕は両手の魔法陣を盾にさらに魔法陣を作り出し、1人目を足止めし、もう1人の凶刃を魔法陣で跳ね返す。最後の1人は僕の心臓へ真っ直ぐ刃を突き出した。
「止まれ!」
クリストファーが大声で怒鳴った瞬間、僕に突き出された刃がぴたりと止まった。3人は動けなくなったのか、黒い影に人が浮かび上がる。
3人は一様に銀髪赤眼の女だった。
「吸血鬼…」
ウェンディがじっと彼らを観察して言った。
「うぅっ、クリストファーさまぁっ」
「うわっ…!止まれ、シャザ!」
「ぎゃあッ?!何するんですかクリストファー様!」
そのうちの1人、長いウェーブの髪の妖艶な美女がクリストファーに飛びかかりそうになった。クリストファーの一声で引き攣ったように動かなくなり、不思議な体勢で動きを止めた。
「…ったく、こんなことだろうと思ったぜ」
「クリストファー、どういうことだ」
未だに僕にナイフを突き出したままの、前下がりのショートボブの女と睨み合いをしながら尋ねた。クリストファーはやれやれと頭を振りながらナイフを仕舞う。
「ジュヌヴィェーヴはいない。こいつらのでっち上げだ」
「知り合いか?」
「お前も会ったことあんだろ。俺の子達だよ」
「……うん?」
僕の魔法陣で足止めされたふわふわ髪の吸血鬼が「ふえーん」と泣いた。
「クリストファーさまぁ!」
「うるせーなあ、シャザ」
妖艶な吸血鬼がまた甘えた声を出したが、クリストファーはうざったそうに手を振っただけだった。
「下ろせ、エレナ。ベルは嘘泣き辞めろ」
「承知しました」
「嘘泣きじゃなもおーーん」
僕と睨み合っていた女はナイフを下ろし、転がっていた少女は嘘泣きをぴたりと止めた。
「大方シャザがジュヌヴィェーヴのフリして街を歩いてわざと目撃され、それから彼女を襲うとタバサに手紙を出したな」
「わあ、おとーさま大正解!」
少女がきゃっきゃと笑った。
「何のためにそんなことしてんだよ」
「貴方様のためでございます」
「はあ?」
僕の目の前にいたエレナという女の答えにクリストファーが首を傾げた瞬間、エレナはナイフをドスッと床に落とした。
「貴方様の自由を勝ち取るためにございます」
そして、目に見えないほどの俊速の手刀が僕の心臓へと伸びた。
「ガぁッ!?」
「アイザック様ッ!」
「エレナ止まれ!」
2人の声が同時に聞こえ、僕も咄嗟の判断で防御陣を展開した。ほんの1ミリほど指がめり込み、骨が砕ける感覚が広がる。僕は痛みに蹲り、胸を押さえた。同時にクリストファーも胸をぐっと押さえる。エレナはクリストファーの命令によって時が止まったように動かなくなっていた。
「い…ッてぇな!」
どうやらダメージはクリストファーの心臓にも届いたらしい。クリストファーはむせ混みながらエレナを睨んだ。
即座にウェンディが魔法陣から飛び出し、僕に治癒魔法をかける。エレナと対峙するウェンディの前にクリストファーが庇うように立ちはだかった。
「いい加減にしろ!シャザ、エレナ、ベル、彼らに危害を加えることを禁止する!」
「しかしクリストファー様ぁ、それでは貴方は自由になれませんわ!」
「俺は自分の意思でアイザック達と一緒にいるんだ!放っておけ」
クリストファーが怒鳴ると、3人は泣きそうな顔になった。ウェンディの治癒が終わると、胸の痛みがすっと取れる。
「完璧な治癒ではありません。…しばらく動かない方が賢明です」
「ありがとう、ウェンディ」
ウェンディの囁きが聞こえたクリストファーは、ちらりと僕を伺った。大丈夫だと言いたいが、正直大丈夫ではなかった。僕は急所を的確に突かれていた。心臓の音がおかしい。息がし辛くて、平静を装うのも精一杯だ。
「忌々しい人間の手から貴方様を救い出すと我々は誓ったのです」
「頼んでもいねえことをするなって言ってんだよ」
「頼んでいないのはその人間に操られてあるからでしょう」
びし、とエレナの指が僕を指差した。
「俺はこいつらが好きで一緒にいるんだ」
「同胞の我々よりもですか?」
エレナが冷たく問い詰めた。ひくり、とクリストファーが喉を鳴らす。
「…アンタらのことは大切だけど、でも自立できる歳だろ。もう一人で生きなきゃならねえ」
「納得できません」
エレナが冷たく言った。
「アイザック様、どうやら私が半分の主人だとは気付かれていない様子。…私からクリストファーに命令は出しませんので、アイザック様がクリストファーを諌めてこの場を抑えていただけませんか」
「…そのあとどうするつもり?」
「改めて話し合いの場を持ちましょう。お姉様を呼んで」
「そうだね」
ウェンディに囁かれ、僕はゆっくり立ち上がった。相変わらず胸は痛むが仕方ない。
「クリストファー、その3人に一旦退くように命令しろ」
「……、エレナ、シャザ、ベル、住処に戻れ」
クリストファーは一瞬躊躇いを見せたがすぐにそう命じた。3人は顔を見合わせたが、命令の強制力からか素直に窓から飛び降りて出て行った。
「簡単には終わらねえぞ」
「わかってるさ」
「その傷、治してやるから動くなよ」
「…そうだね」
ウェンディが不安そうに僕を見下ろす。クリストファーが僕に近づき、自分の手首を噛んだ。
クリストファーの牙が引き抜かれた手首から、魔物の黒い血が滴る。黒い血は傷口に滴り、黒い煙が立ち上る。ほんの数滴でクリストファーは腕を引いた。血を止めたものの、その代償としてクリストファーの指が数本腐る。クリストファーは舌打ちをした。僕の肋骨は完全復活していた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、アイザックはもう大丈夫だ。…俺は少し外で」
「ダメです。今は離れてはなりません。…血が必要ですね?」
「だから外で悪魔を」
「なりません。クリストファー、私の血を飲みなさい」
ウェンディは強い語調で告げた。クリストファーは命令されても抵抗しつつ、その場から動こうとしなかった。
「…飲みにくいなら僕のにしても良いんだぞ」
「お前の血はまずい」
「腹立つな」
拒否されたことに苛立ちながら僕は起き上がる。ウェンディは首元までぴっちりと閉じられたコートのボタンを外し始めた。
「クリストファー」
「…ああもう!」
クリストファーは頭をがしがしと掻き、ウェンディを抱き上げた。
「2人っきりでする!隣の部屋借りるからな!いいな!」
「じゃあ僕はタバサに報告に行くよ」
「頼む」
ウェンディは楽しそうにクリストファーにしがみつき、2人は部屋から出て行く。残された僕と令嬢は困ったように笑い合った。