君には特別な才能があるよ
タバサの誕生日パーティから2日ほど経った日。
「アイザック!」
「うわぁ!!!??」
アカデミーの教室はいつものように冷たく、周りの視線も同じように冷え切っていた。
先週、僕がタバサに気に入られて2人きりで会場を抜け出してしまったことで、僕は前から遠巻きにされていたアカデミーで完璧に無視されてしまっていた。僕の出自がとある貴族の庶子であること、そして僕に感情が欠落しており、ありもあらゆることに対して無関心で無表情であることを不気味がられたからだった。
そんな僕に飛びついてきたのは、小さなタバサだった。僕は珍しく驚いて尻餅をついた。
「お、驚いた…タバサ、お嬢様」
「んふふ、居るとは聞いていたけれど、このクラスだったんだな」
「…まあ、この辺りが限界だからね」
厳密なレベル分けによるクラス構成において、僕は最下層だった。庶民の子としてはその程度が精一杯だっただろう。僕はそれほど魔法が得意ではないし、魔力もそれなりだ。初級魔法をほんの少し使えるくらい。これといって得意な系統の魔法もないし、体術においても人並み以下だ。
「ねえ、約束を覚えているかい」
「君が僕の面倒を見てくれるって話?」
「うん!今日から家庭教師をしてあげる。僕は魔法が得意だから」
「本当?」
「うん」
タバサはにっこりと、満面の笑みを浮かべた。
「お嬢様!そんな庶民を相手になんて」
「僕たちもお嬢様に教えていただきたいことが…」
タバサの取り巻きたちはすぐに僕を押しのけた。その瞬間、タバサの目がすっと冷めた。
「邪魔するなよ、凡人」
タバサの足が動いた。僕を押しのけたクラスメイトの肩を押し、道を開けさせる。取り巻きは額に青筋を浮かべて反論し始めた。
「なっ」
「僕は最上位クラスのッ」
最上位クラスで、貴族で、お金持ちで、魔力も沢山ある。きっと魔法の才能にも溢れている。タバサの隣が相応しいことに変わりはない。しかしタバサは振り向きもせず、僕に手を差し伸べた。
「行こうよ、アイザック!」
「あ、うん」
タバサはまたにっこり笑った。僕はタバサに起こされ、タバサに手を掴まれたまま歩き出す。タバサの温かい手を握り返しながら、僕は不思議な気持ちになっていた。
「…良いの?僕で」
「アイザックが良いんだよ。友達になってくれたでしょ?」
「彼らは」
「要らない。僕は君だけで良い」
タバサの言葉には迷いがない。
置き去りにされた貴族たちは唇を噛んで僕たちを睨みつけている。庶子で才能がない僕と、そんな僕なんかを選んだタバサを。
きっと彼らにはなんらかの嫌がらせをされるだろう。僕はきっとトールマン家に帰ると酷い目に遭う。あのパーティの後もそうだった。
「僕は彼らよりも才能がないよ」
「そうかな」
「君は見る目がない」
「そう思う?」
「そう思うよ」
んふふ、とタバサは笑った。前と同じように魔法で次元をこじ開け、僕と2人でタバサの宝箱へと入っていく。
タバサはくすくす笑っていた。
「君には特別な才能があるよ」
「そうかな」
「この僕が言うんだから間違いない!もう少ししたら教えてあげる」
「楽しみにしているよ」
タバサは満面の笑みで僕に指を差し出した。細い小指だった。僕も小指を差し出して、指切りをする。
「でも、それでも、僕が一番だって、覚えておいてね」
「一番大切な友達だよ。…まあ、僕はほかに友達が居ないから、唯一で一番ってところかな」
「ふふ、良い言葉。唯一で一番。ずっとそうしておいてね」
「うん、良いよ」
タバサの笑顔が輝く。
タバサはその後、本当に魔法を教えてくれた。僕の乏しい魔力ではそれ程の効果は得られないけれど、僕は随分魔法が上手くなった。タバサは教え上手で、なんでも知っていた。どんな魔法でも使いこなしてみせた。魔法だけではなく体術までもが彼女の得意分野だった。動き方から鍛え方まで、本当に何でもかんでも僕はタバサから教わった。
そして心配していた貴族達からの嫌がらせは、なかった。理由は簡単で、タバサが圧力をかけたからだ。ただ彼らからの嫌味の言葉は続いた。
トールマン家からも、何もされなくなった。実子は怒ってばかりで僕を余計に嫌うようになったが、親の方は僕を利用することにしたらしい。タバサを夢中にさせておくのだとよくよく言い聞かされて、僕は口だけの了承をした。
夢中になる、の意味すら僕には分かっていなかったのだ。
目を開くと、自分の部屋の中に黒いコート姿のタバサがいた。また空間を捻じ曲げたのか、扉は開いた形跡がない。あの頃よりは成長したが、16歳のままの少女はあどけない。
「アイザック」
「どうしたんだい」
僕はタバサをソファへと案内した。タバサは素直に僕の肩にしなだれ掛かる。
「堪らなく不安になる…こんな任務に君達をつかせたくない」
「でも僕たちが一番勝率があると君は判断したんだろう」
「意地悪を言うなよ。今の僕と、司令官の僕は、違うんだ」
タバサの指が僕の指にそっと触れた。僕はその手を握る。タバサの華奢すぎる指は、冷たかった。
「それに、何かあったら君がすぐに助けてくれるんだろう」
「勿論その準備はしている。僕はお前も可愛い妹も失えない」
タバサは苦悩の溜息を漏らした。
「僕はタバサのためなら死んでも良いんだよ」
「…死なれては困る」
僕はタバサに微笑んだ。表情というものがほとんど動かない僕だが、相手がタバサならどうにか動くらしい。
「そう言ってもらえるなんて光栄だよ」
「お前はもっと自分を大切にしろ」
タバサの指に力が入った。
「ああ、違う。こんなつもりで来たわけじゃない。…甘やかしてくれ」
「勿論そのつもりだよ、おいでお姫様」
仕事が終わったタバサは、外向きの態度を取り払い、ソファにもたれかかった。
僕は立ち上がり、タバサの背後に回る。コートをそっと脱がせ、踵の高いブーツの紐を緩める。タバサはブーツを部屋の向こうまで蹴飛ばした。僕はタバサの長い巻き髪から、髪留めや紐を抜き取り、木の櫛でとかしていく。タバサはくすぐったそうに身を捩り、溜息を吐き出した。
「もっとゆっくり、二人の時間が欲しいな」
「珍しいことを言うね」
「これでも仕事よりアイザックが大事なんだ。二人の時間を取って、喧騒から離れて二人きりを満喫したい。小さな島にでも行きたいな」
「僕は君と居られるならどこにでも」
タバサはフッと笑った。
「欲がないな。この僕を独り占めできるチャンスなのに」
「いつだって君は僕のものだろう」
「うん、そう。髪の一本ですらね」
「なら僕は満足だよ」
「僕は不満だ」
僕の手がタバサの華奢すぎる指に引かれ、ソファに座り、タバサに覆い被さった。
「僕は我儘か?」
「それがたとえ我儘だとしても、内容が可愛いから、罪にはならないさ」
「お前のわがままも聞いてみたいよ」
「殴らないで欲しいは我儘に入る?」
「入る」
タバサがクスクスと笑った。
仕事の話やウェンディの話題になると嫌に暴力的な彼女は、些細なことでスイッチが入る。今日は不安からか、殴りつける元気もないのだろう。
今日なら、タバサも眠れるはずだ。今日は眠らせてあげても良い。
「タバサ、今日は眠っていいよ。僕も今日はすごく眠い」
「……」
僕はタバサを抱き上げて、僕の寝台に運んだ。タバサは黙って僕の首にしがみついている。僕はタバサを抱きしめたまま、そっと目を閉じる。
「どこにも行かないよ。手を繋ぐかい」
「うん…」
囁きかけると、タバサは消え入りそうな声で頷いた。指を絡めて目を閉じると、タバサは意識を失うようにことりと眠りについた。
タバサの寝息を聞いたのは、実に1ヶ月ぶりのことだった。
殆ど毎日この部屋にいるのに、タバサは眠らない。眠ることができない。
僕が逃げ出してしまわないか、怖くて怖くて堪らないのだ。