生きてるからだよ
ウェンディは実戦で実力を発揮した。
はっきり言って僕がいなくても全く問題ないレベルで任務を遂行してみせた。指揮官としての才能も全く問題がない。流石はニカレスタ家、という言葉がこれほど似合うシチュエーションもないだろう。
「…クリストファーが怒って話もしてくれないのです」
二日の実戦経験が終わった後、ウェンディは寂しげにそう言った。クリストファーは常にウェンディの側にいるし、実戦訓練中はウェンディのサポートに回った。危なげなく勝利したのはクリストファーの功績も大きい。
「そりゃ怒るだろうね」
「分かっているんですよ、本当に。私だって逆の立場なら怒ります。呆れてしまうかもしれません。でも、私だって譲れないのです。…私にだってできるってことを証明したい。要らない子だとはもう言われたくありませんから」
「明日はジヌビエーンに会いに行くんだから、それまでにちゃんと話をしておいた方が良いと思うよ」
「はい、私も…そのつもりです。で、お願いがあります」
ウェンディは潤んだ瞳で僕を見上げた。
「一人じゃ怖いので、一緒にいてください」
「…僕?」
「はい、お姉様には頼めません」
「最悪命令で許してもらおうとしてない?」
「していません…とは、言えませんけど…できればしたくはないけれど…でも、明日までに話ができるようにしないと…私はもう本当に寂しくて寂しくて…」
ウェンディは寂しく溜息を吐き出した。こう見えてかなり参っているらしい。…とはいえ僕とこうして親しく話していると、当然クリストファーは嫉妬している。ものすごく嫉妬している。ずっと僕は睨まれている。現在進行形で視線を背中で感じているが、どうしてウェンディはそれを毛ほども感じていないのか。
「…とりあえずクリストファーと話してくるから、ここで待っててくれる?」
「はい、お兄様」
お兄様と呼ばれるのも慣れてはきたけれど、兄らしく振舞うのは、今でも難しい。
僕は怖い顔をし続けているクリストファーの元へ向かった。クリストファーは僕を睨むのを止めなかった。
「やあクリストファー」
「…あ?」
ものすごく不機嫌だった。
「僕たちもウェンディを巻き込むのは不本意なんだよ?」
「…」
「ウェンディが君と話せなくてものすごく寂しがってるんだ。不満は色々あるだろうけれど、話くらいは…」
「…怒ってたか?」
「…ん?ウェンディが?」
こくり、とクリストファーは頷いた。どうやらクリストファーはクリストファーでウェンディに話しかけにくくなってしまっているらしい。面倒くさい2人は喧嘩を拗らせている。
「君さあ…一緒にいられる時間って考えたことある?」
「時間?」
「君は不老不死だから時間の概念がもはや無いかもしれないけど、僕やウェンディ、それにタバサですら、寿命というものがあるんだよ。どう頑張ったって60年程度しか生きられないのが人間なんだ。ウェンディは17歳、順当に行けば残りの人生は43年くらいしかないんだよ」
「43年…?そんだけしかねえのか?」
「そう。それだけ。こうしていがみ合ってる時間が勿体無いと思わないかい?」
「…そうだなあ、目が覚めたわ。ありがとうな」
「喧嘩は程々にな」
クリストファーはがしがしと銀色の髪を掻いた。
「謝ってくる」
「今回はウェンディも悪いんだ、ちょっと待ってくれ。ウェンディも話したいって言ってたから…」
「…もう離れたいっていう話だったらどうしてくれるんだよ…」
「君、極端だな」
「ものすごく大人気ない態度取ってた自覚はある。…あと、彼女の実力が本物だってのは、認める」
「それ、ちゃんと言ってやれよ。喜ぶだろうから」
クリストファーは深い溜息を零した。僕はクリストファーの肩を叩き、2人で揃ってウェンディの元へと戻った。
ウェンディはそわそわしながら、僕を挟んでクリストファーと対峙した。
「…えっと、その、」
「……」
「ごめんなさい。貴方が私を戦場に出したくないとか、守りたいと思ってくれることは嬉しいのですが、でも、私もニカレスタ家の人間です。戦えるなら戦いたい。負けたくない。生きている意味を見出したい」
「…悪かったよ」
「だから貴方もそんな私をどうにか認め…え?」
ウェンディは目を瞬いた。
「危ないことはさせたくない。…でも、お前がどうしてもって言うなら、俺が守れば良いだけの話だろ」
「クリストファー…!」
「こんなことで喧嘩して話もしないのは馬鹿馬鹿しいし、寂しい」
「私も寂しかったです!ああ、よかった!」
ウェンディがクリストファーに飛びついた。クリストファーもしっかり受け止めて、ウェンディの頭にキスを落とす。実に絵になる光景だが、兄としては複雑な光景になっていた。
「あー、えっと、仲直りしてくれたところ悪いんだけど、ホラ、ウェンディは報告に行かなきゃダメだろう?」
「あ、そうでした。…クリストファー、直ぐに終わらせてきますから、待っていてくださいね」
クリストファーがウェンディの頬に口付けし、送り出す。2人がまた仲良くなって僕は嬉しくなった。
「柄にもなく胸が温かくなったよ」
「俺も」
珍しくクリストファーが同意した。
「お前とタバサみたいな関係にはなりたくねーけど、信頼感はそうなりてえよな」
「僕とタバサも君達に負けず仲良しだけど」
「嘘つけ、いっつも殴られてんじゃねーか」
「良いんだよ彼女はそれで」
人前での彼女は、たしかに暴力的だ。おそらくそんな彼女の姿を見た人は、彼女の婚約者の座をあっさり諦めるであろう。しかしそれはあくまで人前だけの話で、2人きりになって仕事の話が消えると、彼女はまた別人になる。
「僕だけが彼女の可愛いところを知っていれば良いんだからさ」
「キザな奴め」
「君に言われたくはないな」
ウェンディを耳が溶けそうなほど甘い言葉で口説いて、べたべたに甘やかしているのは知っている。というかこの吸血鬼はそれを全然隠す気がない。
「明日はジュヌヴィェーヴに会いに行くんだ。下手したら俺もお前も最後かもしんねえぜ。今日は後悔のないように1日過ごすのが一番だ」
「そうだね。それが賢明かもね」
クリストファーは両手を握って、明るい顔で前を見据えた。
「短くて明日、長くてもあと43年か。すごく短いな。意味分かんねえ、なんで人は歳を取るんだ」
「生きてるからだよ」
「あーあ、俺も生き返りてえな。ウェンディが死ぬ時に一緒に死にたい」
「君はたまに滅茶苦茶なことを言うね…」
死にたいなんて言う魔物と遭遇したのは初めてだった。
魔物は理性よりも本能が強い。生存本能は理性を遥かに上回る。色々理由はあるにせよ、あの絵本の吸血鬼のように自ら死のうとする魔物は、他に例がない。彼らが元々人間だということが理由なのだろうか。
「どうにかして俺も一緒に老いることはできねーかな。生き返るのは無理でもさ」
「無理だろ」
「でもタバサは老けないぜ。初めて会った時から髪の長さすら変わらない」
「それ、絶対にタバサには言うなよ。気にしてるんだから」
タバサは16歳から歳を取っていない。あの日から時が止まったまま。髪も爪も1ミリも伸びない。どれほど太陽の下に晒されても肌の色は変わらず、食事を摂らなくても体型に少しの変化も現れない。
「寿命の話のついでだから言っておくけど、僕はタバサよりずっと早く死ぬと思うんだ」
「ほう」
「君の心臓を入れた代償として心身共に磨耗しきっているから、寿命は短いと思う。でも、タバサは僕やウェンディよりは長く生きそうだ。そうなれば孤独な彼女を隣で支えてやれるのは君しかいない」
「支えられるような女ならな」
「別に恋人になれとか、そういうつもりは全くないんだ。寧ろ恋人になんてなられたら本気で君を殺す」
「…タバサ相手にそんなことにはならねーから安心しろよ」
そりゃ当然だ、とは言わなかった。
「家族として支えてやってくれよ」
「家族ねえ」
「君はウェンディの伴侶なんだ。タバサとは兄妹になるんだよ」
「タバサお姉様って呼ばなきゃならなくなるのか?」
「そこまでは頼みやしないさ」
賭けても良い。タバサは僕が居なくなれば心のバランスを崩す。可愛い妹のウェンディまで亡くなってしまえば、嘆きのまま死んでしまうかもしれない。
「僕が死なないのが一番なんだけどね」
「人間には無理だな」
「そうだよ」
人間として永遠に生きることは不可能だ。人は死ぬもの。死んで、新しい生命となってまた生まれ直す。それが人の永遠だ。
「お前らみんな死んじまったら、俺はどうすりゃいいんだろうなあ」
「好きに生きればいいさ。今までみたいに」
「飼い犬を野に放てば野垂れ死ぬのが目に見えてんだろが」
「君、飼い犬ってタマじゃないだろ…」
僕が保護していた特異体質の女性を、まるで嘲笑うかのように命令の裏をかいて殺していった。あの頃を思えば、飼い犬なんて可愛いものではない。無理やり首輪を繋がれただけの、野良だ。
「改心したんだよ!ウェンディのおかげで!」
「本当に君にしては吸血衝動が全くないもんな」
「無いことは無いんだけどな。ものすごく抑えてる。限界になってウェンディに噛み付いたら一番怖えし」
輸血用の血だけで凌げるようになったのは大進歩と言える。ウェンディは噛みつかれたらむしろ喜びそうだけれど。
「ウェンディの側に居続けるための努力は怠りたくねえしな」
「変わったなあ、本当に」
「お前もタバサに出会って変わったんじゃねえのか」
「そりゃ変わったよ。別人になったと言っても差し支えないくらいに」
クリストファーのように、僕もすっかり変わった。
僕は変わり者だった。
誰とも交流しようとしなかった。孤独な自分で良かった。誰かを大切にしたいとすら思わなかった。
それがタバサに出会って、タバサのことしか考えられなくなった。タバサが大切で、タバサが愛しくて、本当に何物にも代え難くなっていた。