吸血鬼は家族になるのですか?
「シソ?葉っぱですか?」
きょとん、とウェンディが首を傾げた。ウェンディにまとわりつくクリストファーは吹き出していた。
「始祖だよ。始まりの祖」
「ああ、始祖ですか」
「知ってるの?」
「いいえ?わかったふりをしただけです」
ウェンディはくすくす笑っていた。相変わらず表情の暗いタバサは笑わなかった。
タバサと話をした翌朝、僕たちは朝食の席でウェンディとクリストファーに向かって話をしていた。
「僕たちはそれを『始祖』とも『始まりの吸血鬼』とも、『生命の魔女』とも呼んでいるんだ」
「始まりの吸血鬼?生命の魔女?」
またこてんと首を傾げながら、ウェンディは繰り返す。
「その魔物…彼女こそが最初の吸血鬼だと言われているんだよ。そして、生命を操る大魔女だったとも」
「魔術師が吸血鬼になったということですか?」
「あっさり言ってしまうと、そうなるね」
ウェンディは首を傾げた。クリストファーはウェンディを宝物のように抱きしめながら、目を逸らす。
「本当の名前かどうかは分からないけれど、吸血鬼達は彼女を『ジヌビエーン』と呼んでいるんだ。そうだろ、クリストファー」
「ジュヌヴィェーヴ、だよ」
クリストファーは流暢に訂正した。とはいえクリストファーの言った言葉はあまりにも流暢過ぎて、僕たちには『ジヌビエーン』のほうが耳に馴染む。ほとんど聞き取れなかったと言っても過言ではなかった。
「よく発音できるね。彼女の名前はごく一部の地方の名前で、発音できるのはその地方で生まれ育ったユズベク地方人だけだ」
「あー、たしかに兄妹達も発音できてなかったな…」
クリストファーは遠い目をしながら言った。
「もしかしてクリストファーはユズベク地方出身なのか?」
「ん?いや、全然知らねえ。覚えてねえし、興味もない」
クリストファーはきっぱりと言い切ったが、ウェンディはきらきらした目でクリストファーを見上げた。
「私、クリストファーのこと殆ど知らないと痛感しました。昔のことを教えてくださいよ」
「…あー、ここ100年くらいのことならわりと記憶にはあるけど…」
「人間だった頃とか」
「っ」
クリストファーは口を閉ざして、ウェンディから離れた。指を噛んで、眉を寄せる。
「話したく無いようですね」
「…死に際の記憶に違いはないからね」
「それは失礼しました。クリストファー、ごめんなさい。戻ってきてくれないと寂しいです」
クリストファーはそう言われると無下にもできないのか、ちらりとウェンディを見た。
「…いや、本当に覚えてないんだよ。話したくないとか以前に覚えてないし、どうしてか思い出したくない。知りたくもない。だから…」
「はい、もう聞いたりしませんから」
ウェンディはにっこり笑った。クリストファーが戻ろうとした瞬間に、タバサが口を開く。
「話が脱線した。始祖がまた暴れ始めた。僕たちとの契約違反になる。話し合いで解決できればそれで良し、ダメなら…討伐するしかない」
「契約?彼女も使い魔なのですか?」
「彼女を使い魔にできるような人間はいないよ。でもね、人間とこう約束したんだよ」
タバサは低い声で言った。
「『もう人を転生させない』とね」
「転生…」
「つまり吸血鬼に堕とすということさ。彼女は特殊な癖があって、転生させたい対象を見つけたらその人に纏わるもの全てを破壊するんだ」
「というと」
「たとえば始祖がウェンディを転生させたいとすると、彼女はまず僕やアイザックを殺しにくる。そしてつぎはウェンディを知る人間を、そしてこの街を、破壊する」
「どうしてそんなことを?」
タバサは僕に視線を送った。僕はタバサに変わって話し始める。
「一説によると、家族になるため、らしいよ」
「家族…?」
「さてここで彼女について伝わっている話をしようか」
僕はウェンディに資料を渡した。ウェンディは従順にページをめくる。美しい黒髪の魔女が描かれた絵が現れた。
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ある国にとても強い魔女がいた。
国中が彼女を敬い、また助けられていた。あらゆる事故、病気、災害全てを癒すことのできる彼女は『奇跡』の象徴として崇められていた。
彼女にはおおよそ家族と呼べる人間がおらず、孤独な生涯を、魔法を手慰みとして生きていた。彼女がどこから来たのかも、誰から生まれたのかも、誰も知らない。万人に崇められ、讃えられても彼女の心は孤独から救われなかった。
彼女には神から呪いがかかっていたと伝わっている。
彼女は子供の作れない身体だった。そして、複数いた伴侶がどういうわけかさまざまな理由で早死にしている。
そして、孤独を嫌い、家族がほしがった魔女は、禁断の呪術に手を出した。
その呪術は彼女に家族を作る術を与えたが、それは人を悪魔に堕とす禁断の魔術。みるみるうちに彼女の豊かな黒髪は銀色へ変化し、闇色の瞳は血の滲んだような赤へと変わり果てた。
彼女は吸血鬼となった。
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ページを捲ると黒髪の魔女は、銀髪に赤目の吸血鬼となり苦悩していた。
「吸血鬼は家族になるのですか?」
絵を眺めたウェンディは首を傾げる。
「家族というには語弊があるけど、吸血鬼にはたしかに親子関係が存在するんだよ。噛んだ方が親、噛まれた方が子」
タバサがそう答えた。
「そして親は子が立派な吸血鬼になれるように100年間世話をする。自立できるようになれば親子関係は解消される」
「悪くない関係に聞こえますね」
「ただし子は親に絶対服従だ。逆らうことができない」
ウェンディの表情が固まった。
「…魔物っぽいですね」
「正真正銘魔物だからね。元が人間っていう所が珍しい特性なだけで」
「親子関係は契約関係ですか?契約を解除すれば自由?」
「自由は自由だけど、一生上下関係は崩れない。契約とは違う」
ちらり、とウェンディの瞳がクリストファーを映した。腕を組んで話を聞いていたクリストファーは渋々頷く。
「俺にも親がいるし、実は子もいる」
「えっ、子持ち…!?」
「400歳だぞ、俺。吸血鬼の中でもそこそこ高齢なんだ。若い頃にヤンチャしててもおかしかねーだろ」
「ちなみに何人くらい…」
「うーん、まだ生きてる奴は6人くらいかな。転生自体は30人くらいさせたはず」
へえー、とウェンディが興味深そうに相槌を打つ。実はクリストファーの子は僕とタバサで大半駆除した、というのが真相だが、ウェンディには敢えて教えないつもりだった。クリストファーもクリストファーで、然程気にしているようには見えない。
「俺は200年くらいこの近くの村を牛耳ってたんだ。…タバサとアイザックに負けて足洗ったけど、200年くらいは王様みてえなもんだったんだぜ、こう見えて」
「猿山のボス猿ってやつだね」
「お前酷えな」
実際に立派な城を構えて、王の如く崇められてはいた。人間とも上手くやっていたと思う。
「また話が逸れた」
タバサが口を開く。
「さっきの魔女、あれがジヌビエーンだと言われているんだ。どこまでが真実なのかは分からないけどね」
「では吸血鬼とは、魔術に失敗した魔術師の成れの果てだと言うのですね」
「他に説明のしようがないからね」
魔女から吸血鬼へと落ちていく絵をウェンディは食い入るように見つめる。
「さて続きだ。アイザック」
「はいはい」
タバサに促されて、僕はページをめくった。
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吸血鬼になった魔女は、吸血鬼としての本能のまま隣人を噛んだ。みるみるうちに自分と同じように吸血鬼に変化した隣人は、しかし彼女とは明らかに違った。
隣人には人間らしい理性がなくなっていた。
隣人は魔物の本能のまま、街中を襲い、街を破壊し尽くした。
100年が経ち、隣人は突然理性を取り戻し、自分の行いを悔いたという。全てが恐ろしくなり、魔女の前で自らの命を断とうとしたが、魔女が辞めろと命令すると、なにもできなくなった。
魔女は転生による特殊な関係を「親子関係」と喩え、自分の魔術が想像していなかった形で成功していたと知る。
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「ううーん、よくわかりません…どうして100年待ったのか、街ごと破壊したような吸血鬼なら、危ないから真っ先に処分するような…」
「ジヌビエーン自身が吸血鬼という新種の魔物がどんなものか観察したかったと見るのが正しいね」
「その結果が、自殺未遂、ですか…」
ウェンディの疑問にタバサが答えた。
「それ以来、ジヌビエーン自身が街ごと破壊するようになったと言われているんだ。自分が破壊したのでなければ後悔はしないからね」
「そうでしょうか…?そんなことをされては、親子関係でも恨みが残るのでは…」
ウェンディは首を傾げた。
「それにこの話は詳しすぎます。嘘くさいと言っても良いです」
「この隣人からの報告書だからね。一時的に退魔団のところにいたらしいから」
「へ?」
あくまで、らしい、だ。
この隣人が今も生きているかどうかすら分からないが。
「この話が本当かどうかは君の吸血鬼が知ってるんじゃない?」
と、タバサがクリストファーに視線を送った。
「君、ジヌビエーンの子だろう」
クリストファーは分かりやすく目を逸らした。
「魔女に転生されたということですか?」
「しかも結構初期の子だと思うよ。どうなんだ、吸血鬼」
クリストファーはつんと顔を逸らして回答を拒絶した。
「クリストファー、答えろ」
「うぐっ」
僕が命じるとクリストファーは苦しげに顔を歪ませた。
「クリストファー、答えてください」
ウェンディまでもがそう命じると、クリストファーは渋々口を開く。
「確かに俺の親はジュヌヴィェーヴだよ…」
「この話はどこまで本当だ?」
「殆ど全部本当だ。ジュヌヴィェーヴは吸血鬼を家族としている。…正直俺もあんま知らねえんだよ、アイツのこと」
クリストファーはぽつりぽつりと答えた。
「あんまり自分のこと話さねえ女だし、100年きっかりで解放したらもう会うこともねえな。俺も…うーん、一回くらいは会ったかな…そんくらいだよ」
「忘れられている可能性はあるか?」
「いやそれはない。アイツ、ああ見えて物凄く子供思いで、死んだ奴の弔いにだけはすぐに駆けつけてくるような奴だからな」
「それならやはり、君は適任だな」
タバサは幾分顔色を良くした。
「彼女は人間とは簡単には話をしてくれない。だから、君が僕と話をするように説得してくれ」
「…はあ?」
「交渉の場に引きずり出すだけで良い。だが、親子関係がある以上、彼女に操られて僕たちを裏切る可能性もある。だから…君の心臓を持つアイザックと……ウェンディを、連れて行け」
「お、おい!アイザックはともかく、ウェンディは連れて行けねえぞ!俺だって自分がジュヌヴィェーヴの命令に逆らえる自信がねえ!いくら心臓を持つお前らがいても、だ!」
当然、クリストファーは抵抗した。しかしウェンディは顔をぱっと輝かせ、クリストファーの手を握った。
「行きます!」
「ふざけんな!お前、自分のこと分かってねえだろ!多少は隠せるようになったとはいえ、お前の特異体質は治っちゃいねえし、実戦の経験も…ッ」
「今日から実戦経験を積ませてくださいませ、お姉様。特異体質封じのネックレスもまた着けます。これなら文句はありませんよね」
「文句しかねーよ!」
クリストファーが吠えた瞬間、ウェンディの目が変わった。
「いいえ、文句は言わせません。…クリストファー、命令です。認めなさい。…実戦に出ます、サポートは任せます」
「……ッ、もう、知らねえからな…」
クリストファーは反対もできなくなり、悔しそうに歯噛みした。
「…というわけで、僕としては不本意だけど、ウェンディの団入りを認める。階級は2級…指揮官待遇で迎える。はい、コート」
タバサが胸のペンダントに収納されていたコートを取り出し、ウェンディに手渡した。黒のコートに銀の刺繍が入っている、指揮官用のコートをウェンディは大喜びで受け取った。
「わあ!ありがとうございます!お姉様の期待に応えられるよう、精一杯務めさせていただきます」
「タバサ、僕より彼女のほうが階級高いのはどうしてかな」
僕は準2級だった。
「上官を命がけで守れよ」
タバサは意味深に笑った。