だから僕を何より一番大切にしてね
生まれた時には既に父はいなかった。
妊娠した母を置いて逃げてしまったのだという。父は貴族というもので、魔法使いだった。母はごくごく一般的な庶民で、辺境の小さな伯爵家の召使いをしていた。そこで父に見初められて僕を身篭ったのだという。妊娠した母は生家に戻ることとなり、僕は父なき子として生まれた。
平穏に育っていたのだと思う。僕は赤子の頃から表情の変わらない不気味な子だったと、後に母から言われた。泣きもせず、笑いもせず、動きもしない。そんな子だった。ある程度の自我が芽生えてもそれは変わらなかった。僕は友達を作らず、1人ぽつんと過ごしていることが多かった。
僕が魔力を発現すると、父所縁の貴族の家に引き取られることになった。魔法使いとしての教育を受けさせる必要があるからだという。
そして僕は、貴族としてアイザック・トールマンと名乗ることとなった。
後に婚約者となるタバサ・ニカレスタと出会ったのもちょうどこの時だった。
引き取られて間もない頃、貴族の礼儀作法など何も知らないのに、僕はタバサの誕生日パーティに行くことになった。それはあくまで僕を引き取ったトールマン家の実子の引き立て役として、のものだった。
ニカレスタ家といえば、悪魔払いの総本山である。ニカレスタの屋敷の裏には悪魔払いのアカデミーがあり、そして司令塔がある。タバサはいずれその地位を引き継ぐべき令嬢だった。ニカレスタ家の影響力ときたら、それは凄まじいものだった。ある意味その土地の王家であった。
そしてそのタバサも、本当に幼い子供でしかなかったのに、その存在感はまさに女王のようだった。ニカレスタ家らしい青色のつやつやの髪に、青色の大きな瞳。桃色の唇は小さく、鼻は高かった。よくできた人形のようににこにこと微笑んでいたのをよく覚えている。
僕はタバサへの挨拶の時、早々に失敗をした、らしい。今でもよくわからない。でもトールマン家の実子には「我が家が迎えたばかりの新しい弟はとても出来が悪く」とタバサに話しかけ始めたから、僕はそうなのだと思った。タバサは興味なさそうにふうん、とだけ言っていた。
挨拶が終わって、僕は1人窓際に佇んでいた。主役のタバサは相変わらず人に囲まれていた。タバサの作ったような笑い声が耳に届いて、自分とは全く違う世界の人間だと思っていた。
「あなた、ひとりぼっちなの?」
外の景色を暫く眺めていると、タバサに話しかけられた。それが信じられなくて、暫くタバサをじっと観察した。タバサの青い目には間違いなく僕が映り、タバサの顔には明らかに疑問の色が浮かんでいた。
「ひとりに見えるならそうなんだろうね」
「ひとりぼっちに見えるわ」
「そうか、なら僕は一人ぼっちだ」
「実は私もひとりぼっちなのよ。おそろいね」
「ひとりぼっちが2人揃っても、それはひとりぼっちが2人に増えるだけで仲間にはなれないよ」
「真理ね」
ふむ、とタバサは考え込んだ。
「それなら私とお友達になる?」
「どうして僕?君はどう見たってひとりぼっちじゃないよ。みんな君と話したがっている。僕はみんなに笑われるためにここにいる。君とは役割が違うんだ」
「それは私が良い子のフリをしているからだわ。ねえ、こっちへ来てよ。秘密を教えてあげるわ」
タバサは悪戯っ子のように微笑んで、ぼくの手を引いた。周りが騒つく中を突っ切って、タバサは会場から出て行く。廊下の途中でタバサは指先で円を描き、違う空間とのゲートを作り出した。それは大人にもできない大魔法の一端だった。タバサに続いてそこに潜り込むと、そこはぬいぐるみで埋め尽くされたおもちゃ箱のような空間だった。
「いらっしゃい、ぼくの宝石箱へ」
タバサはとびきりの笑顔で言った。先程までの完璧な女の子の声色で、男の子のような言葉だった。
「男の子なの?」
「どうして?こんなに可愛いものを集めているのに」
「でも君は今、自分のことを僕って言ったよ」
「僕は女の子だよ。でも僕って言いたいんだ。おかしい?」
「おかしいよ、すごくね」
そういうとタバサはくすくす笑った。
「そう、おかしいよ。でもみんな『タバサ様ならおかしくはないです』って肯定するんだ。おかしいでしょ?」
「おかしいね」
「でも君はもっとおかしいよ」
「君がそう言うならそうかもね」
「ねえ、だから、友達になろうよ」
「僕も宝石のひとつになる?」
「してあげる」
「それなら悪くないかもね」
「そうだろ?」
タバサは少女の笑顔でそういった。その可愛らしさは、表情がないとばかり形容される自分の頬すら少しは持ち上がったほどのものだった。
「君を僕の一番大切な友達にしてあげる。だから僕を何よりも一番大切にしてね」
その言葉はそれ以降、呪いのように僕に付きまとい続けている。
そして一番大切なお友達から婚約者へ昇格した現在、僕はタバサに大切に大切に毎日半殺しにされている。
一種の愛情表現と言って良い。
タバサは僕を信用しきっていない。僕が離れていくのが怖い。だから暴力で縛り付ける選択をし、僕はそれを受け入れた。僕が弱くて頼りない人間だから。僕が常にタバサに屈服し、崇拝していなければ、タバサは安心できない。
僕がそれなりの立場につくようになってから、女が僕に色目を使うようになったのもタバサを大いに刺激した。僕が女と話そうものなら怒り狂い場所を問わず僕を殴りつける有様だった。そんな光景が見られるようになってから僕は女に声をかけられることはなくなりつつあるが、今では女性の影を見るだけで背筋がぞくりとする。
ことウェンディの僕への思慕についてもタバサは毎日怒り狂っていた。かといって孤独の中のウェンディから僕を奪うこともできず、タバサの疑心暗鬼は深刻となった。が、良くも悪くもクリストファーの存在がそれを緩和させた。僕もタバサも、可愛い妹を魔物にくれてやるのは面白くないが、ウェンディが幸せならそれに代えられる物はない、と思っている。
そしてそのウェンディについては、彼女が自分の体質を自覚してからというもの、僕に教育を任されている。ウェンディは魔法の使い方、魔物とは何か、ニカレスタ家の役割とは、などの教育を受け、退魔団への憧れを隠さなくなっている。
興味を持たせた責任は僕にあるのだとタバサは怒り狂った。ウェンディは魔術を使い、自らで特異体質のコントロールが、タバサの魔術がこもったペンダントをつけていればという条件付きではあるものの、ある程度できるようになっており、そのおかげで漸く両親と心置きなく会えるようになっていた。
それまでは、ウェンディの特異体質によって両親ですら魅了されてしまうことを恐れ、あまり会うことがなかったのだという。臆せずウェンディに接するのはタバサと僕くらいのものだった。世話役達は厳重な魅了防止の魔術で守りを固め、基本的にはウェンディとの会話を禁じ、日替わりで交代させる徹底ぷりだったため、ウェンディは孤独な日々を過ごしていた。タバサが開発した魔法のペンダントをつけ始め、両親と短時間の面会をするようになり、今では殆ど毎日会えている。それは喜ばしいことなのだろうが、タバサは複雑だ。何せ今までは可愛いウェンディを独占できていたのだから。
今日も今日とてぼこぼこに殴られ、首を絞められ、意識を無くしたあたりで傷は治されたらしく、目が覚めた時には無事何事もなかったかのように無傷になっていた。
「今日はやり過ぎた」
「そうだね」
目が覚めたばかりの僕は、殴られたことはもう気にしていなかった。謝罪か褒美かの膝枕で僕は満足していたからだ。
タバサは珍しく反省をしていた。
「ウェンディに言われたの?」
「ああ、退魔団にはどうすれば入れるのか?と。自分の僕であるクリストファーが働いているなら自分も入るべきではないか?と」
ついにウェンディから直談判されたらしく、タバサは悩ましげに額に掌を押し当てた。
「そんなことはしなくていいのに」
可愛い妹を戦場に出すことなどできない。タバサは苦悩の溜息を吐き出した。しかし、入れざるを得ないだろう。現実的に、戦力不足が否めない退魔団にウェンディが入ってくれるなら喜ばしいことではある。
「もう魔法も団のことも教えるな」
「そうは言っても、君に言われたことしか教えていないよ。魔力のコントロールと基礎の魔法だけ」
「必要最低限しか教えていないのに、もう応用し始めている。彼女は早過ぎる」
確かに早い。魔術の習得が、その他大勢の魔術師と比べて格段に早い。すぐに使いこなしてしまう。おそらくクリストファーが練習に付き合っているのだろうが、教えた魔法を応用し、違う魔法として練習すらしている。
これがニカレスタ家の才能なのだろう。
「この僕よりも早いんだ…もっとゆっくり学ばせたいのに」
「年もあるだろう」
タバサが自分で自覚している通り、ウェンディの才能はタバサ以上のものである可能性がある。タバサはこれまで誰からも認められる天才として持て囃されたが、ウェンディが使い魔を増やしていけば、タバサをも上回るかもしれない。それをクリストファーが許すかどうかは別だが。
「小さい時の方が習得しやすいよ。このままだとウェンディだって僕のように呪いを受けかねない」
「ウェンディの気持ちは実験に向いていないから安心していい」
「それなら良いが」
タバサは溜息を吐き出し、僕を寝台に引き込んだ。
「体力回復まではしていないぞ、早く寝ろ」
「わかった、おやすみタバサ」
「おやすみ」
タバサに薄い毛布をかけられ、僕は目を閉じた。タバサは目を開いたまま、じっと天井を眺めていた。
タバサは、僕を見張っている。
僕が夜に逃げ出さないように。タバサが眠っている間に出て行かないように。
タバサは僕を見張って眠らない。
タバサの呪われた身体は、本当に必要な時以外は食事も睡眠も要らないとはいえ、これは異常だった。