良き日だ
あっという間に「変な感じ」とウェンディが胸を押さえて心音を確認し、そんなウェンディを興味深そうに3人が取り囲み、俺のウェンディだぞと睨みを聞かせるクリストファーの構図が出来上がった。
タバサはウェンディの身体チェックと、服従の呪いが効いているかの確認を始める。
僕はそれを、遠巻きに眺めていた。僕も体力気力共に限界が近く、まともに立っていられなくなったから、少し離れたところで木に背中を預けて平静を装っていた。
「あらあらまあまあ」
鈴のなるような細い声がした。
僕は思わず振り返り、彼女の神々しい姿を間近に拝むこととなった。
日の光に照らされ、白く光るような銀の髪。怪しく光る赤い瞳。血の通わない真っ白な肌。
「まさか」
僕は息を飲んだ。
クリストファーたちは気付いていない。
「じ、じぬ」
「ジュヌヴィェーヴよ。はじめまして、アイザックさん」
「どうして僕の名前を」
「うふふ…私はね、心が読めるの」
彼女は楽しそうに笑った。どこかタバサのような危うさを持ち合わせた笑顔だった。
「私の偽物が現れたと聞いたから来てみたけれど…なんてことない騒ぎだったわね。残念だわ」
「クリストファーには会わないのですか」
「必要があるとは思えないわ。うふふ、でも、彼は予知した通りの未来を生きているわね」
「予知」
僕のつぶやきなど彼女は気にしていなかった。僕は殺されてしまうのではないかという恐怖から逃れられない。彼女はそれほどまでに凄まじい魔物なのだ。
「うふふ…貴方に危害を加えるつもりはないわよ、勿論。だって私、貴方もタバサさんも大好きだもの。遠くから見守っているのよ」
「へ」
間抜けな声が漏れてしまった。
「私は私の子供をずっとみているわ。何かあれば助けてあげたい。貴方にクリストファーちゃんを預けたのは、この結末を予知していたから。…彼ったら幸せそうなだもの」
まさに母親の顔で、ジュヌヴィェーヴは微笑んだ。クリストファーは自身の子供たちが興味津々でウェンディを囲むのを複雑な顔で眺めている。
「タバサに会いませんか」
「それは同じ失敗をした魔女として、傷の舐め合いをしろってことかしら」
「そんな」
僕は気色ばんだ。
たしかにタバサはジュヌヴィェーヴに対して、自らのロールモデルとして憧れと畏怖を抱いている。タバサはジュヌヴィェーヴとは常々話してみたいと言っていたし、そうすることで彼女の恐怖が和らぐなら僕はそれを叶えてやりたい。
「私と彼女の失敗って、かなり程度が違うのよ。残念だけど」
「そ、そうですか」
「それに貴方のような人が私にも居たら…きっとこうはならなかったわ」
ジュヌヴィェーヴは微笑んだ。
聖母とも、悪魔とも、魔女とも、その全てを兼ね揃え、そしてどれも当てはまらない女。魔物でありながら人間、光であり闇。
凄まじいほどの魔物としての圧力を持ちながらも、どこまでも人間臭い。それでいて超越者。
それ以上の言葉が見つからない。
「さっきも言ったけど、敵意はないわ。約束した通り、人を転生させない。まあ、したくなったとしても、貴方たちの目に触れるような派手な方法は控えるわ」
「それを聞いて安心しました」
「うふふ、それに貴方たちに呼ばれたらちゃんと駆けつける準備もあるんだから」
「何故…?」
「クリストファーがいるからよ。貴方たちがクリストファーを捨てたり殺したりすれば話は別だけど」
「決してそんなことはしないでしょう」
「矛盾した言葉ね。決してと断定しているのに『でしょう』と希望的観測を述べる。貴方に決定権があるわけではないから断定もできないけれど、貴方は努力をする。そういうことよね」
ジュヌヴィェーヴの言葉に僕は頷くことしかできなかった。ジュヌヴィェーヴはまた微笑んで、さっと影と共に消えた。
そんな魔法があったなんて、僕はしらなかった。
「アイザック」
「ああ、タバサ」
惚けている間にタバサが僕の隣にいた。タバサはボロボロになった袖を引っ張りながら、僕の顔色を伺う。
「ジヌビエーンと話したよ」
「え?本当に?彼女、ここにいたのか?」
「うん、彼女は、ここにいたよ」
僕は一言一言を噛みしめるように言った。
「僕も会いたかったな」
「君のことが好きだと言っていたよ」
「え?」
タバサは目を見開いた。
「僕たちを見ているんだってさ。正しくは、見守っている、だったかな。クリストファーがいるからっていうのが大きな理由だけど」
「そうか。それなら僕は彼を殺せやしないな」
「安心したよ」
僕は胸を撫で下ろし、タバサの髪を撫でた。タバサは嬉しそうに頬を緩める。
「良き日だ」
タバサはぽつりとそう言って、妹を見つめた。
「僕の宝物は生きている。試練を乗り切り、そして強くなった。僕が思いもしないほどに、強くなった。彼女の魔力は開花している。僕は…誇らしい」
「ウェンディの魔力は手下の吸血鬼たちが増えたことで随分増えたみたいだね。髪が真っ青だ」
「彼女自身の魔力も増えたんだよ。僕にはわかる。きっと全ての吸血鬼を手放しても、アイザックくらいの力は残っているはずだ」
「へえ、すごい。どうして分かるんだ?」
「僕は才能を嗅ぎ分ける力があるから」
タバサは誇らしげに胸を張った。
その様子が僕にはジュヌヴィェーヴと同じに見えた。
「もちろん君も、強くなったと思う」
「良いんだよ、後付けしなくて。限界は知っているさ」
「僕の認める君の才能は魔法ではなくて、僕の妹の誘惑にすら打ち勝つ力だよ」
「…複雑な気持ちだな」
僕は唇を曲げて反抗してみせた。タバサはくすくす笑って、僕に身体を預ける。
「君が大好きだよ。僕の妹と一緒に試練を乗り越えてくれてありがとう」
「珍しいね、君が素直に僕を好きだと言うなんて」
「僕も試練を乗り越えたんだ。君たちを信じて待つという試練をね。褒めてくれても良いんだよ」
タバサの女神のような慈愛に満ちた微笑みに、僕は思わず跪きそうになった。それほどに神々しい姿であった。いつもの隙あらば僕を殴るような少女の姿は消え失せていた。
「待っていてくれてありがとう。僕を信じてくれてありがとう」
「いつだって信じているさ」
僕がお礼を言うと、タバサは照れ臭そうに笑った。
群がる吸血鬼達に見送られ、ウェンディはタバサの前に立ちはだかった。女神の如く微笑むタバサの前で胸を張り、両手を腰へ。
「お姉様!私、頑張りました」
「うん、そうだね、すごく偉い。良くやったよ、ウェンディ」
渾身のドヤ顔を披露したが、機嫌が良いを通り越して完全に女神になってしまっているタバサには意味がない。タバサはよしよしとウェンディの真っ青になった髪を撫でた。
「あら、思っていた感じと違う…」
「ジジィどもが黙っちゃいないだろうね、こんなに青くなって…特異体質も君の魔力の前では霞んでるよ」
「お姉様がこんなに素直に認めてくださるなんて」
「うん、だって君はもう僕が守ってあげなきゃいけない黒髪のウェンディじゃなくて、僕がその力を頼るべき魔導士のウェンディになってしまったのだから」
素直にタバサはウェンディを褒めた。魔法使いではなくその上位に当たる魔導士の称号を授け、タバサは嬉しそうに微笑む。
「今度からは僕が魔法を教えるよ」
「本当に?!」
「うん、本当。覚えてほしいことが沢山あるんだ」
ウェンディは飛び上がって喜んだ。
「さあ帰ろう。ポチ、おいで」
吸血鬼達との家族の挨拶もひと段落したと認識したタバサは手慣れた手付きで使い魔を呼ぶ。ウェンディがタバサの魔法が分からず首を傾げたところで、地面に大きな影が差す。
「う、ウワーーー!!大きなドラゴンよ!みんな逃げて!」
シャザが上を向いて叫んだ。
クリストファーは低い声で笑い、逃げようとするシャザの首根っこを掴む。エレナとベルはクリストファーの影に隠れた。
大きな緑色のドラゴンはゆっくり地上に降下し、タバサに首を垂れた。タバサはドラゴンの顔に抱きつき、再会の挨拶を済ませる。
「お、お姉様、そちらのドラゴンは…」
「僕の使い魔だよ」
「お姉様の移動がすごく早いのは彼のおかげですか?」
「うん、僕の長距離移動用の足」
タバサはすりすりとドラゴンの鼻の上を撫でてから、鼻の上に足をかけた。ドラゴンも手慣れた動作でタバサを自分の首の上へと器用に誘導する。
「ウェンディは前足の後ろから乗って。上にはちゃんと鞍があるから、アイザックとウェンディはそこに座ってね。吸血鬼達は別に落ちても大丈夫だろ?好きなとこに座りなよ」
クリストファーがさっとウェンディを抱き上げ、大きく跳んだ。鞍にウェンディをエスコートし、自分はその隣に座る。僕はドラゴンの前足を借りて上によじ登り、ウェンディの後ろに座った。吸血鬼の3人娘もおっかなびっくり、ドラゴンの上に座る。
「特別サービスで、飛行中は太陽を隠しておいてあげるよ。アゼル、ブブ、頼むよ」
タバサは両手からさらに悪魔を呼び出し、吸血鬼達が座る場所で大きな傘に変化させた。傘の影で太陽から守られ、吸血鬼達はほっと表情を和らげる。
「すごい!お姉様、使いこなしていますね」
「当然」
タバサは得意そうに笑い、ドラゴンの首を叩いた。
ドラゴンの翼が動き、風が吹き荒れる。ゆっくり体が上昇し、そして僕たちの街へと進み始めた。
 




