氷の獄門よ来れ
(ウェンディは本当にタバサの妹だなあ)
僕は目が覚めた瞬間にそう思った。
落下しながらも冷静に、防御魔法陣を展開。衝突地点には衝撃緩和の魔法を。そしてさらに魔物避けとなるように聖なる光の照明魔法まで展開してみせ、落下時の身のこなしも素晴らしかった。落下の衝撃を転がって上手く逃し、それをやり損ねた僕は意識を失った。それもすぐにウェンディの治癒魔法で僕はものの数秒で意識を取り戻す。タバサもこういうことが出来る人なのだ。当たり前のように魔法を並行して使えてしまう。それは全く当たり前ではないのに。
「やられましたね」
「直接手を下さなければ良いから、とりあえず落としてみたってとこかな。さて出口は」
と、周りを見回すが出口らしい出口はない。そして地上は遥か彼方の上方。僕達は随分深い階層へ落とされたらしい。
「不味いな、魔物が出るかもしれない」
「ええ。いますね」
「本当に早いな、君は」
ウェンディは魔法陣を描き、周囲の様子を探っていた。そして複数の魔物の気配を察知し、身につけていた数々の武器や道具の残りを確認する。
「参りましょう。早く上に戻らないと」
ウェンディの探知魔法が発動し、迷宮の地図が闇に浮かび上がった。不完全ながらもよく出来ている。ウェンディは方角を指し示す魔法をも展開し、歩き始めた。
「ウェンディ、そんなに魔法を使うと辛いだろう。僕は戦いに専念するから、出てきたら守りに徹してくれ」
「なりません。戦いをなるべく避けて、安全に戻ります。…どれか一つとでも戦いになれば他の魔物にも見つかり…乱戦にはなるでしょうが、勝算は見込めません」
ウェンディは指揮官の顔でそう言った。この短時間で状況を完璧に判断しているようだった。ウェンディはあちこちに光の玉をばら撒き、魔物避けを設置して曲がりくねった道を進んでいく。
2つ上の階層まではなんなくクリアした。ウェンディは間違えることなく正確に歩いていたが、残念ながら次の階層は上に上がる手段がない。正確には階段が崩壊によって潰されてしまっていた。そして唯一上がれそうな場所は、魔物が巣にしてしまっていた。
「……どう、いたしましょうか」
「入った瞬間に気付かれるだろうね」
「しかし他に道はないのです」
「やるしかないか」
「ええ、やるしか…しかし、私はあまり…攻撃が得意でもないというか…」
ウェンディは消え入りそうな声で言った。
「僕がやるから、サポートしてくれるかい?周りの状況が少しでも分かれば良い。あとは防御壁を広めに展開して、他の魔物に気付かれにくいようにしよう」
ウェンディはこくりと頷いた。そうは言ってもウェンディの魔力は長く保たないだろう。ここまで探知魔法を使い、防御展開しているのだから、並の魔術師ならここで意識を失っているかもしれないのだ。僕ならもう座り込んでいるくらいだろう。
ウェンディが防御展開した瞬間、その音が聞こえた魔物が巣から姿を表した。
「うそ」
「ウェンディ、防御展開を前方に!」
「あっ、は、はい!」
ドラゴンだった。
それだけでも十分絶望に値するが、ドラゴンは鼻から炎を噴きながら、迷宮中に響き渡る咆哮を上げた。ウェンディの防御壁が炎を食い止めるが、咆哮は止められない。凄まじい咆哮の振動と爆音に耳が全く聞こえなくなり、指先が痺れる。平衡感覚が掴めない。
ウェンディが耳を押さえながら治癒魔法を使い、耳がようやく聞こえるようになった。周りを見回すと、ドラゴンの他にもキメラをはじめとした上級の魔物が勢揃いしていた。
完全なる絶望であった。
ウェンディはゆらりと立ち上がり、僕の隣に並んだ。
「前衛お願いします。私は後衛で。フォーメーション14からA、9からK、Cから1へ。その隙に私は…コキュートスの魔法陣を作ります。少しでも道が開けたら、巣の中へ」
「やるしかないな…了解」
目が据わった状態のウェンディから指示が降りると、僕は腹を括った。ウェンディだって、逃げではなく戦いを選んでいる。僕が守らなければ。
3回軽くジャンプをして準備運動をしたら、目線でウェンディに合図をして走り出す。ウェンディは僕の後ろについて走り、防御に徹する。僕は攻撃の陣を張り正面のドラゴンに撃ち出した。ウェンディの指示通り、まともに戦うよりはヒットアンドアウェイを選ぶ。繰り出される炎のブレスを掻い潜り、アンデッドの剣戟を魔法陣で受け止めては投げ飛ばしながら走り続ける。ウェンディに襲いかかる敵にも同じように魔法陣で受け止めては、攻撃に転じる。
そうして大きな円を描くように一周し、最後にドラゴンの巣に飛び込んだ。
「ウェンディ!」
「っ、はい…!」
ウェンディは息を切らしていたし、ところどころ敵から受けた傷で血を流してはいたが、それでも毅然と前を向いて叫んだ。
「氷の獄門よ来れ!」
ウェンディが叫んだ瞬間、僕たちが走り回った場所を境として、巨大な氷柱が現れ、陣の中にいた魔物が全て氷に閉じ込められた。
偉大なコキュートスの魔法である。
ウェンディは走りながら魔法陣を作り上げていたのだ。
こんなことができるのは本当に限られた人間だけだ。
しかしウェンディは、ここで魔力をほとんど使い切ったらしく、膝をついて肩で息をしていた。顔は真っ青だ。
「大丈夫かい?」
「すみ、ません……少し、休憩を」
ウェンディはゆっくりと目を閉じた。
僕はウェンディを背中に背負い、壁をよじ登り始めた。
(上はどうなったんだろう)
クリストファーは子供と戦い始めてしまっただろうか。それとも僕たちを探しに向かっているだろうか。
ウェンディの地図無しでは闇雲に歩き回って消耗するだけだと判断した僕は、身を隠せそうな場所をさがし、そこで僕も座り込んで休息を取った。最低限の回復アイテムは持ってきていたので、僕はウェンディの怪我を治そうとしたが、傷はひとりでに塞がっていった。どうやらこれがクリストファーの加護らしい。ダメージをクリストファーが肩代わりしているようだ。
「う、ぅ…、すみません、眠ってしまいました」
傷が癒え、クリストファーの加護で若干の体力を回復したウェンディが目を覚ます。目が据わっている状態ではあるが、動けるなら良い。さらに魔力回復効果のあるポーションを飲み込み、ウェンディは眉を寄せた。
「確実に回復はしているのですが、身体が追いついていないようです。傷、体力…クリストファーが肩代わりしてくれているのですね。知らなかった…少なくとも、もう怪我をしたくはありません」
「それならクリストファーが欲しいな」
「ええ、本当に」
この暗闇でも動けて、周りの気配を察知し、疲れを知らず、そして強い。クリストファーの力に助けられている僕とウェンディだからこそ消耗戦が苦しかった。
「とにかく動きましょう。止まっているとまたモンスターに囲まれてしまいます」
「大丈夫?」
「大丈夫です」
ウェンディは自分自身にそう言い聞かせていた。足元はふらついているが、ウェンディも僕も動くしかない。のんびり休息なんて呑気なことは言えないのだ。
歩き始めて数十分。
幾つか階段を登った、と思うがここが何階なのかは未だに分からない。このままこの迷宮の深みに嵌るのでないかと気が気ではない。でも、やるしかない。前を歩くウェンディの頼もしい足取りに僕は少なからず救われていた。
僕一人なら諦めていたかもしれない。
「タバサ、来るかな」
「来られては困ります。私に実力がないと思われてしまう」
「タバサはそうは思っちゃいないよ」
「そう思います?お姉さまはまだ私を認めてくださいません」
「可愛さゆえにね」
ふふ、とウェンディが笑った。少しでも緊張が解れたなら重畳だ。
瞬間。
僕が踏み出した先に亀裂が走った。ウェンディが咄嗟に僕の手を掴んだが、ウェンディの足元にも亀裂が走る。
「ウェンディ!」
「離れないでください!」
僕が防御壁を展開。ウェンディが即座に衝撃緩和魔法を展開。そして、地面が崩れ落ち、迷宮は僕たちを穴の奥底へと叩き落とした。
落ちた先には魔物の類は居なかったが、衝撃に僕もウェンディもしばらく呆然とするしかなかった。幸い僕たちは無事だ。砂も岩も防御壁で防いだし、落下の衝撃はウェンディの魔法が防いでくれた。あちこち折れたようだが致命傷では無い。しかし、僕たちは最初に落ちた時よりもさらに下層にいると思われる。遥か上空を見上げ、僕は溜息を零した。
「あっはっは!」
「…笑ってる場合じゃないよ、これ」
ぽっかりと空いた天井を見上げ、明らかに肋骨が折れた感覚に僕は顔を顰める。
「ここで終わりなのか…」
「何を言っているんですか。絶対に帰りますよ、あなたは死なせません」
「情熱的だね」
「ええ、だって貴方はクリストファーの心臓を持った人なんだから」
へらりと彼女は笑い、起き上がった。自らに治癒術をかけ、僕にもそれを同じようにかけていく。肋骨が癒え、痛みが消えていく。彼女はふらふらになりながらも立ち上がり、強い眼差しで空を見上げた。
「絶対死なない!死なせない!帰りましょう、私たちを待つ人たちの元へ」
「…タバサの妹、だなあ」
「あら。今更でしょう?」
へらり、笑った顔はタバサにそっくりだった。
「帰ったら何がしたい?」
「お姉様にドヤ顔」
「はは、良いね」
ウェンディらしからぬ言葉は、確実に疲れとそういう言葉を教えたクリストファーの影響からだろうか。
「さあ参りましょう。私はまだまだ元気です。アイザック様もね」
「勝手に元気なことにされてしまったけど、新入りのウェンディの足を引っ張ることだけはしたくないね」
「ええ、よろしくお願いします」
ウェンディは力強く前に進んだ。




