でも主人がいなくなれば問題解決よね?
迷宮と呼ばれていた今にも崩れ落ちそうな遺跡は、太古の昔に魔物が作り上げた巣のほんの一部分に過ぎない。残りは既に崩壊し、跡地を人間が街にしてしまった。
そんな迷宮の残りに移動した僕たちは、吸血鬼に有効な魔法の仕掛けを施しながら罠を張った。タバサの術式は、ここに到着したところで使い切ってしまった。
月が燦然と輝く中、それでもなお山の中にある迷宮は何も見えないほどの暗闇に思えた。クリストファーは暗い中でも問題無く周りが見えるようだが、僕たちにはそんな芸当はできない。人間用に魔法でいくつも明かりを生み出して可能な限りの暗闇を潰していく。
僕とウェンディは遺跡の真上、クリストファーは吸血鬼の襲撃を真っ先に受け止められるように高台に立っている。
そうしてわざと目立つ様にしていると、彼らは音もなく現れた。
「来た」
クリストファーがそう言うやいなや、3人の吸血鬼の美女が闇から姿を表す。
「考え直すおつもりはございませんか」
エレナと呼ばれていた短い髪の女がクリストファーに問いかけ、僕とウェンディを睨みつけた。
「人間は私達を殺し、貴方を下僕にした。貴方は操られているのです。その心ですら…」
「だから、何回も言わせるなよ。俺は俺の意思でここにいるし、俺はこいつらと居るのが好きなんだ」
「ですからそう思うのは心臓を奪われたからでしょう」
クリストファーはイライラとナイフを片手で弄びながらエレナを睨んだ。
「俺は心臓を自分から人間に差し出した」
3人の吸血鬼は息を呑んで、僕を睨みつけた。
そう、幾度もの戦いと話し合い、そしてさらにまた戦いを重ね、僕には簡単に勝てるだろうがタバサには手も足も出ないと悟ったクリストファーは、何度も何度も話し合い、妥協し、僕たちの仲間になると決めたのだった。僕たちはクリストファーの子供をこれ以上殺さないと誓い、クリストファーは僕と契約することでニカレスタ家への忠誠を誓う羽目になった。とはいえ僕と彼の関係は信じられないほど良好で、主従というよりは親友であった、と思う。クリストファーは魔物にしては信じ難いほど人間味があったし、彼自身人間が好きだった。彼は人間の街を一つ支配していたが、そこの住民からも魔物と知られつつも好かれてすらいた。そしてクリストファー自身、驚くべきことに自分の守るべき民として人間を庇護すらしていたのだ。
そしてクリストファーは偶然ウェンディと出会い、ウェンディに魔物としては有り得ない恋をして、彼女にも自らの心臓を忠誠と愛の証として差し出した。
「認めません。街の人たちも貴方の帰りを今か今かと待ち侘びております。私たちも…」
「お前達がどう思おうとこれは事実だし、街のことはもう人間に返した。もう全部終わった話だろう。そもそも俺は飽きていたんだよ、王様気取りでいるのも」
クリストファーはあっさりとそう言い切った。
「今はこの生活が気に入ってるし、少なくともあと40年はこのままの予定だ」
クリストファーはチラリとウェンディを見て言った。
つまり、ウェンディの寿命が尽きるまでは離れないと言ったのだ。
ウェンディは真意がわからなかったらしく、首を傾げた。まさか僕とクリストファーが人間の寿命について話しているなんて思いもしないだろう。
「それはそこの人間の寿命ですね」
エレナはあっさりと見破った。
「貴方を繋ぎ止めるものは、やはりその人間なのですね」
エレナは溜息混じりにそう言った。そうはいってもクリストファーの命令で危害を加えられない3人は動くこともできないらしい。
「その人間のどこがいいの、おとうさま」
ベルと呼ばれた少女らしい吸血鬼は腕を振り回しながら叫んだ。
「俺だってこんなことになるなんて思っちゃいなかったさ」
クリストファーは嘆息していた。
「それよりクリストファー様、心臓の音がおかしいわ」
髪の長い妖艶なシャザが首を傾げ、ウェンディと僕に耳を傾けた。
「そこの女からもクリストファー様の心臓の音が聞こえる」
またしても見破られ、ウェンディと僕は顔を見合わせてお互いを守るように一本踏み出した。
「それにその女…クリストファー様が護りの力を授けているわ…」
余程探知能力が鋭いのか、シャザはウェンディとクリストファーの間の魔法で出来た絆を暴いていく。僕はそんなものを授けているなんて知らなかった。そんなことができたなら僕にもしてほしいくらいだった。
ただウェンディも知らなかったらしく、ポカンと口を開けてクリストファーを見ていた。
「命を削るような護りを…どうして?その女、そんなに強くもないわ!どうしてそんな女に心臓を?」
「い、命を、削るのですか!?」
ウェンディが悲鳴を上げた。
「俺はもう長く生きていなくていいんだ、分かれよ。…理解できないだろうけど」
クリストファーはどこまでも本気だった。本気でウェンディと生涯を共にして、最期は一緒に死にたいのだ。
「みなさま、お願いです。少し話を聞いてください。私はウェンディといいます。貴女の言う通り…私はクリストファーの心臓を半分持つ者です。私はクリストファーの主人ではありますが、彼を下僕だと思ったことは今まで一度もありません」
ウェンディが堪らず話に割り込み、3人の射殺さんばかりの瞳が集中した。
「お願いです。無意味な対立はしたくないのです。私の仲間になってはいただけないでしょうか」
「ハッ」
ど直球の申し出をシャザは嘲るように笑った。
「それならクリストファー様を解放なさい」
「それが彼の意思なら、私は喜んで解放致します!」
「馬鹿言うな!俺は自分の意思でウェンディといるんだってば」
「そう思いこまされているのですってば」
「おとうさまあ」
喧嘩腰の議論になり、全員が自分の主張を叫び始めた。一通り全員が叫ぶと、シャザが腕を組んで顎をツンと上にあげた。
「ふん、埒があかないわ」
「お前達、彼らに何かしようものなら、俺は容赦しないぞ」
「私達は何もしないわよ、クリストファー様」
シャザはにっこりと蕩けるような微笑みをクリストファーに送った。
「でも主人がいなくなれば問題解決よね?」
そうシャザが言った瞬間、僕とウェンディが立っていた地面が震え始め、大地が裂けた。
「ウェンディ!」
クリストファーが叫んだ時には既に遅かった。僕とウェンディは咄嗟に手を繋ぎ、割れた大地に悲鳴と共に吸い込まれていった。




