ほかに手はないだろうな
「じゃーん!僕の可愛い可愛い可愛い可愛い、とっても可愛い妹」
あの宝石箱の中で、僕はようやくタバサの本当の宝石を見せてもらえる事になった。でもそれは宝石箱に仕舞えるようなものではないらしい。宝石箱の中を通って、何度も何度も道を迂回してようやく辿り着いたそこは、ピンクを基調とした子供部屋だった。中には黒髪の幼女がにこにこと笑顔で遊んでいた。
「ウェンディ!」
「タバサおねーしゃま」
ウェンディと呼ばれた幼女はタバサにとても懐いていた。タバサは大切な宝物を壊れないようにそっと抱きしめて、黒髪にキスをした。実に絵になる光景だった。
「ウェンディ、この子は僕の友達のアイザックだよ。アイザック、僕の妹のウェンディだ。ふたりとも仲良くしてくれるよね?」
「あい、タバサおねーしゃま!アイザックしゃま、よろしくおねがいいたちます」
「こちらこそよろしくお願いします…?」
僕は頭を下げた。その頭を、ウェンディはくしゃくしゃに撫でた。僕はされるがまま、不思議な気持ちになっていた。
「おれんじ」
「正解!」
「おれんじのアイザックしゃま!」
僕の髪の色を一言でそう言って、ウェンディはきゃっきゃと笑った。それを見たタバサは嬉しそうに眦を下げる。
「ウェンディお嬢様」
「だめ。ウェンディで良い。君は僕の友達だから」
「いいのかな…」
僕のような男が、宝石箱に入ったような少女を呼び捨てにするなんて。罪悪感なのか、胸がちくりと痛む。ウェンディは相変わらずにこにこ笑っていた。
「いいんだよ、ね?ウェンディ」
「あい、タバサおねーしゃま」
ウェンディはタバサに微笑みかける。するとタバサは、人形のような完璧な微笑みではなく、ぱっと破顔して蕩けそうな笑顔を見せた。完璧な美少女の、年相応のとてつもなく可愛らしい笑顔だった。
紛れもなく、僕がタバサに恋をした瞬間だった。
そして僕が、感情が欠落した人間ではなかったことを初めて思い知った瞬間でもあった。
『ああ…それは、まずいな』
まずは僕からタバサへ報告をすると、珍しくタバサは唸った。通信用の魔法で、鏡の向こうのタバサと繋いでいるが、タバサの表情は晴れない。
『ジヌビエーンがいないということは間違いなく喜ばしい報告なのだが、…吸血鬼の子供が、親を取り戻しに来た、か』
タバサは頭を抱えた。
『全く想定していなかった、と言えば嘘になるが、今更こんなことになるなんて』
「想定していたの?」
『正直なところ、僕だって本当にジヌビエーンが出てくるとは思っていなかった。…それを判定させるためにもクリストファーを出す必要があり、万が一本物だった場合を考慮して2人にも行ってもらうしかないと思っていた』
タバサは苦悩するようにため息をもらす。僕としては珍しく思い悩むタバサが見られて得した気持ちだった。
『駆除、するしかないのか』
「クリストファーは嫌がるだろうね」
『僕だって後味が悪い…吸血鬼を殺すことがどれほど途方のないことか』
高位の悪魔である吸血鬼の殺害は、吸血鬼の死の恨みを浴びることとなる。それは目に見える呪いとして発現することが多々あり、僕とタバサはクリストファーの子供狩りをしていた頃に度々悩まされたものだった。あれがまだ若い吸血鬼だったから良かったものの、今回襲ってきた3人については、それなりの年数を生きているように見られるし、どんな呪いが発現するかわからない。
「僕に呪いがかかるならまだしも、ウェンディは嫌だね」
『2人とも勘弁して欲しい。呪いなら僕が引き受けたい。…やはり僕がそちらに行こう』
「クリストファーとも少し話をしてみる」
『駆除しなくて済むなら、そうしてくれ。吸血鬼が3体ともなると、団も僕を出すと言うだろう。なるべく早く向かう』
タバサのため息を最後に、鏡は僕の顔を映し出すようになった。
漸く部屋から出てきたウェンディとクリストファーに、タバサと話したと伝えると、2人は神妙な面持ちで話し始めた。
「クリストファーの子供は私の子供も同然だとは思いませんか?」
「………びっくりするようなことを言うね、ウェンディ」
「俺もびっくりだわ」
ウェンディの発言に度肝を抜かれ、クリストファーはもう何度も聞いたのか、無感情に驚きを宣告した。
「いえ、つまり、駆除したくない、仲間にしたい、それだけなんです。そうすれば彼らもクリストファーといられてハッピー」
「本当にその発想は怖い、ウェンディ、ほかの魔物はクリストファーみたいに単純バカじゃないんだから」
「おいコラ」
クリストファーが特殊枠なだけなのに、ウェンディは他の魔物もそうだと思い込んでいるのだろうか?魔物とは、もっと話が通じないものなのに。彼らは彼らの考えで生きていて、それは僕らとは相反するものなのに。
「吸血鬼を殺せば呪いを受けるというのは理解しました。であればやはりできるだけ駆除ではなく、使役を望みます」
「…簡単ではないよ」
「分かっています。クリストファーがちょろかっただけで」
「よく分かっているじゃないか」
「2人ともとんでもないことを言うな」
クリストファーは不服そうにウェンディを抱き上げた。
「まあ俺としても、自分の子供が殺されるのは見たくもねえしな」
「殺しませんってば」
「だが俺は、あいつらがウェンディやお前を傷つけたら容赦なく敵だと判断する」
クリストファーは本気だった。
僕やウェンディよりは余程、危機を感じているようだった。
吸血鬼が3人。
それだけで軍隊の大部隊を一つ、簡単に蹂躙できるような戦闘力だ。僕たちだけでどうする?
「タバサの到着を待つ時間は無さそうだがな」
「わかるのか?」
「ある程度、子供の思考が読める。距離が近ければ」
「親は無敵だな…」
「…そうでもないぜ、子供のしくじりは親の責任だからな」
「ペナルティでもあるのか?」
「死のメモリーを引き継ぐ。殺された時の記憶、恨みの気持ち全て。子供の無念を親が引き継ぐだけの話だ」
事もなげに言ったが、それはかなり重い。初めて出会った時(つまりクリストファーの子供を狩っていた時)、本気で僕たちを恨んでいたのは子供の最後の記憶が色濃く浮かんだかだろうか。
クリストファーには、もうそうさせたくない。僕がそう思うほどなのだから、ウェンディは特にそう感じたはずだ。
「さて、俺の予想では、奴らは一度住処に帰り、とんぼ返りしてここへ戻るだろう。間違いなくアイザックを討とうとするはずだ」
「アイザック様を守らないと」
「この付近に迷宮の遺跡があったな。あそこへ移動しよう。俺は痕跡を残して移動するから、誘い込むのは簡単だ」
簡単だということは、向こうもそれを予想している可能性が高い。ウェンディと僕は顔を見合わせた。
「…お姉さまが今から出発した場合、きっと最速でも夜明けの到着となるでしょう」
「決着が付いている可能性が高いね。3人もの吸血鬼を飼い慣らすには時間が足りないかもしれないけれど」
「太陽が上がればあいつらはたまらず逃げ出すだろうがな。俺より日光慣れしていないし、日光除けの装備も充実はしていない」
吸血鬼たちは日光に焼かれて動けなくなってしまうだろう。装備が充実し、魔法で防御を固められたクリストファーですら、日光が降り注ぐなかでは活動が鈍くなる。
「それならば、夜明けにお姉さまが到着するまで耐えて、彼らを日光の下に炙り出し…傘下に下るのを交換条件として助けるしか術はありませんね」
「…気は乗らないし、できるかどうか保証しかねるけどね」
「ほかに手はないだろうな」
溜息を吐き出す僕とクリストファーとは裏腹に、ウェンディはにっこりと笑顔を作った。
「大丈夫です!なんとなりますから」
全く根拠のない自信だが、それでも絶望よりは良い。クリストファーはウェンディの手を握り、まっすぐ僕の目を見た。
「ウェンディの望みだ。全力で叶えるぞ」
「可愛い妹だからね」
やれやれ、と重い腰を上げた。




