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less than  作者: 成瀬 せらる
本編
1/17

1.nameless





この世に私の姉以上に讃えられるべき人がいるだろうか。


人形の如く恐ろしく整った、年よりはずっと幼く見える顔立ち。小柄で華奢な身体。母譲りの真っ青な髪と瞳。誰とでも仲良くなれる気さくな人柄。誰からも愛される性質。そして類稀なる魔術師。今代で最も強い魔術師の一人。どこを取っても姉を凌ぐ人などいない。タバサお姉さまは若干20歳でありながら、既にこの侯爵家を受け継ぎ、立派にその務めを果たしている。


そして私は、そんな姉の搾りかす。なんの才能も持たない恥晒し。表に出されることなく、家の中に隠されている透明人間。父と同じ黒目黒髪でありながら、父のような魔術の才能もなく、何も持たず生まれてきた残念な存在。


私は姉に対して、憧れと尊敬、そして強烈な劣等感を抱きながら生まれてきた。




「また吸血鬼の夢を見たの?」

「はい、お姉さま…」


夜中に叫び声を上げて飛び起き、がたがた震えながらマッチを擦り、燭台に火を灯し、十字架を握り締めて夜が明けるのを待っていると、黒いコートに身を包んだ姉が部屋に入ってきてそう言った。姉からは微かに鉄錆のような匂いがした。


「赤い目の吸血鬼が鋭い牙を私の首に突き立て、血を吸うのです。身体が段々冷たく、重くなっていって…」


姉が手をさっと横に振ると、部屋中の燭台に火が灯った。


「ウェンディ、悪魔は数多存在するけれど、吸血鬼なんてものは存在しないんだよ。人の想像で作り出された偽物の悪魔なんだ」

「…私は、夢を見ているだけなのでしょうか」

「そう、夢だよ」


姉は諭すようにそう言って、私の頭をトントンと軽く叩いた。


「さあ、眠って。眠るまで一緒に居てあげる」

「はい、お姉さま…」


くらりと身体が傾ぐ程の眠気が私を襲う。姉の魔術による暗示だった。どんな魔術であっても使いこなしてしまう姉は、精神操作もお手の物なのだ。私は姉に支えられて寝台に戻り、十字架を両手で握りながら目を閉じた。


「…おやすみ、ウェンディ」


姉は私の額に口付けた。その瞬間に意識が闇に飲み込まれた。







「これはこれは引きこもりのウェンディお嬢様」


姉と揃いの黒いコートを身に付けた姉の取り巻き達が廊下を歩く私を取り囲んだ。全員屈強そうな男だが、残念ながら誰も姉に相手にされていない。


「何か御用でしょうか」


努めて丁寧に訊ねるが、取り巻き達はにやにやと笑い始めた。


「お姉様は務めを立派に果たされているのに貴女は今日もお散歩ですか?」

「天下のニカレスタ家の末娘ともあろう方の本日のご予定は散歩以外にはないのですか?」

「ニカレスタ家の恥晒しのご自覚は?」


次々に嫌味を投げつけられ、私は耳を塞ぎたくなった。姉から、こういった相手には返事をしないように、と言われているがそれはかなり難しい。


「ご存知の通り、私はニカレスタ家の生まれでありながら魔力というものがありません。お手伝いできることがあるなら、なんでもさせていただきたいのですが」


私はキッと前を見据えてそう答えた。


「お姉様に『婚約を解消しろ』と伝えるように前お願いしたはずですが」

「伝えるだけ無駄です」

「では仕方ない。貴女が我が家へ嫁ぐようお姉様に伝えてください」

「それは」


取り巻き達は姉に取り入りたい。しかし、姉の婚約者の座はずっと昔から埋まっている。取り巻き達は私を脅して姉から婚約を解消するように仕向けようとする。…だが、それは無駄だ。姉と姉の婚約者は相思相愛で、割り入ることはできない。


婚約を解消させられるものなら、私だってその方が良い。


「ニカレスタ家のゴミでも俺と結婚できるなら御の字だろう」


ぞっとする声色で囁かれ、私はひっと小さく声を上げた。取り巻き達はそれを聞くとゲラゲラと下品に笑い、私の手を掴もうとした。


その瞬間。


「そこまで」


光の魔法陣が私と男の間に割り込んだ。両手に魔法陣を構えたオレンジがかった茶色い髪の男が取り巻き達を牽制する。


「ここはニカレスタ家の個人的な居住区で、君たちは入室許可がない。今すぐ立ち去れ」

「アイザックめ…良い気になるなよ、大した才能もないくせにタバサ嬢の婚約者になれたからってな」

「ウェンディに嫌がらせをしているとタバサに報告されたいのかな」


アイザック様がいつもの無表情のまま冷静にそう言うと、取り巻き達の表情がサッと変わった。


「お前がどうして急にこんな力を付けたのか、必ず暴いてやるからな」

「ご自由に」


すれ違いざまに、取り巻きの男が肩をアイザック様にドンと勢いよくぶつけた。アイザック様は魔法陣を解除し、ふうと溜息を吐き出す。


「大丈夫?」

「はい、いつもありがとうございます、アイザック様」


アイザック様は私を心配そうに覗き込んだ、が、表情は相変わらず能面のように変わらない。


「ちゃんと魔法で戸締りしてるのに、どうやって潜り込んでいるのかな。…僕としてその方が気になる」


不思議そうにアイザック様は首を傾げた。


アイザック様は、タバサお姉さまの婚約者だ。

所謂名家の出ではなく、ごくごく普通の一般庶民である。魔術の才能は並みだったが、ここ数年でタバサお姉様クラスに大成した。貴族ではないからか、力があるのにお姉様の取り巻き達には認められていない。


「彼らの言うことは真に受けなくて良いからね」

「…私がニカレスタ家の面汚しだということは事実ですから」

「彼らはそんな君と結婚したいんだよ」

「ニカレスタの血が入るから」


才能はなくとも、血は間違いなくニカレスタ家のもの。それはつまり、私個人などどうでも良いということ。


「タバサは君をそんな所へ嫁に出す気はさらさらないから、安心して」

「でもお姉様は私をどうしたいのか…何も教えてくれません。このまま学校にも行かず、勤めるところもなく、私はどうするのでしょうか。…本当に散歩しかすることがないのです」


嫌味の殆どが真実なのが、一番苦しい。


「ウェンディ」

「あ、お姉様」


タバサお姉様が現れ、当然のようにアイザック様の隣に立った。アイザック様はそっとタバサお姉様の腰に手を回す。

ずきん、と胸が痛んだ。


「奴ら、僕とウェンディの寝室に潜り込もうと結界破りを覚えたらしい。…ちっ、ウェンディを引き合わせる予定も無かったのにな」


姉は舌打ちをしながら毒付いた。


「もし、私があの人たちのうちの誰かと結婚することがニカレスタ家の益になるなら…」

「はあ?そんなこと気にする必要なんてないって前にも言ったでしょ」

「…すみません」

「そんなことより、もう二度と人に名前を教えないでよ」

「はい」


姉はまた舌打ちをした。

彼らも私が名前を教えたせいで変に執着するようになったのだと、姉は怒っていた。私はそこで名前を取り上げられ、今後は名乗るのにアイザック様かタバサお姉様の許可を得る必要があるのだと言われている。


「それからしばらく外に出るのも辞めてね」

「…これから先誰とも会わず部屋に引きこもっていろというわけですか?」

「そうしてくれたら僕はすごく助かるんだけど」


姉は苛立たしげにそう言った。


「部屋からでなければ私の行動を逐一監視できますし、恥晒しな妹が世間に晒されることもなくなりますものね」

「僕が言ってもいないことを捏造するのはやめてくれる?」

「みんな知っていることです」


あの取り巻き達も、使用人も、アイザック様も。みんな知っている。みんな分かっている。私だってそう感じている。


「ウェンディ、部屋に戻ろうか。僕が送るよ」


アイザック様が割り込み、タバサお姉様を押し退けて、私の背中を押した。




「…タバサは少し気が立っているんだ。気にしないであげて」

「いえ、才能のない私が悪いのですから」

「本当にそういうことじゃないんだよ」


アイザック様は、私を宥めてくれた。部屋まで歩きながら、アイザック様と居られるこの瞬間に喜びを感じる。


私は、姉の恋人だと知りながらも彼を想うことを辞められない。


「えっと……」


話を続けたいのに、照れて上手く話せない。一緒に居られることがこんなにも嬉しいのに、伝えられない。


「タバサは君のことを世界で一番大切に思っているからね」

「…そ、うですか」


それは嘘だ。

アイザック様の優しい嘘だ。


「……ッ!が、ふっ!」

「きゃ…ッ!?」


突然アイザック様が心臓を押さえて膝から崩れ落ち、口から黒ずんだ血を吐き出した。私の部屋の床に黒い血が染み込んでいく。私はどうしたらいいのか分からず叫びそうになった。アイザック様は苦しさそうに息を吐き出しながら、助けを呼ぼうとした私を制止した。


「あ、アイザックさま!」

「だ、い、…じょ…ッ、ぐ」

「きゃああ!」


口を開いた瞬間、また血が噴き出した。心臓を押さえ、唇の端から血を垂らしながら、アイザック様は呻く。


「嫌だ…連れて行かないでくれ…」

「あ、アイザック様…」

「まだ……ッ」


アイザック様の影が揺らめいた。アイザック様の胸の上で踊るペンダントが怪しく光る。


「たすけて、タバサ…」


アイザック様はそう言って、また血を吐いた。


「…全く。情けない男め」

「お姉様!アイザック様が、ご病気です!すぐに医者を…」


音を立てずに姉が私の部屋に入っていた。扉はまだ閉じられたままだった。それでも私は姉に縋り付くようにアイザック様を指差す。

姉は私を無視してアイザック様の頭をそっと撫でた。


「まだ死ぬな」


姉はアイザック様の耳に呪文を吹き込んだ。あまりに小さな声で、その言葉は私には届かなかった。

アイザック様の目が見開かれ、苦しげに顔を歪める。どくん!と体が痙攣し、アイザック様が崩れ落ちた。


「保たないか。ウェンディ、部屋を借りるよ」

「あ、アイザック様は…大丈夫ですか…何かお手伝いできることは…」

「魔術師でも医者でもない君に何ができるの?邪魔するつもりなら黙って出て行ってくれないかな」


姉はこちらをちらりとも見ずにそう言った。姉は軽々とアイザック様を抱き上げ、私の寝台に寝かせる。アイザック様は真っ青な顔をしていた。


「私はアイザック様が心配で…!」

「だったら黙って部屋の外にいて。集中できない」

「そんな言い方」

「頼むから、集中させてくれないかな。愛しい愛しいアイザックが気になるのは分かるけど、邪魔なんだよ」


チッ、と姉は舌打ちした。


どくり、と心臓が跳ねた。

隠していたはずの恋心を姉は見透かしていた。そして私を邪魔だと断じた。


「いつから、知って…」

「そんなの昔から知ってたよ」

「…なのに」

「なに?譲れって?」


姉は苛立たしげに振り向いた。


「そんなつもりはありません…」

「じゃあ黙っててよ。本当に今は話している余裕ないんだから」


姉は呪文の詠唱を始めた。光のカーテンがアイザック様を包み込む。歌うように紡がれる旋律が部屋に響く。癒しの音色のはずが、私の心はひび割れていくばかりだった。


「私がお姉様にとっても家にとっても邪魔ならそう言ってくだされば良いではありませんか!」

「だから今この瞬間は邪魔だって言っただろ!」


姉は呪文を中断して叫び返した。


「大嫌いです!お姉様なんて、大嫌い!」

「上等だ、この馬鹿!」


私は涙目で部屋を飛び出した。

姉から渡されて常に付けていた青いペンダントを廊下に投げ捨て、走って屋敷の裏門を抜ける。走って走って、息が切れて涙が止まるまで走った。


屋敷を出ても、街の中を走っても、私はただの一度も声をかけられなかった。



それでも路地裏に迷い込むと、急に心細くなった。衝動のまま飛び出してきた自分が恥ずかしかった。


姉はアイザック様を治療したかっただけ。私がうるさくしていれば、集中できなくて当然。私に怒るのは当然だった。


「…馬鹿みたい」


小さく呟いて、石を蹴った。石が石畳の上を転がる音に続いて、男の呻き声がかすかに聞こえた。


「ゆるしてくれッ」


たしかにそう聞こえた。

私は声の聞こえる方へ、一歩ずつ進んでいく。


路地裏の突き当たり、人通りのない薄暗い場所。

そこには真っ赤な石畳が広がっていた。


鉄錆のような赤に染まっていたのは石畳だけではなく、そこに無造作に転がる死体と、その死体に触れていた少年の顔にも同じように赤が飛散していた。少年は顔についた血液を袖口で拭う。


「う、…そ」


凄惨な殺人現場に居合わせてしまったらしい。犯人と目される少年は腰に血の滴る抜き身のナイフをぶら下げて私をじっと見つめた。


「うん…?俺としたことがまた人に見られちまったのか。アイツのせいで腕が落ちたのか?」


少年は心底不思議そうに首を傾げながらナイフを掴んだ。留め金をはずしてナイフを手に取り、手に持ったナイフを私に向ける。


「こんな入り組んだ路地裏に来たのが運の尽き、ってとこだな。まあ悪く思うなよ」


少年の瞳が私を、捉えた。捕らえて離さなかった。生命の危機に体が震えて、逃げ出そうと足がもつれた。


「丁度腹も減ってたし、あんためちゃくちゃ美味そうな匂いするし、こりゃ神様のお告げってやつだ。だから仕方ねえよなあ」


自分に言い聞かせるように彼はそう言って、私に一歩ずつゆっくり迫る。私は必死でもつれる足を奮い立たせて後ずさるが、そんな抵抗もものの数秒で終わった。少年は私の肩を掴んで真っ赤に染まる歯を見せて不気味に微笑む。


まさに捕食者と被捕食者の、その瞬間だった。


「お、おねえさま、おねえさま、アイザックさま、た、たすけて、たすけて…」


こんな瞬間にだけ、姉を求めた。嫌いだけど誰よりも強いと認めざるを得ない人を望んだ。こんな時にだけ、都合良く。


なんて汚い女。


か細い声ですがりつきながら、一瞬で正気に返ると私は目を閉じてその瞬間を待った。


「アイザック・トールマンを知っているのか?」


少年は私の耳元でそう囁いた。涙の滲んだ目を開けて、私は小さく頷く。


彼は実に素早かった。

私の肩を掴んでいた手をさっと退けて立ち上がり、私の両手を掴んで引き上げる。


「立てねえのか?」


こくこくと頷く。足が震えて立てないのをみて、彼は私の隣に座り込んだ。


「危うくアイツの友達を殺しちまうところだったぜ。後が怖えのに」


ここで機嫌を損ねると殺されるかもしれない。恐怖に息を詰まらせながら彼を横目に見る。彼は人懐っこい笑顔で私をじっと見つめていた。


彼の顔には血が滴っていた。明らかに返り血で、腐ったような赤茶色の血だった。


私が不躾にそれを見つめていたのがバレたのか、彼はポケットから古びたハンカチを取り出して、顔を拭き始める。


「悪ぃ悪ぃ!いくらアイザックの友達でも、女の子だもんな」


顔と返り血の飛んだ服を簡単に拭き取る。尤も、服の方は元々黒だったせいで殆ど血は目立たなかった。拭き終わると彼はまた私をじっと見つめる。


「…あ、あの」


帰ってもいいかしら、とは聞けなかった。震える声を上げると彼は首をかしげる。


「アイザック様とは、どのような…お知り合いでしょうか」

「うん?」


彼は首をさらに傾げた。不思議そうに私を見つめて、宙を見上げる。


「俺の事、分からねえのか?」

「…あ、」


分からないとなれば殺されてしまうのではないだろうか。私は答えに窮した。


「は、そいつは…傑作だな。あいつにも普通の友達がいたんだな」


彼はぽつりとそう言って、へらりと笑った。


「あんたこそアイザックとはどういうご関係なんだよ」

「…あの人とは…家族のようなものです。いずれは」


そう、いずれは。


「家族、なのに知らないときたか。へえ」

「う、嘘じゃ、ありません…アイザック様と会えば確認できます。本当です」

「アイザックの知り合いって所は疑っちゃいねえよ。あんた良く見りゃアイツの守りが働いてるしな。…他にも色々付いてるが」

「守り…」

「あんた随分ご家族に大切にされてるんだな」


大切に、されている?

私はその言葉に些か不快感を覚えた。大切にされているならば、私は除け者になんかされていないはずだ。何も教えてもらえず、みんなの都合に振り回されるだけじゃないはずだ。


「大切になんてされていません」

「ん?そうか?」


そう思うと、じわりと目に涙が滲んだ。

大切にされていない。大切に思ってもいない。私たちは家族じゃない。姉の取り巻きたちに言われた通り、私はお荷物なのだ。なにもかも優れた姉を羨んで、憎んでいる。汚い妹。最低の妹。


「俺には家族ってやつがいないようなもんだからさ、よくわかんねえけど、あんたは大切にされてると思うぜ」

「あ、貴方には、…分からないんですよ。私は、家族のお荷物だから…」


だから。


「…本当は、貴方に殺されていたほうが、良かったのかもしれません」


そう言うと、彼は気まずそうに頭を掻いた。


「そうは言ってもなあ。俺はあんたのことそう簡単には殺せねえんだよ」

「…そう、ですか」

「まあ生きてりゃ良いことは色々あんだろ」


投げやりにそう言って、彼は快活に笑った。


「そろそろ立てるか?送ってやんよ」

「え、でも、そんな…」


彼は血の付いていない手で私を引っ張り上げた。私は立ち上がって、背丈が同じくらいの少年の隣に立つ。


「ま、あんたにゃ俺の警護なんか要らないだろうけどさ」

「え、ええ…私なんて、警護されるほどの者ではありませんから」

「ん?そういうことじゃねえけど…あんた貴族だろ?こんなところを1人でフラフラ歩いて良いわけねえし」

「私は目立ちませんから」


ここに来る間も、誰にも呼び止められもしなかった。私は透明人間だったのだろうかと錯覚するほどに。


「そんで、名前は?」

「お教えできません。…名乗る権利がないのです。ごめんなさい」

「ま、良いとこのお嬢様が俺みたいな怪しい奴に名乗る名はねえよな」

「いえ、そういうわけでは。…不公平ですので、私も貴方の名前は伺いません。これでどうでしょうか」

「構わねえよ。じゃ、俺のことは死神とでも呼んでくれ。俺はあんたのこと、透明人間のお嬢さんって呼ぶからさ」


透明人間。

言われた言葉を飲み込むのに、何度も反芻した。透明人間、まさに私はそれだ。誰にも気付かれない存在。誰にとっても見えない存在。つまりはどうでも良い存在。私は透明人間だ。


「気に入らねえか?」

「いいえ!…すごく、本質を突いていると、思ったのです」

「なら良かった。さ、行くぞ」


彼は地面に脱ぎ捨てていたコートに袖を通し、コートのフードを目深に被った。コートの中に抜き身のナイフが隠れて行く。

彼は私の手を引いた。


「透明人間のお嬢さんの家はどのへんだ?それも内緒ってなら、大通りまで」

「大通りまでで、お願いします」


彼はにかっと明るく笑い、路地裏から出て行く。影を踏みながら、彼の歩みに付いていこうと必死に足を動かして行く。


約束通り、大通りまで辿り着くと、死神と名乗った少年は私の手を離した。


「もう路地裏には近付くなよ」

「は、はい」


彼は真面目くさってそう念を押し、私の背中を押した。


「そんじゃ」

「あの!」


立ち去ろうとした彼の背中に、私は声をかけた。


「死神さん、また、会えますか?」

「…は、はァー!?お前、この俺にまた会いたいってのかよ!あれ見たよな?」


少年は目を見開いて驚愕した。私は負けずと言い返す。


「会いたいです、いいえ、また会います!見かけたら声をかけてくださいますよね?」

「ま、まあ、その、縁があったら、な?」

「はい!必ず」


私の勢いに押された死神さんは、タジタジになりながらそう約束した。


「…調子狂うな、ったく。気を付けて帰れよ」

「はい、死神さんも」


私は満面の笑みで答えた。


ぺこりと頭を下げ、頭を上げるともうそこに死神さんはいなかった。


(不思議な人)


触れ合った指先は冷たく、それでいて力強かった。不思議な人。これまで出会った誰とも違う。どこかアイザック様に似ている。外見も内面もどこも似ていないのに、雰囲気がどこか。


心臓がどくどくと跳ねてうるさい。






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