氷の炎剣
――色褪せて、裏も表もなくて、燃え尽きて、凍りついて、破れてしまった時間でのお話。
「――おい! オマエ! 待てェェ!」
厳つい警備員の声。
ジリリリリリリリリ。
鳴り響く警報音。
タタタタタタタタ。
絶えず途切れずの逃げ足。
バタ、バタバタバタ。
盗んだ、盗んできた剣のサヤに巻き付き、透明な風に靡く赤い布切れ。
「――あばよ」
そう、一言だけ添えてから、泥棒はその場――国立メルフェード美術館を離れることにした。
左手に持った『氷剣』はサヤの隙間から、物の見事な蒼色の輝きを放ち続けている。だというのに、館内のどこかでサヤに巻き付いてから一切離れようとしない赤布には、一種の敬意さえ感じてしまった。
「……案外、大したことはなかったか」
目の前に『HISTORY ROOM』の壁が現れたので、立ち止まって溢し、また『その壁を粉砕していく』。
灰色の壁は幾度となく行く手を阻むので、『行き』はそれなりに苦労したが――今は『帰り』に過ぎない。もちろん美術館の構造は頭にインプット済みだし、なにより――。
「――『氷剣』。僕はオマエを、尊敬するよ」
ぶっ壊した。何を――もちろん、壁だ。
壁にぶち当たる度々、僕は左手の剣――サヤが抜け落ち、いつの間にか本体だけになって僕の左手に固定されている『氷剣』を壁に突き立てた。それだけで、壁は瓦解したのだ。一突き、しただけでだ。
コンクリートが、壁紙が、人が、空間が――ことごとく粉々に。なっていった。ただただ、それを繰り返せば……きっと、外へ出られるんじゃないか。それの、そうという考えが今の行動を支配していた。
それだけだった、のに。
「――待ちなさい! アナタは先ほど侵入した『氷剣泥棒』ですね? その氷の刃、我が美術館に返して貰いましょう」
「――――」
盗みに入った理由は単純だった。
『氷剣』は結界を離れた影響で徐々に凍りつき、このままでは左腕がそのまま持っていかれない。なのに、手離さない。いや、手離したくない。
だって剣が、こいつが、この『刃』が、必要だから――。
「……聞いていますか? 私はその気になれば、アナタはもうこの世にはいないんですよ? 一応言い分はきいてあげます。まぁ、勝手に現れては幾度となく失敗していった『氷剣泥棒』さんたちには悪いですが、アナタにはここで引いて貰いたいものですね」
「アンタは……確か、メルフェード美術館――館長。胡散臭い通り名が何個もあるのが有名だったか。こんな歳の子に、そんな大役が務まるのかどうか」
「『氷剣泥棒』の方々は誰しもそう言います。今まで――そうですね、一ヶ月ほど前から『来場者様』が急増しましたが、ええ、見事に全員、アナタと同じように。ちなみに、歳として数えるなら私は20を越えています」
「言っとくが、僕はここにくるのは初めてだぞ」
「それも、皆さんおっしゃってますね。これが、最後の入場になるんですから」
「最後に一個追加だ――アンタが、手に負えない化け物だってことも聞いてる」
それを受けて、月も輝く真夜中の玄関で鉢合わせた――というよりかは待っていたとでも言いたげな表情で泥棒を出迎えた館長は、今になってようやく、本心から笑みを見せたような気がした。まるで、不吉な黒猫のように。笑った。
――キン。
「アナタが『氷剣』を盗もうとしたのは何故ですか?」
「『氷剣』は全てを閉じて、新たな時代を築かせると聞いたからだ」
「それ、嘘ですよ」
「ああ、知ってる」
「では、何故」
「…………」
「答えてくださいよ」
「――何とでも、言え!」
その会話劇を皮切りに、決戦の火蓋は切られた。
いや、戦いの火蓋は、もう切られていた。
途端に正面扉のガラスが割れ、床にぶちまけられた。同時進行で館長は泥棒に短剣を――そう、短剣を突き付け、突き付けを繰り返して後退させる。
「誘導してるってことは、バレて――んだ!」
「知ってますよ、別に」
「なら、なんでっ……!」
「こんな単純な方法でしか、誘導できなかったからでしょうか?」
「っ……!」
「何とでも言ってくださいよ、館長兼用心棒の役割なので」
気づけば、美術館からの脱出には成功していた。黄金の月明かりが降り注ぎ、瞬間だけ目が眩む。
けれど、それは他でもない館長が仕組んだそれだ。
館長からは、逃げることはできていない。
しかし泥棒は、館長から逃げるだなんて選択肢はとうに捨て去っていた。逃げたところで意味がないし、逃げれるわけがない。そしてなにより、カッコ悪い。
「――――」
「沢山の人たちが、『氷剣泥棒』たちが、色んな目的でその『氷剣』を手にし、私に抗ってきました。幾度となく、盗んだ直後の『氷剣』で私を討とうと試みました。そしてアナタも――それで戦おうとするんですね」
何も考えずに、剣を握っていた。いや、握っていたんじゃない。握らされていた。もはや、自分の意思でどうこうできる問題ではないだろう。剣に、『氷剣』に、泥棒は操られていた。舞踏会――剣の舞いでもなかろうに。まるで簡単に、マリオネットのように、華麗に優雅に。踊らされていた。
「――そしてまた泥棒から取り返した『氷剣』で、私はアナタを懲らしめるとしましょう」
凍りついた泥棒の左手腕――そう、泥棒が最初に掴んだ、その形のままで凍りついた『氷剣』。
氷に閉ざされた刀身の中に――何故か、紅に燃え盛る炎が見えた気がした。
「――はぁ!」
「よっと」
振った剣は輝き、周囲の大気に干渉して空気中の水分を無造作に冷凍させる。振った軌道が、そのままの形で空中で凍りつき――コンクリートの地面に落下した。
もちろん、一度振っただけの剣撃が館長に触れるはずもない。軽く避けられ、館長は上へジャンプした。それを狙ったのかは知らないが、『氷剣』によって造り出された氷槍が館長を狙う。しかし五つほどのそれは全ていなされ、エメラルド色の空で砕け散った。
「『氷剣』の持つ、『冷』のチカラは凄まじいものです――」
空中に留まったまま言い放った館長はその細い指先をこちらに向け、被った帽子のつばを撫でた。その動作が意味するところを泥棒は知らないが、次の動作の予兆としては効果を表したようだった。
――館長がパチンと、指を鳴らした途端だった。『氷剣』が、勝手に、ワガママに、動きだし。
「ですがそのチカラを、素晴らしい氷のチカラ扱えた者は、未だかつて現れたことはないのですよ?」
「………………がッ」
――剣に、穿たれた。
熱い。熱い、熱い。
熱さを感じた腹のど真ん中――煌々と輝く、真っ赤な鮮血が、ぽた、ぽた、と滴っているのが理解できた。
「ぐ、ぁ、ぁ、あ……!」
自分で、刺したのだ。自分の腹を、自分で刺した。我ながら馬鹿馬鹿しい。
「これでも、私に管理できなかった泥棒と美術品はないんですよ」
全て、管理下――?
しかし、何故、何故なんだろう。どうして『冷』のチカラを持つ『氷剣』が、こうして、熱いなんてことは、なかなかどうして、あるはずなど。
「……『炎』か。あの『炎』」
「『氷剣』――いえ、『炎の氷剣』と、私は呼んでいます。そりゃあ、まあ……盗まれるだけの器量は、あるでしょう剣ですね」
「…………」
あの、クリアな輝きの中で燃え盛る炎。
それは氷の中で、確かに育まれた命の結晶――決して朽ちることはなく、沈むことはなく、吹き消されるわけでもない『炎』。
それが、何らかの因果でたまたま『凍りついてしまったとしたら』? そう、館長は言って――。
「が――ああああああああっ!!」
泥棒の腹は、破けて裂けた部分から徐々に徐々に、乾いた落ち葉にマッチを放り投げたように燃えていく。次第に腹は焼け終わり、胸と脚の付け根に火種は――着々と、移っていく。
悲鳴は、多分あげっぱなしではないだろうか。目の前にいる館長の、その冷酷なまでの笑みがそれを証明しているような気がした。
――バキリと、左手と『氷剣』が分離する音が鳴った。
「可哀想に……また、『氷剣泥棒』はありつけなかったんですね。この輝きと、美しさと、熱さと、冷たさと、その他諸々に。万死に値します」
「何、が……言いた、い……」
「簡単です。――悪い犯罪者の始末が、終わりそうなんですよ」
「――――ゎ」
破裂音、そして凍結音、続いて燃焼音、更に流動音、噴射音、切断音――ありとあらゆる音が、音が、音が。
泥棒の。
一人の『氷剣泥棒』の身体を、ただただ単純に痛め付けていた。
館長はとんだサイコパス野郎なのでないのかと、一瞬だけ考える。考えて、止めた。その場で仰向けに倒れ込んだことだけが原因ではないと思う。
「……悪い、ことをしたから、僕は、死ぬのか」
「そうですよ。アナタには死を持って償ってもらいます。他でもない、この『剣』によって――沈めてあげましょう。それほど、コレは価値の存在する、私の自慢の一品ですから」
「そうか……悪いこと、か」
――悪いことなんて、やらかした覚えはさらさらなかった。
価値がどうとか、そんなもの関係あるか。僕が欲したのは一つ、チカラだけだ。チカラが欲しかったから、盗みに入った。だからこの、難攻不落のメルフェード美術館に侵入することを、思い立ったのだ。
だけど、どうしてだろう。
なんで、コイツは。館長は――。
「なんで――僕を邪魔する? 僕がなにか、そうだ、人に迷惑をかけるようなことをしたか? これは言わば、そう、正当防衛なんだ! 僕は『氷剣』を盗まなければならないほどの状況に立たされた! それを、それを! 邪魔するなんて……アンタは神か、悪魔かなんかか!?」
「うるさいです。いいですか、落ち着いて聞いてください。アナタはただの、犯罪者なんですよ。善良な方々の邪魔でしかない存在なんです」
上から、どこまでも上から、その残酷な声音は降ってくる。
どこまでも、泥棒の心を痛め付ける。
非情なまでに、『氷剣』を構えて館長は言い放ってみせた。
「コレの価値を、アナタは知らない。あろうことか私利私欲のためだけに『氷剣』を利用するだなんて――とんだ、馬鹿ですね?」
「て、めぇ……」
「はい。一度だけ、握らせてあげましょう。――どうぞ」
そう言って、館長は泥棒に向かって『剣』を差し出してみせた。その一言は、確かにほんの少しだけ、心の救いにはなったかもしれない。けど、それがどうしたというのだ。意味がなくては、意味がないのだ。意味がなくては、意味なんてものは存在しないのだ。
「――剣先を、向けるん、じゃねぇ……!」
「おや、ご期待に沿えませんでしたか? 私はこれでも慈悲深いんですよ。チャンスを、与えています。たとえ握れと言われたその先が、硬く鋭く尖った刀身だとしても……『氷剣泥棒』さんには、これが『最期の勝機』だとおわかりですね?」
『最後』ではなく『最期』と言われた気がした。
概ね間違ってはいない。意味は、似ているんだろう。どちらも『サイゴ』なのはそうだ。ただそれに『死』が絡んでいるのだとしたら。
それはもちろん『最期』のチャンスという意味になるんだろう。わからなくはなかった。
握ることに、した。
カッコ悪い、し。
「――ずぁっ……!」
「ふふ、頑張りましたね。触った部分から凍って、凍った中で……燃えてますね、流石私のイチオシ。何度も盗まれ、私に取り戻されるだけはあります。でも、そうですねぇ……」
館長は嫌らしく微笑み、年相応の笑みを浮かべ、まるで公園で蝶とてんとう虫と小鳥と戯れるように――剣をのこぎりみたいに抜き差しした。カチカチ、メラメラと、じょぁざくと、音が「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「私にこういう趣味はないんですが、まあ、仕方ないです。これもお仕事ですから。ああ、因みに。剣を取り戻すというのは、仕事でなくともやってますけどね」
まあ、それもまた仕方のないことですが――そう続けて、館長はなおも『氷剣』を掴む泥棒の右手を抉ってくる。
体躯の痛みはあった。心の傷も増えた。――心の傷は、限りなく増えていた。プライドというものの全てが破壊され、粉々に砕け散る。そう、これを人は『屈辱』と呼ぶのだろう。
だから、せめて、それに屈してしまわないないように。
「……なんの、つもりですか」
「――――」
泥棒は決して、決してそれに屈してしまわないように、館長を抱き抱えようとしていた。
館長が握っている『氷剣』は不思議なことに手を氷結させてはいなかったが、刃を掴む泥棒の右手と、それを上から見下す館長――という構図に違いはなかった。
しかし、つい先刻前から構図は書き換えざるを得なくなった。
泥棒は絞り出した体力を使って館長を押し倒し、邪魔な帽子をはね除ける。これで、上下関係は逆転した。横たわる館長に、泥棒が股で挟んでのしかかる感じだ。
とは言っても、ここまで抵抗しておいて――剣は、向け握られのそのままだった。
館長は、それらの行為に失望を隠せなかったらしい。
「いい加減、諦めたらどうです? どうせ、負けは確定ですし……それと、負けることを理解して私に襲いかかるのも止めてください。これで優位に立ったつもりでしょうか? 非常に、非常に、不愉快です」
「……アンタを、襲いたくて襲ったわけじゃねぇよ」
「……?」
「こうしないと、僕の気持ちが収まらない」
「アナタは……いったい」
――どれほど呆れさせてくれれば気が済むのだろう。
館長はいっそ晴々しいくらいの表情で泥棒を思い切り睨み付け、剣を――ぐり、ぐりと捻る。小さな悲鳴。続いて血肉を抉るオトマトペ。
館長が『氷剣』を動かす度に患部は凍りつき、凍った中で燃える。泥棒は痛みと屈辱に耐えるのに必死だ。ここまで凌辱されては、もう、一生右手は使い物にはならないだろう。そろそろ諦め時だと言う館長の気持ちもわからないでもない。
けれど――けど、まだ、終わってはいない。
いや、始まってすらいない。
だって『コレ』を手に入れて、初めて始まるのだ。
――たとえ、方法が犯罪の名を持つものだとしても。
「手に入れて――僕は初めて『認められる』んだ!」
「『認められる』、とは?」
「話す気はねぇよ……!」
「それならとっとと死んでください。口だけは随分と達者なものですね。殺り甲斐はありますが、疲れるんですよ。このお仕事は」
――言い終わる前に、泥棒は館長を殴った。
殴られた館長は頬を赤く腫らして無表情、殴った泥棒は生気をまるで失った青白い笑顔。対照的だった。
そして館長が苦言を呈すまで待てなかったのか、泥棒は続けて館長を殴る。拳を握りしめて、精一杯親指の爪を立てて、限りなく、力を込めて。
――何度も、殴る。館長はもはや反応もしなくなっていた。意識を失ったわけではなく、殴られるのに飽きたからだった。殴られたことに反応するのにも、飽きてしまったから。
それを見て、哀れな泥棒は気を良くしたのか、更に館長の頭を抱えて硬いコンクリートに叩きつけた。鈍い音が響き、びしゃりと後頭部からの出血。綺麗な頭髪も、数本が抜け落ちたようだった。
「――はぁッ! はぁ、はぁー!」
「――――」
「どうだ、どうだ! これで理解できたか!? 僕の願いを! 僕の人生を! 僕の、僕の、僕の叶えたいことを!」
「――――」
「わか、ったなら、返事しろォ!! アンタ、まだ痛めつけ足りないのかッ!? どうなんだッ!」
「それ、――です」
「あぁ!?」
「アナタは傲慢だと、そう言ってるんですよ」
泥棒の腕が、とうとう『氷剣』の刀身を握る右手が、チカラに屈して崩れ落ちた。裂けて、破れて、凍って燃えて、ボロボロになったソレはもう右手でもなんでもない。『元右手』なだけで、今はただの肉片だ。同情の余地は、両者ともに持ち合わせていなかった。
「言ってみれば、アナタのソレは『欲望の塊』と呼べるものでした」
館長はゆっくりと『力づくで』泥棒をはね除け、血と埃で汚れた制服をはたく。除けられた泥棒は数メートルふっ飛び、着地する際に下敷きになった左腕が抉れ、白い骨が見えた。
それを見下すように『氷剣』を持った館長は腹這いになった泥棒の体を踏みつける。
「ですが、それだけだと『強欲』なだけと捉えてしまうこともできるでしょう。しかし、アナタは『傲慢』だった」
「……あがぁ!」
きりきりと踏みつける力が増す一方、泥棒の体力は根こそぎ奪われていく。どこもかしこも傷が付き、擦り傷、切り傷、火傷、凍傷と、見る影もなくなっていた。――右手も、左手も使えなくなった。『氷剣』を掴み取ることは、もう。
「アナタはただの『自己満』なんですよ。手に入れて、自分のしたいようにしたくて、それで勝手に誇って――最後に『どうだ』とどや顔までして。上から相手を見下して、相手を限りなく下に見て、自分だけが満足する。ほら、『傲慢』でしょう?」
「――?」
――何を言っているんだ、コイツ。
だって、それは。
お前は。いや、アンタは。
否、アンタも。
「……同じじゃ、ないのか?」
「同じ、とは?」
「――アンタも、そう言うんだったら僕と同じ『傲慢』なんだって話だよ!」
「……吠えますね。これが噂に聞く負け犬の遠吠えってやつですか? 怖いです、恐いですね。思わず、年相応の子供らしく『きゃっ』なんて言っちゃいそうでしたけど。……はい、それがどうかしましたか?」
「……ひ、開き直るってのかよ……!?」
「いいえ、開き直ってません。私は私ですよ、『氷剣泥棒』さん。アナタは『泥棒』で、私は『館長』。……今は、そうですね、やっぱりそれだけで十分かもしれません」
「さっきから、アンタ、何言ってんだ……?」
「『表裏一体』という言葉を知っていますか、泥棒さん」
「――?」
唐突に、そして辛辣なようで言い聞かせるような声音で、館長は泥棒へと問いを投げ掛けた。子供をあやすように、まるで優しい母親のように――その残酷な用心棒は簡単な問題を泥棒へと投げつける。
その質問に、泥棒は疑問を覚えた。
『表裏一体』という言葉、意味を知らなかったわけではない。質問の意図が、理解できなかったからだ。
そんな泥棒の感情を酌んだのか、踏みしめる体勢のまま、館長は懇切丁寧に説明を始めた。
「裏表――即ちフロントとバック、イコール外側と内側、つまりは裏と表です。『表裏一体』とは、まあ、そのまま言うと『裏と表は同じ』って意味になりますね。あくまで直訳ですが」
「……ふ、ぐぁぁ!」
「ああ、すみません。少し強くしすぎましたかね。では――もう少しだけ、強めましょう」
「……!」
声にならない叫び声をあげ続ける泥棒はさておき、館長はまるで他人事のように話を続ける意思を示す。
泥棒を踏みつけたまま館長は手を情熱的に動かし、蕩けた目付きで『知恵』を語り始めた。
「アナタの場合は『傲慢』と『強欲』がそうでした。限りないほど似ていますが、まるで異なっている二つですね。それ以外にも、探せばいくらでも『表裏一体』は出てきます。世の中、案外 裏表だらけですよ」
「――――」
「アナタの行動はアナタ側からみれば『正義』、私側から見れば『悪』。アナタの行動原理は良く言えば『夢』、悪く言えば『夢物語』――アナタは、そんなものなんです」
「ち、違う……! そんなもん、じゃねぇ……っ、僕は、僕は『認められる』ために――!」
「ソレが、わからないんですよ。私には『認められる』がなんとか、それが解りません。わざわざこのメルフェード美術館に忍び込んでまで『氷剣』を奪う必要がありましたか? 私に見つかってまで、敢えて私を倒そうとする必要がありましたか? アナタはそもそも――『認められる』必要があった人材なのでしょうか?」
その一言を最後に、館長は泥棒を踏んでいた足を離し、続けて蹴りつける。蹴りつけられた泥棒はまたも数メートルは空を飛び、何もかもを傷つけられて崩れ落ちた。
――プライドが。
ソレが、見るも無惨に蹴散らされた。割られて、折られて、切りつけられて――最後に燃やされ、そして凍らされるのだろう。最期に、死ぬのだろう。
「――ぁあああああああああ!!」
「うるさい。何時だと思ってるんです? 近隣に住まれている方々が起きてしまうではないですか。なんでしょう、プライドをずたぼろにされて発狂ですか? ――お願いしますから、静かに死んでください」
叫んで、叫んで、叫びまくって――叫び散らした泥棒はコンクリートを転がり回り、頭を抱えて発狂する。顔は狂気に満ち、足はばたばた、ばたばた、ばたばたと――館長はそれが激しく、激しくお気に召さなかったらしい。
『氷剣』を右手で構え、その煌めく刀身から冷ややかな氷のチカラを解き放ち――やがて。
「――切り落としました。今、アナタの左腕を」
「ァ――ぁ?」
「美しかったでしょう? 真の『氷剣』は傷口一つ残しません。アナタの左腕は胴にくっついてはいても、自分の意思では動かせないはずですよ」
「え――」
その、通りだった。
確かに、今『氷剣』は泥棒の左腕を切り落とした、かに見えた――否、切り落とされたのは事実だろう。
だが、その落とされた左腕はちゃんと、ボロボロではあるが肩を挟んで胴体と一体化している。なのに。
なのに、なぜ――動かせないのだろう。
「――アナタの『欲』を切って、凍らせました。これが『氷剣』の『冷』のチカラの真骨頂。どうです、痛くありませんか?」
「痛く、な、い…………」
「付け加えると、どうですか?」
「……痛く、ないのが、怖い……! 僕は、僕は確かに左腕を落とされた! なのに、痛くない! 見れば落ちてすらいない! けど、おかしい……! おかしいんだよ……痛く、ないなんて!! おかしい!! おかし、いっ……!!」
「そうでしょうね……何と言ったって、アナタの『欲』だけですから。これでアナタの『欲望』はアナタ本体から切り離され、冷凍保存された状態にあります――ほら、上」
言われるがままに泥棒は館長の指差す頭上を見る。
すると、その動作と呼応するかのようにソレは上から現れた。
――いや、現れたのではない。
ソレは『もともとこの場所にあった』ものだ。
今は視覚化されて、見えるようになっただけで――もともと、『おぞましいアレ』は泥棒が持っていたものだった。だっただけで、今は持ち主の元を離れている。『アレ』を邪魔がった館長が、今現在の管理者だ。
メルフェード美術館長の、名の元に。
「今から、アレを滅ぼします」
「――――」
「それが何を意味するか、アナタにはわかるはずですよ」
「――――」
「抵抗するなら今のうち、と言いたいところですが、もう手遅れです。御愁傷様でした。冥土のお土産に、これからの光景を持っていってくださいね。泥棒さん」
「――――」
――わかっている。
さっきまで、僕は『アレ』だけを支えにして、この場所に立ち続けてきた。
けど、もう『アレ』は僕のものじゃない。奪い返せない。肉体の両腕は使い物にならないし、精神の両腕は――見るべくもない。どっちも、果てしなく破壊しつくされている。
僕の全ては『アレ』だ。『アレ』だった。『アレ』にしか、すがれなかった。醜い、酷い、残酷だ――なんとでも言え。
僕はただ、それだけのためにここに来た。
忘れるものか、この屈辱を。
死なせてなるものか、この魂を。
去るものか、この場所を。
僕は――それだけのために、生きている。
『欲望』は、僕だった。
わかっていた――。
「――結局、自分のためだけってことですね」
「……僕、は。『認められる』、ために」
「やっぱり、どう足掻いても自分のためじゃないですか」
「違う、違う……違う……違う…………違うぅ!」
「違わないです。――そろそろ危ういですね。では」
館長はくるりと踵を返し、泥棒とは正反対の『アレ』と向き合う。
何度見ても恐ろしい塊だった。どす黒いオーラを放ち、暗黒の渦を作りながらふわふわと空中を漂う、純黒の物質。
黒い物体は、何度見てもわかってしまう。――その中央に艶かしく輝く球体が、泥棒の『欲望』と全く同じものだと。
「――やめろぉぉぉぉぉ!!」
「はぁっ――!」
『氷剣』が振るわれる。
辺り一面が氷で覆われ、結晶を纏った幻想の街が突如造り出された。バキバキと、白い輝きが『アレ』を封じ込めていく。ゆっくり凍らせ、中で燃やす。その境遇は、まるで泥棒そっくりだった。そうだろう、だって同じものなのだから。
白い――なんだろう、雪、だろうか。雪が辺りに舞い始めた。雪は黒いオーラを凍らせて溶かし、純白の輝きに変換していく。暗雲も晴れ、さっき黒のショーが終わったなら、今度は白のパーティーが始まるようだった。
その中から、微かに火の粉が上がったかと思えば。
最後に、黒の球体は爆発的な火力で焼却される。
「最期です。もしアナタに言葉を理解する機能が残っているのなら、私の言葉をきいてください」
館長はさして意見を取り入れる素振りも見せず、倒れて何も言わなくなった泥棒に向けて言った。
「来世では、きっと『認められる』といいですね」
「――――」
「アナタでは無理でしょうけど」
バキ。バキバキ。
パキン――。カキャ、ボウ、ガキ。
バ――――――ン。
『アレ』は、消えた。
『泥棒』も、消えた。
『氷剣』に、『欲したもの』に潰されてしまうとは――なんとも皮肉な話だろう。
その場には館長と、館長の右手に握られた『氷剣』がたった二人、佇んでいる。
館長は『氷剣』を天に掲げ、それを見つめた。まるで、愛しき恋人でも見るかのような視線で。
「――さようなら」
そう、一言だけ添えてから、館長はその場を離れることにした。
「案外、大したことはありませんでしたね……」
そう、溢し。
「――『氷剣』。私はアナタを、尊敬します」
敬いの気持ちを、口にした。それは心からの、精一杯の労いの気持ちでもあった。
一つ、館長はため息をつくと、制服をぱっとはたいてはね除けられた帽子を拾う。それを小さな両手でぐっと被り直した直後。
ふと、館長は上から何かが降ってくることに気付き、不思議に思って空を見る。
「……あれは」
それは『氷剣』のサヤだった。
今までどこに行っていたのだろうと思っていたが、まさか空から落ちてくるとは――これはさすがに予想していなかった。
館長は何故こんなことが、と考えかけたが、無駄だと判断して口をつぐむ。
『氷剣』に、常識はずれは当たり前だから。
サヤは勢いよく回転しながらコンクリートに近づき――やがて突き刺さった。先端部分から、ものの見事に地面をかち割って。
「……『氷剣』は全てを閉じて、新たな時代を築かせる、でしたっけ。そう、なのかもしれませんね」
そう思うのは、サヤに巻き付いた一筋の赤布が、そう思わせたからだと思う。
真っ白い雪と氷の世界の真ん中で、黒猫は蒼色の輝きを放つ『氷剣』を片手に、一人佇んでいた。
黒猫は、黄金の月明かりを目一杯に浴びて。
エメラルドの空の中で血痕と共に、その真っ赤に燃え上がるような布切れを、透明な風に重ね合わせながら、いつまでも、いつまでも。
例えこの、醜い争いの時代が終わったその後になったとしても、ずっと、ずっと。
この場所を、守り続けた。




